第八話 お茶会内の劇薬
カンナ・ハルガダ。ハルガダ帝国の帝位継承権第3位。父は皇帝バラク・ハルガダ、母は皇妃カリナ。皇妃カリナはカンナ出産直後に体力が尽き帰らぬ人となっており、それが原因で5つ年上の姉アンナ、3つ年上の兄バルトから幼い頃から距離を置かれていた。皇帝であるにも関わらずカリナ一筋で側室を迎えなかった父バラクも同様だった。
皇帝バラクの寵愛を一身に受けていた皇妃カリナは帝国一ともいわれる美貌を誇り、また、宮殿内だけではなく帝都で働く下々の者まで分け隔てなく接する気さくな人柄で非常に高い人気を誇っていた。そのため、カンナに責任はないとはいえ、帝国自慢の皇妃が没する原因となってしまったことで人々からは好意的に見てもらえなかった。老騎士ネイサンをはじめとする皇妃護衛騎士などの側近を除いて。
そのせいか、カンナは幼い頃から人の感情に敏感な子供だった。結果、3歳を過ぎたころには泣くこともせず、一切の我が儘を言わない子となっていた。乳母や女官、家庭教師からは全く手のかからない子供だと思われるくらいには。
しかし、志願して皇妃護衛騎士からカンナ直属の護衛騎士へと移ったネイサンにはそんなカンナが心配だった。カンナが自分たち直属の騎士たちを信頼してくれているのは感じていたが、あまりにも自己主張がないのだ。まるでこの世の全てに興味がないように感じることも多かった。
そんなカンナがはじめて皇帝陛下や姉兄の方針に異を唱えたと聞いたときには驚きとともに喜びも感じていた。内容を聞いて納得もした。ネイサンの敬愛する亡き皇妃カリナも間違いなく反対したであろう事だったからだ。カンナは最後まで食い下がったものの結局聞き入れられず、謁見の間から退出を命じられてしまった。しかし、帝都ハルディアの開祖であり、皇族のルーツでもある異世界人の戦闘奴隷化計画は1人の異世界人の機転により回避されたという。カンナはこの異世界人に興味を持ったようで、滅多に参加しないアンナ主催のお茶会にも参加しもっと話をしてみたいと口にするようになった。自身が異世界人の血を引くことも理由の1つかもしれないが、皇女である自分でさえ止められなかった計画を、魔法の存在すら知らないはずの少年が一瞬で看破した上、戦闘に突入しそうな状況を丸くおさめたことに興味を持ったのだろう。報告を見ても、洞察力・交渉術に長けていることが窺えた。帝国の思惑を見抜いた上で落としどころを用意している程に頭が回る者であることがに気付いた。だからネイサンは黒崎大輝という少年にカンナを合わせるべきがどうか悩んだ。このチャンスを逃す手はないと思うと同時に危険視もしていたからだ。。カンナがはじめて意志を見せた事柄の中心に存在し、カンナがはじめて興味を持った人物。カンナが閉じこもっている殻を打ち壊してくれる可能性はある。しかし、相手はほんのわずかな手がかりで帝国の思惑を打ち破った手練れ。孫のように思っているカンナを危険に晒す訳にはいかない。葛藤の末、以前の部下たちの力を借りて下調べの後、ネイサン自身が同席することで場を設定したのだった。
そして現在、旧壁南西にある旧見張り塔の屋上バルコニーから帝都ハルディアを見下ろし、カンナが街並みの説明をしている。大輝から日本の建物が巨大であることを聞かされ、魔法の代わりに科学というものが進歩していることを聞いている。300メートルを超える建物があると聞いて驚いているカンナの表情は明るく年相応の表情が垣間見える
「お嬢様、大輝殿、日も傾いてまいりましたので今日はそろそろ。」
もう少しカンナの年相応の表情を見ていたいのだが、西に沈みかける太陽を見て声を掛ける。。
「だいぶ時間が経っていたようですね。カンナ様、特等席からの街並み堪能させていただきました。ありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ日本のお話楽しかったです。あ、あの、ご迷惑でなければまた話を聞かせていただけますか?」
「そうですね。私はアメイジアの常識に疎いので、情報交換ということでいかがですか?」
あまりにもカンナがオドオドしていたのでついからかうような返答をしてしまう大輝。カンナが謁見の間にいなかった事、あまりにも無邪気だったこと、ネイサンが好々爺然としていたことも警戒心を抱くことなく了承した理由だろう。
「はい!」
「宮殿育ちのお嬢様に常識をお教えできるか不安なのですが」
「うぅ・・・」
「ほほほ。大輝殿、お嬢様の補佐は私ネイサンが務めますのでご安心を。」
「ネイサン!」
「あはは、それなら安心ですね。」
「た、大輝様まで・・・」
「「冗談ですよ?」」
「うぅ・・・」
「まあ、私は基本的に午後は時間がありますので、カンナ様のご都合がよろしい時にお声掛けいただければと思います。」
「わかりました。私をからかった罰として、明日も迎賓館への使者はネイサンに務めてもらいます。大輝様も見知った顔がお迎えに上がった方がよろしと思いますし。」
こうして明日も開催される事に決まったカンナ、大輝、ネイサンの3人のお茶会が終わった。
その夜、宮殿内のカンナの私室にはカンナ、ネイサンの他にカンナ付魔法士カレンと女官サラがいた。
「お嬢様、異世界人とのお茶会はいかがでしたか?」
サラの淹れた特製ハーブティーを飲みながらカレンが珍しく上機嫌なカンナに問いかける。
「非常に有意義なお話を聞くことができました。明日も大輝様に色々と日本のお話を伺う予定です。」
「明日もですか?よ、よろしいのですか?」
今までにない積極的なカンナを見て驚きながらも心配の眼差しを向けるサラ。心配する理由は帝国の方針に反すると批判される可能性があるからだ。
「父様、いえ皇帝陛下には私が直接お話しします。」
明確に自身の意思を告げるカンナからネイサンへ視線を向けるカレン。それを受けてネイサンはただ頷く。それでいいのだ、と言っているようにカレンは感じた。
カレンが心配した帝国の方針。異世界人の分断・懐柔である。異世界人召喚計画の責任者であるアンナ第一皇女が侑斗、拓海、志帆、七海の4人の懐柔を、一郎と二郎の懐柔をバルト第一皇子の代理として宰相のフィルが担当し、大輝は放置。皇帝は初日に大輝の懐柔もしくは、使いこなすことを放棄していた。その代わり、残りの6人を確実に帝国陣営に加えることにしたのだ。その大輝と接触することは皇帝の意思に反することになるのではないかと危惧したのだが、
「皇帝陛下にはダメで元々、上手くいけば儲けモノとでも言っておきます。」
「カンナ様、その言い方ですと、懐柔する気がないように聞こえますが・・・」
「ありません。というより私では無理だと思います。お味方になってくださればいいとは思いますが。」
「ですな。彼の者を手懐け様とすると痛い目を見ることになりそうですからな。」
まるで猛獣を評しているかのようなカンナとネイサン。
「えっとぉ、それではお近付きになるのは危険なのでは?」
カレンが胡乱げな眼差しで2人を見やる。
「それは大丈夫だと思います。ネイサンはどうですか?」
「お嬢様と同意見ですな。」
人の感情に敏感なカンナと長い騎士経験で危機察知スキルまであるネイサンのお墨付きだった。こうなればまだ24歳とようやく新米を抜け出したばかりの魔法士であるカレンが反対することはない。
大輝たちが召喚されて40日目、大輝とのお茶会という名の情報交換はすでに7回目になっていた。といっても、ほとんどカンナが日本について質問して大輝が答えるという一方通行に近い形だった。それに気付いてはいたカンナだったが、話が面白くてついつい・・・馬より早く走るジドウシャという金属の乗り物、どんなに遠くに離れていても会話できるケイタイデンワ、円周を簡単に計算できる2パイアールという呪文のような算術、いったい日本とはどれだけ凄い国なのだろうか、カンナには想像もつかなかった。そして今話しているのはそんな凄い国を治めているのはどんな人なのか?だ。
「日本では、選挙によって選ばれた代表者が政治を行っていますね。そうですね、帝国に風に当てはめるとすると、15歳以上の成人による選挙で自分たちの街の代表を選びます。各地方を治めている貴族のようなものを選ぶと思ってください。。それとは別に、国を運営する人間も選挙で選びます。その選ばれた人というのが宮殿で大臣とその下で働いている宮廷貴族にあたりますかね。その宮廷貴族の中から国の代表として宰相を選ぶ。こんな感じですかね?」
「えと、そうすると、日本では平民が貴族や宰相を選んで政治をしているんですか?」
「そうですね。日本にも昔は貴族や王のような身分の人がいた時代がありましたが、今はそういう身分制度はありませんので、平民の代表が政治を行っていますね。」
「日本に比べて帝国は遅れているのでしょうか? これまで聞いたカガクのレベルも高いですし、平和で豊かであるのでしょう?」
「一概にそうとは言えませんよ。」
「聞いているとそうとしか思えないのですが。」
「確かに科学という分野では日本の方が遥か上と言っていいとは思いますが、アメイジアには魔法がありますからね。それに、今でこそ日本は平和で治安もよく、人々が食糧に困ることもほとんどないですが、私が生まれる50年位前までは戦争、飢餓、身分制度色々あったみたいですしね。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「日本のように皆が豊かに、そして平和に暮らせるような国にするにはどうすればいいでしょうか? 選挙による統治体制にすればいいのでしょうか」
カンナは知っていた。北部独立戦争から5年、さらに大きな戦争が起きようとしていることを。
カンナは見てきた。領内視察に行ったときの見た農民たちが日々の食糧にも困っていることを。
カンナは目を背けてきた。今見下ろしている帝都の中で年々拡大するスラム街があることから。
カンナは目の前に見ている。帝国によって異世界から拉致され戦闘奴隷にされそうになった少年を。
カンナは思った。この少年が帝国を日本のような豊かで平和な国にしてくれるのではないかと。
「難しいでしょうね。」
「な、なぜでしょうか?」
「カンナ様はなぜ平民が選挙という間接的ではあっても政治に参加できるのだと思いますか?」
「え・・・と、わかりません。」
「そうですね。質問を変えますね。もし、今この帝国で15歳以上の成人全員参加の選挙をやろうとしてできると思いますか?」
「皇帝の名の元で帝国が決定すればできると思います。」
「私は無理だと思ってますよ? それも100%自信をもって言い切れますね。」
「な、なぜですか!」
「理由は沢山ありますよ。
1つ、識字率が低すぎること。確か、帝都内でも3人に1人、農村や漁村だと10人に1人もいないんでしたよね? 小さい街や村の中で選挙を行うことは可能だと思います。広場に集めて演説して挙手でやればいいので。でも帝国全土での選挙となれば文字を読み書きできないのは致命的です。
2つ、現在の貴族や領主の問題。北部独立戦争の理由の1つに既得権益の剥奪があったと聞いています。もし今、帝国全土で選挙をやろうとすれば、選挙結果の捏造はもちろん、北部独立戦争と同じようなものがあちこちで起きるでしょう。最悪、帝国そのものがなくなる可能性まであります。
3つ、仮に最初の2つをクリアしても、今の帝国国民には選挙によって帝国を豊かにしてくれそうな人物を選べないこと。なぜ?という顔をされていますが、当然ですよ?だって、その日を生きるのに精一杯の人たちが国の将来を考えたことがあると思いますか?考えたことのない人がよい選択をできるとは思えないですよね?
まだまだ理由はありますが、もうこれで十分お分かりいただけると思います。」
カンナは安易に出来ると答えたことを後悔して恥ずかしさのあまり倒れてしまいそうだったが、
「とはいえ、私は日本と同じ政治体制で帝国が豊かで平和になるとは思ってませんので、あまり気にしないで良いと思いますよ?」
「え?え?そうなんですか?」
思いもよらない大輝の発言にカンナは動揺した。他に方法があるという意味なのか、帝国には無理だという意味なのかもわからなかった。
「はい。一番顕著なのは魔法と科学という発展の方向性が違っていることですが、地球とアメイジアでは明確な違いがありますからね。同じやり方をしても同じ結果が得られるとは思えないんですよ。」
「そ、それは確かにそうかもしれませんが、日本のようになれる可能性はあるでしょうか?」
「あると思いますよ?とはいえ、そこへ至るまでの道筋まではわかりませんが。なにせまだこちらに来て日が浅いですし、帝都も旧壁内とここから見渡せる範囲でしか知らないくらいですからね。診てもいない患者を治せない医者と同じですよ。」
その日の夜、カンナは初めて知恵熱というものを出していた。枕元では女官のサラが徹夜で濡れタオル
の交換に励んだそうだ。
「大輝殿、礼を申す。」
ネイサンは頭がパンクしてしまったカンナを私室へ送り届けた後、迎賓館の大輝の部屋を訪れていた。
「う~ん、ちょっとやりすぎちゃった気がしなくもないんですが、大丈夫ですかね?」
応える大輝の口調が随分と気安くなっているのには訳があった。
「お嬢様に言った言葉に嘘はなかろう?」
「正しいか否かはともかく、口にした言葉は全てオレの本音ですよ。」
「ならばなにも問題ない。あとはお嬢様と我々次第だ。」
「それならいいんですけどね。とはいえ、力になれるかはわかりませんが、必要なら声掛けてください。残り50日位ですけど。」
「うむ。おそらく数日から10日は呼ばれることはないと思うが、その時は手を借りたい。」
「了解です。まぁ、オレもネイサンさんたちほどではないけど、なんとなくあのお嬢様をほっとけないんで。」
「そう言ってもらえてなによりだ。予定通り約束の品は期限までに少しずつこちらに運ばせてもらう。」
「たのんます。」
ネイサンが大輝に相談を持ち掛けたのは5回目のお茶会が終わった後だった。腹を割って話がしたいとワイン片手に大輝の部屋に押し掛けたのだ。しかも話が漏れないように防音の魔法まで使って。
ネイサンは信頼の証としてカンナの生い立ち、置かれている状況、今後通るであろう厳しい道を包み隠さず大輝に語った。今後の道とは、皇位継承権を持つ者が通る道である。今までのカンナは皇族としての教育は十分に受けているが、自我の薄い人形に近く、成人後に通るその道に耐えられそうもない。そこに大輝という石が投じられ、置かれている状況に変化がもたらされた。ネイサンやカレンたちはそれに満足せず、カンナが生きる希望を持つための劇薬となる役割を大輝に依頼したのだった。もちろん、一か八かの賭けではなく、カンナへの信頼と愛情と忠誠、大輝の洞察力と知識力を勘案した上での決断だ。
それに対して大輝もネイサンの『我はすでに帝国の騎士ではなくカンナの騎士である』との言葉と覚悟を受け胸襟を開いた。3か月の期限が切れた後帝国に仕える気がないこと。ネイサンたちの依頼を引き受けること。依頼の対価として帝都から旅に出る装備を用意して欲しいことを告げた。そして契約が成立したのだった。
あとは、大輝という劇薬がカンナの将来にどのような効果をもたらすのか。ネイサン、大輝たちはそれが良い結果として出ることを願っていた。