第百十二話 手札
「提出された文書の確認が終わりました。」
ヘッセン侯爵配下の1人がフュルト家側が提出した証拠の要点をまとめた紙を差し出し、それを受け取ったヘッセン侯爵とルード王子が素早く内容を確認する。
「これが事実なら・・・」
「候よ。先ほどの羊皮紙の件もある。慎重にな。」
ヘッセン侯爵が大きく溜息を吐き、ルード王子がそれを労うかのように肩を軽く叩いて一声掛けてから下がった。そして到着したフュルト家に仕える者たちの監禁、軟禁に関する証言が始まる。
ルード・ミュンスター第二王子は証人たちの発言を聞きながらもフュルト家によって提出された証拠の要点を見た時から内心大きく落胆していた。なぜなら、提出された証拠というのがホーグ・ベルナー名誉子爵が提出した証拠と似た内容だったからだ。ベルナー家およびベルナー商会に加えてその一派の主要人物の家の裏帳簿、彼らが互いにやりとりした書簡であり、特筆すべき点といえば互いの結束を示す血判があるくらいだったのだ。確かに裏帳簿や書簡に記されている内容は横領の事実を裏付けるものであり、印章を保有するベルナー家は印影を残している。だが、ベルナー家の保有する印章は貴族の象徴たる印章の劣化版であり、印章の存在だけでは証拠能力としては弱い事が証明されたばかりなのだ。
ルード王子は実のところ王位には執着していない。確かに異母兄グラート王子に国政を任せることには不安を覚えるし、自分の方が能力的に優れていることも自覚している。さらには自分を支えてくれるヘッセン侯爵はそれ程ではないが、騎士団や魔法士隊の者たちが自分を王にと推してくれていることも知っている。それでも合理的に考えれば自分が王位に就く、または就こうとすることはハンザ王国にとって最適ではないと考えている。そしてその考えに同調してくれる数少ない理解者であり後ろ盾であるヘッセン侯爵の領内が荒れる事は避けたいというのがルード王子の心境であった。
(ホーグとやらは何が何でも罪を否定するだろう。そしてこれらの証拠だけでは爵位を剥奪してお茶を濁すしかない。そうなるとここに集まる領内の有力者たちは混乱するだろう。明確でない裁定は彼らに不満を抱かせることになり侯爵の権威が低下するだろうし、新たな名誉爵位を求める者が争いを始める可能性もある。さらには侯爵不在の間の失政を理由に改革を求める者も出るやもしれん。どれもが領主たる候爵にとって喜ばしくない・・・あの冒険者を買い被っていたようだな・・・)
証拠を見る限りは玉虫色の裁定にならざるを得ないことを感じての落胆なのだ。限りなく黒に近いグレーということで裁定を下すことにはなるのだが、完全に白黒つかない裁定の場合は密室でやるべきなのだ。現在のように領内の有力者が全て集まっている場所で裁定を下す場合には必ず禍根の残らぬように全員を納得させなければならないのが支配者の務めである。だが、半年もの間領地を離れていたヘッセン侯爵に帰還早々それを成せというのは酷であった。その分をフュルト家側にいる大輝に期待していたのだ。
(ガーランドやアリスを易々と論破し、あのアッシュ公ですら納得させた弁舌というものに期待していたのだが・・・)
ルード王子はきな臭さ漂うハルガダ帝国との国境の街ノルトには特に注意を払って情報収集しており、王宮で話題になった以上に大輝の事を知っていた。だからこそ公式行事である帰還と歓迎のパーティーから裁定の場に変更になることも了承したのだ。確かに仕掛けたのはホーグ側であるが、大輝がフュルト家のお抱え冒険者であると名乗って正面から受け止めたことでなにか考えがあるものと判断したのだ。
(早々に事態を収拾するには手っ取り早いと思ったのが間違いだったか・・・)
失望にも近いものを感じながら証言を聞いていくルード王子だった。
大輝は予想外の反応に驚いていた。
すでに証拠品の確認はおろか監禁されていたフュルト家の関係者の証言も終わったのだが、ヘッセン侯爵とルード王子の反応が芳しくなかったのだ。
(少なくとも横領とフュルト家に濡れ衣を着せようとした件については完全に立証したつもりなんだけど・・・)
裏帳簿や書簡で裏付けは十分なはずであり、実際に金が動いた形跡を記した商会の記録まで添付している。
(監禁の件だって、結構派手に動いてくれたお蔭で目撃者には事欠かないし・・・ってやっぱりホーグの釈明を全部潰さないとダメか。)
印章の件とホーグ・ベルナー名誉子爵の必死の弁明が効いているのだ。そのことはマルセルたちも気付いたようで、困惑顔で大輝を見ている。このままでもフュルト家が取り潰されることも罪に問われることもないだろうが、ホーグ一派も致命的打撃は避けられてしまい、今後も問題が継続する可能性があると不安になっているのだ。だから大輝は次の札を切る事を決めるが、まずは自分の撒いた種を刈り取る事から始める。
「よろしいでしょうか?」
「構わん。話してくれ。」
ヘッセン侯爵もどう決着を付けるか悩んでいたこともあり、大輝の発言を許可する。
「まず、印章に関してというか、偽造についての捕捉をさせて頂きたいと思います。」
ホーグ・ベルナー名誉子爵の提出した印章入り書簡の証拠能力を奪ったがために権威の失墜した文書系の信頼回復を行うのだ。
「先刻の私の話を聞いてなんでも偽造が可能と思ってしまった方がおられるといけませんのでご説明させて頂きます。」
そう言いつつフュルト家が提出した証拠の1つを手に取る。植物の茎を原料として作られた紙であり、ホーグ・ベルナー名誉子爵から警備隊長宛てに送られた書簡でベルナー家の印章によって印影が付けられてある。
「例えばこの書簡ですが、これを偽造するのは大変難しいと言わざるを得ません。まず文字についてですが、羊皮紙のように削り取って上から新たな文字を記すことはできません。さらに印章についてですが、いくら魔力によって発動させて記録媒体に文様を浮き上がらせるとはいっても印影自体は文字同様にインクです。つまり記録媒体が紙である以上はインクが紙の原料である植物の繊維に染み込みますので偽造は不可能と言っても過言ではありません。唯一この書簡がホーグ・ベルナー名誉子爵の書いたものでない理由があるとすれば、印章自体を紛失した場合のみです。貴族の象徴たる印章の劣化版である以上はこの印章を発動させることが出来る人間は数多く存在するでしょうから。」
文書系の信頼回復といいながらもさりげなくフュルト家の提出した書簡に証拠能力があることを刷り込んでいく大輝は強かである。そして追撃もしっかりと行う。
「で、ホーグ・ベルナー名誉子爵は印章を紛失されているんですか?」
すぐには答えないホーグ・ベルナー名誉子爵に視線が集中するが答えを待つまでもなく大輝は次の話に移る。
「ま、それは置いておいて、血判の方の話をしましょう。実はこの血判、どの血判が誰のものなのか簡単に特定できるんですよ。指先にある紋様は人それぞれで全く同一のものは存在しないのです。ですからこの純然たる貴族を目指して共に栄華を極めようという趣旨の血判に誰が同意したのか判別できるんですよ。」
医学や鑑定学というものの発展が遅れているこの世界では指紋に個人差があることは知っていても全く同一のものが存在しないとは気付かなかったのかホーグ一派の顔色が悪い。そして当然追撃を行う大輝。
「ま、ホーグ・ベルナー名誉子爵を始め、近しい方々にご協力頂ければすぐに判明することでしょうけど。」
顔色の悪い者たち1人1人にゆっくりと視線を向ける大輝と目を合わせられる者はいなかった。
「そういうわけでして、文書の偽造には限りがあります。そしてフュルト家の提出した証拠の殆どが偽造不可能なものであることをここに付け加えさせていただきます。」
大輝はここに捜査機関が行う指紋採取の方法も付け加えようかと思ったのだが、思ったよりもホーグ一派はダメージを受けているように見えたので中止した。
(アレは素人がやっても綺麗に指紋が取れないしね。)
刑事もののテレビドラマでは定番である事件現場での指紋採取シーンでは粉を筆に付けてパタパタとやっている姿をよく見るし、指紋採取キットなるものが一般人でも手に入るために簡単に指紋採取が出来ると思われがちだが、捜査機関が使用するのはアルミニウムを特殊配合した指紋採取専用試薬だから綺麗に指紋が取れるのだ。その調合方法を知らない大輝には綺麗に指紋を採取してホーグ・ベルナー名誉子爵らの指紋と照合することは難しい。今回は血判というわかり易い証拠が残っているから使えるのだ。
(それに羊皮紙はもちろんだけど、ただのアルミニウム粉だと紙類から指紋は殆ど取れないんだよね。)
下手に調子に乗って指紋で証明出来ますなんて言っておいて実際にやって見せろと命令されるとボロが出るのだ。そのせいでフュルト家の提示した証拠の信憑性が薄れては元も子もない。
(う~ん。やっぱりまだ侯爵と王子は決めかねてるか・・・そろそろダメ押しの頃合いだな。)
大輝の話を聞いて多少は傾いてきている様子のヘッセン侯爵だったが、大輝としても証拠の補強を行っただけで、ホーグ・ベルナー名誉子爵の弁明を論破したとは思っていない。だから次の手札を切る。
「実は、先日・・・『魔職の匠』の秘密工房に行って来たんですが、そこで面白いモノを手に入れました。」
まるで、ちょっと散歩に行ってきました、とでも言うかのような軽い口調で話し始める大輝。唐突に話が飛んだことと、軽い口調のせいで一瞬会場内の者たちは理解出来なかった。
「「「 はぁあ!? 」」」
僅かな静寂の後、会場中から間の抜けた声が響き渡った。
「今、秘密工房に行ってきたって言ったか?」
「落ちつけ・・・あの廃坑は出入り自由なんだ。きっと廃坑に潜ったってだけ・・・のはず?」
「でも面白いモノを手に入れたって言ったぞ?魔道具だったら本当に攻略したのかも・・・」
「フォルカー湿原でさえ驚いたのに・・・まさか・・・」
大輝の言葉が脳内でようやく翻訳されたかのように次々と声が上がった。
『魔職の匠』の秘密工房は巨大蛇の巣食うフォルカー湿原とともにヘッセン侯爵領内のみならずハンザ王国でも有数の難攻不落や金城鉄壁とも評されている攻略不可能の代名詞である。その名前がフォルカー湿原攻略の目途が立ったとの報告と同日に出て来たのだ。彼らが驚くのも当然であった。
それに輪を掛けているのが、発言の主が実直を家風とするフュルト家のお抱え冒険者であり、フォルカー湿原に巣食う巨大蛇の親玉を単独撃破したと言ってもいい大輝からなされたという事実だ。一介の冒険者が言っているのとは信憑性が段違いであった。
その大輝は会場に静けさが戻るのを待ってから発言を続ける。
「お察しの通り、私は『魔職の匠』の秘密工房に辿り着きました。」
「「「 おぉぉ!! 」」」
「「 本当に攻略したのか! 」」
大輝の秘密工房到達宣言を聞いて俄かに沸きあがる会場。さすがにヘッセン侯爵とルード王子は大声を上げるような真似はしなかったが、それでもこの報せに驚きの表情を隠せなかった。それでもなんとか冷静さを取り戻したヘッセン侯爵が言う。
「大輝よ。その話には非常に興味をそそられるが、今は嫌疑について審議している最中である。関係の無い話は後回しにしてもらいたい。その件は後程ゆっくり聞こうではないか。」
数百年に渡って人々を寄せ付けなかった『魔職の匠』の秘密工房の話は誰もが聞きたいと思っている。どうやって工房に辿り着いたのか、遺産ともいうべき魔道具は遺されていたのか、聞きたいことは山ほどあるが最高権力者の言葉は絶対である。だが、その絶対を覆す大輝。
「閣下。お言葉ですが、ホーグ・ベルナー名誉子爵に対する嫌疑に関連するお話でございます。」
この言葉には名前を出されたホーグ・ベルナー名誉子爵が驚いた。確かに貴族位への推薦を得る為に功績を求め、フォルカー湿原と秘密工房のどちらを攻略対象とするかで一派内において議論があったのは事実だ。だが、選んだのはフォルカー湿原であり、秘密工房については一切手を出していないために思い当たる節がなかったのだ。
「嫌疑の証明に不要である攻略過程については省略させていただきますので続けてよろしいでしょうか?」
ヘッセン侯爵もこの言葉には頷かざるを得なかったし、魔道具発祥の国であるハンザ王国の貴族として『魔職の匠』が関連する話題に興味を抱かないはずもなく、大輝へと続きを促すことになった。
「私は『魔職の匠』の秘密工房である魔道具を発見しました。その魔道具はこのギーセンの街にも伝承があるものです。聞いたことございませんか?死者の伝言と呼ばれる魔道具の存在を・・・」




