第百十七話 真意
「え!? いや、ちょっと待って下さい!」
大輝は会食で話される内容を『魔石爆弾』の技術提供もしくは『魔職の匠』の秘密工房関連であると想像していた。内密の話ということから魔道具の国であるハンザ王国の専有技術とするための秘密交渉であるとアタリを付けていたのだ。だが、蓋を開けてみれば次代の宰相への勧誘だったのだ。驚いて当然である。
宰相とは君主に任ぜられる特別職で国政を司る者の中でも最高位に当たる地位である。実質的に王に次ぐ権力者といっても過言ではない。だが、宰相という単語を反芻する中で大輝の中に疑問が浮かぶ。
(あれ・・・ハンザ王国に宰相なんていたっけ?)
ハルガダ帝国にはフィル・ユーシアスという宰相がいたことは覚えているが、ハンザ王国に宰相という役職があったかどうかは記憶になかったのだ。大輝が知らないだけであるのかもしれないが、シハスやルビーの説明にもその名は出て来なかったことは確かだった。だが、いずれにせよ貴族でもない大輝が宰相になるという話は荒唐無稽である。第一、大輝はハンザ王国民ではないし、そもそもこの世界の住人と言えるかすら微妙な立場だ。
「殿下・・・さすがに単刀直入過ぎます・・・」
ヘッセン侯爵が苦言を呈す。
「ははは。すまないな。ちょっと反応が見たくて、つい・・・な。」
ルード王子は愉快だと言って笑っていたが、すぐに真面目な表情へと戻る。
「正確に言えば宰相候補というところだ。はっきり言おう。私は異母兄であるグラート殿下が王位を継ぐべきだと思っている。だが、兄と兄を取り巻く者たちだけでは早晩この国は立ち行かなくなるだろう。」
翳りのある目元が真に王国の未来を案じていることを表していた。
「ならば私が起てばいいという者が少なからずいることも承知している。」
シハスたちからもルード王子は下級貴族や騎士団、魔法隊からの支持を受けていると聞いている大輝は黙って王子の話に耳を傾ける。聞き始めてしまった以上は真剣に受け止めなければならないのだ。
「だが、私が王位を求めれば必ずや争いに発展するだろう。」
それについては大輝も同意する。アリス・バイエルの反応を見ればグラート王子が王位に固執していることが窺えたし、グラート王子を支持する派閥が最も大きいことからすんなりとルード王子が即位する流れにはならないからだ。
「仮に私が即位したとしても前途多難だ。いわゆる内憂外患となるだろう。完全に国内を掌握するにはどうしても時間が掛かる。だが、ハルガダ帝国がそこまで待ってくれるとは思えないのだ。すでに6年前に独立した北方の自治領を攻める準備を進めているという。そこが片付けば次は我が国が狙われるのは間違いないからな。それに、私が即位する事の最大の問題は我が国の生命線であるマデイラ王国との関係が悪化することだ。」
200年近く続く同盟関係が簡単に崩れるとは思わないが、亀裂が生じることは確かだ。ハンザ王国とマデイラ王国の王家は交互に嫁入りさせることで繋がりを強化し続けており、長子であるグラート王子の母はマデイラ王国の現王の妹に当たる。血筋的にも王位継承順位的にもグラート王子の方が上であり、王太子の任命権を持つキール王がルード王子を推したとしても遺恨が残ることになるのだ。
「貴公なら理解してくれるだろう。どう考えても私は王位を望むべきではないのだ。むしろ存在しない方がよいのかもしれんとすら思う。」
実際にはグラート王子が男子を成し、成人となる15歳に成長するまでは予備として生きねばならないと自嘲気味に笑うルード王子。王家存続のためにも必要なことなのだ。そして自分はグラート王子が王太子となったあかつきには争いの種とならないように役職を受けず、王都を離れるつもりであることを告げた。
(創業家一族が幅を利かせている同族会社で似たようなのは見たことがあるけど、規模が違いすぎるな・・・)
企業の中での争いであれば争いに敗れても命までは取られない。だが、この世界の政治闘争に敗れれば命の保証はないし、なによりもハンザ王国数十万人の命にまでかかわる可能性があるのだ。深刻具合が違い過ぎる。
「そういうわけで私は王位を望まない。だが、王家に生まれた人間としてハンザ王国の行く末が心配なのだ。貴公もノルトの街で兄グラート本人や支持する者たちとは接点があると報告を受けている。私の言わんとすることの一端は見ているはずだ。」
大輝はノルトの街で起こったことを思い出す。
大輝から見たグラート王子の人柄は悪くない。民を思う気持ちは本物だと感じたし、裏表のある人物にも見えなかった。だが、国を統治する能力があるかといえばノーだ。『山崩し』において予備隊を率いる役目を担いながら勝手に動いた揚句に甚大な被害を出しているし、配下のコントロールも出来ていなかった。
ルード王子だけではなくシハスやルビーたちも懸念していたグラート王子に近しい者たちへの評価はもっと低い。その筆頭はすでに更迭されてはいるが北方騎士団の団長であったグーゼルだ。要衝であるノルト砦の指揮官であるにもかかわらず危機管理も状況判断もなっておらず、おまけに私欲のために動く俗物であった。唯一評価出来るのは大輝にとっては迷惑であったが魔石爆弾に着目したことくらいだ。
次に挙がるのはグラート王子の側近であるバイエル兄妹だ。アーガスとは接触の回数が少なかったが、アリスとは何度か会っておりその度にやらかしてくれた相手だ。グラート王子への忠誠ぶりには敬意を表するが、行き過ぎた忠誠心がゆえに直情径行のきらいが強く表れていた。騎士であればまだいいが、政治的判断が求められる側近としては失格だというのが大輝の評価だ。
最後は王都守護騎士団の部隊長ムトスだが、武力以外に評価すべき点がなかった。その武力でさえ大輝に完封されたのだが・・・
「確かに殿下が心配なさる気持ちがわかってしまいますね・・・」
大輝としてはこれ以上答えようがなかった。少なくとも大輝が接点を持ったグラート王子派の人間で高い評価をつけるべき人間はいなかったのだ。
「はぁぁ・・・」
大輝の言葉を聞いたガイン卿が周囲を気にせずに盛大な溜息を吐く。ガイン卿はこの後王都に戻ってから大輝がその発言に至った理由を事細かに聞き取り調査しなければならないのだ。次代の王の最有力候補に関する否定的意見を聞かねばならないのは苦行でしかない。
「ですが、たまたま私が接触した相手が良くなかったと・・言うこと・・は・・なさそうですね・・・」
大輝の声は尻すぼみに小さく途切れ途切れとなり最後は否定形で結んでしまった。ルード王子が悲しそうな顔で大きく首を横に振ったからだ。
「兄グラートを支持している大貴族はロストック公爵家、バイエル侯爵家、ファーレン侯爵家であることは知っているか?」
2公爵家、4侯爵家のうち3家が支持していることになる。実際は、リューベック公爵家とブランデン侯爵家はキール王の側近を輩出しているために明確な意志表示をすることが許されておらず、ヘッセン侯爵家だけがグラート王子に付いている形である。その辺りの事情はルビーたちから聞いていたので首を縦に振って応える。
「私から見てまともなのはロストック公爵家だけだ。現当主は兄の力量を見抜いている節があるし、不足する分は兄に嫁いだ娘を通して助言するつもりだと思われるが、正直それで何とかなるとは思えないのだ。」
ルード王子の危惧は最もだ。他国からの書簡の返答であったり、緊急性の薄い案件であればじっくりと裏で相談できる時間もあるだろうが、謁見であったり即断即決が必要な状況ではグラート王子へと嫁いだ自分の娘を通じて解決策を授けるのは不可能である。そして緊急性が高い案件ほど高度な政治的判断が求められるものだ。
「・・・そうですか・・・」
大輝は再び返答に困る。ロストック公爵家やファーレン侯爵家の人間に会った事がないのだ。
(できれば今後もお会いしたくはないな・・・正確には会わなきゃならないような状況に陥りたくない。)
どう考えてもルード王子の思惑通りに進めば会わなければならないことになりそうであり、大輝はその流れを断ち切りたい。だが、ルード王子はより深みに大輝を誘い込む。
「そこで考えたの最初に言った宰相なのだ。宰相であれば謁見だろうが軍議だろうが堂々と前に出ることが許される。兄グラートの補佐には最適な役職だと思わないか? 確かに現在及びここ3代の王は宰相を任じていないが、過去には何度も任命されているので制度的には問題がないことを確認済だ。」
ルード王子は『制度的には問題がない』と言った。そして言外に含まれている意味に気付かない大輝ではなかったために口を挟む。
「殿下もお分かりでしょう。法と同じように制定されているからといってそれだけで効果が現れるわけではありません。全ては実効性が伴っている必要があります。仮に私が宰相になったとしてグラート王子やアリスたち側近、貴族たちが私の言葉を重く捉えるでしょうか?」
国政に携わる貴族たちが冒険者であった大輝に歴史あるハンザ王国の舵取りを任せるとは思えない。下手をすればルード王子が王位に就く以上の反発が予想される。
「さらに言えば、宰相とは王が任命するものであり、グラート王子が周囲の反対を押し切って私を取り立てる理由がありません。」
ただでさえ最大派閥を率いているグラート王子は次代の王の最有力候補である。そこに実質ナンバー2の役職である宰相を派閥外から抜擢するには相応の理由が必要だ。
「貴公の言いたいことはわかる。私が決起するのと同様の混乱が起きては意味がないからな。だから宰相候補と言い直したのだ。」
ルード王子も当然考えを持っており、その内容を伝える。
「まず、宰相を置くことは私が認めさせる。大まかに言えば、私が王位を争わない事を材料にして兄グラートと直接交渉するつもりだ。交渉の進展具合によっては王太子の任命権を持つ父キール王や大貴族も巻き込むつもりだし、対価として私の首が欲しいと言われれば喜んで差し出すつもりだ。」
命を懸けるというルード王子の表情は真剣そのものであり、大輝はその気迫に気圧される。
「宰相が認められた後の実効性だが、まずヘッセン侯爵が後立てとなる。さらには私を支持してくれている騎士団や魔法隊の者たちにも根回ししよう。まあ、彼らは実力のある者を高く評価する傾向にあるため、貴公ならすぐに認められよう。」
騎士団も魔法隊も上層部こそ貴族家に連なる者や代々有力な戦闘者を輩出している血筋の者が多いが、身分制度が厳格な政治体制と比べれば実力主義に近い世界である。すでに魔獣キラームトス部隊長を封殺している大輝であれば自然と認められることになると言い切る。
「さらに貴公はリューベック公爵家とも繋がりを持っている。現当主であるアッシュ公も一目置いていると聞いているし、嫡男ガーランドとも親交があるであろう。」
ルード王子が大輝に目を付けたのは戦闘力や智謀だけが理由ではない。理路整然とした物言いに自身の姿を重ねたというのも理由の1つではあるが、期待出来る後ろ盾を得られそうであるというのも大きいのだ。
「アッシュ公は要地ノルトを任せるに足る人物だと思っているし、嫡男ガーランドも少々鼻に付く物言いが玉に瑕だが十分に公爵家を担う資質はあると思っている。彼らの支持が得られれば宰相としての実権を確保できるだろう。」
大輝は苦い表情を浮かべている。思っていた以上にルード王子が大輝のことを調べていたからだ。
「それに・・・今は立場上答えられないだろうが、ガイン卿の生家であるブランデン侯爵家も反対はしないはずだ。」
ルード王子はそう言ってガイン卿へと視線を移す。
「確かにお答えできませんな。私は陛下の側近となった時に家の方針とは距離を置いていますので。」
それは半分本当で半分嘘だろうと思う大輝。キール王の側近となったからには最優先に考えるべきは王と国についてである。だが、この側近制度が大貴族の子から選ぶ理由を考えれば、王となった時の後ろ盾として側近の生家を配するという意図があることは明白だからだ。
「まあ、それで構わん。それに、ロストック公爵家も表立っては良い顔をしないだろうが、彼らは協力してくれると思っている。次代を憂いている点では一致しているからな。」
ルード王子はガイン卿の言葉を追わずに放置して次の大貴族の話をした。
「お膳立ては全て私の方で行う。もちろん貴公にも頑張ってもらわなければならないが、十分に勝機があると思う。どうだろうか?」
大輝は返答を求められるがしばらく目を瞑り沈黙を保った。
ルード王子の本気度は伝わっていた。大輝はこれまでに冒険者としてかなりの数の勧誘を受けて来た。実力を評価してのパーティー加入要請に、ガーランドの公爵家お抱えの話、自らの利のためのアリスの勧誘などだが、その全てを足してもルード王子の熱意には及ばないとさえ思ったのだ。自分の命すら差し出すというのだから本気であることを疑うことはできない。
大輝を誘う場のセッティングにも気遣いが感じられた。確かに話を聞かないという選択肢は却下されたが、身分的には必須なはずの護衛を排し、テーブルを入れ替えてまで対等の立場を演出して迎えてくれている。そして王位継承という国家の大事に関しても包み隠さず真意を語ってくれた。
計画自体も悪くはない。全ては今後の根回しや交渉次第ではあるが、ルード王子の能力ならやりきる可能性は高いのではないかと思う。ただ、この点に関しては大輝がキール王やロストック公爵など主要人物に会った事がなく、決定的に情報が不足しているために確信はない。
大輝がここまでの流れを再確認するために沈黙しているのを迷っている、もしくは脈ありと見たのかルード王子が言葉を重ねる。
「ハンザ王国にとっても、貴公にとっても今後を左右する大きな決断になるだろう。すぐに返答をしてもらう必要はない。だが、残された時間が少ないことも確かだ。」
本来であればグラート王子が25歳、ルード王子が21歳になっている今はとっくに王太子が決まっている時期である。
「貴公はミッテル子爵の治療を終えれば王都アルトナへ向かうのだろう? 私も1月後には王都に戻る。その時に再び話をすることにしよう。なに、心配することはない。仮にロストック公爵家やバイエル、ファーレンの両侯爵家が立ちはだかるなら私が刺し違えてでも排除する。」




