第三十一話 国境越え
名もなき村で一週間滞在することになった大輝は生き生きしていた。身体能力が高い者を尊敬する傾向の強い獣人たちが非常に好意的に接してくれたこともあるが、白き世界で得た力を自由に振るえることが大きかったのだ。大輝は日本でもその能力の特殊性から自身をさらけ出したことがなく、アメイジアに来てからも帝国などの国の目を警戒して常に殻に閉じこもっていたような状態だったからだ。
それに比べて今の状況は大輝が初めて全てを開放できる状態だった。身体強化だけとはいえ、全力で自由に身体を動かせる喜びは大きかった。『魔職の匠』や『救国の魔女』等、異世界人たちが破格の力を持っていたことは周知の事実であり、大輝がその1人であることを受け入れている村人たちの前では一切の制限がなかったからだ。とはいえ、大輝自身がまだ全力というものがどの程度なのか把握できていないのだが、心の枷が外れていることは大きな出来事だった。
「兄ちゃん!準備出来たぞ!」
5日目の今日はイースやイーニャ、ココらの年少組への指導が行われており、イースが次の訓練の準備が出来たことを知らせに来た。身体強化の訓練なら身体1つあれば出来るのだが、今日は魔法が使えるようになりたいという年少組の希望で授業内容が変更されていたのだった。
魔力保有量の少ない獣人という種族であってもやはり魔法は使いたいのだ。身体強化も魔法の一種とはいえ、火や水、風や土を操ってみたいという思いは子供たちほど強く、大輝はその純粋な瞳に押されてこれから教えることになっていた。
「よし!はじめようか。」
獣人の魔力保有量は純人の2割程度というのが一般常識であり、体外に魔力を放出する魔法は殆ど使えないというのもまた一般常識である。だが、大輝は獣人でも純人の魔法士程ではないにしろ使えるようになると思っていた。帝国魔法隊の魔力変換効率が悪いことをその目で見ていたからだ。
(魔力保有量が少ないなら変換効率を上げればいいはず。)
5倍の効率アップは難しいにしてもある程度は可能だろうというのが大輝の見解だ。まだ4日しか魔力操作の訓練をしていない現状では厳しいが、近いうちに小さな火球や水球を飛ばすことが出来るようになると思っているのだった。
「みんな桶の前に並んで!」
大輝の声に従い、20人程の子供たちが人数分用意された水の入った桶に前に並んで行く。直径50センチ、深さ30センチ程の桶には水が満たされており、これらを用いて水流の操作を行うのだ。無から有を生み出す魔法の前に、目の前に存在するモノを利用した魔法からの訓練であり、大輝自身も行った訓練である。
「じゃあ、両手を水につけてその手に魔力を集めてみてね。」
全員が位置に着いたのを確認してから声を掛ける。子供たちは全員が真剣な表情で頷く。
「桶の水を自分の手の延長だと思って魔力を流してみよう。昨日までやった魔力を体内に循環させる訓練と同じ感じでね。」
さすがに初挑戦では上手くいかないのか、あちこちから唸るような声が聞こえてくる。
「すぐには出来なくても大丈夫だからね。そうだな、右手から魔力を流して、水、左手の順で繋がってるイメージを持ってやってごらん。」
自身の手を前に掲げて輪を作るような仕草とともにヒントを与えていく大輝。
「「 あ! 」」
2人から同時に声が上がった。どうやら魔力を通すことに成功したようだ。
「出来たみたいだね。そのままの状態で水が動くイメージをしてごらん。そうだな、最初は小さな水の球を少し持ち上げるイメージがいいと思うよ。」
1人の前に置かれた水に徐々に変化が訪れる。最初は波紋のようなさざ波が起こり、桶に突っ込んだ両手の中心から直径5センチ位の水球が徐々に浮かび上がる。
「「「「 おぉ! 」」」」
ピシャン!
それを見ていた周囲の子供たちから歓声が上がるが、30センチ程浮かんだところで水球は形を失って桶へと落下していく。
「「「「 あぁ~ 」」」」
揃って失意の声を上げるも、その表情は明るい。まだまだ魔法としての初歩でしかないが、光が見えた気がしたからだろう。我先にと自分の桶に入った水に集中しだす子供たちとそれを見て思わず顔が綻ぶ大輝。
「さあ、集中して!必ずみんなできるようになるから!」
そう声を掛けた大輝は順番に子供たちの様子を見てはアドバイスを繰り返す。こうして青空教室魔法版は順調に進んでいった。
(こりゃ魔力操作と身体強化についてだけじゃなくて、基本的な魔法訓練用メニューも書き残して行かないといけないな。)
大輝はガイルを始めとして多くの者が文字を扱えると聞いて1週間で教えきれない分の訓練方法をまとめて書き起こしていたのだ。そこに魔法用の訓練メニューが追加されることが決まった瞬間だった。
1週間の訓練が終わり、いよいよ明日大輝やココたちが村を離れるという夜がやってきた。すでに国境越えの準備は出来ており明日の早朝からココの村から来た5人プラス大輝が山に入る。そうなれば当然のように別れの宴が開かれていた。
上座にガイルが座りそれを囲うように大輝やココ、マイルが座している。
「大輝殿、秘術をお教えいただき感謝いたしますぞ。」
「正直これほどの技術だとは思わなった。我が村でもよろしく頼む。」
「自分でもびっくりなの。獣人が魔法を使えるなんて。」
「秘術なんて大げさですよ。村のみなさんが頑張った成果ですって。」
4人は互いに言葉を交わしながらも視線は広場の中心へと自然と向かってしまう。理由は組まれたキャンプファイヤーの周囲でこの1週間の成果を披露し合っている村人たちがいるからだ。ある者は薪にするには大きすぎる丸太をこれ見よがしに担いで見せ、ある者は3メートル近くまで立ち上っている火柱を跳躍1つで飛び越している。訓練の成果自慢だった。
中でも一番の喝采を浴びたのは子供たち40人の共同実演だった。キャンプファイヤーの立ち上る炎を利用して炎の輪を作り、その中を魔獣役であろう子供たちが魔獣の毛皮を被って次々と飛び込んだりとサーカスの曲芸のようなことをやっている。わずか3日の訓練でここまで出来るとは大輝も思っていなかっただけに非常に驚いていた。
(子供だからかな。魔法への憧れが強いイメージを作ったのと、適応力が高いんだろうな。)
理由を頭の隅で考えながらも大きな拍手を送って子供たちを褒める。それを見て嬉しそうな子供たちへ最後のプレゼントを渡す大輝。魔法の訓練方法をまとめた教本だ。
「急いで作ったから大したものじゃないけど、よかったら受け取ってね。」
代表して受け取るのはイースとイーニャの兄妹だ。
「今度は文字も勉強しなきゃだな。」
「ありがとう大輝お兄ちゃん!」
座学の大嫌いなイースも魔法のためとあれば勉強せざるを得ないのだろう。苦笑いをしながらも嬉しそうに受け取る。対してすでに文字を習得しつつあるイーニャは満面の笑みだ。
「大輝殿。我々にもあとでもらえるとありがたいのだが・・・」
どうやら、マイルは自分たちにも欲しいらしい。ココ以外にはぶっきらぼうだったはずの言葉遣いが少し変わってきていた。それを少し可笑しく思いながらも快諾する大輝。
「もちろんです。これから国境越えでお世話になるお礼に作らせてもらいますよ。」
言質を取って安心したのか、料理を楽しみ始めたマイル。相変わらず大輝へと視線を向ける機会の多いココだったが一緒に学んだ同世代の子供たちとの別れを惜しむかのように広場の中央へ行って実演に加わっている。こうして名もなき村での最後の夜は更けていった。
南の山々が近くになければ東の空が一面に赤く染まり太陽が昇り始めたところが見える頃、大輝とマイル、ココたちは出立の準備を終えて村長のガイルに別れの挨拶をしていた。今日中に山頂を越えてハンザ王国側の野営ポイントまで行かなければならないため早朝の出発となっていたのだ。それにもかかわらず、村長のガイルの他、イースやイーニャを始めとした多くの者たちが見送りに来ている。
「大輝殿、お気をつけて。」
「兄ちゃんまたな!次に会う時にはオレの方が強くなってるから覚悟しろよ!」
「もう、お兄ちゃんたら・・・。大輝お兄ちゃんまた来てね?」
「「 達者でな~! 」」
それぞれの言葉で大輝を繰り出す獣人たちの姿は同族の仲間を送り出すかのようだった。
「お世話になりました。皆さんちゃんと訓練メニュー熟してくださいね。」
大輝は最後に先生らしく一言添えて別れを告げた。すでにマイルとココたちは荷物を背負っていつでも出発できるようなので大輝も慌てて彼らに合流する。
「じゃあ、また!」
大きく一度手を振ってハンザ王国へ向けて山越えの道へと進む一行は全部で6人。ハンザ王国北部の名もなき村から来たマイルとココ、護衛を兼務する村民3人に大輝が加わったメンバーだ。彼らは大輝がもたらしたハルガダ帝国による異世界人召喚やそれに伴う戦争の可能性という情報を携えて南の山へと入って行った。
「間もなく魔除けの魔道具の効果範囲外に出る。大きな声は出さないようにしてくれ。」
村から出て40分程でマイルが一行に注意を促す。マイル自身が携帯用の魔除けの魔道具を持っているが、その効果が及ぶのは半径500メートル程であり、村にある魔道具に比べるとその効果範囲はかなり狭い。また、魔除けの魔道具はあくまで一定以上の魔力を有するものを近づけにくくする効果しかないため、姿を見られるなどして相手が明確な意志を持って近寄ってくることは可能なのだ。すなわちハルガダ帝国の国境警備が強化されている今、巡回中の警備隊に感付かれれば不審者として追われる可能性が高いということになる。
「了解です。」
念のために気配察知を強化させながら返事を返す大輝だが、マイルが先ほど起動させた魔道具が発する不快感に目を顰めている。それは他の同行者も同じように感じているのだが、大輝のすぐ後ろを歩くココだけが気にしていないような表情だ。
「気分悪いの?」
大輝を見上げながら尋ねるココ。
「ココは魔除けの魔道具の影響ってないの?オレはどうしても気になっちゃってさ。」
「慣れれば大丈夫なの。」
マイルを始め皆が魔道具起動時からややピリピリしている中やはりココは耐性があるようだった。
「そんなものなのかな。オレは体験するの2度目だからかな。」
「大輝お兄ちゃんも慣れると思うの。」
「あれ?大輝お兄ちゃんって呼ぶの?」
「イーニャがそう呼んでた時に嬉しそうだったから言ってみたの。」
「あれ?嬉しそうだった?まあ、どう呼ぶかはココに任せるけど・・・」
自覚のなかった大輝は少し戸惑っていた。イーニャはまだ10歳と幼かったが、ココはこれでももうすぐ成人とされる15歳になるのだ。日本人より発育のよいアメイジアでは小柄な方だし、狐耳と尻尾があるので可愛いのは確かなのだが、どこか違うような気がするのだった。
「ううん。やっぱり大輝って呼ぶの。」
どうやら自分には似合わないと本人も思ったらしい。珍しく視線を外して言葉を発するココを見てお兄ちゃんでもいいかもと思う大輝。そんなやり取りを小声で交わしながら獣道を進む一行はついに本格的な山道を上ることになっていた。
6人が越えるのは、中央盆地を囲むエレベ山脈から連なっている山々だ。エレベ山脈の最高峰は3000メートルを超えるが山脈西端にいる彼らが越えるのは1200メートル程の尾根である。それでも12月になれば雪が積もる。あと数週間もすればこの道も雪で消えてしまうことになる。
(100メートル高度があがると0.6℃下がるって聞いたことがあるけど、アメイジアではそれ以上なのかな。)
山頂に近づくにつれて肌寒くなるのを感じながらも足を進める大輝。まもなく昼が近づいていたが、その間巡回中の国境警備隊に遭うことも魔獣と遭うこともなく順調に行軍が進んでいるため、やや警戒心が薄れていた。そんな注意力が低下していることに気付いたのか、マイルが昼休憩を取る事を宣言した。
「ここで昼食だ。この先は巡回が通りやすい開けた場所を一気に通過するから今の内に休んでおこう。」
気温が下がっているため温かいスープが欲しいところだが、もちろん火などをおこすわけにはいかないので全員が冷めたランチだ。大輝も虚空から自分だけが温かい物を取り出すわけはなく、今朝イーニャから渡されたサンドイッチを食べる。虚空の存在自体を明かしていないこともあったが。
十分に休息を取った一行はここから数時間休憩なしで移動をすることになる。山頂付近は姿を隠してくれる木々が少なく、国境警備の巡回に発見されやすいからだ。とはいえ、平時ならそれほど厳重な警備体制が引かれているわけではない。なぜなら地球とは違い、入国審査があるわけではないからだ。軍事的に重要な拠点や主要街道には関所を兼ねた砦があるが、一般市民は国境を自由に行き来できるのが普通なのがこの世界だ。特に国境は天然の要害ともいえる山や森、川、魔獣スポットで区切られていることが多く冒険者はそこを稼ぎ場としている者も多いため、少人数での移動を咎められる可能性は低い。巡回の警備隊はあくまで隣国の軍を警戒しているにすぎないともいえるが、今回は大輝が目的の可能性が高いために警戒度を上げて一気に山を越える予定である。
「ココは体力あるな。」
野営予定地まで無事に山越えを成功させた一行は現在テント設営が終わり就寝直前だったが、大輝は感心していた。
「私だって獣人なの。純人と比べれば十分丈夫なの。」
小柄なココが早足での登山にも疲れを見せずに一日を終えていることに少々驚いていたのだ。マサラで会ったココと同世代のミリアならとっくに根を上げていたはずだからだ。
「さすがだね。」
「明日は昼前には私たちの村に着くの。そうしたらみんなにも帝国の村と同じように教えてあげて欲しいの。」
「了解だよ。約束だからね。」
「ありがとなの。おやすみなの。」
見張りの順番を決めて一番手となっている大輝に夜の挨拶をしてテントに入るココを見送った大輝は火のない野営地での見張りを開始する。
(もうここはハンザ王国なんだよな?)
意外とあっさり帝国脱出を成功させた大輝が巡り合わせに感謝する。カンナやネイサンのお蔭で旅の準備が整い、エリスたちやイースたちとの数日間では人の暖かさを感じ、マイルやココのお蔭で安全に国境を越えられた。拉致同前にアメイジアへ連れてこられた大輝だったが、アメイジアの人たちのお蔭で磨り減った神経が持ち直しつつあることも感じていた。そして何かに囚われて行動するのではなく、自由に自分の意志で行動できる環境に感謝しつつ次に何をしようかとワクワクしている自分に気付く。
(感情の赴くままに・・・か。)
自分勝手がいいとは思わないが、もう少し我が儘に生きてもいいんじゃないか、と思い始める大輝。
(ハンザ王国ではもう少し自由になってみるかな。)
帝国内では脱出を急いだためにやはり縛られているという感覚が強かったのだろう。ようやく長年の呪縛から解き放たれる時がきたのかもしれないと心が躍っていることに気付く。
そしてここから大輝の本当の旅が始まる。