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捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第2章 鏡が教える真実の歌
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18.鏡の女

三人称です

18.鏡の女



「本当に君は可愛いよね。君のこのピンク色は、今のボクの気持ちみたい」

「いやだわ、アサド。こんなに間近でそんなこと言われたら、あたしどうしたらいいか」


 その日の午後。

 アサドは海の底にある岩場で――ピンク髪の人魚を押し倒していた。甘く妖艶な微笑みに、人魚はほとんど陥落寸前だ。

 アサドは人魚の顎を持ち上げながら、唇が触れそうな程の至近距離で囁いた。


「ねぇ、ボクのお願い聞いてくれる?」


 つーっと足ヒレを指でなぞれば、人魚はビクンと身体を揺らしながら首を思いっきり横に振った。


「なっ内容によるわっ!」

「えー君なら何でも聞いてくれると思ってたんだけどなぁ」


 アサドは再び人魚の足ヒレをなぞる指を往復させながら、あからさまに残念そうな様子で人魚から上体を離そうとする。

 甘えるような顔に甘い声を浴びせられて、人魚は堪らずアサドの首に腕を回して引き寄せた。

 アサドは思わずクスリと笑みをこぼした。


「聞いてくれるの? ボクのお願い」

「聞くわ! 何でも聞くから、途中で止めないでえっ」

「いい子。じゃあ教えてくれるかな? 君のお姉様がボクのご主人サマと何のお話をしたのか――」


 その瞬間、アサドの身体がはじけ飛んだ。

 同時に水中に白い泡が一斉に湧き起こり、その隙間からグラデーションのかかった赤い髪の人魚が現れる。


 長女の人魚だ。


「いい加減、しつこいわよアサド。変な言いがかりはやめてちょうだい」


 長女は今し方アサドに押し倒されていたピンク髪の人魚を後ろに庇いながら、高圧的に言った。

 アサドは愉快そうな笑みを湛えたまま、片眉を上げた。


「君たちこそいつまでとぼけるつもりかな? ボクのご主人サマから君たちの気配がぷんぷんしているんだよね。この前君が彼女を奥の部屋に連れて行ってからずっとだ」

「それであたしがあの子に何かしたって言うの? それ以外懸念要素もないのに?」

「いや、それ以外にもあるよ」


 アサドは水中に丸い泡を作った。

 その中には一つの姿見が浮かび上がる。

 アサドの部屋にある魔法の鏡だ。


「この前奥の部屋で何があったのか、うちに帰ってからこれで見てみたんだけど――何かの取引はしたみたいだね?」


 細めた金色の瞳を長女へ流せば、長女はぐっと喉の奥で唸った。


 そうしているうちに、泡の中の魔法の鏡が映像を流し始める。それはほぼ一週間前の出来事。アサドが人魚のアジトへ梅乃を連れてきたときのことだ。

 途中で長女とパープル髪の人魚が奥の部屋へ梅乃を連れて行き、鏡張りの部屋に梅乃は座らされる。高圧的な人魚達に対し、梅乃は真っ青な顔で首を振るが、やがて何処からか現れた紙に、梅乃が暴れながらも自分の名前を書き込んでいく――。

 そうして梅乃はアサドが待たされていた部屋に戻っていったという流れだ。


 全体的に映像はかなり不鮮明で曖昧ではあるし、音声も聞こえてこなかったためどういう話があったのかまでは分からないが、少なくとも人魚と梅乃が取引したことだけは確実だ。

 それも、かなり残酷な取引であることには違いない。


「さて、あんまりとぼけるようなら、いくら君たちでもボクは容赦しないよ?」


 アサドは笑みを濃くして長女を見据えた。

 数秒前までは弧を描いていた金色の瞳は、今は笑ってすらいない。

 長女は目を見開いて悔しそうにアサドを睨み付けた。


 しかし、それもたった一瞬のこと。

 長女の瞳は、みるみる弧を描いていき、口端がゆっくりと持ち上げられる。


「へぇ? そんなにもあの子のことが大事なのね。まるで主従の関係を越えているかのようよ」

「そうかもしれないね。実際ボクはあの子のことが大事だし」


 アサドは何でもない風に軽口で返した。

 まるで余裕そうなその金色の瞳へ、長女は挑むような視線を送った。


「そう。それならこんなところにいていいのかしら?」

「と言うと?」

「あなたが警戒するべき相手は他にいるんじゃなくって?」

「警戒するべき相手――……!?」


 アサドが長女に聞き返したそのとき――泡の中の魔法の鏡が、音を立てて割れた。

 ハッとして振り返れば、いつの間にか残りの4人の人魚達が、アサドの周りを取り囲んでいる。アサドが先程押し倒していた人魚も、彼女たちの輪に交ざっている。


 長女以外はみんなどこか虚ろで、明らかに様子がおかしかった。


「どういうことかな?」


 アサドは口元の笑みを残したまま、長女に尋ねた。

 長女は首を回しながら答えた。


「あんまりあたしたちの邪魔をするようなら、いくらあなたでも、容赦しないってことよ」


 長女がそう言うと同時に、他の5人の人魚達がどこからか手鏡を取り出した。アサドはすぐに彼女たちの輪から抜けるが、それと同時に向けられた鏡がアサドの身体に電流を放った。


 アサドは小さく呻きながらも、愉快顔を長女に向けた。


「な……っなかなか刺激的だね」

「ええそうでしょう? 嫌なら二度と邪魔しないことね」


 長女の勝ち誇った顔を尻目に、アサドは海面へと急いだ。


 人魚達がアサドに向けた鏡に見えてしまったのだ。

 最悪の人物の顔が。







 その頃、カールはホビット公園をうろついていた。梅乃の家から河童公園とは逆方向にあるまぁまぁ大きめの公園だ。

 歩きながら、頭の中に柳が言った言葉がハウリングする。


『これ以上何かしようとするのは、止めてくれないか?』


 カールは唇を噛みしめながら、足元の石を思いっきり蹴った。

 勢いよく飛んだそれは、近くのジャングルジムに当たって跳ね返る。当たったときに鳴った金属音が、むなしく辺りに響いた。


 カールは近くにあったベンチに乱暴に腰掛けた。


 ――なんだよ、偉そうなこと言いやがって。俺だって……!


 内心で悪態吐くが、カールは頭を横に振った。

 先週梅乃と夏海の件で由希に殴られたとき、柳に偉そうなことを言われたときに頭に来て一つの方法を試してやろうと思ったが、それは辛うじてカールの中で止められていた。

 流石にそれ(・・)をしてしまうのはタブーだからだ。


 とは言え、柳に言われたことについて、カールの気が収まる気配は全くなかった。

 何か一つ手柄を立てて見返してやりたい気持ちだ。


 しかし、どのようにして梅乃と夏海を和解させたものだろうか。

 苛立つ頭でカールが思考を巡らしたときだった。


 ――わたくしにいい方法があるわよ。


 どこからか、女の人の声が聞こえた。

 聞いたことのないねっとりとした声。


 カールはハッとして立ち上がり、辺りを見渡した。

 しかし、カールの他この公園にいるのは、グラウンドで駆け回る子供たちばかりだ。大人もいるが、女の人の姿は何処にもいない。


「な……なんだよ一体……」


 カールはごくりと唾を飲み込んだ。

 今のは空耳だろうか? それにしてはやけにはっきりした声で、とても不気味だ。


 すると、その声は再び響いてきた。


 ――大丈夫よ。わたくしに任せなさいな。あなたの願いが叶うわ。


「俺の……願い……?」


 どこからか聞こえてきた声に、カールは思わず聞き返した。

 そんなもの、この声の人物が分かるというのだろうか。そもそも初めて聞く声だというのに。

 しかし、不思議なことに、カールはこの声を何処かで聞いたことがある気がした。


 あまりの不気味さに、無意識にカールの身体が公園の入り口の方へと向かっていく。

 するとそこで、今一番見たくない二人を見てしまった。


 公園の入り口から20メートルほど離れたところを歩く、由希と柳。

 由希は黄色とピンクの花が散りばめられた浴衣に身を包み、柳と手を繋いでいる。


 二人とも楽しそうに笑い合っていた。



 何かが、身体の中で熱くなるのを感じた。



 どこからか話し声が聞こえてきた。


『梅乃と夏海が仲直りしたの、柳さんのおかげです。本当に助かりました』

『いや、大げさだって。俺は大したことしてないし』


 20メートルも離れたこの距離感で聞こえるはずのない由希と柳の会話。

 しかし、それは鮮明な音声となってカールの頭に響いてきた。


『いいえ。柳さんがいてくれなかったら、本当にあのバカがまた変なことしでかしてましたから』

『それはカールのことか? まぁあいつはなぁ……ガキだよな』

『本当ですよ! 本当にガキなんです。本当に自己中でやりたい放題』

『おいおい、あんまり言い過ぎんなよな。あいつの場合はただ頭が足りてなかっただけなんだから』


 堪らずカールはその場から逃げ出した。

 未だ彼らの会話が続けて聞こえるが、頭を振りながらそれらを誤魔化した。


 無性に悔しく、無性に悲しい。


 由希にあんな風に言われるのはいつものことだからまだ耐えられた。

 しかし、柳の発言を聞くのは辛かった。

 確かに先週の件については腹立たしくもあったが、柳はいつもカールに対して優しく接してくれた。

 その彼がカールのいないところであんな風にカールの悪口を言っていたとは。


 ――ひどいわよね。


 謎の声がまたもや辺りに響いた。

しかしカールにはそれを疑問に思う余裕がなくなっていた。

 悔しさと同時に怒りが沸々と込み上げてくる。


 ――許せないでしょう?


 もちろん許せない。

 それでいてカールがすべきことを横取りしやがったのだ。

 カールは走りながら奥歯をギリッと噛みしめた。


 ――わたくしが代わりに仕返ししてあげる。ただし、言うとおりにしてちょうだい。


 完全に怒りに支配されたカールは、瞳に仄暗い色を宿して梅乃の家に帰った。



「カール? どうしたのさ、そんな慌てて帰ってきて」



 乱暴に玄関を開けて入ってきたカールの様子に、リビングからフリードが顔を覗かせた。目を丸くして眺めてくる金緑色のカエルを視界に入れつつも、カールは無言で二階に上がった。

 不審に思ったフリードが後ろからついてくるが、カールは構わず目的の部屋に向かった。


 それはアサドの部屋だった。


「ちょ……! カール、勝手に入ったらダメだって! 殺されるよ!?」

「うるさいな、カエル兄はほっといてくれよ!」

「いや、本当にそれはダメだって!!」


 フリードが後ろからカールに飛びつくが、カールは鬱陶しそうにフリードの身体を振り払った。

 カールはフリードを顧みずにそのままアサドの部屋へと侵入していく。



 ――さぁ、こっちよ。こっちへおいで、坊や。



 カールに響いてくる声は、公園にいたときよりも遙かに大きな音量になっている。

 その声に導かれるままに、カールは足を動かした。


 振り払ったはずのフリードが、再びカールの足にしがみついてきた。


「おい、カール! 何するつもりか知らないけど、本当にこういう良くないって!」


 しかしカールはもはや聞く耳を持っていなかった。

 引き留めるには何の役にも立っていないカエルを足にしがみつかせたまま、カールはまっすぐに部屋の奥へと足を進ませ、そして立ち止まった。


 一見化学室にも見えるアサドの部屋の奥にあるもの。

 入り口からはドラフトの影になって見えにくい場所にあるそれは、布が掛かっていた。


 カールは迷わずその布へ手を伸ばした。


「な……っ!?」


 声を上げたのは、足元のフリードだった。

 フリードはエメラルド色の瞳を目一杯開けて絶句している。

 足元から身体が震えているのが伝わった。


 それもそのはずだった。

 その布から出て来た大きな姿見には、フリードもよく知る一人の女が浮かび上がっていた。


 女は鏡の中で微笑んだ。


「あらあら、懐かしいカエルがいたものだわ」

「お……お前は――……!!」


 フリードはグッと自身を堪えた。

 そして思いっきり息を吸うと、部屋の外に向かって大声で叫ぶ。


「カリム!! カリム急いで来て!!」


 しかし、フリードが叫ぶと同時にフリードの身体はカールによって振り払われた。

 小さく呻きながらフリードが顔を上げれば、カールはどこからか現れた斧を手に、鏡に近づいていった。


「おい、フリードどうしたんだ!?」


 数秒遅れて駆けつけてきたカリムに、フリードは前足で緊急を指し示した。

 鏡に浮かび上がる女とその前で斧を振り上げるカールに、カリムはハッとして腕を伸ばした。


「カール!! ダメだ! 止めろ!!」


 カリムはすぐに風を送ってカールの動きを止めようとするが、それよりも早くカールの腕が勢いよく振り下ろされた。



 大きな音を立てて鏡が割れ――ドス黒い気が一気に溢れ出てくる。

 それと同時に女が鏡の中からゆっくりと姿を現した。


 黒いとんがり帽に黒いローブに茶色の杖。

 とんがった鼻にいっぱいに持ち上げられた真っ赤な唇に吊り上がった真っ黒な瞳。

 全体的に土色の肌にはところどころ皺が走り、その女を一層不気味に仕上げている。



 女は愉しそうに笑みを深めた。


「随分久しぶりね、出来損ないのアラブの魔神」


 カリムは急いでカールを背にやると、その女を睨み付けた。


「一体どういうつもりだ――グリムの魔女!!」



 そう、鏡から現れたこの女こそ、グリム童話に登場する悪い魔女である。




ホビット公園といいアサドの部屋の鏡と言い、二章以来の登場でした。

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