第百二話 隠れ家への帰還
アメイジア新暦746年3月25日夜、長年このフォルカー湿原の主として君臨していた巨大蛇たちの王ともいえる最大個体、通称アナコンダは討ち取られた。これによって即座に湿原全体が解放されるわけではないが、騎士団ですら成し得なかった最大個体の討伐成功は大きな戦果である。だが、最大個体を討ち取った直後のゲオルクたちはしばらく喜び合ったあとに沈黙することになった。
「どうしたものか・・・」
ゲオルクの視線の先にはピット器官を破壊されてもなお身をくねらせ続けている巨大蛇が6体いるのだ。感知器官を破壊されているため、即座に襲ってくる可能性は低いものの、今のゲオルクたちにもトドメを差すだけの力は残っていないのだ。
「再生する可能性もあるし、トドメを差すべきだとは思うけど・・・」
「今はもう動きたくないっすよ?」
「魔力切れじゃ魔法剣も使えないし、トドメの差し方がわからん。」
「いや、動きたくとも動けねぇよ。」
150名の戦闘要員のうち、20名程はすでに息が無く、負傷によって戦闘不能な者の数は50名、魔力切れの者多数という状況である。治療魔法の使い手もすでに魔力が残っておらず、負傷者の戦線復帰も望めない今、動きようがなかったのだ。
「いずれにしろこの場からしばらくは動けん。6体と周辺の監視を交代で行い、魔力と体力の回復を待つしかあるまい。」
6体を放置するにしても負傷者が多く、魔力も体力も残っていない彼らに移動するという選択肢はないため、仕方なくその場で身をくねらせ続ける巨大蛇と共に夜を明かすことになる。非常に気味の悪い状況での野営であったが、全員が疲労困憊ということもあって身体を横たえた者からすぐに夢の世界へと旅立っていった。
(不思議な生態だよな・・・生態といっていいのかわからんが。)
翌朝、眠りから覚めた大輝は寝起きに相応しくない光景を見て思った。もちろん視線の先は昨晩から同じ位置で身をくねらせ続けている巨大蛇たちである。大輝の記憶ではピット器官とは退化した目を補助する形で発達した単なる熱感知センサーのはずであったが、異世界だからなのか、もしくは魔獣化の影響なのか、まるで壊れた機械のように同じ延々と繰り返す存在に成り果てていた。
(まあ、昨日のオレみたいに不用意に近づくと跳ね飛ばされることになるけど・・・)
反射なのか意識的なのかは不明だが、近寄れば胴体による体当たり攻撃が襲ってくるのだ。
(そうなると魔力と体力が回復してない者は掃除に参加できないな。)
予定では今日中に6体の巨大蛇を仕留め、最大個体を含めた全10体から魔石を取り出して亡骸を処分するところまで行う予定なのだ。だが、大輝を含めた多くの者が昨晩に魔力切れを起こしており、数時間寝ただけでは半分も回復していない。個人差はあるものの、枯渇状態から全回復まで丸一日掛かるのが一般的であるため当然であった。
結局その日は午前中いっぱいが休養に当てられ、治療魔法の使い手3人と非戦闘員たちが負傷者の治療に当たり、魔力と体力が回復した者が巨大蛇の討伐、それ以外の者がすでに討伐済の巨大蛇の後始末という割り振りで作業が進められた。大輝は最大戦力として討伐に加わるのではなく、治療班に加わっていた。多少とはいえ現代日本の医療知識のある大輝の治療魔法の効果が高いことと、治療過程を脳内に描けることで消費魔力が少ないことが決め手となり、この地を離れるまでという約束で臨時雇いのゲオルク傘下治療士となったのだ。
「本当に単独で行くのか?」
最大個体の討伐から3日後の3月28日早朝、ようやくフォルカー湿原中央部の沼地を出てギーセンの街への帰還を決めたゲオルクが大輝に問い掛ける。
「悪いがオレにも都合があるんだよ。」
「確かにこれだけ助けてもらっておいてさらに拘束するわけにはいかないか。」
「すまんな。いまだ戦闘出来ない者が多いことはわかっているがこれ以上は・・・」
「なに、半数以上は戦線復帰しているし、奴らの弱点も教えてもらったんだ。なんとかするさ。」
大輝とゲオルクは3日間を共に過ごしたことでさらに気安い間柄になっていた。だからこそ大輝は彼らと離れて先に戻ることに躊躇もあったし、申し訳ないという気持ちもあった。だが、ヘッセン侯爵やルード王子が領都ギーセンへ来る日まで2週間を切っており、これ以上帰還を遅らせることは出来なかったのだ。すでに8割方魔力の回復した大輝であれば2日で踏破出来るはずであり、負傷者を抱えたゲオルクたちと一緒にギーセンへと向かえば順調に行っても6日以上掛かる。優先順位ではマーヤたちフュルト家の方が上なのだからこの決定は大輝的に仕方のないことだった。
「一応オレの予定経路は地図に書き込んで置いたから参考にしてくれ。露払いくらいは請負うさ。」
大輝は自分に出来る事としてフォルカー湿原を出るまでの経路を来る時とは変えるつもりだった。新たに設定した経路はゲオルクたちがこの中央部に来た道を戻るかのような道筋である。つまり荷馬車が通れるような陸路であり、戦闘になっても多少は足場のしっかりした大地がある経路である。そして、道中は気配察知で巨大蛇を感知すれば全て無力化していくつもりなのだ。それを察したゲオルクが改めて感謝を表すために口調を変えて頭を下げる。
「大輝殿、貴殿のお力添えに感謝致します。」
「そういう堅苦しいの無しで頼むよ。立場も年齢も関係無い方が気楽でいいからさ。」
見る人が見れば無礼な振る舞いなのは大輝だ。年齢的にもゲオルクの方が年上だし、社会的地位でいっても名誉子爵の息子で大商会の幹部だ。タメ口を利くならせめて冒険者でいえばBランク、上から目線が許されるのは貴族に準じるAランクが必須だ。だが、恩人補正があるからか、ゲオルクは一切気にしないどころか逆に畏まる傾向にあった。
「出来る限りそうさせてもらうが、受けた恩を返すのはオレの主義なんでそこは諦めてくれ。」
ゲオルクは口調を戻して笑顔を浮かべる。大輝としても悪い主義でないことは確かなのでそれで了承する。
「じゃあ、オレは先行させてもらう。荷馬車や負傷者が一緒のゲオルクたちとは行軍スピードが違うからくれぐれも索敵を怠るなよ。」
すでにゲオルクには露払いをすることは言ってあるが、3倍以上のスピード差があるため安全が保障されるわけではないことを忠告しておく大輝。もちろんゲオルク程の指揮官が周辺警戒を怠るはずはなく、それでも大輝の気遣いを有難く受け取る。
「あぁ。ガチガチに警戒して行く。じゃあ街で会おう。」
2人は握手と共に再会を約束する。
「「 気を付けて行けよ~! 」」
「「 助かったぜ兄ちゃん! 」」
「街で奢るから楽しみにしててくれ!」
「道中の魔獣は全部狩っていってもいいからな~!」
ゲオルクたちに先駆けて出発する大輝に様々な声が掛かる。感謝の言葉に礼をしたいという言葉、中にはちゃっかりした者の言葉も混じっていたが悪意からではなく気安さから出た言葉である。そんな彼らに手を振ってから大輝は2日半ぶりに身体強化を掛けて帰路に着いた。
パタパタパタパタットンッ
「お兄ちゃんおかえり~!」
金髪ゆるふわ幼女が助走をつけてジャンプ1番、大輝の胸へと飛び込む。大輝の記憶力は抜群であるため、以前ダメ出しされた感動の再会の二の舞にならないように正面からガシっと受け止める。通信の魔道具で連絡を取り合っていたとはいえ10日以上顔を合わせておらず、大輝自身もフォルカー湿原でかなりピンチな状況を脱してきただけに感動の再会の気分であったのだ。
「ただいま、マーヤちゃん。」
「うぅぅ~嬉しいけどちょっと痛いよ?」
力強く抱き留めた大輝の胸の中でもぞもぞと動いて上へと移動し、首に手を回したマーヤがはにかんだ笑顔とともに言う。そんな幼女を片手で支えた大輝はそのまま中に入ってマルセルたちに挨拶する。
「ただいま戻りました。変わりはありませんか?」
「うむ。よくぞ無事に帰って来た。」
「お帰りなさいませ、大輝様。」
「おぅ、お疲れさん。こっちは何も問題ないぜ。」
大輝はフォルカー湿原を抜けるまではゲオルクたちの露払いを担当したのだが、ギーセンの街へは行かずにマーヤたちのいる隠れ家へと戻って来たのだ。通信の魔道具で報告はしてあったとはいえ、直接顔を出すべきであったし、今ギーセンの街へ戻るのは少し厄介だからということもある。まずはその辺の情報を仕入れるべきなのだ。
「ギーセンの街はどんな感じですか?」
大輝の土魔法で造られた椅子に座ってティータイムが始まる。もちろんマーヤは大輝の膝の上だ。しばらく離れていた分、今日は寝るまで離れないだろうし、大輝としても癒し成分の補給になるのでなにも言わずに受け入れている。
「うむ。いくつか報告がある。」
「まず、ホーグ・ベルナー名誉子爵関連だな。大輝も参加してくれた証拠奪取作戦で集めた証拠の分析が終わった。多少帳簿類の数字が合わないところがあるが、領主館にあるはずの帳簿と照らし合わせれば十分な証拠能力はあるようだ。」
フュルト家当主であるミッテル子爵の仕業とされた公金横領についてはやはりホーグ・ベルナー名誉子爵の罪を押し付けられたことが証明できそうだという嬉しい報告だった。
「ついでに、商会に課せられた10%の追加税も全部奴の懐だということも確認がとれた。一部は今回のフォルカー湿原解放作戦で冒険者を雇ったり、食糧、荷馬車、軍馬の手配の見返りとしてあちこちにばら撒かれてる。」
「出陣式みたいなので来賓たちが言っていた助力の見返りですか・・・どうしようもありませんね。」
「配布先も抑えてあるから纏めて駆除した方がいいだろうな。」
商会ギルドやら警備隊のお偉いさんたちが援助とか提供したとか言っていたのは真っ赤なウソなのだ。正確にはギルドと警備隊はそのつもりでも、一部の上級職の者に賄賂として贈られているのだ。
「次に重要人物関連だが、マルセル頼む。」
モリッツに代わってマルセルが説明を始める。
「うむ。まずヘッセン侯爵とルード王子関連である。最新の情報では予定通り3月末、つまり昨日のうちにヘッセン侯爵の王都アルトナでの政務は終わっているはずである。いくつかの親睦パーティーに出席したのち、予定通り4月10日前後に到着するらしい。」
この情報はナール商会などの商会ルートから仕入れており、ナール商会の長であるユングと旧知の間柄であるマルセルが窓口なのだ。
「予定通りということですね。」
「うむ。ギーセンの街に到着後は休息日を挟んで侯爵の帰還と王子の歓迎を兼ねたパーティーが開かれるようだ。某はそこが狙い目だと思って詳しい情報を集めているところである。」
「有力者が集まる場は確かに都合がいいですが、その分警備も厳しいでしょうから難しいところですね。」
「その通りだ。証拠品だけではなく、証人も連れて行かねばならないからな。」
大輝の指摘にモリッツが相槌を打つ。
「うむ。その点も踏まえて情報が揃ってから決めるとしよう。そしてその証人の一部となってもらう予定のフュルト家配下の者たちの救出作戦も詰めねばなるまい。」
マルセルは貴族家であるフュルト家のコネを活かしてすでに軟禁中の者数名には話をつけてあるらしいことが明かされる。どうやらベルナー家の末端の者たちにも違和感を感じている者が多いそうだ。
「そしてミッテル子爵の方の情報も入って来た。正直体調が思わしくないようである。高位の治療魔法士の魔法ですら現状維持が精一杯のようだ。」
沈痛の面持ちのマルセルたち。マーヤもこれまでの笑顔が一転して大輝の膝の上で丸くなって堪えている。この世界では魔獣と共に病は脅威としか言いようがない。現代日本とは違って医学は発達していないため、外科的手術の概念はもちろんのこと抗生物質や点滴といったものがないのだ。その分治療魔法があるではないかと思うかもしれないが、大輝はこの世界の治療魔法のレベルが低いことをフォルカー湿原での戦いで思い知っている。
(治れ治れ~って魔力流してるだけだもんな・・・)
魔法は具現化した事のイメージが大切とは言ってもそのイメージに至るまでの過程を理解しているかというのが重要なのだ。フォルカー湿原での治療風景を見ていると、単に元の姿を思い浮かべて魔力を流しているだけであり、確かに細胞の活性化だとか免疫力の向上といった効果はあるのだろうが非常にレベルが低いと思ったのだ。
(それでも足の単純骨折を歩けるまでに回復させたのにはびっくりしたけど。)
大輝も医学を修めているわけではないが現代日本に住んでいただけあってこの世界の人間たちに比べ数倍の知識を持っている。そして保有魔力量も多い。つまり大輝たち異世界人は治療魔法に置いても優秀ということになり、フォルカー湿原での戦いの後に治療班に回された理由でもある。
「マーヤちゃん。お父さんに会ったらオレに治療魔法を掛けさせてくれるかな?」
左手でその小さな身体を抱きしめつつ緩やかなウェーブを持つ金髪の上に右手を置いて頭を撫でる大輝。この幼女の辛そうな顔を見ることを大輝は望まない。
(そうなるくらいなら異世界人であるとバレようが、奇跡の癒し手とか恥ずかしい異名をつけられようが気にしない。・・・ん、でもやっぱり異名はイヤだな・・・)
大輝の言葉を聞いて顔を上げるマーヤ。
「お兄ちゃんがパパを治してくれるの?」
マーヤの不安気な眼差しの奥に期待の光が灯る。
「絶対に治せるとは言わないよ?直接見てみないことには病状がわからないからね。でも、精一杯頑張ることを約束するよ。」
マーヤの顔に安心感が広がる。マーヤにとって大輝は絶対の守護神であり、頼れる兄なのだ。その兄が力を尽くしてくれると言うだけで暗く沈んだ気持ちが持ち直すのだ。
「うん。ありがとうお兄ちゃん。」
大輝は重大な責任を負うことになったと思いながらもその心は軽かった。詳しい病状を聞かないままに幼い子供に安心感を与える事に反対する声もあるだろうが、今大輝がマーヤに出来る事はこれだけなのだ。あとはミッテル子爵に会った時に全力を尽くすだけであり、2度とマーヤとの約束を違える気はなかった。
「それにしても大輝殿は治療魔法まで使えるのか・・・」
「いったい大輝様はこれまでにどれだけの修練を積まれたのでしょうか。」
「若いのに大したもんだな、ホントに。」
マルセルたちにも妙な期待感があった。おそらく何らかの過去を隠しているであろう目の前の若者の生い立ちに興味もあった。だが、それは話してくれるまで待とうというのが共通の認識であり、今は目の前の問題を片付けるべきであると思っていた。
「大輝殿にもう1つ伝えて置かねばならない。」
「そうですわね。忘れないうちに。」
「大輝、今はギーセンの街に行くなよ?魔道具ギルドと警備隊が手薬煉引いて待ってるぞ。それからこれは不確定情報だが、ルード王子の先遣隊だと思った騎士たちは国王直下の騎士隊でお前を探してるって噂だ。」




