第七話 迎賓館生活
宮殿から北に200メートル程離れた迎賓館2階の1室に大輝の姿があった。部屋の広さは10畳程で、質の良さそうな木製の家具が備え付けられている。シングルベッド、テーブルに2脚の椅子、和ダンスのような収納。非常にシンプルな部屋だった。大輝が部屋に1つしかない窓へ近づくと、先ほどまで訪れていた宮殿が松明の灯に浮かんで見える。そして溜息が漏れる。
「ふぅ。なんとかなった~。」
謁見の間で行われた帝国との交渉の結果に対して大輝は満足していた。だが、帝国から良い印象を持たれていないだろうことは想像がついた。
(目立ちすぎたよな。でも動かなきゃ召喚初日に戦奴隷コースで詰んでたし。)
仕方ないことだったと結論付け、ベットに寝転がる。体力はともかく精神的に疲れ果てていたのだ。夕食も食べてない、風呂にも入ってない、スーツすら脱いでない状態だったが、寝転がって10秒も経たないうちに瞼は閉じられ意識を手放していた。
多くの者が夢の中にいる時間帯、宮殿内にある皇帝の執務室には6人の男女が集まっていた。帝国の慣習として、重要な案件がある場合は皇帝、皇位継承権を持つ者、軍事・魔法・政治の各分野の長が集まることになっているのだ。
皇帝バラク・ハルガダを筆頭に、第一皇女アンナ・ハルガダ、第二皇女カンナ・ハルガダ、将軍サイラス・カルフィード、筆頭魔法士ルーデンス・モークス、宰相フィル・ユーシアスだ。本来ならここに第一皇子バルト・ハルガダを加えた7人が集まるのだが、バルトは現在対ロゼッタ国境砦への視察で不在だった。
「困ったことになりましたね。」
第二皇女カンナが呟く。来年15歳の成人を迎えるカンナは元々召喚魔術の行使に否定的な立場を取っていた。さらに、契約魔法で異世界人を縛り無理やり戦いに巻き込むことに反対し謁見の間には入れてもらえなかった。そのため、執務室に入ってすぐに宰相から簡単な報告を受けた感想がこれだったのだ。
異世界人との約定。
・ハルガダ帝国は、異世界人に対して3か月間、衣食住を提供する。場所は迎賓館とし、迎賓館から外 に出る場合は許可を得た上、必ず帝国の騎士が同行すること。
・3か月後、異世界人は各自の意思で進むべき道を選択できるものとする。
たったこれだけだったが、帝国としては2つ目が問題だ。召喚の目的は戦力の確保。それが達成されない可能性がある。そればかりか、国外に流失し、万一ロゼッタ公国に仕官でもされたら自らの首を絞めることになる。だが、それでもこの条件を飲まざるを得なかった。帝国側は、契約魔法への異世界人たちの猛烈な拒否反応を前に譲歩せざるをえず、条件を受け入れたのだ。
契約魔法による奴隷契約。これが失敗だった。これが看破されさえしなければ、7人もの異世界人が帝国の戦力となるはずだった。1人でも召喚できれば事態打開に繋がると思っていたのに、7人もいればアメイジア大陸統一さえも叶うと思った。いや思ってしまったのだ。
アンナが新壁の門番に指示を出し、旧壁で通行に手間取っているフリをしながら契約魔法を使える者を集める時間を稼ぎ、一気に事を運ぼうとしたことが裏目に出たのだ。
もし、事前に召喚されるのが複数人であると知っていれば、もしくは、予定外の人数に混乱せずに冷静に考えられれば違うやり方を選んだはずだ。例えば、7人を別室に案内して個別に契約魔法を使うとか。実際、奴隷契約に気付いたのは黒崎大輝ただ1人だったのだから、上手くいった可能性は高いだろう。少なくとも6人もの異世界人を手駒に出来たはずなのだから。
「黒崎大輝か。」
謁見の間での行動だけではなく、アンナからの報告で召喚直後に混乱する異世界人たちを抑えたのも彼だという報告を受けている皇帝の目に警戒の火が灯る。
「彼個人も気になりますが、まずは今後の方針を決めませんと。」
宰相フィルが異世界人に対する接し方を決めることが先決であると主張する。
「契約魔法での従属は望めないでしょうな。」
将軍サイラスが帝国にとって最良の結果が得られないだろうことを筆頭魔法士に向けて確認する。
「はい。契約魔法の行使条件の1つである、『主となる者の姿を思い受かべながら服従の文言を発する』、これを満たすのは厳しいと思われます。一部の奴隷商人が行っているような拷問の上であれば可能かもしれませんが。」
筆頭魔法士ルーデンスが否定の言葉とともに最後の可能性を述べる。
「いや、それはやめておこう。対策を知らないはずの召喚直後でさえ解析スキルが通用しない相手だ。それも1人ならまだしも7人も異世界人がいる状態でそれをやってもよい結果が出るとは思えん。」
皇帝が即座に否定し、今後の方針を決める。
「彼らを客人として丁寧に扱え。3か月後には帝国に仕官したくなるようにだ。7人全員が仕官してくれることが望ましいが、場合によっては多少欠けてもかまわん。」
皇帝の中で計算が働いていた。7人全員がベストだが、3人が残り4人が他国に流れてもまとまってロゼッタ公国に仕官されない限りは大丈夫だと。いや、そう考えると最低ラインを4人にするべきか、と。そして、一気に事を運ぼうとして失敗したことを思い出してリスクを減らすことにする。
「アンナよ。一郎、二郎が兄弟で、侑斗、拓海、志帆、七海が学校の仲間、大輝が1人。その3グループの間に召喚前に接点がないというのは確かだな?」
皇帝の確認に是と答えるアンナ。
「ではこうしよう。」
「「「 よろしくお願いします。 」」」
異世界2日目。大輝たちは揃って迎賓館1階の食堂でパンとスープ、目玉焼きにウィンナーの朝食を終えると、同じく1階にある会議室のような部屋に通され、勉強会がはじまった。
迎賓館滞在中、異世界の客人たちは午前中は地理、歴史、常識、魔法等様々なことを学ぶことになったのである。教えてくれるのは、皇族の家庭教師を務めていた人や宮廷に仕える魔法士に騎士、皇帝お抱えの冒険者などそれぞれの分野の専門家たちだ。
そのほかにも、大輝たち異世界の客人には個人個人にメイド1人、騎士1人、魔法士1人が専属についている。メイドは日々の生活の補佐、騎士は護衛という名の監視兼武術指導、魔法士は護衛兼監視兼魔法指導のためだ。そして午後は彼らと相談の上で何をするかは大輝たちの自由ということになっている。とはいえ、常識を持たない彼らが外を出歩くのは危険を伴うとのことで、旧壁を越えての外出は当分先になるが。
勉強会初日は地理と歴史だった。30代半ばと思われる女性がさっそく模造紙のような紙を机に広げる。そこには、オーストラリアに似た形の大陸が描かれていた。
「アメイジア大陸には現在6つの国と2つの自治領があります。まず、私どものハルガダ帝国ですが、こちらの大陸西部になります。西は海に面していて海産物が採れます。北はクレイ自治領とサナン自治領に接しています。元々は帝国の一部だったのですが、現在は独立しています。東は大陸を南北に縦断するアレスト山脈までが帝国領で、北部でロゼッタ公国、南部で中央盆地に接していますが、山と森が険しく公国へ至る山道が一つあるだけです。南はハンザ王国と接しています。」
次々と地図を指示しながら解説を続ける女性。
アメイジア大陸の臍ともいえる中央盆地を中心にして時計に見立てると覚えやすい。
臍に中央盆地。4方を山と森に囲まれ、魔獣の天国と呼ばれる。国家に属さない空白地帯。
0~2時がロゼッタ公国。神教と呼ばれる宗教の影響力が強い。人口160万、騎士兵士3万。
2~4時がアスワン王国。広大な穀倉地帯を持っていて豊か。人口150万、騎士兵士3万。
4~5時がクルシュ都市連合。交易により財力豊かな都市国家群。人口60万、騎士兵士1万。
6時方向がマデイラ王国。大陸随一の鉱山を持つ鉱業国家。人口70万、騎士兵士1万5千。
7~8時がハンザ王国。魔道具製造に代表される技術立国。人口60万、騎士兵士1万2千。
8時~11時がハルガダ帝国。国土面積最大、軍事国家。人口140万、騎士兵士3万5千。
11~12時クレイ自治領・サナン自治領。ロゼッタ公国の後ろ盾。各人口20万、騎士兵士5千。
「数十年前までは大小20以上の国が互いに争い、戦争が途切れることはなかったといいます。ですが、6つの国に集約されたことで小競り合いはあるものの比較的穏やかな時代に入っていました。しかし、陛下が足を負傷された原因でもある、当時の帝国貴族クレイ辺境伯とサナン辺境伯が5年前におこした北部独立戦争によってアメイジア大陸は再び戦乱期に入るのではないかと言われています。」
(う~ん、やっぱり師匠の情報が古かった? 昔は1都市から大国になるまでハルガダ帝国は侵略しまくったんだろうけど、今はロゼッタ公国が勢力拡大中って感じだよなぁ。)
大輝がそんな感想を持ちながら初日の勉強会が終了し、異世界召喚で心身ともに疲労の色濃い7人は午後を休息に充てて初日が終了した。
異世界15日目。午前中の勉強会は7人全員が一緒に行っているが、午後の行動に差が出始めた。当初は契約魔法の件もあり、全員が警戒して固まって動くことが多かったのだが、睡眠時以外は常に一緒に行動するメイドや騎士、魔法士とも打ち解けたようだった。10日目には一郎、二郎の兄弟が騎士に誘われて別行動をとるようになり、12日目には高校生組が騎士や魔法士の訓練について行くようになった。それだけなら問題ないのだが、認証プレートを見せて自分の保有スキルを開示したことを聞いたときには驚いた。味方に開示するならいいが、つい先日奴隷にされかけた相手にスキルを開示するなど大輝には考えられなかったのだ。
(おいおい。こいつら大丈夫かよ。)
あまりの能天気っぷりに全員に注意を促したのだが、申し訳なさそうな顔をしていた七海以外は真剣に考えていないのは明白だった。侑斗や拓海に至っては、戦闘訓練への不参加を表明している大輝を責めてくる始末だった。大輝が召喚から1か月は力を使わない方がいいことをうまく説明出来なかったということもあるのだが。
結局、契約魔法の阻止と3か月後に各自で進む道を選べるように整えたことで同じ日本人として最低限の義務は果たしたと思い注意を促すのをやめ、彼らと距離を取る事にした。
異世界18日目。大輝は老騎士にお茶を餌にナンパされていた。
「大輝殿、もしよろしければお時間いただけませんか?」
昼食を終え、大輝以外の客人が食堂を出てすぐに老騎士から声を掛けられた。
「ハルディアを一望できる特等席でのお茶などいかがですかな?」
そんな謳い文句とともに。
「えっと、確か第二皇女殿下でしたよね?」
老騎士ネイサンに先導されて辿り着いたのは、旧壁の南西角にある旧見張り塔の屋上だった。人払いがされているのか、騎士や兵士の姿は見えない。代わりに目に入ったのは、白いテーブルに頬杖をついている少女だった。7日目の午後に第一皇女であるアンナ主催で開かれた迎賓館中庭でのお茶会で初めて顔を合わせた第二皇女カンナ・ハルガダだ。確か、その日は自己紹介を兼ねた簡単な挨拶しかしなかったはずだ。
「はい。カンナとお呼び頂けると嬉しいです。」
はしたない姿を見られたと思ったのか、頬杖をついていた手をさっと下ろしてはにかむ姿は14歳とは思えない程魅力的だ。背中の中ほどまで真っ直ぐに流れる艶やかな黒髪と黒い瞳が真っ白なワンピースと白い肌との対比で美しく映えて見える。
「大輝殿、こちらへどうぞ。」
大輝が返答に困っているのを察して、カンナの正面の椅子を引いて着席を促す老騎士ネイサン。
「では失礼します。」
大輝が着席するのに合わせてネイサン自身もカンナと大輝の間に腰を落ち着ける。
「本日はお嬢様が大輝殿とお話されたいとおっしゃられたのでお誘いさせていただきました。」
「ちょっとネイサン!誤解を招く言い方はやめて下さい。」
ネイサンのからかうような言葉にカンナが非難の眼差しを向ける。その眼差しを受け止めるネイサンは可愛い孫を見るかのような優し気な表情だ。
「こほんっ。大輝様、ようこそおいで下さいました。本日は異世界のお話を聞きたいと思ってお呼び立て致しました。よろしければ日本という国のお話をお聞かせいただけませんか?」
下手くそな咳払いの後、取り繕うように大輝に向かって話しかけるカンナは純粋に異なる世界への好奇心に溢れていた。