4.兄公認の仲
4.兄公認の仲
「はぁーお前らいつまでそんな状況続けるんだ」
翌朝、講義室に入るなりテオが言ってきた。
心当たりがありすぎる私はそれとなく目を逸らした。
今朝も昨日と同じ状況だった。
朝起きて廊下に出れば寝起きのカリムと遭遇してしまった。けれど、やっぱり彼を見ると何故か意識してしまう私は今日もそれとなく挨拶を交わしただけで、カリムが何か言いたそうにしていたのをすべて無視してダイニングルームに駆け込んだ。
しかしそこでもアサドがわざとらしく昨日付けてきた痕についてからかってきたりするものだから、ハンスがいつもよりも尖った嫌味をかけてきて、もとより機嫌の悪かったフリードが無言でダイニングルームから出ていくなど、その場の空気は更に気まずいものになってしまった。
「お前はお前で先週からずっとよそよそしいし、ハンスも穏やかじゃない。フリードはずっと苛立ってるし、それを気遣うこちらの身にもなってみろよ」
テオががしがし頭をかきながら文句を言ってくる。
「そうは言われたって、何とか出来てたらもっと早く解消しているよっ」
「はぁーお前ら人付き合い下手だな」
「お姫さまに振られた挙げ句王位剥奪されて都落ちした人に言われたくないよ!」
「うぐ……っ」
それまで結構偉そうな感じで文句たらたらだったのに、今の一言で反論の言葉を無くしたみたいで、テオはその場で項垂れる。
もともと「白鳥の王子」に登場する王様だったテオデリックは、兄王子たちを助けるために無言で茨の服を編み続けるエリサ姫を信じ切れずに火焙りの刑を言い渡してしまったため、憤慨した兄王子たちにエリサ姫の婚約破棄と都落ちを言い渡されてしまったのだ。
そんな理由でこの人はこっちの世界に来たのだけれど、おとぎの国で起きたふられた話も、もはや今のテオにとっては吹っ切れたものだと思っていたのに。
「まぁ、俺のことはもう終わった話だからいいんだ。それよりも、俺もカールもクリスも形見狭い思いしているんだからな」
「う、それは申し訳ない……」
「まったく、お前とフリードだけならまだしも、魔神二人もどことなく険悪な様子だし」
「え? それってどういう――」
「あ、ソラ! こっちだ!」
いきなりテオが手を挙げて声を張り上げたと思ったら、講義室の入り口の方から私の高校時代からの友達の羽山空がちょうど入ってくるところだった。
空はテオの声に少し顔を赤らめながらもこっちに向かってきていた。
今日、火曜日の1限は私とテオが取っている『バレエ芸術に楽しむ』という講義がある。毎週先生がバレエ演目を一つ紹介して解説するという授業で、テオは毎週それを楽しみにしている。
だけどここ最近、特に今日はいつにも増してテオはこの授業を楽しみにしていたのだ。
それはこの授業を取っている空と、ようやく結ばれたからだ。
「もう、あんまり大きい声で呼ばないでください」
空が眉間に少ししわを寄せて恥ずかしそうにしながら言う。
対するテオはまったく気にする様子もなく、
「あぁ、すまんな」
と、とてもにこやかな調子で返す。
さっきまでここでぶつくさ文句を言っていたヤツと同一人物とは思えないほどの変わり様だ。
「梅乃もおはよう」
空はテオの隣に座ると、前のめりになって私の方へ顔を向けてきた。
「ん? あぁ、おはよう。そういえばあれ以来だね。落ち着いた?」
「そう……ね」
すると急に空は顔を曇らせ、視線をさまよわせた。
そりゃあ、まだあれから一週間しか経ってないんだもん、私も無粋な質問しちゃったよね。
そう思って謝ろうと口を開いたとき、空が「あの、梅乃」と先に切り出してきた。
「本当に、ありがとう。梅乃には本当に救われた」
一瞬何のことかと私は目を瞬かせた。
そうしてすぐに先週のことだと思い至る。
つい先週の水曜日まで、空は懇意にしていたはずの従兄にずっと援交をさせられていた。というのも、その日空を尾行した先の歓楽街で空の従兄に嵌められて発覚したのだ。その後、私は魔神に助けられて、従兄にどこか連れられていた空もテオが助けに行って事件は収集したのだ。
まぁ、更にその後に薬騒動や怪我したフリードと険悪になるなど、未だに後を引くものが残っているけれども。
「ううん、気にしないでよ! それより! 今はようやく手にした幸せを満喫するべきっ」
「おいっ」
「えっちょっと梅乃!?」
私はずいっとテオの身体を空の方へ押しやった。
いきなりの私の行動にテオも空も一瞬戸惑った声を上げていたが、次の瞬間には二人は見つめ合っていた。それを恥ずかしそうに空はそれとなく視線を逸らすが、テオは空の顔を追いかけるように顔の向きを変え、そして強引に――頬に口付けた。
空は真っ赤になって俯く。
――わお、何この甘い雰囲気。
見ているこっちが恥ずかしくなっちゃうよ。
空の反応は当然のものとして、テオってばいくら頬だとしてもこんなところでいきなりキスとか。
そういえばヨーロッパの恋人たちってところ構わずちゅーちゅーしているイメージがあるけど、テオもその感覚だったんだろうか……。
いやはや、奥ゆかしい日本人には刺激の強すぎる光景だ。周りの学生さんたちも反応に困ってる。
「これでお兄さん公認の仲なんだよね……」
ぼそっと私がそう言えば、空が勢いよく赤くなった顔を私の方へ向けてきた。
「梅乃! どうしてそれを……――テオさん! 梅乃に言ったでしょ!?」
あんまりこういうことをおおっぴろげにされたがらない空だ。きっとお兄さん公認で付き合っていることまで知られるのは恥ずかしいのだろう。
空は責めるような目をテオに向ける。
しかしやっぱりテオは、
「すまん、嬉しくてついな」
とにこやかに答えた。
その笑顔があんまりにも爽やかだったからか、空は「もう」と言うばかりでそれ以上テオを責めたりしなかった。
ここだけ糖度が違う……!
先週までのかっこいいテオはどこへ行ったんだと言うくらいにヘラヘラしてやがるし。
まぁ二人が今幸せ真っ最中なのはいいことなんだろう。
私は自分のことをどうにかすることを考えよう。
あれ? そういえばさっきテオに何か聞こうとしたけど何だったっけ?
そんなこと考えているうちに先生がやってきて授業が始まり、さっき聞こうとしたこともすっかり忘れてしまっていた。
とは言え、翌日も翌々日も同じような状況は続いた。
その様子を見守っているだけのテオやクリスやカールがすごく気を遣っていて早くどうにかしないといけないとは思うものの、なかなか上手く解決策を見つけられずにずるずる悪い状況が続くばかりだ。
「はぁ、どうしたものか……」
「ん? 何を?」
「何っておとぎメンバーのみんなと――ってわあああっ」
めちゃくちゃナチュラルに「おとぎメンバー」なんてワードを出してしまったけれど、そんなの家の外では絶対に口にしちゃいけないことだった!
ましてやバイト中になんて――!
と思ったけど、今目の前にいたのはクリスだった。
クリスはきょとんとした顔を私に向けて、小首を傾げていた。
完璧王子様顔のクリスのこの様を見るだけならとても眼福である。
「ごめん、急に驚かせたよね。ごめん……」
すると見る見るうちにクリスの眉尻と目尻が下がり、泣きそうな顔になる。
いくらここがキッチンだからといって、こんな完璧王子様のクリスにそんな顔をさせるのはいけない!
「くっクリスは何にも悪くないから! ほら! 仕事仕事!」
そう強引にホールの方へクリスを押しやれば、「あ、そうだね」となんとかネガティブの淵から帰ってきてくれたみたいだ。
今私がいるのは学校から自転車で15分、徒歩40分のところにあるファミリーレストラン「おどけたサンチョ」。そこで私とクリスティアンはホールスタッフをしている。
もともと「シンデレラ」に登場する王子様のクリスは家事能力が完璧で、ただのファミレスでただのウェイターの格好をしていても、その完璧な給仕姿には目を奪われるほどだ。そんなクリスを見るためにお店に来る客も少なくはない。
しかしそんな彼の残念なところがこれだ。
「ビュシエール君、久々にオーダーミスがあったよ」
「え……本当ですか? 本当に申し訳ありません、すみません。あぁどうしよう、僕辞めさせられたり――」
「しないってば、落ち着きなよっ」
そう、クリスの残念なところは、とてもネガティブでヘタレなところだった。
おとぎの国でシンデレラに振られた後もう一度再婚を申し込もうとしたら、既にシンデレラは再婚済みで、それがきっかけでクリスはヘタレネガティブになってしまったらしい。
見るからに完璧な王子様なのに、ことあるごとにネガティブを発動してしまうからとてもやっかいなのだ。
「まぁ今日はもう交代の子も来たし、ビュシエール君も佐倉さんも上がっていいよ」
「え、いいんですか?」
「うん、それにほら……」
店長がホールの奥の方のテーブルを指差す。
そこには私の妹の楠葉と兄の桐夜が向かい合ってご飯を食べていた。
私とクリスは店長の言葉に甘えて、そのまま制服を着替えて奥のテーブルに向かった。
「二人とも、今日も来たんだね」
奥のテーブルに近づくと私は二人に声をかけた。
こちらに身体を向けていたお兄ちゃんは私とクリスに「よお」と片手を上げて、こちらに背中を向けていた楠葉はびくっと大きく肩を揺らして振り返ると、顔を赤らめて「こ、こんばんは」と、明らかに私の隣にいる人に向かって挨拶した。
私と一緒に来たクリスはというと、とても自然な王子様スマイルを浮かべて、
「こんばんは、楠葉ちゃん、桐夜さん」
と挨拶した。
クリスのこれに悩殺された人は周りに沢山いただろう、現にそれを向けられた楠葉もクリスに視線を釘付けながら固まっていた。
私の4つ下の楠葉は現在高校2年生。
高校が実家よりお兄ちゃんの家の方が近いため、お兄ちゃんと二人暮らしをしているのだが、お兄ちゃんが仕事で遅くなる日はここ「おどけたサンチョ」でその帰りを待つことになっていた。
それでなくてもクリスに恋心を抱いているこの妹は、ほとんどクリスに会うためにここに通い詰めている。
せめて姉目的も来てくれたらいいのに、なんて妹の恋心にちょっぴり寂しい気持ちだ。
「あぁそういえばクリスティアン君、母さんがしつこく家に呼べってうるさいんだ。今度の週末か、来週末か、空いている日でいいんだがどこか都合の付く日ってないか?」
「うーん、そうですね……」
え? お母さん? 家に呼ぶ?
「えー! 何それ! いつの間にそんな話になってんの!?」
「あぁお前その日いなかったか。以前、母さんと3人でここに来たとき、そういう話になってな。なんでもクリスティアン君が作る飯が忘れられないとかって毎晩ほざくから、早くどうにかしろって父さんがな……」
お兄ちゃんは少し遠い目をして言う。
一体いつクリスがお母さんに料理を振る舞う瞬間があったのかは謎だが、お兄ちゃんの様子からどんなにお母さんがしつこかったのか、容易に想像が付くというものだ。
「そんな、大げさですよ」
クリスは照れくさそうにひらひらと手を振りながら謙遜する。
そして「でも」と言葉を続けた。
「でも、僕の料理を喜んでいただけたのなら光栄です」
と、とても嬉しそうに笑って言った。
その笑顔があまりにも輝きすぎて、きっとお店にいた人全員を昇天させていたと思う。
だって楠葉なんか真っ赤になって言葉を失ってるし。
っていうか、クリスまでお兄ちゃん……だけでなく家族ぐるみで公認されているのか。
クリスと楠葉は全然恋人って感じの仲じゃないけど、テオといいクリスといい、なんだか周りが甘い空気に満たされているなぁ。
そんなことを思っていたら、ふとお兄ちゃんが私の方に顔を向けてきた。
「そういえば梅乃、今日営業しに行った先の会社でお前のこと知ってる人がいてさ、是非今度一緒に飯でもどうかって言ってたんだが、どうする?」
「あまりに唐突だね。別に私は構わないけど、その人って誰?」
「あぁすまん、これがその人だ」
お兄ちゃんがスーツの内ポケットに入っている名刺ケースを取り出し、そこから一枚抜いて私に見せてきた。
その名前を見て、私は凍り付いてしまった。
そこに書かれてあった名前は「星合昴」。
3ヶ月前に別れた私の元彼の名前だった。
次話は6月13日20時更新予定です