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捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第2章 鏡が教える真実の歌
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16.フリードの教訓(フリードリヒ)

16.フリードの教訓



「すみませーん、おひとりですかぁ?」

「お兄さん、かっこいいですね! 誰か待ってるんですか?」

「良ければ一緒にお茶でも――」


「悪いけど、僕そういうの興味ないから誘うだけ無駄だよ」


 梅乃の家の最寄りから二つ隣の駅の改札前。世間が夏休みに入った今、普段から人通りの激しいそこは、いつも以上に人で賑わっている。

 夏の暑さも本格化。僕にしてみれば慣れない日本のじめじめした暑さに正直うんざりしていたところだというのに、これだ。余計に暑苦しくて仕方がない。


「何それー。そんな言い方しなくてもいいじゃなーい!」

「顔がよくても性格悪いって最悪!」


 僕に声を掛けてきた女3人組は、嫌味を言い残して去っていった。まぁこの場合、嫌味なのは僕の方なのかもしれないが、正直こんなのが5回以上も起これば、それとなく断るのも面倒臭くなってくるというものだろう。


 そもそも、僕も甘かった。


 というのも、しばらく梅乃の傍にばかりいたせいで感覚が麻痺していたが、女が苦手だったことをすっかり忘れていた。普段のあの人に女らしさを感じないのもあるが、さっきみたく女独特の暑苦しさもないから、そういう不快さを感じずに済んでいたのだろう。

 それから、ここずっとカエル姿でいたせいで忘れていたことがもう一つある。

 まったくもって嬉しくないことだが、人間の僕の姿はそれなりに女を寄せ付ける。


 そう、今の僕は、人間の姿なのだ。


「何ですか、このモノローグは。いつからあなたはナルシストになったのですか。恥ずかしくないのですか。わたくしは非常にお恥ずかしい」

「おい、お前はいつから僕の心を読むようになった。それこそ恥ずかしいから今すぐやめろ」

「それなりに女を寄せ付ける、ですって。やだ、恥ずかしい」

「だあぁっ! 何が“やだ”だ! やめろって!!」


 隣でハインはわざとらしく両手で自分の身体を抱き身震いしているが、もう相手にするだけ無駄だろう。連れてきた僕が間違いだった。


 とにかく、今僕は人間になっている。今朝アサドにお願いして今日だけ人間に変えてもらってきたのだ。

 本来ならオリオンの一件で僕はしばらくの間カエル姿でいなければならなかったのだが、オケの合宿で色々と事情が変わった。まぁ理由は主にハンスだが、そっちはともかく、カールの方が厄介だ。

 先日の柳さんの件もあり、あいつがまた何か企んでいる可能性もある。

 更に事情がややこしくなる前に、先手を打たなければならないのだ。


 そういうわけで、合宿から帰った翌々日の今日、早速僕は一肌脱ごうと駅で2時間以上こうしてこことある人物を待っているわけだが――。


「あ、いた!」


 僕はすかさず走る。

 改札を出る人混みを掻き分け、その肩に手を伸ばす。



塩谷しおやさん!」



 案の定彼女は驚いた様子でこちらを振り向いた。


 そう、待っていたのは塩谷さんだった。







「それにしても驚いた。どうしたの? ドイツに帰ってたんじゃないの?」

「え、あ、そっそう。帰ってたんだけど、向こうの用事が落ち着いたから戻ってきたんだ」


 駅ビルの5階にあるカフェ。僕たちはとりあえずそこに入った。


 というか、ここまででどっと疲れた気がする。

 カールが変なことをやらかす前に僕が塩谷さんと話をしなければと思ったものの、塩谷さんの連絡先を入手しそびれてしまい、よく塩谷さんが出現するという駅前でああして待ち伏せをしていたわけだが、慣れないことはするものじゃない。

 しかも、彼女に声を掛けたはいいものの、そこから何と言って誘うべきか頭が真っ白になってしまい、結局ハインに助け船をもらうことになってしまったのだ。

 ただでさえここまでの自分の不覚ぷりにため息が出そうになるのに、ひと月カエル姿でいる間、他の人にはドイツに帰っている設定になっていることすら忘れていた。


 本当に慣れないことはするものじゃない。


「家に帰るにしても、夏休みドイツっていいなぁ。充実してるね、フリード君」

「そう……かな。僕からしたらそう目新しいものでもないんだけど」

「贅沢だなぁ。海渡るってだけでも羨ましいのに」


 とりあえず当たり障りない会話を進めるが、塩谷さんの様子は至って普通だ。合宿で見たような剣呑さは全くない。

 一応僕は部外者になっているから、当然といえば当然だろう。


 もう少し踏み込んだ質問をしてみるか。

 そう思ったとき、隣で涼しげにコーヒーを飲んでいただけのハインが爆弾を投下した。



「そうそう。あのときクラゲに刺されたところは治りましたか?」



 にっこり笑顔のヤツに、僕と塩谷さんは一瞬固まってしまった。


 おい待て。

 クラゲって、梅乃と塩谷さんとハンスが拗れることになった事件そのものじゃないか。

 何を考えているんだこいつは。


「えっと、あれ? そのときハインリヒさんもいたんでしたっけ?」

「ええ、いましたよ。一部始終見ていましたから」

「そう……ですか……」


 ヤツが何でもないように言う一方で、塩谷さんの声のトーンが徐々に下がっていく。

 心の底からハインを殴りたくなった。

 どうしてこいつは僕が様子見ながら話そうとしているのをぶち壊すのだろうか。いきなりそんな核心の話題を振られて、このあとどう話を進めろと言うんだ。


 苦笑いを浮かべつつテーブルの下でヤツの足をぐりぐり踏みつけていると、塩谷さんの顔がこちらに向いた。

 完全に不機嫌そうな表情に変わっていた。


「フリード君もその話知ってるの?」

「え……いや、僕は……」

「ええ、ご存知ですよ。何せ帰国して真っ先に梅乃お嬢様のところへ向かいましたから、一通りの事情は隅から隅まで把握しています」

「ハイン、少し黙ろうか」


 僕はヤツの脛を思いっきり蹴った。するとヤツは目論み通り足を抱えながら痛みに悶えている。

 一方の塩谷さんは、更に眉間に皺を寄せていた。


「へえ? フリード君、梅と仲直りしたんだね」

「えっあっうん。そういえばそうだったね」

「それで? あたしに話があるって、まさか梅のことじゃないよね? だったらあたし帰る」

「ま、待って!」


 足下に置いてあったバッグを握り席を立とうとした彼女を、僕はすかさず引き留めた。


「別に僕は梅乃を許してやってって言いに来たわけじゃなくて……いや、本当は二人には仲直りして欲しいけど――」

「ほら、結局あの子に頼まれて来たんでしょ? そんなのもうどうでもいいしほっといて!」

「どうでもよくなんかないでしょ!?」


 思わず張り上げた声がカフェ中に反響し、ハッとなった。気が付いたら店員や他の客が、ちらちらこちらを見ている。

 考えてみれば、女性の腕を掴んでこんなことを言い合う様子は、周りに変な誤解を与えかねない。


 間近でニヤニヤこちらを見ているハインを一発殴ってから、僕は一つ咳払いを落とす。


「塩谷さんは、どうでもよくないでしょ? むしろ、後悔しているはずだ」

「何それ。何であたしがあの子に後悔しなくちゃいけないの? 悪いのは梅じゃん!」

「それは否定しないけど、でも少なくとも悩んでるでしょ、梅乃のことで。だって僕もそうだったし」


 最後の一言で何のことか分かったのか、塩谷さんはきゅっと口を噤んだ。バッグを握っていた手の力が、若干緩む。

 少しは僕の話を聞く気になってくれたのだろうか。


「……僕が梅乃と喧嘩してたの、塩谷さんは知ってるでしょ?」

「まぁ。というかフリード君、ずっと梅に冷たく当たってたよね」

「う……そうなんだけど」


 ひと月半前。僕は梅乃に冷たくしていた。

というのもあの人の度が過ぎるお節介に苛立ちが爆発し、以降ひと月近く僕は彼女に対して険悪になっていた。


「あのとき確かに原因作ったのは梅乃だったし、それでいて他のヤツにはヘラヘラして反省あるのか分からない様子だったから余計に腹が立ってたんだけど――でも正直、僕が意地を張らずに早く仲直りしておけば良かったって、あのとき何度も思ってたんだ」


 梅乃にぶつけた苛立ちは、当然彼女に対するものもあったが、自分に対するものの方が大きかった。だからこそ、その後どう収拾つけたらいいか分からなくなっていた。

 梅乃に非がなかったわけではないから、そこを誇張して自分に素直になれなかったのは、苦い記憶でしかない。


「勿論、今回の件だって梅乃が原因ではあるし、この前の今日で塩谷さんが梅乃を許せないのも分かるよ。一生口聞きたくないってなるのも分かるし、あの人に関しては本気で頭に来るときあるもんね。それを許すのは正直癪だと思う。だけど――」


 僕は塩谷さんをまっすぐ見据えた。


「だけど、そうやって意地を張って一生仲直り出来ないことになっても、塩谷さんはそれでいいの?」


 瞬間、塩谷さんの瞳が揺れた。

 眉間の皺は寄せられたままで口元も不快そうに引き結ばれているが、彼女の瞳には、確かな動揺が一瞬だけ走った。


 塩谷さんは荒々しくため息を吐きながら、顔を逸らした。


「別に今すぐ梅乃を許せって言うわけじゃないけど、そんな後悔をするくらいなら、どこか塩谷さんの気の済むところで折り合い付けた方がいいと思う。少なくとも僕はあのとき、そう思ったからさ」


 こんなことを一方的に言われたところで、きっと塩谷さんは納得しないだろう。かつての僕がそうだったし、僕のケースとは内容が違いすぎる。

 だが、結果的に同じ状況になりつつある。

 あのとき僕はシャルロッテに変に操られてようやく自分の気持ちに素直になれたけど、あのまま梅乃と仲直りできなかったら、後悔して止まなかっただろう。

 それと同じ道を、塩谷さんには辿って欲しくない。

 塩谷さんのためにも、梅乃のためにも。


「……フリード君てさ」


 しばしの沈黙の後、塩谷さんは落ち着いた口調で話し始めた。


「本当に好きだよね、梅のこと」

「ぶふっ!?」


 思わず飲みかけのコーヒーを吹いてしまった。


「え!? ちょっ違っ……なん……っ!?」

「今更そんな慌てて否定しなくても、バレバレだって。だってクラス内でも話す女子って梅くらいだし」

「そっそうだけどさ……っ」

「ええ、本当に仰るとおりですよー。それどころかフリードときたら梅乃お嬢様が他の男性と会話しているだけで嫉妬するなどかなりの粘着質で――」

「だあああっ! うるさいハイン!!」


 ただでさえわけの分からないところで図星を当てられて顔から火が出そうになるのに、いちいちハインは煽ろうとしてくれる。

 本当にこいつを連れてきたのは間違いだった。


 僕がハインを黙らせようとヤツの口にありったけのおしぼりを押し込んでいると、塩谷さんが呆れたように頬杖をつきながら、ゆっくり話し始めた。


「あたしが梅に対して怒ってるのは、まぁハンスさんのこともあるけど、それもひっくるめてあの子、自分の都合悪そうなことには蓋をしようとするところあるじゃない。本当は分かってるくせに見て見ぬフリっていうか」

「あぁまぁ、たまにそういうところあるよね。あの人……」

「そうそう。それでいて決定的な状況になっても、変な理由付けて何もなかったようにしようとするし、謝罪だってめちゃくちゃふざけてる感じだったしさぁ」


 それは全面的にカールが悪い。

 とは言え、あの謝罪大会については梅乃が仕向けたようにしか見えないのも確かだ。むしろあれで余計に塩谷さんとの仲が決定的に拗れたとも言える。



「まぁでも、ハンスさんのことについては、早いところで勝負に出なかったあたしが悪いんだけどさ」



 塩谷さんはふぅと一息吐いた。

 未だに眉は寄せられたままだが、さっきよりも剣呑な色はどこか薄くなっていて、怒っていると言うよりどちらかというと拗ねているような表情になっていた。

 まさか今日ここで塩谷さんのそんな発言が聞けるとは思っていなかったので、僕は思わず目を見開いてしまった。


「何その顔?」

「いや、ハンスのことで梅乃に怒ってるんだと思ってたから」

「そりゃあ怒るに決まってるじゃん。目の前で好きな人と友達がキスしてたら、フリード君だって冷静でいられないと思うよ?」


 それはその通りだ。

 実際ハンスのキス騒動の後、しばらく自分の苛立ちをやり過ごすのに必死だった。カエル姿でなかったらと、何度思ったことだろうか。


 だが、それはともかく、ハンスの件については塩谷さんの中で一応の折り合いがついているのだろう。思っていたより状況は悪くないのかもしれない。


「梅乃が変な理由を付けて何もなかったようにするのも、都合の悪そうなことには蓋をしようとするのも、全部塩谷さんに嫌われたくなかったからっていうのが一番だと思うよ。勿論あの人の短所だけど、あの人本当に塩谷さんのこと大事に思ってるからさ」

「……それであの謝罪なの?」

「あれは本当にカールに嵌められたからなんだけど……でもあの人も必死なんだよ、塩谷さんに自分の素直な気持ち伝えたくて。それだけは、理解してあげて」


 塩谷さんはふて腐れたようにコーヒーを煽った。納得できるけど納得したくないと言ったような顔だ。


 あとは時間の問題だろうか。


「……もし、塩谷さんに気持ちの余裕が出来て梅乃が謝りたいって言ってきたら、そのときは梅乃の話を聞いてあげてくれないかな? これは、僕からのお願い」


 両膝に手を付いて頭を下げれば、塩谷さんが息を呑むのが聞こえてきた。

 そして困ったようなため息と同時に、頭に固いものが乗せられた。


「じゃ、お代はフリード君持ちでよろしくね」


 顔を上げると、塩谷さんが颯爽と帰って行くところが見えた。

 すぐ後に上から伝票が降ってくる。


 最終的に逃げられてしまったが、とりあえずは考えてくれる気にはなっただろうか。

 後は本人ら次第だろう。

 いい方向に風向きが変わればいいが。



「しかし、フリード殿下がこんな梅乃お嬢様みたいなことをするとは思いませんでした」

「何それ。お節介ってこと?」

「ええ、平たく言うとそういうことです」


 うるさいな。隣で茶々淹れてきただけのくせして。

 とは言え、いつまでも梅乃の暗い顔を見るのは僕だって嫌だ。

 そう思ったら、お節介の一つも焼いてみたくなるものだろう。


 隣でニヤニヤ視線を送ってくるハインから顔を逸らすと、ちょうどカフェの壁に掛かっている花火大会のポスターが目に入った。

 日時は明明後日だから、僕はまたカエル姿だろう。


 だが、今日はもう7月29日。

 僕が正式に昼間だけ人間に戻れるのは8月7日、あと10日足らず。


「早く梅乃お嬢様を抱きしめて差し上げたいですね」

「うるさいな」


 だが、人間に戻ったらあの人を何処かに誘ってみるとするか。





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