第百十九話 王都アルトナ
ハンザ王国の王都アルトナは王国のほぼ中央に位置し、人口はおよそ15万人と言われている。また、都市の規模はハルガダ帝国の帝都ハルディアよりも一回り小さく、高さ5メートル強の城壁の外周はおよそ16キロとなっている。そしてアメイジア大陸の他の街と同じく城壁の外では穀物、野菜などの農産物の栽培が行われている。
「ハルディアに比べて城壁外の建造物が多いな・・・」
大輝は王都アルトナの西門を目指して街道を東進しながらハルディアとの違いに気付いた。
「やはり過去の王都決戦の名残りなんだろうか。」
大輝が目にした建造物の数は多いが北西方向には一際目立つものがあり異彩を放っていた。
「方角的にもハルガダ帝国からの侵略を意識した防御施設だよな。」
ハンザ王国は200年以上前に王都陥落寸前にまで陥ったことがあった。相手はハルガダ帝国であり、現在の国境でもあるエレベ山脈を抜かれ、王都を2カ月に渡って包囲された歴史があるのだ。最終的には勢力を拡大するハルガダ帝国を脅威と見做したマデイラ王国が救援を送り、辛くも撃退に成功している。そしてそれを機に両国は同盟関係を築き現在までそれは守られている。
「なるほど・・・上空から見ないとはっきりとはわからないけど、建造物は全て戦を想定して配置しているんだな。」
北西方向の出城を中心として普段は穀倉として使われている建造物を障壁に見立て、防衛戦を優位に進める為の巨大な陣が敷かれているのだ。その証拠に、穀倉の壁には矢を射るための矢狭間が設けられており、戦時を想定して作られていることが見て取れた。
「普通に考えればエレベ山脈を大軍で越えるのは難しいし、唯一の道ともいえる場所にはノルト砦があって大軍での包囲戦には向かない地形だから侵攻は難しいはずだけど・・・この世界では魔力があって個人の力量に戦局が左右されることも多いだろうからな。」
大輝も奇襲であることや相手の生死を問わないなどのいくつかの条件さえ整えば単独で騎士団の小隊を複数蹴散らすことは可能だと思っている。さすがに正面から数百人を相手にするのは無理があるが。
「お!ようやく門が見えて来た。」
およそ10日ぶりに野宿ではなく宿屋のベットで寝れることを楽しみに歩く速度が自然と上がっていった。
「さて、どうしたものか・・・」
大輝は現在、ハンザ王国の王都アルトナの中心付近にあり、王都民に貴族街と呼ばれる地域にある屋敷にいた。それも裸で。
王都アルトナの西門にて入街審査を受けるべく認証プレートを提示した大輝だったが、認証プレートに映し出された氏名、年齢、所属を確認した守衛たちは俄かに浮足立ち、まるで貴族に対するかのような態度で別室へと案内した。このこと自体に大輝は疑問を持たなかった。なぜならあと1,2週間もすればルード王子とともに王都へ戻って来る予定のガイン卿が事前にもう1人のキール王の側近に連絡を入れているはずだからだ。そのため、両王子とその側近に対する印象や係わった事実を証言する予定の大輝が王都に入れば所在を把握するぐらいはするだろうし、場合によっては滞在先を指定されると思っていたのだ。
だが、予想していた側近は現れず、豪華な馬車だけが西門へと到着し、有無を言わさずにそれに乗せられた大輝は貴族街へと連れていかれ、現在は旅の疲れを癒して欲しいという執事風の老人の勧めに従って入浴中なのであった。
(守衛の対応といい、馬車やこの屋敷の豪華さから言って貴族絡みなのは間違いないけど、今だに主が現れて名乗らないことや御者や執事も質問を受け付けないってのは変だよな・・・ガイン卿絡みなら相応の礼儀を尽くすはずだし。)
不審な点は多々あるが、大輝を害するつもりがあるとは思えなかったために状況に困惑しつつもゆっくりと湯船に浸かる大輝。
(ホテルや旅館並の大浴場を独り占めできる機会なんてそうはないからな。)
石造りの浴槽の広さはおよそ20畳あり、普段大輝が土魔法で作っている浴槽のおよそ10倍である。しかも、貴重品である石鹸が用意されておりハーブを混ぜているのか良い香りが漂っている。
(さて、風呂を堪能するのもいいけど、そろそろ状況を考えないといけないな。)
20分ほどで洗髪まで終えた大輝は広い湯船に浸かりながら考えをめぐらす。
(リューベック公爵家やヘッセン侯爵家の館と違って家紋がないことからここは貴族の私邸ではない。馬車にも家紋は刻まれていなかったしな。王都の中心街だということを考えると最初に暮らしたハルガダ帝国の迎賓館のようなものか・・・でも迎賓館には帝国の紋様があったか・・・)
建物や馬車からでは推測に限界があることを悟った大輝は、次に自らが置かれている立場から想像を膨らませる。
(一番可能性がありそうだと思ったガイン卿絡みの線は薄くなった。それならそう言うはずだからな。だとすると・・・あ、これはのんびりしてる場合じゃないっ!)
大輝は自らの迂闊さに気付いた。キール王の側近であるガイン卿に呼ばれているということで気を抜いていたこと、守衛の対応や御者に執事が大輝をもてなそうとしていたことで警戒心が薄れていたことを悔やむ。
(とはいえ、脱走するわけにもいかないか・・・応じるしかないな。)
人物ではなく所属先であるが、大輝は自分を招いた相手に予想がついたのだ。
そこから大輝は30分掛けて対策を考える。そして風呂を出た大輝は出迎えた執事に長湯したことを詫び、執事の案内で応接室へと向かうことになった。
「ようこそ王都アルトナへ。旅の疲れは癒せたかね?」
応接室に通じる扉を開けた大輝の視界には中年期に入ったと思われる男性が3人と若い男女の合わせて5人が映っている。大輝が注目したのは真っ先に声を掛けて来た中年の男性ではなく、若い男女だった。
(やっぱりか・・・)
大輝は沈み込む内心を隠して笑顔で答える。
「はい。お蔭さまで。」
「まあ、立ち話もなんだ。まずは座ってくれたまえ。」
男性は座ったままで大輝に着席を促す。大輝の知る若い男女が声を掛けて来た男性の後方に立ったままで控えていることからハンザ王国でも高位に位置する貴族であることがわかる。なぜなら男女はバイエル侯爵家の令息と令嬢であるアーガスとアリスだからであり、バイエル兄妹が後ろに控える相手はグラート王子か父であり侯爵家当主であるバイエル侯爵くらいであるからだ。そしてその2人は大輝と視線を合わせようとはせず、やや俯き加減で立っていた。
「では失礼して・・・」
大輝は軽く会釈して顎で示された席につく。身分の高い者として命令に慣れているからこその態度だったが、大輝はそれに対して嫌な顔を見せない。身分社会である以上はある程度致し方ないことであるし、相手が大輝の予測通りであった以上はこういう対応になることは想定内であるのだ。
「まずは名乗らせてもらおう。パウル・バイエルだ。バイエル侯爵家の当主だと言った方がわかりやすいかね。」
「私はハインツ・ファーレン。ファーレン侯爵家の当主だ。」
「ウィル・ヘグナーと申します。バイエル侯爵領にて補佐役を務める名誉子爵でございます。本日はこの屋敷を提供させて頂いております。お見知りおきを・・・」
3人の男性がそれぞれ自己紹介を行う。そうなれば大輝も名乗らねばならない。当然相手は大輝と知ってこの屋敷に招いているのだが。
「冒険者の大輝といいます。突然のお招きに困惑しており、作法も儘なりませんがどうかご容赦を。」
大輝はまず軽く牽制を入れる。自らの意によってこの屋敷を訪れたのではないことを示したのだ。だが、バイエル侯爵にとってその程度は気にする事ではない。
「なに、気にすることはない。貴公を招待したのは友誼を結びたいと思ったからであり、また、私の娘が貴公に謝罪したいと言うので場を用意させてもらったのであって咎めるようなことはないと約束しよう。」
バイエル侯爵は親し気な雰囲気を込めたつもりなのだろうが、大輝は白々しいとしか思えなかった。まず、招待したなどと言っている時点でおかしい。自身の勘違いでついて来てしまった大輝にも責任はあるが、名乗りもせず馬車に乗せてこの屋敷に連れて来ているのを招待とは言わない。また、友誼を結びたいと言いつつも招待の仕方はおかしいし、顎をしゃくって着席を促す態度は言葉と合致していない。そうなればバイエル兄妹が謝罪したいという言葉も疑って当然であった。
(つまり・・・オレがガイン卿の聴取を受けること知っていて、グラート王子やアーガスにアリス不利な話をされるのを阻止したいわけだ・・・その取っ掛かりが謝罪というわけだな。)
アリス・バイエルは『山崩し』後に大輝を無理やりグラート王子のお抱え冒険者にさせようと画策した件については謝罪をしている。ココに言わせれば表面上の謝罪だけで大輝を逆恨み状態のままだということだったが、大輝も同じような印象を受けている。だが、すでに数か月が経っており、冷静になって本当に反省している可能性もあるため、静かにその謝罪の言葉を待つことにした。
「アリス。」
バイエル侯爵が娘の名を呼び、それを受けてアリスが一歩前に進み出て大輝に向かって頭を下げながら言葉を紡いだ。
「大輝殿。ノルトの街では大変失礼を致しました。改めて謝罪させていただきます。」
「アリス様。その件はすでに終わった事です。ノルトの街でも謝罪は頂きましたし、すでに解決済みであるという認識でおります。どうぞ頭を上げてください。」
言葉だけを見れば和解の瞬間に思える。だが、大輝はアリスが深く頭を下げる事で屈辱に歪んだ表情を隠そうとしていたことに気付いていたし、謝罪の言葉を言い終わった瞬間に口元をきつく噛み締めていることにも気付いていた。それでも大輝は見て見ぬフリをして和解を演出する。
(内心はどうあれ、謝罪したという事実に変わりはないからな。)
そのココロは寛容の精神から来ているものではない。「心が篭ってない!」とか「誠意が足りない!」というのは印象の問題であり、論理的に話を進める上では明確な根拠になり得ないことを知っているからだ。だから自分の心の中で相手を評価する上では指標として活用するが、それを表に出すことを控えたのだ。
そんな大輝の内心を知らず、バイエル侯爵は満足気に頷く。
「ふむ。これで互いのわだかまりも綺麗に消えたであろう。過去の事として双方とも水に流すがいい。」
成人しているとはいえ、自分の娘に非がある件でのこの物言いには違和感しか覚えない大輝だったが、すでにバイエル家とはそういう人たちなのだと理解したことで目くじらを立てるような事はしない。もっとも、水に流すというバイエル侯爵の言葉に同意を示すような言動は一切見せなかったが。
「閣下、これで心配事はなくなりましたな。」
ウィル・ヘグナー名誉子爵が我が事のように喜んでバイエル侯爵へと話しかける。大輝にとってはグラート王子のお抱え冒険者になれという話はアリス個人とその主であるグラート王子の評価を下げることはあっても実害がなかった以上恨む程のことでもない。当然ながら報復措置を講じようなどと考えておらず、ウィル・ヘグナー名誉子爵が何を喜んでいるのか見当がつかなかった。せいぜいが悪印象が少し和らいだくらいのことを喜んだのだろうかと思っていたのだが、続けて行われた彼らの会話を聞いて目が点になった。
「そうだな。これでアリスの失敗は無かったことになり、誰にもケチをつける権利はない。」
「アリス嬢も些細な事で苦しまれたでしょうがもう安心です。めでたいですな。」
どうやら彼らは、アリスが謝罪を行い大輝がそれを受け入れたということによって謝罪の要因となった事実自体が消える、という論理展開をしているようであった。そして最終的にはガイン卿の聴取の際に大輝がグラート王子やアリスに不利な証言をすることはないだろうと勝手に言い合っていた。
(んな馬鹿な・・・)
唖然とする大輝を尻目にバイエル侯爵とファーレン侯爵はにこやかな表情で談笑し、ヘグナー名誉子爵がめでたいを連呼していた。友誼を結びたいと持ちかけた相手である大輝のことをすっかり忘れたかのような世界が作られていた。
(・・・あ。なるほど・・・わざと都合のいい解釈をしてオレに聞かせているのか!危うく騙されるところだった・・・)
大輝は数十秒かけてようやく我に返る。さすがに国政にも携わる侯爵家の当主たちが非論理的な会話に花を咲かせるのはおかしい。裏があってしかるべきなのだ。
(おそらく、オレが反論しなければ暗黙の了解を得たものとして扱うつもりで、もしオレが反論すればわけのわからん理論と貴族の権威を笠に着て押し切るつもりなんだろうな・・・)
大輝の解釈は概ね的を得ていた。その証拠に、バイエル侯爵たちは大輝を無視しながらもアーガスとアリスに視線を送っており、バイエル兄妹は大輝の様子を窺っている。見事な連携である。
「・・・・・・。」
5人の連携を知りながら沈黙を守る大輝。いつもの大輝であれば筋の通らない主張は真っ向から論破するのであるが、今回は沈黙を貫いていた。あのルード王子が遠い目で語ったバイエル・ファーレンの2つの侯爵家の話と現在大輝の目の前で繰り広げられている茶番からまともに取り合うのは無駄であると思ったがゆえの沈黙である。
(こういう独自の理論を展開する人たちとはサシでやり合っても意味がない。やるなら彼らの頭が上がらない人物の前か大勢の証人の前でしかない。それに・・・勝手に解釈するのは自由だからな。オレは同意しないけど。)
大輝は完全に黙殺することにしたのだ。そして言質を取られない事にだけ集中する。もっとも、彼らは自分たちだけで会話を続けており、大輝に話を振ってくる様子はなかったが。
20分が経過した頃、大輝はいい加減に無表情を作り続ける事に飽きていた。相手に考えを悟らせないようにと無表情、無言を貫いていたのだが、あまりに無為な時間だった。だが、それはバイエル侯爵たちも同じだったようで、いつまで経っても大輝に変化がないのでしびれを切らしつつあり、念押しを行う為に大輝へと話しかけた。
「いや、すまんな。喉に閊えていた問題が解決したのでついファーレン侯と盛り上がってしまった。」
これまでの会話に同意することを求めた言葉であるのは明白だった。もし大輝が「それはよかったですね。」などと彼らを肯定する発言をすればもちろんの事、たとえ「お気になさらず。」などと会話を聞いていたことを認める発言をしただけでも言質を取ったと見做されるだろう。だから大輝はこう答える。
「いえ、こちらこそすいません。急に私の存在をお忘れになったかのように振る舞われたので、なにか粗相をしてしまったのではないかと気が遠くなってしまっておりました。」
意訳すると『あんたらの茶番に付き合ってらんないから聞いてねえぞ?』である。さすがにこの言葉を聞いてバイエル侯爵たちは蟀谷に青い癇癪筋を走らせる。事前に聞いていた人物像からは到底ありえない返答であり、明らかな演技だったからだ。大輝の返答は自分たちの意向には従わないという意志表示であることは間違いなく、そうなっては困るために怒気を込めて威圧にかかろうとする。
「貴公は立場がわかっておらんようだな。侯爵家の力を舐めて」
コンコンッ
バイエル侯爵がその本性を出そうとしたタイミングで応接室の扉がノックされた。気勢を削がれたバイエル侯爵はこの屋敷の借主であるヘグナー名誉子爵へと一瞥をくれる。それを察したヘグナー名誉子爵がバイエル侯爵の意を汲んで扉の外にいる者へと荒々しく声を発する。
「来客中だと言ったであろう!あとに致せ!」
「で、ですが、ベント卿がお越しでして・・・」
ヘグナー名誉子爵の叱責に怯えながらも新たな来客を告げるメイドの声に応接室の中が静まり返る。
「もう良い。入らせてもらおう。」
声が聞こえた時にはすでに扉の把手が動き始めており、すぐに50歳前後の男性が入室する。
ベント・リューベック。キール王の側近の1人であり、リューベック公爵家の現当主アッシュ公の弟であった。




