第百六話 齟齬
ガシャン! ガラガラッキン!
「ええいっ!くそっ。アウグストとゲオルグを呼べ!」
昼食会から帰ったホーグ・ベルナー名誉子爵は荒れていた。ベルナー家の屋敷に戻るなり高価な食器や宝飾品を壁に投げつける程の激昂ぶりだった。
「人が下手に出ているからといってあの若造が・・・」
怒りの原因はルード王子であった。昼食会に出掛ける寸前に入った情報で不機嫌さマックスだった彼の沸点はかなり低下しており、昼食会その後の報告会でルード王子に追加税や魔道具関連情報の義務化等の施策を批判されたことで今や爆発状態になっているのだ。
「何が著しく合理性を欠いている、だ・・・貴族領のことに王族が口を出すなどあってはならんということがわからんのか!」
ホーグ・ベルナー名誉子爵の言い分に理がないこともない。ハンザ王国では貴族領内の統治に関しては完全に貴族に委任している。だが、国という形を取っている以上は国の方針に反する政策を地方が取ることは避けねばならないし、その限りにおいて貴族の自由な統治が認められているに過ぎない。ではどこに理があるかといえば、ルード王子に権限がないということだ。ホーグ・ベルナー名誉子爵の施策を批判する権限を有するのは国王を始めとした国策に係わる者たちとヘッセン侯爵領内の名誉爵位を含む爵位持ちだけだ。王太子ともなれば次期国王として発言が認められるが、ルード王子はそうではないし、王国内で役職についているわけでもない。発言の影響力はあっても実際の権限を持っていないというのがルード王子の立場なのだ。
とはいえ、真っ当な神経を持っている者であればそのことに怒りを感じる者はいない。なにせ相手は現国王の実子なのだから。それに加えて、ホーグ・ベルナー名誉子爵の施策は公平性に欠けていることは明白であり、ルード王子に意見を求めたヘッセン侯爵でさえ渋い顔をしていたのだ。また、ホーグ・ベルナー名誉子爵自身もバランスを欠いた施策であることを自覚していることも自身の感情を制御できない原因であった。そしてその行き場のない怒りの矛先を次男のゲオルクにぶつけるつもりであった。ちょうど叱責の材料があるのだから、と。
「えぇい!アウグストとゲオルクはまだか!?」
昼食会に行く前にフュルト家配下の者たちが奪還された事を聞いていたが、その後の報告が一切ない。逃亡を許したことへの叱責と追跡の現状報告をさせるために警備部門の責任者であるゲオルクを呼ぶように指示を出したにもかかわらずゲオルクが中々姿を現さないことでさらに苛立つホーグ・ベルナー名誉子爵。
「失礼いたします。お二方とも邸内にいらっしゃいません。アウグスト様は今夜のパーティーに必要な品の納品に侯爵邸へ行かれております。ゲオルク様はおそらく現場で陣頭指揮を取っていらっしゃるかと。」
ベルナー家の屋敷の番頭格である老人が報告に訪れた。その答えを聞いてホーグ・ベルナー名誉子爵の顔が紅潮する。家長である自分への報告が疎かになっていることへの怒りである。ベルナー家の絶対的君主である自分へは全ての事柄を掌握する権利があり、如何なる理由があろうとも意向をないがしろにすることは許さないのだ。
「アウグストとゲオルクへ伝えよ。現状を報告し、夜会が開かれる前に全ての事態を収拾せよと。」
番頭挌の老人を手を振って下げさせたホーグ・ベルナー名誉子爵は嫌な予感がしていた。今朝になって突然フュルト家の令嬢であるマーヤが現れたこととフュルト家配下の者の逃走、そしてルード王子とヘッセン侯爵の態度、どれもがホーグ・ベルナー名誉子爵の目論見に反することなのだ。早急に収拾しないと取り返しのつかない事態に陥りかねないという意識が警報となって脳内に鳴り響いている。しかし打てる手が思いつかないままに時間だけが過ぎていく。
「・・・最悪の場合はこちらの主張を押し通すまでよ。」
仮に告発されたとしても帳簿類の改竄に手落ちはないし、商会や個人の財務状況という状況証拠しかなければ重罪に問われることはないと考え直す。一時的に肩身の狭い思いをしなければならないかもしれないが、いくらでも巻き返す機会はあるのだ。
「私はベルナー家の家長・・・いずれ純然たる貴族家の当主になる男だ。」
こうして時は過ぎ、ヘッセン侯爵の領内帰還とルード王子の歓迎を兼ねたパーティーが始まるまでゲオルクやアウグストからの連絡がないままにパーティー会場であるヘッセン侯爵の館へと移動することになった。
「盛況だね、と言いたいところだが、かなりギスギスした雰囲気だな。」
ヘッセン侯爵の館で開かれているパーティーに参加しているガイン卿が傍らに控える部下のブランに話し掛ける。すでにパーティーが始まって1時間近くが経過しており、ガイン卿への挨拶の列も解消されていた。
「挨拶へ来られた方々に対してなされたガイン卿の冷たい対応も原因の1つだと思われますが・・・」
控えめな態度とは裏腹に鋭い指摘を行うブラン。それを笑って受け止めるガイン卿は周囲のパーティー列席者たちへとゆっくりと視線を送りながら小声で答える。
「それも仕方あるまいて。先ほどの媚び諂ってきた輩のうち大半は職を解かれたり地位を剥奪されるんだ。まともに対応するなんて馬鹿馬鹿しく感じないかい?」
ガイン卿の視線が急速に冷たいものへと変わる。
「そのお気持ちはわかりますが、陛下の側近であり名代でもあり、そしてブランデン侯爵家の人間としてその対応は如何なものかと・・・」
「私は兄のようには振る舞えないからな。」
ガイン卿は幼少からのキール王の側近であり、今回のヘッセン侯爵領への訪問はキール王の命を受けてのことであった。王命には2つの目的があり、その目的の為にこのパーティーに参加している。
そんな彼の出自は現在中立派の中核をなすブランデン侯爵家当主の弟となる。そもそも王族男子に認められる側近制度にはいくつかの不文律がある。貴族の子弟は政治を学ぶために王都の貴族学校に通うのだが、王族の側近になれるのは貴族家の跡継ぎ以外の者に限られるとか、現王の側近を輩出した貴族家は次代の王位継承者の側近にはなれないといった事だ。前者は貴族領の領地経営に支障を出さないためであり、御家騒動を引き起こさないためである。また、後者は特定の貴族家が王族と近くなりすぎて強大な権力を持つことが無いようにするためである。そしてブランデン侯爵家が中立派に属する事になったのもこの不文律のためだ。現王であるキール王の側近であるガイン卿を輩出しているブランデン侯爵家は次代の王となる可能性のあるグラート王子とルード王子に近くなりすぎるわけにはいかないのだ。あくまで公平に両王子を見守ることを求められており、今回の訪問目的の1つがそれに類する。
「さて、彼らはどんな対応を見せてくれるのかな。今から楽しみだよ。」
齢50を過ぎたガイン卿は次代を担う若者たちがどのような姿を見せるのかを想像して頬が緩む。
「ガイン卿、意地の悪い表情のせいで考えがダダ漏れですよ・・・」
ブランの呟きはガイン卿に届かなかった。代わりに注目を浴びる存在が現れたからだ。
「遅くなってごめんなさいっ!」
パーティー会場の入口付近から元気な声が聞こえる。会場中の視線を集めた先では真っ赤なワンピースに身を包み頭上に大きなリボンを付けた幼女がぺコンと頭を下げていた。
「「「 失礼します。 」」」
幼女の後方に控えている初老の男性2名は執事服をイメージさせる衣装に身を纏い、同じく後方に控える若い女性と共に付き人よろしく一礼している。マーヤとマルセルたちだ。
「えっ!?あれって・・・」
「ミッテル子爵のご息女では?」
「子爵が執務停止の仮処分を受けているのになぜ?」
フュルト家令嬢の登場を予想していなかった参加者たちから戸惑いの声が漏れる。彼らが戸惑うのも無理はない。なにせ領内に2家しかない貴族家の当主の1人であるミッテル子爵が王国の財産である税を横領したとされた上に事実上拘束されているということは大事件であり、唯一その血を引くマーヤが公の場に出て来るとは誰も想像していなかったのだ。
(普通は領主館に入る事さえ出来ないと思うだろうしな。)
マーヤたち4人がパーティー会場に入るのを見届けている大輝は苦笑を浮かべている。大輝自身がどうやって有力者の揃うこの場にマーヤたちを送り込むか悩みに悩んだのだ。協力者の従者として変装してこっそり侵入するのか、それとも武力による強硬突入をするのか、色々考えたのだがどれもデメリットが大きすぎて諦めようとすらしたのだ。
(まさかこんな簡単に堂々と入場できるとは思わなかったよ・・・苦悩の時間を返して欲しいくらいに・・・)
苦笑の原因はあまりにも簡単に正面からパーティーに参加できたことにあった。
正面から堂々と入場したということは、侯爵家の館の警備やパーティーの受付を正当な手続きを経て通過してきたということだ。誰かを買収したわけでもなく、ガイン卿の力添えがあったわけでもない。
(目の前の事にしか目を向けなかった自分の至らなさが恥ずかしいや。)
マーヤたちが堂々と会場に入る為のヒントはミッテル子爵から受けたものだった。大輝の治療魔法がひと段落したタイミングで呼吸の落ち着いたミッテル子爵と話をした際に互いの話に齟齬があることに気付いたのだ。
最初の齟齬はミッテル子爵の扱いであった。マルセルたちも含めて大輝たちはミッテル子爵が捕縛されたと思っていたが、実際には違ったのだ。公式記録としては、ミッテル子爵はいわゆる事情聴取を受けていただけで、その後体調が悪化したために治療院に入院しているということになっているというのだ。「子爵家当主である私の捕縛を命じる権利があるのは領主たるヘッセン侯爵やキール王くらいだし、事実として警備隊からは聴取であるという書面を見せられてサインしている。」というミッテル子爵の言葉が大輝の頭を掠める。この事実だけではヘッセン侯爵が加担している可能性は低くなったと考えるだけだった大輝だったが、次々と己の認識と微妙に違う事実がわかってきたのだ。
次にわかったのがミッテル子爵への処分に関する微妙な違いだった。大輝たちはミッテル子爵が執務停止処分を受けていると聞いていたが、実際には執務停止の仮処分である。これもミッテルが貴族であることから正式な処分を下せる人物がヘッセン侯爵など限られた者しかいないことが理由である。しかも執務停止の仮処分を受けた理由は横領容疑ではなく体調不良となっているそうだ。
さらには城門で警備隊員が言っていたマーヤの捕縛命令。確かに捕縛命令は出ている。だが、その理由を勘違いしていたのだ。大輝たちはマーヤを亡き者とするための謀略の一環だと考えていたのだが、警備隊に発せられた捕縛命令の理由は貴族家の責務放棄となっているというのだ。当主であるミッテル子爵が体調不良によって執務を行えない以上、4歳という未成年にもかかわらずマーヤには貴族の責務が課される。当然ながら政治的判断を下せるはずはないことから実際は代理を立てて執務を進めるのだが、今日のような公のパーティーや会合には出席義務があるのだ。それを放棄したと見做されて身柄確保を命じられたのが警備隊というわけだ。
他にも大輝たちの認識と事実が異なることはあったのだが、全てを理解したことでホーグ・ベルナー名誉子爵との対決の場に堂々と立つ算段がついたのだ。
(フュルト家が公式記録において罪人扱いされていないならば堂々と正面から行っても問題ない。公式行事であるこのパーティーに貴族であるマーヤが出席するのは当然の権利であり義務だからな。警備隊だろうが受付だろうが止めることは出来ない。)
堂々と馬車でヘッセン侯爵の館に乗り付け、理路整然と事実を突き付けた際に見た警備隊員たちや受付の鳩が豆鉄砲を食ったような表情を思い出して口元が緩む大輝。城門で暴れただけにひと悶着あることだけは想定していたのだが、それすらなくあっさりと通されたことに拍子抜けしたくらいだったことと合わせて愉快であった。
(もっとも、ホーグ・ベルナー名誉子爵がフュルト家を貶めようと動いた事実は消せない。もしホーグ・ベルナー名誉子爵がこのパーティーより先に捏造証拠を元にしてヘッセン侯爵を動かしていれば公式に捕縛、処断ということになるだろうしな。タラレバだけど、ミッテル子爵の治療を後回しにしてたら厄介な事になってたのは間違いない。)
ギリギリのタイミングだったが天はフュルト家に味方していると感じる大輝。
(さて、まずはホーグ・ベルナー名誉子爵との対決だな。そして領主であるヘッセン侯爵と合理主義の王子をどう誘導するかだ・・・他にも諸々あるが・・・とにかく順番に片づけよう。)
多くの協力者の助力を得てようやく辿り着いたとはいえ、今はまだようやく『場』に立ったに過ぎない。本懐を遂げるための勝負の幕は上がったばかりだ。




