第百二十二話 匠の伝言
忠告を守って黙読する大輝を親方衆である3人の老人は驚きをもって眺めていた。確かにカイゼルの手紙にはその可能性も記されていた。だが、親方衆に引き継がれる口伝によれば200年ぶりの資格保有者の出現ということになる。自分たちの代でその相手に会えるとは思っていなかったのだ。
3人の老人は黙読を続ける大輝を見守りながら自分たち親方衆にのみ与えられた役目を思い出しつつ、つい先ほど下した判断が正しかったのかを自問していた。
親方衆に引き継がれる資料によると、アース魔道具店を『魔職の匠』が開いたというのは事実と少し違う。『魔職の匠』が開設したのはアース工房という名の魔法陣の研究所であり、そこで日夜研究に勤しみ、ある程度の理論を確立した後に魔道具の製作に取り掛かったとされている。そしてそれは現在秘密工房と呼ばれている難攻不落の廃坑で行われていたのだ。その後『魔職の匠』は開発した魔道具を世に役立てるべく建国間もないハンザ王国の王都に居を移しその活動を開始した。すぐに当時の王家の目に留まる事となり、彼らの援助を受けて作られたのが魔道具の販売を行うアース魔道具店というわけである。
現在は時代の流れもあって工房と販売店は一体化して運営されているが、アースの本流は工房であり、親方衆の目的は利潤を上げる事よりも世に役立つ魔道具を生み出すことにある。そんな彼らには永遠のテーマとも呼ぶべき課題があった。それはもちろん魔法陣の全容解明である。だが、その道は険しく、また、それを成し遂げた、もしくはそれに迫った唯一の人物である『魔職の匠』の失踪が影を落としていた。
正確には失踪ではないことを親方衆と王家だけは知っている。その証拠にアース工房の弟子たちには魔法陣構築技術を記した本を秘伝書として残しているし、その後も一方的ではあったが定期的にアース工房内にあった『魔職の匠』の書斎や王宮内にある王の執務室には人知れず書簡が届けられていたのだ。そして大輝が黙読している羊皮紙もその1つである。
『魔職の匠』が表舞台から姿を消した後に届けられた書簡は数十通に上る。全てが現存するわけではないが、それらの意図を纏めた記録が親方衆に引き継がれている。例えば、『魔法陣は薬にも毒にもなり得る。技術の伝授には細心の注意を払え。』『研究が重要なのではない。いかに世の為になるかが重要なのだ。』など、戒めの言葉も多い。歴代の親方衆は訓戒として認識し、それに沿って行動している。逆に言えば『魔職の匠』の遺志に反する行動を取るような者は親方とはなれないのだ。
アース魔道具店がハンザ王国全土に支店を持つようになったのも遺志の影響が大きい。1番は世に役立つ道具を多くの人に活用してもらうためであるが、人材発掘のためでもある。『魔道具は豊かな生活を補助するために使うべきである』という理念を共有でき、熱意があって有能な徒弟を集めることと共に、大輝のような有資格者を見出すためでもあった。
親方衆の指す有資格者とは、理念を共有できるだけの性質を持っているかどうか、『魔職の匠』と同じ特異性を持っているか、この2点をクリアした者のことである。後者については親方衆に最終的な審査権はない。なぜなら今大輝が手にしている羊皮紙を読めればそれで合格なのだ。文字を追っている視線と表情を見れば解読していることは一目瞭然であった。だから前者についての判断が正しいかったかどうかが親方衆の気になるところなのだ。すでに合格の判断を下したからこそ羊皮紙を開示しているのだが、200年ぶりの出来事ということもあって大輝が羊皮紙を読んで何を言い出すのか不安になっていた。
「・・・・・・はぁ。これは皆さんにお返し致します。そうするようにと書いてありましたので。」
大輝は3度目を通してから羊皮紙を折り畳み、親方衆へと返却した。
(予想以上に重かった・・・)
一言でいうとそれに尽きる。今や大輝の肩はマーヤを肩車した時とは比べ物にならない程の重みを背負っている気分である。
(『魔職の匠』・・・いや、三隈拓義さん。あなたの判断は正しいと思います。半年ほど前に危うくあなたの遺志を台無しにしそうになりましたが、最終的にはオレも似た判断を下しましたから・・・。でも、これはちょっと重いです、オレには・・・それに、あそこに行くのは自殺行為だと聞いてるんですが・・・)
『魔職の匠』こと三隈拓義へと語り掛けるというよりは愚痴をこぼしたくなる大輝。そこへ固唾を飲んで見守っていた親方衆が我慢できずに問い掛ける。
「大輝殿。読めたと判断してよろしいのですかな?」
すでに羊皮紙を返却するようにと書かれていたとは聞いたが、念のための確認であった。
「はい。内容は言わない約束ですので語りませんが、こう言えば伝わると書いてありました。『一縷千鈞の地より』。」
「「「 あぁ!! 」」」
親方衆である3人は予想してたとはいえ、大輝が読み取れていたことを確信して思わず声を上げる。『一縷千鈞の地より』は『魔職の匠』から定期的に届けられた書簡の末尾に記されていた文言である。一縷千鈞が非情に危険な状態を形容する言葉であることから、自分は危険な場所にいるから探すなというメッセージを込めたものと解釈されている。そしてその場所とはアメイジア大陸の最凶スポットである中央盆地ではないかと考えられていた。大陸内で唯一どの国の支配も受けていない地であり、いまだにどの国も領有を主張するどころか忌避する傾向にある地である。大陸中央部に存する中央盆地は南北500キロ、東西300キロの盆地であり、周囲をぐるりとエレベ山脈に囲まれ、中央に広大な湖があるとされている。なぜ伝聞系かというと、凶悪な魔獣が闊歩する地域であり、とても長期間滞在できる場所ではないのだ。『魔職の匠』は同時期に姿を消した大陸最強の魔法士である『救国の魔女』が一緒であると推測されたためにその地にいられると考えられていた。
(その最高に凶悪なスポットへ招待を受けてるオレって・・・)
親方衆から合言葉として伝えた言葉の意味を聞いた大輝は涙目であった。
『魔職の匠』こと三隈拓義の遺した羊皮紙に書かれていたことが大輝の中で重くのしかかっているのだ。大輝は3度読み返した文を反芻する。
『よう、異世界人!
合ってるか?アース工房の連中が俺の言葉に従わずにこの手紙を開封して日本語を解読するか、日本語を読める外国人が召喚されたという可能性もあるが、これが読めるという事は日本人だろうという前提で話をさせてもらう。
俺の名前は三隈拓義。完全とは言えないが、俺の名前をアナグラム化して『魔職の匠』を名乗ってた者だ。まあ、この手紙に辿り着いたってことは魔法陣や魔道具に関する知識は多少あるんだろうから知ってるものとして進める。知らなきゃ工房の連中にレクチャーでも受けてくれ。
まず、俺たちから言うべきことがある。お前さんがこれを読んでるってことは俺たちの目的は完全に果たせなかったということになる。つまり、なんだ・・・すまん。詳細は省くが、俺たちは、俺たちと同じように2000年代初頭の地球から人間を強制召喚させる魔法陣を根絶することを目指している。まだわかっていることは少ないが、俺の研究結果が正しければお前さんも2000年代初頭から召喚されたはずだ。多少の年代の誤差はあるかもしれんがな。
さて、1つ質問させてくれ。答えがイエスならこの先を読む必要はない。好きに生きてくれ。だが、ノーなら頼みたいことがある。
この世界は安全で豊かで快適か?
わかりにくいよな。日本国憲法でいうところの第二十五条で言うなら、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」に適合してると思うか否かってことだ。
魔法や魔獣の存在もあって前提条件から違うから簡単には答えられないか・・・そうだな、具体例を出そう。
一般市民が街と街の間を気軽に行き来できるようになってるか?
休日のデートや家族サービスで城壁の外へ行くことはあるか?
市民が餓える事のないだけの食糧生産能力は備わっているか?
住む場所が足りているか?
いわゆる戦後日本の電化製品三種の神器が普及している程度の生活水準になってるか?
嗜好品の類いを楽しめる環境になってるか?
どうだ? 俺がこれを書いているアメイジア新暦257年からどの位の時間が経っているかにもよるだろうが、お前さんが解釈してくれ。その上でこの世界の人類が苦境に立っていると判断したなら頼みがある。今の文化レベルを少し引き上げてやってくれ。何をどうするかは任せる。
とはいえ、個人の力では限界があるだろう。だから俺たちが力を貸す。簡単にいえば俺の研究記録と製作物を自由に使う権限を委譲するってことだ。まあ、遺産相続だとでも思ってくれ。この手紙を読んでるってことは工房の連中に認められた人間のはずだ。悪用するとは思っちゃいない。だが、忠告しておくぞ? 俺の研究成果は使いようによっては薬にも毒にもなる。だから俺は全てを公表しなかった。工房の連中はいい奴らばかりだが、技術が独り歩きすることもある。奴らが自分たちで作り出した技術で身を亡ぼすなら諦めもつくが、異分子たる俺が実用化した技術で世界を亡ぼすなんて寝覚めが悪いからな。まあ、世界を亡ぼすなんてのはちと大袈裟だが、大きな変革をもたらすことは間違いない。俺はただの学究の徒だし、連れもゲーム好きが高じて魔女なんて呼ばれてる奴や性善説の意味を取り違えた能天気なお人好し、他にも正義感だけが突出した猪突猛進系といった感じでとてもじゃないがこの世界を導くなんて器の奴はいない。戦闘力だけでいったら世界征服出来そうではあるがな・・・。
という訳で後世に丸投げすることにしたんだわ。一応、俺の研究成果の一部は開示したし、戦闘系の奴らは人間の支配地域の近くにいる高ランク魔獣の討伐を請け負ったりはしたが、手を出すのはそこまでにしたんだ。そして今は新たな召喚を防ぐことに注力してる。俺たちみたいな被害者を出さないためでもあるし、俺たちみたいな力を持った連中が召喚されて悪行を働かないって保証もないからな。なんだかんだ言ってこの世界を気に入ってるんだよ、俺たちは。だから、もし、お前さんにその気があるなら俺たちの意を汲んで貰えるとありがたい。
俺にはお前さんと会ってるわけじゃないから、性格や能力はわからん。だから・・・一方的に頼んでいるのに悪いんだが、俺たちの遺産を譲るのにいくつか障害を設けさせてもらってるんだ。そう怖い顔をしないでくれ。お前さんはすでに2つはクリアしてるんだ。1つ目はアース工房の人間に出会うという運。2つ目はその人間たちに認められる人間性だ。そして次に確認したいのが戦力だ。個人の戦闘力だけを言ってるんじゃないぞ? 権力でも財力でもいいが、敵対する者たちに屈しないだけの力や意志が必要だ。俺たちの遺産にはそれだけの価値があると思っている。そういうわけで奪われることのリスクを考えなきゃならないことを理解して欲しい。何が言いたいかと言うと、お前さんにそれに対抗できる力があることを示して欲しいのだ。
俺たちの全てはアメイジア大陸のへそと言われる中央盆地に広がる湖の湖畔に建てた拠点にある。お前さんが俺たちに賛同してくれて、かつ、魔獣の巣窟に入るだけの力が備わっているならぜひ来てもらいたい。
アメイジア新暦257年7月11日 一縷千鈞の地より 『魔職の匠』こと三隈拓義
P・S 中央盆地は手強いよ? 一応俺の仲間の戦力を目安として書いておく。
『救国の魔女』・・・俺の知る限りアメイジア最強の火魔法の使い手
『黄泉の癒し手』・・・俺の知る限りアメイジア最高の治療魔法の使い手
『亜人の王』・・・俺の知る限りアメイジア最速の剣の使い手
『魔獣の友』・・・俺の知る限り唯一の魔獣を手懐ける者(但し、特殊個体に限る)
他にも何人かいるけど、慣れるまではこのメンツでさえ危険を感じたから無理はしないように!
後、もしこれが読めたことを信用されないなら『一縷千鈞の地より』書かれたとでも言ってくれ。では幸運を祈る。』
大輝は『魔職の匠』こと三隈拓義の招待に応じるつもりだ。聞いただけで涙目になるほどの危険はあるが、それだけの価値はあると思っている。
(三隈さんの考えには同調できる。オレが魔石爆弾を公開しなかったのと同じ理由だからな・・・もし開示したら間違いなく戦争に使われる。もちろん対魔獣の役にも立つんだろうけど、今は自治領となっている北部とハルガダ帝国の戦争に代表されるように争いが絶えないこの地で殺傷兵器を世に出すのは危険だ。それに、ただでさえ生活用魔道具に使う魔石が不足しがちなのに兵器に使われたらますます庶民は生活が圧迫される。)
大輝の魔石爆弾でさえ危惧すべき事態を引き起こしかねないのだ。『魔職の匠』の魔法陣関連の情報が全て公開されればどのように世界が変わるか予想も出来ない。
(それに、自らの手に余ることを自制している点も好ましい。少なくともオレよりは自制心の強い人なんだろうな。)
自身は「やられたらやり返せ」が信条である。しかも倍返し以上になったケースが過去に何度もある。大輝なりに基準は設けており、自身に過失がなく相手に害意があった場合に限ってはいるのだが、自制心の強い人間であるとは思っていない。
(そんなオレが三隈さんの遺志を継げるかどうかは微妙だけど、遺産の詳細が書かれていない今は何が出来るか判断が付かない。・・・あぁ、やっぱりオレは何かをしたいと思ってるんだな。そうなると匠たちの住処に行って確認するしかないな。)
大輝はアメイジア大陸の現状の全てを知っているわけではない。だが、ハルガダ帝国の方針を知っていることや『山崩し』などの魔獣の脅威を肌で感じている。そんな状況を『未来視』で不幸が予測された人々のために奔走してきた大輝が良しとするはずはなかった。
(それに・・・三隈さんは強制召喚を行う魔法陣を根絶しようとする過程で召喚陣についても解明しようとしていた。それならば送還魔術についても研究していた可能性もある。危険を冒してでも行く価値はある。)
三隈の遺した手紙には研究記録があると書いてあった。羊皮紙は保存状態が良ければ1000年経っても読める状態を保てる。実際、先ほどの手紙は問題なく読めたのだ。
(問題は・・・魔獣の巣窟だってことだな・・・)
この世界の基準でいえば大輝は十分に強い。だが、三隈の助言によれば異世界人パーティーで挑んでも危険だという。現状ソロの大輝では返り討ちに遭う可能性は高い。
(すぐに向かうのは無理だな。オレ1人じゃ危険すぎる。)
中央盆地に侵入するメンバーとして真っ先に思いついたのは侑斗たちである。それは彼らを仲間として見ているからではない。単純に異世界人パーティーということで同時に召喚された彼らが思い浮かんだだけだ。彼らであれば日本に帰る手段が見つかるかもしれないという説得をすれば同行を申し出る可能性はある。だが、彼らはハルガダ帝国の騎士団と魔法隊、傭兵隊に所属している。万が一魔法陣の情報が帝国に漏れれば大変なことになる。帝国と完全に縁が切れていない限り仲間に引き込むにはリスクが高すぎるのだ。
次に思い浮かんだのはゲオルクだ。彼はフォルカー湿原での任務を終えたら大輝を追って来ることになっている。部下もついてくる可能性があると言っていたので、彼らを組織すればいいのではないかと思ったのだ。だが、戦闘力という意味では侑斗たちに数段劣る。Cランク魔獣に苦戦するメンバーを連れていける程甘い場所ではないだろうと思い、その案を諦める。
(それに、ハンザ王国は中央盆地と国境を点でしか接していない。しかもその点はエレベ山脈の高峰だからな・・・中央盆地に入るには、隣国であるハルガダ帝国へ戻るかマデイラ王国へ行く必要があるか。少し時間を掛けて考えよう。)
長い間自らの内に閉じこもって考えに耽っていた大輝にようやく親方衆の声が届く。どうやらずっと呼び掛けていたようであり、考えにひと段落がついた大輝が謝罪する。
「すいません。ちょっと今後の方針を考え込んでいました。」
「なに、気にしなさんな。」
「偉大なる匠の残した文であるのだから感慨に耽るのも致し方なかろう。」
「それよりも儂らに出来る事はなにかあるか? 匠の意に沿う内容であれば協力は惜しまんのでな。」
「ありがとうございます。もしかしたらご協力をお願いすることもあるかもしれません。ですが、今すぐには私も動けません。その時が来たらということでよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。いつでも訪ねて来てくれ。」
アース魔道具店の全面協力を得られることになった大輝はしばらく親方衆と共に時間を過ごし、日が暮れてから貴族街にある屋敷へと帰っていった。




