第百二十九話 暴露
アリス・バイエルは双子の兄アーガス・バイエルと共に誓いを立てていた。
『グラート王子を全力で支え、全てを捧げる。』
成人間近の14歳の時のことだ。グラート王子から共にハンザ王国を豊かな国にしようと側近に誘われた時に立てた誓いである。
グラート王子は太陽のような存在であった。貴族の子弟が通う学び舎ではどうしても家名の力学が働きがちであったが、その最高位に当たるグラート王子はそれをひけらかすことなく誰とでも平等に接することで有名だった。そのお蔭で勉学、剣術、魔法と際立ったところがなくとも慕われる存在であったのだ。
『貴族であるならまずは民を思いやる気持ちを持たねばならない。』
『貴族のために民がいるのではない。民のために貴族がいるのだ。』
『力ある者は力無き者を助ける義務がある。』
グラート王子はことあるごとに説いていた。ルード王子とは違ってその論拠を明確に示すことのできなかったグラート王子の言葉を理想論として反感を持つ者もいたが、アリスとアーガスは共に過ごすうちに共感するようになっていた。
そして側近となって常に行動を共にするようになってからは共感から心酔へと変わっていく。父であるパウル・バイエルの命とは別の理由でグラート王子優先主義に変わったのだ。
成人してからグラート王子の側近として様々な公式行事や政務、軍事に顔を出すようになったアリスたちは己の無力を痛感することになった。民の安全よりも国の面子を優先する政治、民の生活よりも自家の繁栄を優先する商人たちとそれを黙認もしくはお零れに預かろうとする役人を目の当たりにするようになったのだ。そして好意的に捉えても発言権はあれど議決権の無いオブザーバー、悪く言えば社会見学の子供扱いの自分たちでは異を唱えてもなにも変える事が出来なかったのだ。
だから『力』を付ける事が必要だと思った。そして段々と目的が入れ違っていく。
グラート王子の理想を具現化することが目的だったはずが、いつしかグラート王子を王位に就ける事が目的になっていったのだ。そして手段であるべきことが目的となった頃から悪評が立ちはじめる事になる。王位を得るため、近づく者全てを自派閥へと引き込んだからだ。
結果的に大貴族の半数、そして軍部でも上級職の半数が味方についた。それでもキール王はグラート王子を王太子に任じることを躊躇っており、今日が訪れた。そして今、目の前の特別顧問を名乗る男がグラート王子の王への道を閉ざそうとしている。
確かに先ほどの自分たちの言動は指摘された通り褒められたものではないだろう。それを理解したからこそ頭を下げたのだ。だが、文字通り全てを捧げると誓った。ならば閉ざされようとする道を自分の全てをもってこじ開けねばならないと思ったのだ。だからこそ出た言葉だった。
「ふ、っふ、ふざけるなぁ!!」
突然のアリスの怒声に会議室内の視線は一点に集中した。
「殿下の思いを知らぬ貴様が余計なことを言うなっ!」
感情が最高潮に高まったアリスはここ数年忘れかけていた本当の思いが溢れ出てそれを大輝にぶつける。
「殿下がどれだけ国を思い、民を慈しんでいるかを貴様は知るまいが私は知っている!」
アリスは目に涙を浮かべつつグラート王子のこれまでの行動とその志を叫び続ける。
「殿下はな。公務の無い日は必ず街に出るんだ。視察と称して孤児院を回ることもあれば治療院に行く日もある。国からの補助だと偽って私財から捻出した援助物資を手土産にな。時には変装して市井の人々の中に入って暮らし向きを尋ねるときもある。王宮には届かない声を聞こうとしてな。そして城壁に守られていない農村に出向くことだってある。ご自分が城壁外に行けば大勢の護衛の騎士が同行することになり、農村の安全が守られるからと言ってな。」
グラート王子の草の根活動を語るアリス。
「これほど民衆を大事にする方なんて他にいるか? 私は絶対にいないと断言できる! 少なくとも国の方針を語る者が集まるこの部屋の中にはいないとな。」
無礼を承知の発言である。自分が罪に問われて側近を解任されようが、例え投獄されようが構わなかった。ただ、グラート王子の道を閉ざしてはならないという思いだけで話している。そして零れ落ちる涙を手の甲で拭って一息ついてから続ける。
「もちろんわかっているわよっ! 殿下の活動で救われる者の数が少ないことくらいは。おそらく・・・・・いえ、間違いなく私たちより数段頭のいいルード王子やオーデン、ゾフィーが王領でやったことの方が国の力になっているでしょうね。」
ルード王子たちの活動は領地全体に影響を及ぼす財政構造の改革や悪しき慣例の排除であり、それによって領内の暮らし向きが改善されている。恩恵を受けている人間の数では圧倒的に多い。
「彼らの手腕は認めるわ。明らかに実務能力では私たちの遥か上よ。でもね。彼らは国という器でしか物事を見てないのよっ! そこに暮らす人々に焦点が合っていない。合理だとか効率だとか理屈だとかが全て悪いとは言わないわ。ただ、それだけだと頭でっかちになって人々はついて来てくれないわよっ!」
衝動に任せて言葉を発していた頃よりは少し落ち着いたのか、言葉遣いに変化が表れてきたアリス。とはいってもこの場に相応しい言葉遣いではない。ただ単に素が出ているのだった。それだけに本音であることが窺える。
「えっと・・・・・・何が言いたいかと言うと、つまり・・・・・・」
纏めようとするが上手く言葉が出ない自分にイラつくアリス。そこに助け船を出したのは敵であると認識していた大輝だった。
「国のトップに相応しいのは求心力のあるグラート王子が就くべきで、実務能力のあるルード王子はその下に就くべきだということですね?」
「え!? ええ、そういうことよ。反論があるなら言ってみなさいっ!」
予想外の援護を受けて動揺するも大輝を睨みながら言い放つアリス。
ここまでアリスが自由に喋れたのには理由がある。グラート王子派は打ちひしがれていてアリスを制止できなかっただけであるが、中立派や各部門長はキール王が視線で制止ていたからであり、ルード王子派は大輝とキール王の間で交わされているアイコンタクトに目敏く気付いていたから静観していたのだ。
「反論なんてありませんよ。私もそれが一番良い形だと思っていますから。」
大輝は笑顔を浮かべてアリスに同意を示した。
「「「 へっ? 」」」
キール王、ガイン卿、ベント卿、そして大輝の4人を除いた全員から呆けた声が漏れる。発言を控えなければならない立場であると強く思っていた壁際の部門長たちでさえ思わず口を開けてしまう。
「そんなに意外な顔をしないでください。私の話は遮られてしまっただけでまだ終わってませんよ?」
大輝はアリスの発言で話が進めやすくなったことに内心感謝していた。正直、この方向に持っていくための論法構築に数日間を費やしていたのだが、アリスが事前の評価よりも真っ直ぐな性根をしていたことと、ルード王子派を正当に評価していたことで救われた思いだった。
「陛下、私の話を続けても構いませんでしょうか?」
大輝はここで正気に戻った者たちにアリスを糾弾させたくなかった。発言自体することを許されないはずのアリスが言いたい放題言ったことを咎める者が現れれば折角の流れが台無しになるからだ。はたしてキール王はその意図を汲み取った答を大輝に返した。
「もちろんだ。特別顧問殿の話を聞かせる場だからな。」
キール王とは事前に打ち合わせが済んでおり、大輝の意図を正確に把握した答えを返してくれる。
「では、先ほどまではグラート王子側のお話をさせて頂きましたが、今度はルード王子に関してのお話をさせて頂きます。」
間に口を挟む者が現れないうちに大輝は速やかに話を進める。
「結論を申し上げますと、ルード王子が王太子となることはないでしょう。」
グラート王子の時は「現状では」と「相応しいとは思えません」といった条件や主観を交えた表現をとっていた大輝が断定に近い物言いをしたことに気付いた者は多くなかった。
「ルード王子の持つ能力が非常に高いものであることは皆さんお認めになるところかと思います。それはこれまでの王領での実績や勉学、剣術、魔法などの力量から見て間違いないでしょう。ですが、ハンザマデイラ同盟に対する影響だとか、支持基盤の大小といった点とは別の根本的な問題があります。」
大輝はルード王子個人または側近を含めた一派の力量を認め、かつ、ルード王子の抱える外的要因を認めつつ最大の問題を提起することにする。
「大きく分けて2つの問題があります。1つは先ほどアリス様が仰られたことに繋がりますが、私が考える王とは国の象徴です。その象徴にとって絶対的不可欠の要素をルード王子は持っておられない。それは求心力です。」
ルード王子に求心力が全くないわけではない。事実、騎士や魔法士たちにはルード王子を次代の王へと望む者も多い。だが、こと貴族に限ってはその限りではないのだ。そして貴族こそが国政を動かす要であることを考えると求心力に疑問が出る。
「時勢によって求心力を得られる要素は異なります。例えば新たに国を興すのであれば強大な武力を持った者が好まれましょう。例えば安定した国家においては穏やかな気質を持った調整力の高い者が好まれましょう。例えば、腐敗した政治状況であれば革命家が好まれましょう。」
大輝は例示した上で共通点を示す。
「ですが、どの時勢であっても国家の礎である民は自分の方を向いてくれる為政者を望みます。」
強大な武力を持っていても自分たちを庇護してくれない相手には好意を向けたりはしない。調整力が高くともその調整が貴族などの特権階級にしか向かないのなら相手にしない。革命を望んではいてもその革命が自分たちの意志を代弁してくれないなら賛同しない。
「ルード王子の意志はハンザ王国という器にばかり向いているというアリス様の指摘通りです。理に適った施策であるのは確かですが、それだけでは民は慕ってはくれませんからね。」
筋道を立てることは重要だが、それだけでは不十分なのだ。冷たい印象を持ちがちな法でさえ意志が込められているのに、人が人を動かすのに意志の疎通が欠けていては成り立たない。
(まあ、これは賛否両論あるだろうけど、オレの得た教訓だからな・・・・・・)
大輝は自らが徹底的に理屈を押し通した自覚があった。その根本が自らの感情に起因しているにもかかわらず押し通したのだ。そして失敗した。
(オレは『未来視』で視てしまった不幸を防ぎたいという自らの感情、いや、見ていないフリをすることに耐えらえないという防衛本能で行動を起こした。そして、確定した未来の情報を得て動くことに慣れたせいで理屈のみで人に接し、人の感情を慮ることを怠った。そして反感を買った・・・・・・。)
大輝はそんな自分を省み、新たに学び直そうとして旅に出ることにしたのだ。もっとも、染み付いたクセが中々抜けないように試行錯誤の段階であり、時折一貫性の無い行動を取ってしまうことも多いのが現状だ。とはいえ、この場では理屈を捏ねてでもグラート王子派とルード王子派、そして立ち会っている者たちを目的に嵌め込まねばならない。だから内心では溜息を吐きながらも話を続ける。
「第2に、まあ、これが最も重要なのですが・・・・・・」
一瞬ルード王子へ申し訳なさそうな視線を向ける大輝。ここからは彼との内密の話を暴露することになるからだ。
「ルード王子自身に王となる気が全くないことです。」
「「「 んあ!? 」」」
「・・・・・・やっぱり。」
「・・・・・・。」
グラート王子を含めた多くの者にとって寝耳に水の話であったために驚きの声が上がる。薄々感付いていたらしいローザ王女は納得顔であり、キール王とその側近、そしてルード王子派は沈黙したままであった。
「私が言っても信じられないかもしれませんので、ここはご本人に聞いてみましょう。殿下、王となる気はおありですか?」
大輝はルード王子へと問い掛ける。するとルード王子は間髪を入れずに答える。苦い表情を浮かべて。
「その気はない。最初からな。」
その言葉に唖然とするグラート王子派。競っていたはずの相手にその気が無かったと言われたのだ。だが解せないことが多すぎる。だから代表してロストック公爵が問う。
「で、では、なぜ王領の改革を始め、騎士や魔法士の訓練を熱心に見ておられたのか?」
「簡単なことだ。1つは王家に生まれし者の務めを果たしたまで。そしてもう1つは兄グラートの治世を少しでも盤石なものにするためだ。」
ルード王子はグラート王子派では王国を繁栄させるどころかハルガダ帝国から守る事すら出来ないと危惧していることは言わない。兄には王となってもらわなければならない。すでに大輝によって打ちのめされている彼らに追い打ちを掛けて辞退されても困るのだ。
「あ、ああ・・・・・・」
グラート王子が顔を覆って呻く。能力面でのコンプレックスを抱いていた相手が自分のために動いていたことを知って情けなくなったのだ。もちろんグラート王子を慕っての行動でないことはわかっている。アリスはグラート王子を誰にでも平等に接する人間だと評していたが、それは異母弟を除いてである。そして理想を実現とするための障害だとすら思っていた相手に慕われるはずがないのだ。それでも動いてくれた理由の根底にあるのはハンザ王国だろうことに気付く。国という器を見るか、人を見るかの違いはあっても目指すところに大きな差はない。今となっては両方揃ってこそなのだろうとも思ったのだ。
「さて、ルード王子、物の序でということでもう1つ暴露させて頂きます。」
後でお叱りは受けますという意志を込めて視線を送る大輝。ここにきてようやく大輝に、そして父であるキール王たちに思惑があることを悟ったルード王子は好きにしろと言わんばかりに頷く。もっとも、自分の目論みから大きく外れ、王国に危機を招くような思惑であれば全力で阻止するつもりだと目が物語っている。
「実は、ルード王子は大変憂慮していらっしゃいます。もちろんそれはグラート王子が王となった後のハンザ王国です。」
当初の予定ではここで徹底的にグラート王子派のダメ出しをするつもりだったのだが、その理由は先ほどのグラート王子派の失態を見れば明らかであったため割愛する大輝。
「ですからグラート王子に知恵袋として宰相を付けるという案をお持ちです。宰相を任命しておけば、このような重大な局面であっても堂々と意見を聞くことが出来ます。それこそ側近や大貴族の皆さん以上に・・・・・・。」
側近はあくまで配下であり密室での相談に向いた相手だ。謁見の最中であったり国政を討議する場ではどうしても周囲の目が厳しくなる。他国の使者からすれば王が配下に丸投げして自国を軽んじていると取られるし、貴族からすれば実際は違っても王国法上下位に当たる者の意見が重用されたと思い不和を招く虞がある。大貴族にしても同様だ。例えばロストック公爵が主軸となっても似たような軋轢を生むことになるだろう。
だが、宰相とは君主が正式に任命した役職であり、王の行う政を補佐する者を指す。対外的にも名目は立つし、内部的にもやっかみはあろうが王が任命したとなれば従わざるを得ない。理想的な補佐役である。
「そして、その宰相候補として私を挙げてくれているのですが・・・・・・」
ここで大輝が宰相をやらせろと言えば反感、反発は物凄いことになるだろう。聴取対象者という立場を利用して特別顧問という立場を得て、さらには王国中枢に食い込もうとする不届き者に見える事間違いない。だが、大輝にその気は一切ない。ルード王子が王位を継ぐ気が無い以上に。
「ルード王子は私を買ってくれているようですが、私には無理です。」
大輝は自身に宰相の資格がないことを示そうとするが、ここでルード王子が割り込む。少なくとも大輝が参画せず、グラート王子派が国政を担ういうのはハンザ王国にとって危機に等しいからだ。
「待て! 大輝殿の能力は私が保証する。ノルトの街で見せた武力と知識、そして機転は皆も知っているだろう。だが、私はギーセンの街でそれ以上の功績を目にしている。フォルカー湿原と秘密工房という2つの攻略、そしてヘッセン侯爵領での不正糾弾だ。どれもが大輝殿無しでは成し得なかったことだ。十分にその資格はあるはずだ!」
ルード王子はこれらの功績をもってハンザ王国として新たな名誉爵位を与えるつもりだった。五等爵と呼ばれる公・候・伯・子・男の爵位を持つ貴族家は30家の決まりがあるが、名誉爵位には決まりはない。そこで、王の直下という意味で名誉大公というものを新設して宰相就任を認めさせるつもりだったのだ。
「殿下、過分な評価を頂いておりますが、私にはこの国の国政に携わる資格がないのです。」
「それは爵位の問題ではないのか? それなら先ほどの功績をもって十分な爵位を授与できるはずだ。それとも政治経験のことか? それは候補者として私たちが全てを伝授することで解決できるはずだ。」
ルード王子は食い下がるが大輝はゆっくりと首を振って答える。
「言葉通り資格です。なにしろ私はハンザ王国の民でないどころか、この世界の人間ではないのですから。」




