第百十八話 リフレッシュ
チャポン
「はぁぁ・・・」
「とうっ!」
ッバシャ~ン
「ぐぉぉ!」
「うっしっし~」
「マーヤちゃん、湯船に飛び込んだら危ないでしょ!」
「湯船じゃないよ? マーヤはお兄ちゃんに飛び込んだんだもんっ」
「はぁぁ・・・そういう屁理屈を言うようになったか・・・子供の成長は早いな。」
「また溜息吐いてるぅ~ダメって言ったでしょ!溜息ばっかり吐くと幸せが逃げちゃうんだよ?」
ルード王子との会食から一週間が過ぎ、毎日のように溜息を吐く大輝に指を突き付けて幾度目かの溜息禁止令を発するマーヤの姿があった。
「これは湯船に浸かった時に出る一種の条件反射で・・・」
「お兄ちゃん・・・そういうのを屁理屈って言うんだよ? マーヤのこと言えないよね?」
「うぅぅ。」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい・・・」
幼女に容易く論破される大輝が悩んでいるのはルード王子の申し出をどうやって拒否するかであった。会食前に提案された件はルード王子に押し切られる形で返答は王都で行う事になっていた。
(熱意も憂慮も伝わったし、理解もしたつもりだ。ルード王子のやりたいことはよ~くわかったけど・・・オレがやらなきゃならないことじゃないんだよな・・・)
立ち入り禁止が解かれたフュルト家の庭に作った露天風呂に浸かりながら手のひらを使った水鉄砲でマーヤと戯れている大輝の心は晴れない。その理由はルード王子の言い分に理解をしながらも大輝に引き受ける道理も義理もなければ意欲も野心もないからだ。
(それに・・・ちょっとしたトラウマになってるんだろうな。)
大輝は『未来視』で視てしまった不幸な事故や災害の被害者を救おうと『未来視』を活用して活動資金を得ていた。そして周囲の子供たちが遊んでいる間も必死に勉強して知識を身に着けていた。結果、大輝の努力や心を知らない他人から見れば大金持ちで頭脳明晰、何の悩みも無い成功者と思われていた。
『それだけ稼いでいるなら我が団体に寄付をするのは当然じゃないか?』
『うちは不景気で住宅ローンが払うのがつらい。融通してくれ。』
『稼ぎに見合った社会的貢献をするべきだ。』
『あれだけ沢山の特許を持ってるならうちみたいな小さい会社が無断で使っても目くじら立てるな!』
『親戚を優遇するのは当然だ。名前だけ貸すから役員報酬を寄越せ!』
大輝は自分の記憶力の良さが疎ましく思う。自己都合を押し付ける者たちの醜い声と表情がいつまでたっても鮮明に思い出せてしまうのだ。
(ルード王子は王国民のためを思って提案してきたことはわかってる。しかも押し付けるのではなく、提案という形で強制はしなかったしな。)
大輝が選択できるように同席する人数を最小限にし、円卓を用意することで身分差を意識しなくてよいことを示したのだ。過去の亡霊と同一視することは出来ない。だから悩んでいるのだ。
(いっそ嫌な奴だったら蹴散らせるんだけど・・・断るにしても対案を示さないと野党にありがちな政治家連中と同レベルになっちまうか。)
大輝は自らの考えに没頭してしまい、マーヤがのぼせる寸前まで露天風呂に浸かり続けることになる。
ヘッセン侯爵の領地帰還とルード王子の歓迎を兼ねたパーティーから1週間で関係者の処分は概ね完了していた。
(こういう世界だと首謀者やそれに近いものは全員打ち首とかになると思ったけど・・・)
大輝はフュルト家の屋敷でヘッセン侯爵から送られた書簡を見ながら不思議に思っていた。
「うむ。異例ではあるが、致し方ない部分もある。」
「だな。どう考えても犯した罪と量刑が釣り合ってないが今回は仕方ないか。」
「ですわね。でも彼らが表舞台に立つことはもうありませんし、旦那様ご自身が進言されたのでは私たちが何か言う必要はありませんわ。」
「マーヤももう怒ってないよ。お家にも帰って来れたし、パパとももうすぐ一緒に暮らせるしねっ」
ホーグ・ベルナー名誉子爵を始めとする者たちへの処罰については、大輝の治療魔法によって回復しつつあるミッテル子爵の意向が大きく働いた。
『牢に閉じ込めておくにも食事に牢番などの経費が掛かる。また、処刑するのは簡単だがそれよりも良い案がある。』
そう言ってベットの上でヘッセン侯爵宛てに進言書を書いたのだ。
その結果、ホーグ・ベルナー名誉子爵や名誉男爵、警備隊長らは全ての役職と個人財産を取り上げられ、契約魔法を受け入れることになった。大輝が召喚初日にハルガダ帝国の宮廷で掛けられそうになった奴隷契約である。ただし、拘束内容はそれぞれの犯した罪の内容によって異なる。主犯であるホーグは一切の権利を放棄させられ、最低限の食事と住居が保証されているだけで一生タダ働きの刑であるし、警備隊長はいわゆる戦闘奴隷に、商会ギルドの長は月240時間ギルド内での書類仕事に従事することになっている。
「確かに人的資源が一気になくなるのは困るよな・・・だが、エグイ!」
文字の読み書きが出来る者は領内にもそれなりに居るが、四則演算まで出来て、政治、経済、防衛の各分野の上層部にいた人間の代わりが出来る者は少ない。そのため、彼らの自由を制限した上で後進が育つまでこき使う算段なのだ。契約魔法という存在があるからこそ出来る手法であるが、理に適っている。
一番の被害者であるフュルト家が提案したこともあって被害感情を考慮して処刑する必要はないし、領内の統治にとってもプラスである。さらに、契約魔法は当事者の同意がなければ発動しないという特性上、犯罪者たちは自らの選択で奴隷を受け入れていることになり王国法上も問題ないらしい。そして一番の効果は見せしめ効果だ。領内で幅を利かせていた者たちが奴隷同前に働く姿は領民の溜飲を下げることになるし、悪事を働けばこうなるんだというメッセージになっている。
「うむ。エグイのは認めるが、当然の仕打ちだ。」
「だな。それだけの事をやったんだ。」
「そうですわ。」
大輝は書簡を読み進める。
「消極的加担者は契約魔法を使われたり投獄されることもないんだ。」
主犯であるホーグ・ベルナーらの処分の次に書かれていたのはアウグストやゲオルクたちのようになし崩し的に協力した者たちへの処分だった。
「うむ。感情的には甘い気がするが、同情する部分もある。」
「だな。ホーグたちのように根が腐ってるわけじゃないからこれでいいと思うぜ。」
「同感ですわ。特に息子たちは最後に心意気を見せましたわ。」
ベルナー商会は取り潰しにはならなかった。主犯であるホーグが商会長職を離れていたこともあったし、一気に取り潰せば一時的とはいえ領民に皺寄せがいくからだ。だが、優遇措置を受けていた分の罰金と一部の商品の販売許可が段階的に取り消されることが記されており、商会規模が縮小されることが決定している。なお、アウグストとゲオルクは自らもホーグらと同様の契約魔法を受け入れると申し立てたが、ヘッセン侯爵の裁定でそれは却下されていた。
「アウグストは商会運営に、ゲオルクはフォルカー湿原解放に欠かせない人材だもんな。」
彼らはそれぞれ特務を与えらえていた。アウグストは領内の流通に混乱を招かないように商会を維持し、ベルナー家以外の者を後継者として育成すること。ゲオルクは今後行われるガラガラヘビ型巨大蛇の討伐作戦の指揮を執ること。それらの完了をもって贖罪と認められることが記されていた。
「これで全部終わったかな?」
フュルト家の嫌疑は完全に払拭されており、相手方の処分も確定した。マーヤの父であるミッテル子爵も順調に回復しており、明日には治療院からフュルト家の屋敷に戻って来れる予定である。この後は失った体力を戻すことがメインであり、大輝の治療魔法はお役御免である。
大輝自身に係わる問題も概ね解決している。実はこの1週間はミッテル子爵のいる治療院に行く以外はフュルト家に籠もりきりだったのだ。理由は『魔職の匠』の秘密工房に到達した件が知れ渡っていたからだ。街をうろつけば話を聞こうとする者が大勢いることは確実であり、手に入れた魔道具や記録を公開するつもりのない大輝は引き籠もらずを得なかったのだ。だが、この件はルード王子やヘッセン侯爵が解決してくれた。それとなく大輝との関係を匂わす噂を流し、かつ、秘密工房には数点の魔道具しか残されていなかったという話を広めたのだ。
(取引として多少の情報は渡したけど、それだけのこと・・・)
1週間前の会食の際に秘密工房について聞かれた大輝は『魔職の匠』の遺志を理由に秘密工房内部については語らなかった。だが、工房に入る為に3つの障害があることは伝えたのだ。
『匠は工房に入れる者を制限しています。具体的には3つの障害を乗り越える必要があるでしょう。それぞれについて1つずつヒントを申し上げます。1つ目は魔力、2つ目は資格、3つ目は本質。私はそれをもって工房内部へと到達しました。これ以上のことは工房主の意向を考えると申し上げる訳にはまいりません。』
ガイン卿だけが妙に納得した表情を見せていたことが気になった大輝だったが、彼らはこれ以上追及してこなかったために理由を問い質すことはしなかった。そして彼らは盛り上がりを見せる領民を収束させることを約束してくれたのだ。
「お兄ちゃん・・・どっか行っちゃうの?」
大輝の微妙な変化を感じ取ったマーヤが不安げな眼差しと共に誰にも聞こえない音量で呟く。
大輝はミッテル子爵が屋敷に戻ってきたら王都に向かうつもりである。ガイン卿との約束もあるし、もともと王都アルトナにあるアース魔道具店本店へ行くつもりであったからだ。別れの時はすぐそこまで迫っていた。
大輝がフュルト家を離れ、ギーセンの街を出たのは月が明けた5月1日だった。
フュルト家当主ミッテル子爵が退院して屋敷を戻ってきた際に内輪で開かれた退院祝いの席で4月一杯はお抱え冒険者として過ごすことが決まったのだ。大輝としてはミッテル子爵と入れ違いになる形で去る方がマーヤにとっていいだろうと思っていたのだが、父であるミッテル子爵本人に引き留められての結果だった。
(マーヤが日常を取り戻したという実感を得るためにも、庇護者を父に戻す意味でもすぐに去るべきかと思ったけど、結果的によかったかもな。)
マーヤはある意味大輝に依存していた。ホーグ一派に悪意を向けられ、魔獣に命を狙われ、餓える一歩手前にまで陥った状況を一変させてくれた存在であり、安心の象徴というのが大輝だった。幼いマーヤでなくとも依存してもおかしくない状況だったといえる。それが悪いことだとは言わないが、いずれ脱しなくてはならず、本来の庇護者である父ミッテル子爵の帰還が最もよいタイミングだと思ったのだ。
だが、ミッテル子爵の見立ては違った。日常を取り戻した今こそ一緒に日常に触れてやって欲しいと大輝に願ったのだ。わずか10日程であったが、大輝はマーヤとともにギーセンの街で過ごしたことでミッテル子爵の正しさを理解した。
(きちんと日常世界に着陸させてあげることが大切なんだな・・・さすが子を持つ親だな。)
大輝はフュルト家の嫌疑を晴らし、マーヤの安全を確保したことで自分の役目は終わったと思っていた。だが、マーヤのことを思えばそれだけでは不足だったのだ。報酬を得るビジネスという意味では大輝の役目は終わっている。だが、大輝が護衛を引き受けたのはビジネスというよりはマーヤを守ってあげたいと言う庇護欲によるところが大きい。それであれば日常回帰まで責任を持つべきであるのだ。
10日間でマーヤは年相応の女の子へと戻りつつあった。我慢を強いられた逃亡生活から解放されたことで随分と甘えん坊になったともいえる。だが、それが普通なのだ。硬いパンだけの食事に我慢し続けたり、魔獣に追われたり、悪意に晒されるのが日常であってはならない。そんな彼女が普通の生活を取り戻していく様子を傍らで見てきた大輝はふと気づく。
(きっとオレもそうなんだな。)
ミッテル子爵から見れば大輝も危ういと思われていたかもしれないと思い当たったのだ。この世界に降り立ってまもなく1年が経とうとしているが、大輝の日常は異常だ。ハルガダ帝国との神経戦、『山崩し』やフォルカー湿原解放作戦などの戦闘や政治闘争についてだけではない。この1年弱の、いや、修行していた期間の記憶を持っていることから実質5年間全てが異常事態といえる。大輝の日常は現代日本にあるからだ。
(王都に行く前にマーヤちゃんとセットでリセットした方がいいと思ったのかな・・・)
大輝自身は『未来視』のお蔭で一般人の日常とはかけ離れた生活をしてきており、その経験があるからこそこの異常事態にも耐性があると思っている。それでもマーヤと過ごした『日常』ではリラックス出来ていたような気がするのだ。
(自分の事は自分が一番よく知っているというのは嘘だもんな・・・というかそう言うことを考えるときは大抵間違ってる。つまりオレにも休息が必要だったってことだ。ミッテル子爵には感謝だな。)
ミッテル子爵が本当にそこまで見抜いていたかはわからない。それでも自分がリフレッシュできたことは事実であり勝手に解釈して感謝するのは自由である。
(それに、10日間あったお蔭でハンザ王国の実情も少しは知れたし、ゲオルクたちとも時間が取れたしな。)
このあと待ち受けている王位継承関連の問題に関与せざるを得ない大輝はルード王子たちとは別の視点でミッテル子爵から話を聞くことが出来ていた。まだルード王子の提案に対する対案を思いついたわけではないが、参考になりそうな話は聞けていたのだ。
また、ゲオルクという頼りになりそうな仲間も出来た。正確には、フォルカー湿原を完全開放してから共に行動する約束をさせられている。させられているというと語弊があるかもしれないが、実際に押し掛け同然で仲間入りを宣言しているのだ。
(あそこまで借りを作ったことを気にしないでもいいんだが・・・根はいい奴だし、縮小するベルナー商会に常設の警備部門は不要だろうからな。)
ゲオルクは4つも5つも借りを作ったまま別れることを気にしていたのだ。ただ、一連の出来事の罰としてフォルカー湿原の完全解放指揮官を任じられており、すぐさま大輝に借りを返すことが出来ない。そこで湿原解放後に大輝の下の参じると言って聞かなかったのだ。冒険者のパーティーメンバーでも配下でもなんでもいいというゲオルクに押し切られた形である。
(あのホーグ・ベルナーの血筋とは思えないほど律儀な奴だよなぁ。)
律儀ゆえに家長であるホーグに従ってしまったという事実はあるが、大輝はゲオルクが嫌いではない。だから押し切られたのだ。
「おっ!来たなっ」
律儀なのはゲオルクだけではない。律儀というよりはお節介という方が適切かもしれないが。
「ステルス鎧!・・・炎身!」
大輝は王都へと向かう道にフォルカー湿原を選択していた。その理由はもちろん舎弟志願の男の仕事量を減らし、危険度を下げる為である。
「うっし!7体目撃破っ」
数週間後、再びフォルカー湿原へと赴いたゲオルクたちは20体を超える巨大蛇がピット器官だけを破壊されて放置されているのを発見することになる。そのほとんどがまだ生きており、ゲオルクたちがトドメを刺して回った。蛇が数週間食事なしでも生き続けることが出来るからこそだった。




