17.花火の約束
梅乃視点です
17.花火の約束
――ねぇ、いつになったら殺ってくれるの?
――あたしたちずっと待ってるんだけど。
――このままいたらどうなるか、ちゃんと分かっているんでしょう?
分かってるけど待ってよ。
そもそも私にハンスを殺すことなんか出来ない。
最初からずっとそう言ってるじゃん!
「……め……う……の……」
――何よそれ。契約破棄するつもりかしら。
――そんなことしたらお友達だけじゃなく、お前もただじゃ済まさないわよ。
分かってるよ!
でもそもそも、あの契約だって強制的だったじゃんか!! 私の意志じゃない!
「うめ…………めの……」
――お黙り。お前はあの契約にサインをした。もう契約から逃げることは出来ないの。
――だから早く殺ってしまった方が、気が楽になるわよ?
――情けを掛けることはないわ。ひと思いにやっておしまいなさい。
出来ない!
いくら嫌いなヤツだからって私には――――っ!
「おいっ梅乃! 起きろ!!」
乱暴に身体を揺らされながらかけられた声に、ハッと目を覚ます。
すると、視界いっぱいに広がった褐色肌と濃紺の髪、そしてその中心にある琥珀色の瞳に、思考が停止した。
「ぅっわあああああああっ!!」
思わず私はその身体を突き飛ばした。
「おいっ待て梅乃! いいからモノ投げんなって!」
「寄るなっレイプ犯! 乙女の寝込みを襲いやがって!!」
「はあ!? バカかお前は! ちげえよ、何ぬかしてんだ!! いいから落ち付け!!」
「これが落ち着いていられるか!!」
私はベッドと対極にある壁に張り付いて、次から次へとベッドに向かって物を上げ付けた。しかし、勢いよく投げつけた物たちは、途中で勢いをなくしふわっと床に着地させられる。
それはもちろん、今ベッドにいる紺色頭の魔神、カリムの仕業だ。しかも何故か上裸。
っていうかこの状況、かなりデジャビュなんだけど!!
「あーもうっくそ! フリードも見てないで何とか言えよっ!!」
「ちょっと僕を巻き込まないでくれる? ただでさえこの身体なのに、あんなの飛んできたら僕死んじゃう」
「そうだよ! 関係ないの巻き込むとかあんた卑怯――って、え? フリード?」
いきなり飛び出てきた名前に、そろりそろりと床の方を見れば、金緑色のリンゴ大の物体が、布団の端で器用に頬杖をついていた。呆れ顔も相変わらずの様子。
恐る恐るカリムの方へ視線を戻せば、ヤツは不機嫌そうにため息を吐いた。
「何だよ、いつもどおりじゃねえか。心配して損した」
「え? え? どういうこと?」
「俺が聞きてえよ。とにかくその様子じゃ大丈夫そうだな。じゃあな」
「え、ちょ……っどこ行くの?」
「二度寝」
カリムは機嫌悪そうにあくびをしながら部屋を出て行った。
え。っていうか本当にどういうこと? 全く状況が分からない。
説明を求めてフリードの方を向くと、流石出来るカエル。私の意を察してくれたように、やれやれと肩を竦めながらも教えてくれた。
「あんたがかなりうなされてたから起こすの手伝ってもらったんだよ」
「うなされてた?」
言われてハッとする。
そういえばもの凄く嫌な夢を見ていた気がする。っていうか、確実に人魚たちの声が頭の中にハウリングしていた。頭がズキズキするのに起きられないようなそんな状態だった。
でも今はとにかく普通だ。若干身体のだるさは残っているけど、あのひどい頭痛はない。
そもそも、目覚め一番に均整のとれた褐色肌の上裸が自分に覆い被さっている状況を見たら、誰だって一気に覚醒するものだろう。
しかもその相手がカリムとは。
いつぞやの薬騒動を思い出しちゃって、思わず取り乱してしまったよ。本当に心臓に悪い。未だに胸がバクバク言ってるよ。
お陰で嫌な気分も一気に吹き飛んだけどさ。
「ん?」
あれ? なんか床の方からすごい呆れた視線を感じるのだが……。
ちらりとそちらを見れば、案の定フリードが、どこにあるのか分からない眉間を寄せて私にじと目を送ってきていた。
「あの、フリちゃん? なんか私、悪いことでもした?」
「別に? 知らない。僕先に下に行くね」
フリードはどこか拗ねたようにぷいっと顔を逸らし、器用に扉を開けて出て行った。
いやいや、フリード君。「別に」な態度じゃないよね、それ。完全に何かあったよね?
また私は無意識に何かやらかしちゃったのだろうか?
あれかな? せっかく悪夢から叩き起こしてくれたのに、礼の一つも言わなかったから怒ってるのかな? それどころか物まで投げてしまってたし。
それを言うとカリムにも悪いことをした。
ただでさえ朝の弱いカリムだ。
そこを無理矢理起きてわざわざ起こしに来てくれたんだもんね。しかもついこの前、しばらく私を監視してってお願いしてしまったから、尚更心配かけてしまったのかもしれない。
うん、あとで謝りに行くとしよう。
「おはっよー梅乃ちゃんっ」
「ほわぁあっ」
ダイニングルームに入るなり、アサドが抱きついてきた。
その大きな図体を支えきれず思わず後ろによろめけば、ヤツの太い腕に背中を支えられる。
同時に心臓に悪い顔が間近に迫ってくるが。
「すごい悲鳴聞こえてきたけど、何かあったのかな? もしかしてカリムとか」
「は!? ちっ違うし! 何もないから離れてよっ」
「ふーん、ホントかな?」
そのまま後ずさればすぐに背中に壁が当たり、一瞬にしてアサドに閉じこめられてしまった。ヤツは垂れ目がちな金色の瞳をいつも以上に愉快そうに細めて、私に顔を近づけてくる。
わあああ! ちょっと近すぎる!!
本当にやばいって――……!!
両手を突き出し顔を伏せたとき、何かが割れる音がした。それと同時にアサドの身体が離れていく。
一体何が起こったのか顔を上げれば、アサドの頭から透明な液体と黄色いきみ――つまり卵が滴っていた。
きょとんと丸くしていた垂れ目がちな金色の瞳が愉快そうに細められ、形のいい唇がそれはそれは楽しそうに持ち上げられていく。
見ている私は恐怖でしかなかった。
「カエル君? 投げたのカエル君だよね? 一体どういうつもりかな?」
アサドの大きな体の向こうに、ダイニングテーブルに座るカエル姿のフリードが見えた。
フリードはつーんと素知らぬ様子で朝食を食べている。
「どういうつもりも何も、朝っぱらから消化に悪そうなもの見せられて気分が悪いんだけど。やるなら余所でやってくれない?」
「へえ? 投げたことは認めるんだね」
「だからなに――ってわああああっ!!」
次の瞬間、フリードの身体が突然浮遊し、そして勢いよくフリードの飲んでいたスープにダイブした。
アサドに卵を投げるなんて命知らずなことをするからそんなことになるのだけれど、お陰でアサドのおふざけから助かったので、私は静かに合掌した。
「お前ら、相変わらず朝から騒がしいな」
落ち着いたところでテオが声をかけてきた。
テオは悠長に自分の席でパンを囓っている。見ればクリスもキッチンから困った顔をして食事を運ぶところだった。
こいつら、見てたなら止めてくれればいいのに。
するとふと、テオの隣二つの席が空いていることに気が付いた。
一つは現在の天敵ハンス。夏休みだから揃っていなくて当然だけれど、朝食の席にヤツがいないのも珍しい。とはいえ会ったら何が起こるか分からないので、いない方が好都合だ。
そしてもう一つはカールの席。実はカールとは合宿から帰ってきてから一度も顔を合わせていない。フリード曰くちゃんと家には帰っているみたいだけれど、どこで何をしているのか全く謎だ。
「二度と顔も見たくない」なんて、私が言っちゃったから、こうも活動時間ずらしているんだろうか。
なんてことを思いながらクリス特製の焼きたてパンを囓っていたら、やけにそわそわしているテオに気が付いた。
「ん? どうしたのテオ。なんか嬉しそうだね」
「お、分かるか? 実は今日これに行ってくるんだ!」
待ってましたと言わんばかりにテオはどや顔で何かをテーブルに出した。
A4サイズのポスターに大きくプリントされたそれは、一目で何か分かるもの。
「花火、大会……と夏祭り?」
そう。それは今夜河童公園で催される花火大会の宣伝チラシだった。
「今夜ソラと行くことになってな。花火は初めて見るからそれだけでも十分に楽しみだったのだが、ソラが着物を着てくるそうなんだ」
「浴衣、ね。へぇ、いいね。空、似合いそう」
「そうだろう? 早く見たくて今夜が待ち遠しいんだ」
テオは更に嬉しそうにしながら食事を続ける。なんかテオに癒されるのも癪だけれど、こうも楽しそうにしている人が目の前にいると、なんだか和むというものだ。
それにテオと空、日に日に親密度が上がっているようで何よりだ。
「クリスも行くんだよな、花火大会」
ようやく席に着いたクリスに、テオが話題を振った。
クリスもどこか楽しげな様子で頷いた。
「うん、楠葉ちゃんと行ってくるよ。あ、梅乃さん、何か渡したい物があれば渡しておくけれど」
「いい、いい。思いっきり楽しんできなよ」
なんだかあっちもこっちもみんな幸せそうでいいなぁ。クリスに関してはテオたちみたいな甘い雰囲気ではないんだろうけど、なんかその甘酸っぱい感じが微笑ましく思える。
最近色々荒んだ私にも分けて欲しいくらいだ。
「あんたは誰かと行く予定、あるの?」
そこでふと、フリードが尋ねてきた。
見れば金緑色のほっぺをどことなくピンク色に染めている。
んん? もしかしてフリード、花火見てみたのかな? 案外可愛いぞ、このカエル。
しかし、フリードの質問で私は思い出してしまった。
花火大会と言えば、そういえば私もこの前カリムに誘われてたんじゃなかったっけ?
河童公園の花火大会は今夜らしいけどカリムは覚えてるのかな。二度寝しに行っちゃったけど。
ん? てかあれあれ?
そうなるとまさか今夜は私とカリムの、二人っきり?
え、本当に!?
「えー梅乃ちゃん、先約アリなの?」
「えっと……」
あるというようなないというような、この場合何と答えたらいいのだろうか。
詮索するようなアサドとフリードの目を受け止めながら考えていると、ちょうどタイミング良く当の本人が現れた。
「お前ら相変わらず朝からやけにテンション高ぇなぁ。どうしたんだ?」
二度寝から起きてきたカリムがダイニングルームに入ってきた。あまりのタイムリーさに、思わず私は身体をびくりと揺らしてしまったが、当の本人は至ってのんびりした様子で、きっと花火の「は」の字もないだろう。
そのカリムに、テオが嬉しそうにチラシを見せた。
「これだこれ。今夜花火大会があるんだ」
「へぇ、花火大会……」
未だ頭が働いていないのか、呆然とした様子でカリムは呟きながら、席に着く。
その横で、アサドが楽しげな笑顔を私に向けてきた。
「ねぇ、梅乃ちゃん。ボクは梅乃ちゃんと行きたいなぁ。ねぇ、行こ?」
「えっと……」
「アサド殿。梅乃お嬢様を困らせてはいけません。梅乃お嬢様は我々を連れて行かねばならないのですから」
「ハイン……それはお前が花火を見たいだけでしょ……」
ニヤニヤ愉快そうに細められた金色の瞳を上目遣いにして甘えるような視線を送るアサドと、目をらんらんと輝かせてどこから出したのか甚平の準備を始めるハインさん。てかハインさん、カエル用の甚平まで作っているよ。
本人置いて話を進ませる彼らを余所に、私はちらりと未だ夢うつつなカリムの方を見た。
ねぇ、結局行くの? 行かないの?
どうするの?
すると私の視線に気が付いたのか、カリムは「あ」と声を上げた。
「そういえば花火見に行くとか言ってたっけ?」
ええ、そうだよ。そうですとも!
気晴らしに連れて行ってくれるって、この前言ってたじゃないか。
それなのに「そういえば」って、なんかあまりにテキトーじゃない?
しかし、この男のテキトーッぷりは止まらなかった。
「うわぁ、カリムってば抜かりないね。そうやって梅乃ちゃん連れ回してヤラシーことするつもりだ」
「はあ? んなことするわけねーだろ。お前じゃあるまいし」
「さてどうかな? カリムって結構ケダモノだし。とにかくボクも梅乃ちゃんと一緒に行きたいから一緒に行くって事で文句はないよね?」
「はぁ……好きにしろよ……」
やけにテンション高めに強引に話を進めるアサドに、相変わらず朝の弱いカリムは心底めんどくさそうに適当に受け流す。
そのやりとり自体はいつものことなんだけれど、今のやりとりに、私は思わず目を丸くしてしまった。
「やったね、梅乃ちゃん! 今夜はボクたちも遊び倒そうね。もちろん梅乃ちゃんは浴衣でね!」
「う、うん。そうだね、ちゃんと浴衣下ろすよ……」
などとテーブルを飛び越えて抱きついてくるアサドにそれとなく返事を返すが、何だこの状況。
なんか、肩すかしというかなんというか。
すると更にそこにハインさんが割り込んできた。
「フリード殿下、我々も是非同行させていただきましょう」
「ハイン、それはお前が行きたいだけだろ?」
「それはもちろんですが、フリード殿下も行きたいでしょう?」
ハインさんがフリードにそう尋ねれば、フリードは金緑色のほっぺをさっきのように少し赤らめて「まぁ」と答えた。
すかさずカリムがニッと笑みを浮かべた。
「お前ら青春してんな。いいんじゃねーの?」
「え、うん……まぁ、いい、んじゃない?」
「な」とヤツが同意を求めてくるので、思わずそんな妙に感じの悪い返事をしてしまった。
っていうか本当に何なんだろう、この状況。
いや、別にいいんだけどね。アサドやフリードと行くことは全く嫌じゃないし、むしろみんなで行くのは大賛成。こういうのはみんなでわいわい楽しむに越したことはない。
とはいえ、なんだかモヤモヤする。
別にカリムと二人きりで行くことを期待していたわけじゃないんだけど、なんだかヤツのテキトーッぷりに腹が立つ。
てか何で私こんなひとりで納得いかない気持ちになって――……。
そこまで考えて、私は勢いよく椅子から立ち上がった。
「じゃあ! 17時にハインさんのお店に集合ね! 私それまで出掛けてくるから!」
それだけ言うと、私は抱きついていたアサドの腕を外し、ダイニングルームから退室した。
後ろから「梅乃何を怒ってるんだ?」などと言う脳天気な声が聞こえてきて更に苛々が増すが、もう考えないことにした。ちょっと色々あったから苛ついているだけだ。
すると、自室に戻りながら一人悶々としているその時、突然人の声が聞こえてきた。
――ふうん、なるほどね。
頭に聞こえてきた女の人の声。
しかしそれは、いつも聞こえてきたような人魚の声でもなく、頭痛を伴うそれでもなかった。
むしろ、もっと粘着質な感じ。
私は聞こえていた場所に視線を向けた。
そこはアサドの部屋で――。
「うん、気のせい!」
色々おかしいのはハンスと人魚のことでお腹いっぱいだ。これ以上何かあったら私がパンクする。
私は無理矢理気のせいだと言うことにして部屋に戻ることにした。
話が進まなくてスミマセン……




