第十六話 帝都郊外へ
冒険者ギルドに登録して4日目の夜、大輝は「銀の懐亭」の自室にいた。これまで5つの依頼を達成していたが全て街中の力仕事である。異世界人である大輝を狙った襲撃を恐れてのことだったが、今日まで襲撃はおろか、勧誘などの接触もなかった。監視しているかのような視線を感じることはあったが。
大輝は、異世界人召喚はもちろんのこと召喚初日に帝国と交わされた交渉結果についても各国に知られていると思っている。そして、3か月後に異世界人が帝国に仕官しない可能性についても考えていると。もちろん、オーストラリア大陸並の広さを持つアメイジア大陸で電話のような通信手段が無いことを考えると情報が伝わるのは遅いだろう。帝都ハルディアから最も遠いアスワン王国の王都アスワンまでは直線距離で1200キロもあるのだ。しかも、直線上には中央盆地があるため、アスワンに至るには北のロゼッタ公国経由もしくは南のハンザ王国とマデイラ王国を経なくては情報が届かない。それでも、アメイジアの勢力図を塗り替えかねない異世界人の情報は最速最優先で届けられているはずであり、その対処の指示もとっくになされていると考えていたのだ。
(帝国領内で早馬は無理でも騎乗すればとっくに往復できてるはずだもんな。)
アメイジアの主な高速移動手段である馬。地球より強靭な馬たちは1日に120キロ以上を移動できる。それなら、ハルガダ帝国から最も遠いアスワン王国ですら動けるだけの時間が経っているのだ。
(各国は静観することにしたのか?それとも監視してオレの性格を見極めてから接触?)
他にも直接交渉するために決定権のある偉い人が秘密裡に帝都へ移動中という可能性もある。そして、
(あ・・・もしかして自意識過剰?)
その可能性に思い当たり、ベットで悶える大輝がいた。
翌日の朝7時。大輝は旧壁の外に出ていた。昨夜の悶絶の後、少し積極的に動いてみようと考えをあらためたのだ。その結果、帝都郊外に広がる農地内の用水路工事の依頼を受けて旧壁の外へ出ていた。今いるのは、中央盆地から港湾都市マカディへ続くハルガダ帝国2大河川の1つであり帝都ハルディアの南約2キロ地点を東西に流れるシャルム川の畔だ。
今回大輝が受けた依頼の内容は、このシャルム川から農業用水を得るための用水路掘削作業の第一段階、つまり穴掘りだった。大輝の他にも40人程の男女がスコップ片手に集まっている。女性が意外と多いのは身体強化が使えれば肉体労働も可能だからだろう。また、この事業の主が国であるためか、身なりの良い男が監督役としてきており、その護衛らしい騎士が2人いる。
「これより作業を始める。杭と縄で区切られているところを深さ2メートルまで掘ってくれ。」
監督役の男が簡潔に指示を出し大輝たちはそれぞれ割り当てられた箇所の土を削り出す作業を始めた。
今日が掘削作業の初日らしく、川幅30メートル程のシャルム川の側からのスタートだ。作業は元々が麦畑であったため上層の土は柔らかく容易に掘り進み、辺りを眺める余裕すらあった。
上流に目を向ければ100メートル程先に帝都ハルディアからハンザ王国へ真っ直ぐに南下しているはずの街道が見える。その街道はシャルム川を眼鏡橋と言われる石造りの橋で直角に跨いでいる。その橋の対岸を見れば銀色に輝く鎧を着た騎士が5人と兵士10人がハンザ王国方面を監視している。彼らが監視しているのはハンザ王国ではない。なにせ、ハンザ王国との国境砦は帝都の南300キロ程にあるのだから。彼らが警戒しているのは東西に流れるシャルム川と南北に延びる街道の南西に位置する森である。北東の森と南西の森。この2つが帝都ハルディア近郊の魔獣スポットである。
大陸全土に点在する魔獣スポットは、魔力暴走による魔獣が出現し易い場所のことであるが、森であることもあれば、砂漠であることもあり、山や洞窟であることもある。その発生メカニズムは解明されていない。それでも人は魔獣を恐れながらも有用な部分を利用しようと近くに街を作る。ハルディアの成り立ちもそうなのかもしれない。
とはいえ、この南西の森は川幅30メートル、最深度4メートルのシャルム川によって帝都とは仕切られており、橋の南側に騎士と兵士が交代で見張りに付いていた。また、北東の森は砦というには小さいが騎士団の訓練場を兼ねた施設で防衛をしているし、冒険者たちも毎日それぞれの森に入って魔獣討伐を行っている。なにより新壁と旧壁という城壁に入ってしまえば大概の魔獣は入ってこれないので安心だ。
「作業やめ~!昼の休憩とする。各自昼食を取るように。」
太陽が頭上に来た頃、監督の男から昼食の指示が来た。
「さぁ、並んどくれ!」
給仕係りと思われる恰幅のよい女性がお玉片手に声を張り上げている。
報酬が低いために人の集まりが悪くなることを懸念したからなのか、それとも在庫整理のためか、この依頼には昼食が付いている。
「おいおい。パンと干し肉にスープだけかよ。」
作業を中断して集まってきた者たちから不満の声が上がる。どうやら、騎士団か貴族の私兵団の保存食処理の方がメインだったようだ。
「文句は後にしとくれ。さっさと持ってっておくれよ。」
肉体労働者を前にしても給仕担当の女性は物怖じせずに捌いていく。大輝も列に並んで食事を受け取り、近くの木陰に腰を下ろす。9月とはいえ、まだまだ日差しが厳しいので多くの者が同様に木陰に集まっている。
「坊主、たいしたものだな。」
「だねぇ。4時間もの間一度も手を止めなかったでしょ?」
「汗一つ掻いてないのはお兄さんだけだと思う。」
大輝がパンに噛り付いたところに男女と少女が近寄って声を掛けた。大輝と同じ区画で作業をしていた4人の内の3人だった。残りの1人はシャルム川で顔を洗っているのが見える。
「お疲れ様です。」
子供連れで他国の諜報員ということもないだろうと思いながらも初めての郊外活動ということでぶっきらぼうな返答になってしまう大輝。
「まぁ、そう警戒するな。坊主のお蔭で追加報酬までもらえそうだから挨拶と思っただけだ。」
そう。今回40人を8組に分けて作業をしているのだが、最も作業が進んだ組には追加で1人当たり銀貨2枚が支払われることになっているのだ。そして午前が終了した時点で大輝の組がダントツでトップだ。
「オレはマードック。こっちは妻のメリンダと娘のケイトだ。よろしくな。」
そう言って手を差し出すマードックと握手を交わす大輝。その手は大きく剣を握り続けた男の手だ。見れば、短く刈り込まれた濃い茶色の髪、わずかに蓄えられた口髭、大輝の倍はありそうな二の腕に厚い胸板と屈強な戦士を思わせる風貌だ。
「大輝です。駆け出しの冒険者です。よろしくお願いします。」
「駆け出しなのか?見た目は確かにそうだが、動きや持ってる剣は中々のものに見えるんだが。」
ここでも幼く見られていることに多少傷つきながらも、作業中の動きや護身用に背負っている両手剣の質を見抜くマードックはやはり経験豊富な冒険者なのだろうと思う大輝。
「まだ冒険者登録して5日目のGランク冒険者ですよ。」
身体強化スキルや剣には触れずに答える大輝。
「将来有望な新人ってところか。オレとメリンダはDランク、ケイトはEランクだ。今日は武器をメンテナンスに出してるから鍛錬を兼ねての臨時土木作業員ってとこだがな。」
「偉そうなこと言ってるけど、この人、いつも力任せに大剣を振るうからすぐに剣をダメにするのよ。そのせいで今日は家族総出でメンテナンス代稼ぎよ今日は。」
そう言って夫を睨むメリンダから視線を逸らすマードック。隣でコクコクと頷くケイト。だが、大輝は別の言葉に驚いていた。まだ12,3歳にしか見えないケイトがEランクだということにだった。Eランクになるには、魔獣討伐10体以上が条件のはずだからだ。
「お嬢さんEランクなんですか?」
「見た目で判断よくない。」
「す、すいません。」
大輝の問い掛けに被せるかのように不快を示すケイト。ついさっき自分が見た目で傷ついた事を思い出して即座に謝罪する大輝がそこにいた。
「わかればいい。これでも来年には成人。Eランクも実力。」
自分で「これでも」とつけるあたり自覚があるのだろうと大輝が思った瞬間、ケイトから鋭い視線が送られる。14歳とはいえ女性である。余計なことは言わない、考えない、これが正解だ。即座に正解に辿り着いた大輝がケイトに話しかける。
「Eランクということは私より先輩ですね。失礼しました。」
持ち上げることにして話題転換を図る。
「そういうこと。」
大輝への視線が柔らかくなった。一瞬で失態を帳消しにすることが出来たようだった。
昼食をマードック一家と和やかに終えた大輝が午後の作業を再開していた。追加報酬が欲しいマードックたちやもう1人の男も黙々と作業を続けており、あと少しで割り当てられた区画の掘削が終わりそう、とそんな時に大輝の気配察知スキルに引っ掛かるものがあった。
シャルム川の対岸、南西の森から高速で街道に向かって動く一団の気配に気付いたのだ。すでに2メートル近くまで掘り進んでいたため目で確認することができず急いで這い出て川の対岸に目を向ける大輝。
「どうした?」
ここまで休まず作業を続けていた大輝の突然の行動を訝しむマードックだったが、何かを感じたのか大輝に続いて這い上がってきた。
「森が騒がしい。」
一言だけ返して森と街道の間あたりを強化した目で注視する大輝。すると間もなく20歳前後と見られる男女が森から飛び出してきた。男女は脇目も振らずに眼鏡橋に向かって駆けてくる。数秒後、男女を追うように体長1メートル程の焦げ茶色のフォレストウルフが5頭その姿を現した。
「っち!フォレストウルフがこんなところまで出てくるとは。」
舌打ちとともにマードックが声を漏らす。
「最近は街道にも出てくるっていう噂ですからね。」
それに答える大輝。二人とも驚いてはいたが、さして危険を感じているわけではなかった。フォレストウルフは敏捷性と牙にさえ気を付ければEランク冒険者でも1対1なら問題なく対処できる相手だからだ。フォレストウルフは通常5~10頭で群れを形成しており、今回現れたのは5頭。逃げる男女のスピードなら眼鏡橋の南側にいる騎士と兵士のところへ辿り着くまでに追いつかれることはないだろうし、そうすればあとは騎士と兵士が片付けてくれる。いやその前にフォレストウルフが逃げるかもしれない。そこまで考えた二人はその場で事態の成り行きを見守る。しかし、
「マードックさん。まずいかもしれない。ケイトたちの作業を中断させて下さい。」
大輝の気配察知に新たな来襲者が引っ掛かる。
「まさか新手か?」
「はい。どうやら最初の5頭はフォレストウルフの別働隊だったようです。」
そう言って男女が現れた場所からさらに100メートルほど南の森から街道に姿を現した一団を指さす。他のフォレストウルフよりも二回り以上大きい漆黒の体毛を持つ個体を中心に20頭程だ。
「上位種か。」
それだけ呟くと、メリンダたちに声を掛けてから急いで監督の男とその護衛騎士の元へ走り出すマードック。どうやら監督に撤収を進言しに行ったようだ。
「これはちょっとまずそうね。」
大輝の隣に来ていたメリンダが素早く状況を見て顔を顰める。
「騎士たちで防げそうですか?」
すでに森から飛び出してきた男女は眼鏡橋を渡り切っており、騎士は剣を抜き、兵士は槍を構えて橋の幅5メートル一杯に広がって防衛体制を整えている。兵士が横に5人ずつ2列で槍衾を作り、後方に騎士が控える陣形だ。一方、最初に現れた5頭のフォレストウルフは上位種の率いる本体の到着を待つかのように橋の手前30メートル付近をグルグルと回ってる。
「上位種次第かしら。上位種は個体差が激しいからね。でも、上位種抜きでも25頭が相手だと帝都から応援部隊が来るまでは防衛線の維持で精一杯だと思うわ。」
どうやらメリンダの見立てでは上位種がいる分かなり状況はよろしくないらしい。
「私たちが加勢すれば?」
「ここにいる40人、殆どが護身用のナイフ位しか持ってないのよ?それにFランクが殆どのこのメンツじゃすぐにやられるわ。」
ケイトの提案を一蹴するメリンダ。実際、Dランクなのはマードックとメリンダのみ。その二人も本来の獲物である大剣と弓はメンテナンスに出しており、今はナイフのみを腰に下げている。
「私の魔法なら少しは・・・」
「まだあなたの技量じゃ素早いフォレストウルフには当たらないし、威力的にも牽制が精一杯よ。」
なおも参戦を主張するケイトを窘める。普段は、長距離攻撃をメリンダの弓が担当し、前衛をマードックが務め、ケイトがサポートに回ることでパーティーとして戦っていることがうかがえる。
そうこうしている内に眼鏡橋ではフォレストウルフの本体が到着し、すぐにでも戦闘が始まりそうな気配だ。兵士の槍衾に警戒してはいるものの、撤退する気はないようだ。その時ようやく話がついたようで監督の男から撤収命令が下る。
「本日の作業は中止する。全員速やかに南門へ向かうように!」
異変を感じて作業を中断していた者から我先にと南門へと走る。見れば周囲で農作業を行っていた農夫たちも南門目掛けて駆けている。
「オレたちも一旦南門まで退こう。武器がないんじゃ仕方ない。」
戻ってきたマードックの言葉にケイトはなにか言いたそうだったが、メリンダに睨まれて黙って従う。
こうして集団の殿を務めるような位置で南門へと走り始めた。