第百九話 開廷
「・・・以上がフォルカー湿原における報告になります。」
20分余りに渡ってフォルカー湿原解放作戦の詳細を話し終えたゲオルクはスッキリとした表情を浮かべており、そのゲオルクの肩に手を置いたアウグストも良くやったと無言で頷いていた。だが、ホーグ・ベルナー名誉子爵は抵抗を見せる。
「その冒険者が手を貸してくれたのは事実でありましょうが、我がベルナー家が遠征を実行したからこそ得られた結果であります。その事実は揺らぎません!」
確かにその通りである。その通りであるが、手柄を横取りしようとした言い訳にしか聞こえないのも事実であった。そう感じたのはヘッセン侯爵とルード王子も同じであった。
「もうよい。ベルナー家が切っ掛けであることは確かなのだろうが、その冒険者がいなければ遠征した者たちは全滅した上に巨大蛇どもの弱点をすることも出来なかったのも事実だろう。」
「候の言う通りだな。しかも最大個体を討伐したのもその冒険者であるなら尚更だ。」
2人の高貴なる身分の者に言われればこれ以上ベルナー家の手柄を強調できないホーグ・ベルナー名誉子爵にアウグストから追い打ちが掛かる。
「フォルカー湿原の件はベルナー家の手柄というよりはフュルト家の手柄と言えましょう。」
アウグストは件の冒険者が大輝であることを知っている。そしてベルナー家が迷惑を掛けた分を償おうとフュルト家の名前を出した。それを聞いてギョッとしたのはホーグ・ベルナー名誉子爵だ。なぜ追い落とし工作を仕掛けている相手の家の手柄になるのか理解出来なかった。
「フュルト家がなぜ出て来る!?」
それは耳を欹てている会場中の者たちも同じ疑問を持った。
「大輝殿!すまんがこっちへ来てくれ。」
アウグストが他の護衛たちと肩を並べていた大輝へと声を掛ける。それに頷いた大輝はマーヤたちフュルト家の人間へと目配せして共にヘッセン侯爵とルード王子の前へと進み出た。
「ご紹介いたします。弟ゲオルクの窮地に駆けつけ、瞬く間に3体の巨大蛇を無力化し、巨大蛇の弱点を看破し、最大個体の討伐を成し遂げた冒険者が彼になります。」
アウグストが紹介するといいながら大輝の素性を明かさない。
(そういえば今の立場を言ってないもんな。自分で言えっていうことか。)
紹介を受けた大輝は一歩前に出て頭を下げてから自己紹介をする。
「ご紹介に預かりました冒険者の大輝と申します。年初よりフュルト家令嬢マーヤ様のお抱え冒険者を務めております。」
大輝はいきなり嘘を吐いた。大輝はマーヤの協力者というのが一番正しい表現だ。なぜなら書面での正式契約を結んでいないからである。お抱え冒険者であれ護衛であれ正式な契約を結ぶのが一般的であり、大輝のように報酬も定めていない口約束ではその身分は保証されない。もちろん日本の民法同様に口約束でも契約は成立するのだが、それを証明する手段がないために命がけの仕事となる冒険者は書面に拘る。だが、信頼関係のある間柄ではその限りではなく、お抱え冒険者になるとの約束をしていないにもかかわらずマーヤもマルセルたちも異論を唱えなかった。マルセルたちは大輝に考えがあるのだろうと思っていたし、マーヤは純粋に大輝が自分のお抱えになってくれることを喜んでいた。
「フュルト家のお抱え冒険者だと・・・」
ホーグ・ベルナー名誉子爵の呟きが静まり返っているパーティー会場に響いた。ホーグ・ベルナー名誉子爵はなぜ自分の息子たちがフュルト家の味方をするのか、なぜフュルト家のお抱え冒険者と親しげにしているのかを気にする余裕がなかった。自らの手柄となるはずのものが一番あってはならない相手に奪われる事で頭が一杯だったのだ。
「件の冒険者にこの場で会えるとは思わなかった。よくやってくれた。」
ヘッセン侯爵が大輝に右手を差し出す。それを同じく右手で迎える大輝。
「なるほど。ノルトの街で話題の人物というわけか。」
ルード王子が誰にも聞き取れない小声で呟き、目を細めて大輝を観察していた。領地と王都に目が行きがちなヘッセン侯爵と違い、ルード王子は一国の王子として国内各地に目と耳を向けており、大輝の噂を知っていたのだ。
「フュルト家は良い目をしているようだな。フュルト家が補佐役として我が領内にいてくれて心強く思う。」
一通り大輝と言葉を交わしたヘッセン侯爵がマーヤに向けて笑顔を見せる。
「ありがとうございますっ!でも、フォルカー湿原はお兄ちゃ、じゃなくて大輝が1人で頑張ってくれたので私の家は何もしてません。」
「もちろん大輝の奮闘のお蔭であることは間違いない。だが、代理とはいえ現在のフュルト家の代表はマーヤ嬢であり、そのマーヤ嬢のお抱え冒険者が手柄を立てればそれはフュルト家の手柄にもなるのだよ。覚えておくといい。」
ヘッセン侯爵の言葉通りであり、大輝が狙ったのもそこだ。これを思いついたのはグラート王子の側近であるアリス・バイエルのお蔭である。ノルトの街の『山崩し』戦後に大輝たち功労者を勧誘しようとしたことを思い出して拝借したのだ。若干事実とは異なるが、実質的にフュルト家の下で働いているようなものなので問題ないだろうと思った大輝の思惑通りにフュルト家の評価が上がっていく。
「街で噂のスネークキラーがあの少年か・・・」
「ご令嬢の見る目は確かなようだ。フュルト家の将来は安泰だな。」
「幼いにもかかわらずあの謙虚さ・・・どこかの名誉爵位持ちにも見習ってもらいたいものだ。」
「当主不在でもフュルト家は健在だ。閣下も戻って来られたしこれで領内も落ち着けるだろう。」
静まり返っていた会場内のあちこちで囁き声が聞こえ始めていた。一部で大輝に新たな異名が付けられていたり、某爵位持ちに対する揶揄する声が混じっていたが、大半がフュルト家を持ち上げる声だった。
「っく・・・」
予想外の成り行きに戸惑っていたホーグ・ベルナー名誉子爵は自らが追い込まれていることを自覚した。自分の評価が下がってフュルト家の評価が上がっているこの状態をなんとかしなければ純然たる貴族に成り上がる事が出来ないと本気で思っていた。純然たる貴族とはその言葉通り副次的要素の一切ない生まれそのものであるという事実に最後まで目を瞑り続けているのだ。その結果、博打に出ることになる。先程はゲオルクに邪魔されたが、フュルト家に濡れ衣を着せるという行為を実行に移したのだ。
「フュルト家は栄誉を受ける資格がございません!」
ホーグ・ベルナー名誉子爵はここが勝負所だと声を張り上げた。
「どういうことだね、ホーグ。」
ヘッセン侯爵が真意を尋ねるがその視線は厳しいものがあった。一時は長年の悩みの種であるフォルカー湿原攻略の目途が立ったという報告で評価を改めたのだが、その報告が印象操作されていたことで帳消しとなり、自身の留守中に税を弄り勝手な触れを出したことへの不信感が甦っているのだ。それでもホーグ・ベルナー名誉子爵は視線を真正面から受け止めて勝負に出る。
「フュルト家のミッテル子爵には王国へ納めるべき税の横領の他に複数の嫌疑が掛かっております!」
その言葉に会場から驚愕の声が上がる。
「ホーグよ・・・自分の言っていることがわかっているのか?」
鋭い視線と険しい表情のヘッセン侯爵が低い声で確認を取る。例え貴族であっても罪を犯せば処罰される。だが、もし告発して証明できなければ大変なことになる。身分制度のあるアメイジア大陸において貴族や王族の罪を立証するのは簡単ではない上、嫌疑不十分とされれば告発者が重罪に処されるからだ。
「すでに証拠を押さえてございます。」
「そこまで言うなら訴えを認めよう。その証拠とやらをすぐに持って参れ。出来ぬとは言わさんぞ。」
ヘッセン侯爵の帰還とルード王子の歓迎を祝す為のパーティーは一転して裁判の如き様相を呈していた。裁判長がヘッセン侯爵、オブザーバーとしてルード王子、検察側がホーグ・ベルナー名誉子爵とその一派、被告人側には病で出廷出来ないミッテル子爵の代理としてマーヤ、幼年ということでその補佐にマルセルたちが付いている。
傍聴人にはパーティーに参加していた者たちが全員残っていた。彼らも成り行きに関心があったこともあるが、領内に噂が広がらぬようヘッセン侯爵とルード王子が強制的に外部と隔離したのだ。さらには検察、被告の双方が主張を補強するために遣いを出して証拠品の運搬や関係者の呼び出しを行っているが、言伝をするにもヘッセン侯爵配下の者が立ち会って言動を厳しくチェックしていた。貴族を告発するということはそれだけで大問題なのだ。
そしてパーティーの終了予定時刻となる夜更けになってようやく準備が整う。
「まずは双方の主張を整理する。ホーグ・ベルナー名誉子爵の主張は、私が領都と離れてすぐの秋の徴税の際にミッテル子爵が王国に納めるべき税を横領したというものに相違ないな?」
ヘッセン侯爵が一気に裁判を進行させる。日本の刑事裁判では被告人の氏名や生年月日を確認する人定質問が行われるのだが、今回は被告人であるミッテル子爵が不在であるし、確認するまでもないために省略されているのだ。そしてそのまま起訴状朗読に当たる公訴事実の確認に入ったのだ。
「はい。ミッテル子爵は閣下が領都を離れてすぐに南部の視察に赴きましたが、その地方から納められる税が不正に操作されていることがわかりました。明らかな横領です。また、一部の有力者を優遇する施策を実行したり、領政に係わる物品の納入に際して一部の商会と談合を行っていた節も見られます。」
「公平性を欠く施策と談合についても証拠があるのだな?」
裁くべき事項が増えるのであれば確認しなければならない。
「っうぅ。この短期間では横領の証拠を用意することしかできませんでした・・・」
ホーグ・ベルナー名誉子爵としては少しでもフュルト家の罪状を重くしたいのだが、国家に対する罪ということでもっとも貴族にとって痛い横領の件を最優先で工作を進めており、試作や談合は状況証拠と証人で押し切るつもりであったために確実な証拠をでっち上げることまではしていなかったのだ。
「ならば審議は横領についてのみ行う。続いてフュルト家に問おう。横領の事実はあるのか?」
ホーグ・ベルナー名誉子爵の言い分に対する罪状認否である。
「パパは悪いことはしてませんっ!」
つい4歳らしく父親をパパと呼んでしまうマーヤ。父親を悪者に仕立て上げられていることに感情の抑えが効きにくくなっていたのだ。そこをフォローするのはマルセルであった。
「某はミッテル子爵の側近であります。お嬢様に代わってお答えいたします。ホーグ・ベルナー名誉子爵の仰るような事実は全くありません。事実無根であると断言いたします。」
マルセルは強い非難の視線をホーグ・ベルナー名誉子爵に向かって叩きつけながら証言した。
「よかろう。マルセルのフュルト家の中での立場は私も知っている。」
フュルト家の番頭役でもあったマルセルは身分の違いから直接話をした回数は殆ど無いが、ミッテル子爵に同行する形でヘッセン侯爵とも面識があったのだ。
「ではホーグよ。証拠の開示と説明を致せ。」
あっという間に冒頭手続が終了し証拠調手続へと移っていく。
「はい。南部地方の収穫見込量と換金レートを記した文書、実際の納税額を記した帳簿を提出致します。そして、ミッテル子爵が南部地方の代官へと向けて発した書簡、フュルト家の裏帳簿を押収してございます。ご覧頂ければ収穫見込量を換金した額と納税額の差額がフュルト家に流れていることがお分かりいただけるかと思います。」
ホーグ・ベルナー名誉子爵は自信を持って答える。その声が途絶えるの待っていたかのように廷吏役を務めるヘッセン侯爵の配下がベルナー家やその一派の者たちが運んできた書類の束を裁判長席へと恭しく持ち寄る。
「では確認する。」
ヘッセン侯爵とその側近にルード王子までが加わって見分に入る。見分対象である証拠品の材質はまちまちであった。収穫見込量や換金レートを記した文書はいわゆる竹簡であり、書簡は羊皮紙、裏帳簿は紙で構成されている。
竹簡とは東洋において紙の普及前に使われていたものであり、アメイジア大陸では主に地方で文字を筆記する媒体として使われている。羊皮紙は動物、特に魔獣の皮を筆記用に加工したものだが、竹簡に比べて製造過程に手間がかかることや皮自体が高価であることから使用者は上流階級に限られており、耐久性に優れていることから書簡や公文書に使われている。紙は麻や藁が原料になっており、大輝が慣れ親しんでいた木材を原料とした紙に比べて繊維が細かく強度に難があるが、この世界では筆記媒体としての普及率は一番高い。
(へ~。それなりに気を使って工作してるんだな・・・)
大輝はホーグ・ベルナー名誉子爵が提出した証拠の数々を見分するヘッセン侯爵たちを見つつそんな感想を抱いた。ヘッセン侯爵や側近たちが交わす会話が聞こえてきたからだ。
「確かにこの竹簡は南部地方で生産されているものに酷似しております。それに書かれた文字の誤用もその地の徴税官特有のものでして間違いないかと。」
「換金レートにも誤りはありません。昨年は豊作であったため、例年に比べれば2割程穀物価格が下落しているとの報告を受けており、ここに記載されているレートで問題ないかと。」
「ミッテル子爵のものと思われる書簡ですが・・・こちらは道中に雨でも浸み込んだのか一部が読み取れませんが、収穫量を下方申告するようにとの指示書であることは間違いありません。しかし、なにぶん文字が滲んでおりまして・・・」
「フュルト家の裏帳簿とされるものの確認が終わりました。他の文書と照合した結果、確かに収穫見込量から算出した納税予定額と納税額の差額分と同額が帳簿へと不自然に算入されています。」
断片的に聞こえて来る会話によってホーグ・ベルナー名誉子爵はほくそ笑む。証拠能力が認められつつあり、フュルト家に取って不利となる会話が聞こえて来るのだから笑いを堪えるのに苦労するほどであった。そこにヘッセン侯爵が発言する。
「ホーグの提出した証拠に対する見解を述べよう。まず、南部地方の徴税官が記したとされる収穫見込量と換金レートについてだが、これらを本物と認める。」
後日徴税官に確認を取るとの注釈は付いたがそれは当然のことであり、ホーグ・ベルナー名誉子爵も異議を申し立てたりしない。なぜならそれらは本物の文書だからだ。
「次に、ミッテル子爵の記したとされる書簡と帳簿の扱いだが・・・インクが滲んでいるが指示書であることは読み取れた。また、横領額が帳簿と合致していることも間違いないようだ。だが、それだけではミッテル子爵のものと推定されるに留まる。よってフュルト家に弁明の機会を与えるものとする。双方ともそれでよいな?」
ヘッセン侯爵の言葉は8割方証拠能力を認めたようなものだった。それを理解したマーヤの顔色が青くなり、後ろに控える大輝とマルセルたちを不安そうな目で振り返る。マーヤの理解では、すでにホーグ・ベルナー名誉子爵の罪を暴く証拠は奪取したはずであり、何も心配する必要はなかったはずなのだ。それがホーグ・ベルナー名誉子爵は捏造と思われる証拠を提出し、それらが認められつつある。弁明の機会こそ得られたが限りなく状況は不利であると言わざるを得なかった。




