第七十八話 魔法の言葉
合理主義とは理屈を重視し物事を論理的に処理しようとすることを指す。
企業が決算発表の場などで、「合理化を進める」とか「合理的判断に基づいて」と何度も繰り返しているのを見たことのある人も多いだろう。つまり合理とは決して悪いことではないのだ。ある結果を求めて最短、最適の手順を踏む事を目指すのだから良い結果をもたらすことも多い。だからルード王子が相応の知識と知恵を持った合理主義者であれば支持されるのは当然である。
だが、合理主義は万能ではない。慣習や常識を排し、理屈や論理を重視するあまり人間関係が希薄になりやすい。また、感情や経験も不要なものとして切り捨てる傾向にあり、反感を抱く者も多くなりがちなのだ。マルセルたちはルード王子派の有力貴族であるヘッセン侯爵の補佐を務めるフュルト家に仕えているだけにそのことをよく知っていた。そして大輝も屁理屈も含めた理屈を駆使するタイプの人間であり、それによって失敗も経験している。マルセルとモリッツの言わんとしていることが身に染みているのだ。
「つまり、ルード王子の合理主義は行き過ぎているんですね。」
一通りルード王子についての話を聞き終えた大輝が言う。
「あぁ。オレたちから見ればルード王子の合理主義の求める結果は「ハンザ王国の繁栄」の1点に帰結しすぎている。」
「うむ。その結果に至る最短、最適手順のみを追求しており、結果こそ出しているが反感を持つ者は多い。」
モリッツ、マルセルが言わんとしていることが大輝にはわかった。
「そうですか。そうなるとルード王子対策も必要ですね。」
3人はそれで通じ合ったがレオニーは理解しきれていなかった。
「あの・・・ルード王子の行動原理がハンザ王国のためということでしたら、ベルナー家の謀略は国家制度の根幹である貴族制度に対する反逆ですから味方になってくれるのではないでしょうか?」
レオニーの言う通り、国家運営は国王を中心に貴族が行っており地方の統治は貴族を中心に名誉爵位持ちが行っている。間違いなく貴族制度は軍部制度と共に国家の根幹を成す2大制度である。
「うむ。確かにレオニー殿の言うことにも一理ある。だがルード王子は合理主義・・・」
「そしてルード王子が求めているのは「ハンザ王国の繁栄」なんだ。」
マルセルとモリッツの簡潔すぎる言葉ではわかりにくいだろうと大輝が解説することにする。自身の考えがマルセルたちと合致しているかの確認を含めて。
「合理主義というのは伝統に拘らないんです。「ハンザ王国の繁栄」のためにはある程度の下剋上や成り上がりが有効だと判断すればルード王子はフュルト家を切り捨てる可能性がありますね。もちろん、成り上がりを認めない方が有効だと判断することもありますが、フォルカー湿原の解放は間違いなく「ハンザ王国の繁栄」に繋がりますからその功績を認めないとは考えにくい。そうなると少なくともベルナー家に恩赦を与えることになるはずです。フュルト家にとっては今回を乗り切っても厳しい状況が続くでしょうね。」
「そ、そんな・・・」
大輝の言葉に大きく頷くマルセルとモリッツを見てレオニーが声を震わせる。
「だからってフォルカー湿原解放作戦を邪魔するわけにもいかないのが難しいところですね。」
「うむ。フュルト家に与する者が国家や領民の為になる作戦を妨害したとなれば致命的打撃になる。」
「だよなぁ。ベルナー家のフュルト家に対する謀略を証明しても明るい未来が見えないってのはキツイわな。」
これまではフュルト家の無実の証明もしくはベルナー家の謀略を暴けば全て丸く収まると思っていたが、ベルナー商会が集めている冒険者たちがフォルカー湿原解放を成功させればひっくり返される可能性が出てきたのだ。もちろん可能性の問題であるし、湿原解放が可能かどうかもわからない。しかし徒労に終わるかもしれないというのは気持ち的に大きな重しとなってしまっているのだ。
「そうは言っても、まずは無実の証明と謀略の証明が出来なければ何も始まりませんよ。」
フュルト家の無実の証明と謀略の証明はほぼイコールの関係である。ⅮNA鑑定や筆跡鑑定等の冤罪証明手段のないこの世界では相手の謀略の証明がほぼ唯一の突破口なのだ。だが敢えて大輝は無実の証明と口にする。恩のあるフュルト家への思いを喚起させるために。
「そうだな。少なくとも旦那に冤罪が掛かったままにはできねえよな。」
「うむ。無実を証明することに全力を尽くそう。」
「マーヤ様のためにも。」
3人はなんとか気力を取り戻す。そして明日からの訓練に備えて男女に別れた寝室へと下がっていった。
(前途多難だけど、まずはギーセンの街に行ってからだな。)
「ギーセンの街へようこそ。」
型どおりの挨拶を経て大輝がギーセンの街に入ったのは暦が1月から2月に変わった日だった。
「聞いてたより活気があるな。」
ギーセンの街の南門から入った大輝は喧噪を聞いて感想を口にする。
ヘッセン侯爵領の領都ギーセンの人口はおよそ4万。この世界で街と認められる要素の1つである対魔獣防衛用の防壁を備えているがその高さは平均以下の3メートル程だった。それは近隣に魔獣スポットがなく比較的安全度の高いエリアに街があることを示している。しかしその割には一目で冒険者とわかるいでたちの者が多かった。
「う~ん。ベルナー商会が高ランク冒険者という縛りをとっぱらって集めてるのかな?」
大輝は首を捻る。フォルカー湿原に居座る魔獣は数を頼りにしても駆逐出来なかったはずなのだ。過去に騎士団が出動したこともあったが、湿地というよりは沼地に近いエリアに巣食う魔獣に対して集団戦を得意とする騎士団は何度も手痛い敗北を喫している。質より量という考え方は通用しないはずなのだ。
「統率に優れた騎士たちでダメなのに寄せ集めの冒険者じゃ結果は見えてると思うんだけどなぁ。」
そう思いつつもそれは大輝の予想でしかない。冒険者の数が多いのは他の理由かもしれないし、『山崩し』の時のように優れた指揮管と戦術があれば騎士団に匹敵する活躍を見せるかもしれないのだから。
大輝は冒険者の数が多い理由を確かめたい衝動に駆られて冒険者ギルドがあるという東門付近へ足を向けそうになるがそれを自制した。下手に冒険者ギルドに情報収集に行って『双剣の奇術士』だと知られる前にまず最初にやらなければならないことがあるのだ。
(思ったより『山崩し』の情報は伝わってるみたいだからな・・・)
途中で寄った王領内の街や村では尾ひれがついて噂話が出回っていたのだ。
(娯楽の少ないこの世界では商隊が運んでくる情報は一番の刺激だろう。)
『山崩し』で手に入る魔獣由来の素材を目当てに毎年多数の商人たちが冬の始めにノルトの街を訪れている。そこに過去最大規模の魔獣が襲来し、2,000以上の魔獣が討ち取られれば肉も皮も希少素材でさえも供給過剰になる。利に敏い商人は当然他の街へ行って売り捌こうとするし、その際に『山崩し』について語ることになる。酒のつまみであったり、商売の苦労を語るエピソードの1つとして盛りに盛った話を。その結果盛られた話で苦労をする人間が出ることなど気にせずに・・・。
見知らぬ人々に奇術や剣舞を執拗にせがまれた事を思い出して一瞬身震いをする大輝だが注目を浴びる前に隠密に済ませなければならない用事があるのだ。懐に忍ばせた複数の手紙に手を触れて先を急ぐ。手紙はマルセル、モリッツ、レオニーがそれぞれの信用出来る者や協力願いたい相手に宛てにしたためたものだ。マルセルは代々フュルト家に仕える家系らしく街の有力者宛てが多い。モリッツは元冒険者だけあってギーセンを本拠地としている冒険者宛てや裏稼業の者宛てだ。そしてレオニーは同じ孤児院出身で今はギーセンの街を支える有力者の元で働いている者たち宛てが多い。
(レオニーの交友関係は意外と使えるかもしれない。)
大輝は手紙を届ける相手についてその人物像や背後関係も出来るだけ詳しく聞き出していた。そして目を付けたのがレオニーの交友関係だった。孤児院ではフュルト家当主が主導して希望者に教育を施していたのだが、その中で優秀な者たちはフュルト家に仕えるようになったレオニーのように街の有力者の元で働いている者が多い。その中に敵対勢力であるベルナー家やそれに近しい家にいる者たちがいたのだ。実際には大輝が直接接触してどこまで協力してもらえるか見極めることになっているが上手くいけば大きな成果が挙げられるかもしれないと思っていた。
(でも、まずは信頼度の高い相手からだな。)
会わなければならない相手が多いため、優先順位はすでに決めてある。いきなり信頼度の低い相手に接触して警戒されてしまっては困るのだ。最悪の場合は協力的な相手に接触する前にベルナー家に追われるか尾行を付けられるかもしれない。慎重を期す必要があるのだと自分に言い聞かせつつ最初の相手へと歩みを進めた。
「御免下さい。」
大輝が暖簾を潜る。つい懐かしい暖簾を見つけて口調が変わってしまう。
(もしかしたら若い頃に住んでいたという『魔職の匠』の影響で暖簾なんて掲げているのかな。)
過去に召喚された者が全員日本人であったという確証はないが、なぜかそんなことを考えてしまう大輝。どことなく和のテイストを感じさせる店内なのだ。それもそのはず、この店は味噌や醤油の他にコメも扱っているギーセンの街最大規模の食料品店なのだ。この国の食文化に大きな影響を与えたという召喚された者たちの残滓があってもおかしくはないのだ。
「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」
大輝が並べられた商品に視線を回しているところに店番の女性が現れた。
「冒険者の大輝といいます。商会長のユングさん宛てに手紙の配達でまいりました。」
冒険者ギルドに配達依頼があってそれを受けたことのある大輝は依頼の体を取る。冒険者ギルドを通していないため正式な依頼ではないが、マルセルから預かった手紙であることは事実だし、冒険者ギルドの配達依頼とは一言も言っていない。
「それでしたら私がお預かり致します。受取証をお出しください。」
店番の女性は大輝の冒険者という言葉と手紙の配達ということで冒険者ギルドの依頼だと認識して依頼完了証明書となる受取証に自分が代わりにサインすると言い出す。だが、大輝はユングの人柄を直接確認するつもりであったし、受取証など持っていない。
「申し訳ありませんが直接お渡ししてご本人にサインを頂くように指示を受けています。お恥ずかしいのですが、本人を確認しないで重要な手紙を渡してしまった冒険者がいたようで手紙の主から厳しく言われているんです。」
自分と同じ冒険者が不始末を犯したことを恥ずかしがるフリをする大輝。だが、食糧関連ではギーセンだけではなくヘッセン侯爵領で最大規模の商会主となると簡単には会わせてもらえない。大輝の前に店番の女性が立ちはだかる。
「ユング商会長にお会いできるのは予めご予約のある方に限らせて頂いております。また、相応の紹介状をお持ちの方でないと御取次ぎ出来ない決まりとなっておりまして。」
「えぇ。そうだと思います。ユングさんといえば大商会の長ですもんね。私のような一介の冒険者と簡単に面会する訳には行きませんよね。ですから手紙の主から身元を保証する魔法の言葉を授かってきています。『ラウラ、レア、ヤーナ』とユングさんにお伝え頂けますか?」
大輝は『ラウラ、レア、ヤーナ』とまるで詠唱のように1小節で言い切る。大輝の発声を文字で表せば『ラウラレアヤーナ』と意味不明な他言語だと思うだろう。案の定店番の女性は復唱して確認してくる。
「はい。その魔法の言葉をユングさんにお伝え頂ければすぐにわかってもらえると聞いています。お手数ですがよろしくお願いします。」
しかしそう簡単には信用は得られないようで魔法の言葉という子供だましのようなことを言う大輝に対して訝し気な表情を浮かべる店番の女性。その表情を見て背筋を伸ばしたまま頭を下げ綺麗な礼をする大輝。了解してくれるまで頭を上げませんという意志表示だったのだが、女性はコロッと態度を変えて了解した。粗暴な者が多い冒険者にしては礼儀と言葉遣いがしっかりしており、取り次ぐくらいならと判断したようだった。
大輝はホッとしつつ広い店内に並べられた商品を眺めながら待つことになる。そして15分後、顔を青くして表情を消しつつも額に玉のような汗をびっしりと浮かべた40歳程の男が息を切らせながら走って来た。
(ん?血相を変えて走って来たって感じだな。でもその割には顔は青い・・・これだけ汗を掻いてるんだから赤く上気するもんじゃないのか?)
目の前で荒い息を吐く男性を見て呑気な事を考えていた大輝。だが、男にとっては一大事なのだった。下手をすれば身体1つで商会を追い出されかねない事態に発展するかもしれないのだ。
「お、お前さんが手紙を届けに来たという冒険者か?」
マルセルの言う通り、商会主のユングがやって来たのだった。




