11.秘策
梅乃視点です
11.秘策
重いため息が合宿所の洗面所に反響する。
何でこうなったのか、その場に一人、立ちつくす。
先程、盛大にジュースを被った夏海を追いかけてここまで来たのだが、夏海は全く聞く耳持ってくれなかった。
それどころか、毒気のない笑顔を浮かべて「何の話だったっけ」と私の話をスルーし、その場を去っていった。
流石にその反応は辛すぎた。
夏海が私と会話したくないのは分かるけど、あまりに露骨過ぎて、早くも心が折れそうだ。
「おい、梅乃、梅乃」
聞き覚えのある声に振り返れば、洗面所の入り口からこちらを覗き込むようにしてカールが隠れていた。
肩にはカエル姿のフリードが乗っかっている。
思わずため息が漏れてしまった。
「カール、一応言っておくけど、炭酸は絶対振っちゃダメだからね」
「さっきは悪かったよ。でもさっきのは商品名が良くない」
「何でそんな胸張って言えるのさ……」
フリードが呆れ果てた様子で言うけれど、本当にカールは反省している色がない。
元はと言えば、カールが『フレフレ☆レモン』を振ったせいで、話が更にややこしくなったのだ。
確かに名前の割に炭酸水っていうのはよく騙されると聞くけど、それにしてももう少しまともな態度があるんじゃないのか。
「それよりも見てたぞ。まったく相手にされてなかったじゃんか」
まともな態度どころか、カールは仁王立ちして人の痛いところをダイレクトに突いてきた。敢えて言葉にされると、さっき以上のダメージが胸に響いてくる。
同時に、このデリカシーの欠片もない男にイラッとする。
「……フリード、こいつ殴っていいかな?」
「この場合は殴っても誰も責めないと思う」
「……よし」
兄貴分のフリードから許可が下りたと言うことで、握った拳をパキリと鳴らせば、カールが焦った様子で「わー待て待て!」と私から一歩距離を取った。
「俺を殴ったって根本的解決にはならないんだぞ!」
「お前はよく臆面もなくそういうことを言えるよね……」
「確かに俺も悪かったけど、ここで殴るのはただの八つ当たりだって!」
カールの叫びに、私は振り上げそうになっていた拳を渋々下ろす。
この全く悪びれもしない態度には腹が立つけど、確かにカールの言うとおりだ。そもそもカールに頼り切っていた私もよくない。
「はぁ……どうやったらまともに喋ってくれるのかな」
私はその場にしゃがみ込む。
夏海にあんな態度を見せられては、何か行動を起こすにしても気が重くなる。
すると、視界の端でカールがぽんと手を叩いた。
「つまりだ、梅乃。正攻法じゃダメなんだよ」
「はあ?」
これまたワケの分からないカールの発言に、私もフリードも目を丸くする。
ヤツは至って真面目そうな表情だ。
「とにかく今まで通りにナツミさん捕まえて話するっていう手は使えなくなったわけだ」
「あのさ、まるで他人事のように言ってるけど、あんたもその原因作ったんだからね」
「分かってるって、だから協力するんだろー! でだ、こうなった以上、まずはちゃんと会話できるレベルまで関係を修復しなきゃならない」
「はぁ……それで?」
カールはニヤリと片口角を持ち上げた。
「俺にとっておきの秘策がある」
あまりに勝ち気そうな顔と雰囲気に、私とフリードはお互いに目を見合わせた。
それから一時間。
私とフリードは何故か、合宿所から歩いて30分くらい先にあるコンビニで待機させられていた。合宿所付近では一番近いコンビニだ。
「一体ヤツは何を企んでるんだろう……」
「僕は嫌な予感しかしない……」
フリードよ、私もそんな気がしてならないのよ……。
秘策があるなんて自信ありげな顔で言ったカールは、「とりあえず俺は今、無性にアイスが食べたい」なんて、これまた状況を理解しているのか分からないことを言い出した。そしてあろうことか、ヤツは私に買いに行けと命令してきたのだ。
やっぱり殴ってやろうかと拳を振り上げれば、カールは「後で行くから先に行っていてくれ」なんて言って、どこかに去っていきやがった。
果たしてこれを素直に聞く必要があるのか分からないのだけれど、オケの練習室に戻ったら、何故か団員全員の分のアイスを私が買いに行くということになっていて、結局コンビニへ行かざるを得なくなってしまったのだ。
なんたる理不尽!
しかもカールと来たら、「俺が行くまで待ってろよ」なんて言ってきたくせに、私たちがコンビニに到着して15分が経過してもまだ来ない。
「こんなことしている間に塩谷さん帰っちゃうんじゃない?」
「それなんだよね。こんなことしてる場合じゃないのに……」
色とりどりのアイスを前にしながら、重いため息がこぼれる。
早く夏海と話しに行かなくちゃという逸る気持ちと、どうせ話してもという後ろ向きな気持ち。ない交ぜになった気持ちは、ただただ私をひどく憂鬱にさせる。
「仮に塩谷さんがちゃんと話を聞いてくれるとして、あんたは彼女に何を言うつもりなの?」
ふと繰り出してきたフリードの質問に、私は肩に乗ったカエル王子を振り返る。
「あんたがいくら謝ったところでハンスは塩谷さんのことを好きにならないし、あんたのことだって、その……」
フリードは途中で言い淀む。
だけど、何を言おうとしたのか、私にはすぐに分かった。
正直、痛い質問だけど、でも考えなくちゃいけないことだ。
「……確かにハンスのことは私にはどうにも出来ないけど、でも、二人のこと見て見ぬフリしてたのは事実だし、不誠実だったかなって――」
そのとき、コンビニの駐車場に一台の車が停まった。
どこかで見たことがある車だなと思っていたら、それもそのはず。中から出て来たのは、オケの4年生の曜子さんと、夏海だった。
私は咄嗟にお菓子コーナーの通路に隠れた。
「――でも、いつまでも意地張ってたっていいことないよ?」
「そうやって甘やかすからあの子が調子乗るんじゃないですか」
「ほらほら、すぐ怒らないの」
不機嫌な様子の夏海に、曜子さんは至ってにこやかだ。
これって私のこと話してるのかな?
状況といい話題といい、なんかドキドキしてきた。
「じゃあ、トイレ行ってくるから、適当に何か選んでて」
曜子さんは歩く速度を速めて店の奥にあるお手洗いに向かった。
途中で私の存在に気が付いたけれど、曜子さんは口元をニッと笑わせるだけで、何も言わずに通り過ぎていった。
私はホッと胸をなで下ろす。
しかし、それもかなり一瞬。
肩に乗ってるフリードが突然髪を引っ張ってきたかと思いきや、こちらに向けられている視線に気が付いてしまった。
「あ……えっと、そう! アイス買いに来たんだけど、何がいいかなって迷っちゃって。夏海は何がいい?」
本当は他に言うべきことがあるのに、本人をいきなり前にすると頭が真っ白になって何を言ったらいいのか分からない。
なんだかものすごく白々しくなってしまった気がする。これじゃあまたしても無視されるんじゃないか。
そう思っていた時だった。
「キャーーーーーーー!」
突然、スタッフルームの奥から女性の悲鳴が聞こえてきた。
一体何事かと、私たち含め店内にいた客数名が一斉に声のした方を向いた。
すると、勢いよく中から人が出て来た。
黒ずくめで黒いマスクを被った二人組の男だった。
やばい、逃げなくちゃ!
そう思って咄嗟に夏海に手を伸ばそうとしたとき、男の片方が素早く夏海を捕まえた。
「夏海!」
「おい、大人しくしろォ! しねーとこいつ殺すぞ!」
二人はコンビニの入り口を後ろにしながらそれぞれ銃を構えた。
一つは店内にいる私たちに、もう一つは夏海の頭に。
状況に頭が追いつかない。
すっかり狼狽した様子の男女の店員が、奥から急いでやって来た。
「そっその人は関係ない。だからその人を解放しろ!」
「っるせぇ!! なら金と車用意しろ!!」
「ひっひぃぃぃっ」
黒ずくめの人たちの怒号に、店員がすっかり縮み上がっている。
夏海も蒼白な顔で全身を震わせている。
コンビニ強盗……ってやつなのかな。
分からないけど、この状況は極めてやばい。
他の人たちはみんなこの状況に固まってしまっている。下手に携帯なんか出すとかえって夏海が危ないから、みんな動けないのだろう。
せめてランプか指輪があれば何とか出来たのに、こんな時に限ってどっちも合宿所に置いてくるとか、私も学習能力がなさ過ぎる。
しかし、このままいたって夏海が危ないのは変わりない。
ここは私がどうにかするしかないんだ!
「おい! 動くな!」
僅かに一歩踏み出したところを、目ざとく見られてしまった。
片方の銃口が、私の方へ向けられる。
「ちょっと梅乃、これ多分――」
「フリードは黙ってて!」
隣からフリードが何か言いかけたけれど、今は一刻の猶予もないのだ。
とにかく今は夏海を助けなくちゃ!
私はもう一歩更に踏み出した。
「聞いてねーのか!? 止まらねぇとお前から撃つぞ!」
「いいよ、撃ちなよ。でもその子は放してよね」
「梅……あんた、何を……!」
夏海が蒼白な顔をこちらに向けた。
男たちに怯えながらも、夏海は嘘でしょと言わんばかりに首を横に振っている。
私は夏海をまっすぐに見据えて頷いた。
「馬鹿か。そんなこと出来るわけねえだろ!」
「じゃあ私と人質取り替えてよ。誰だっていいんでしょ?」
「梅! そんな馬鹿なことやめてよ!」
「だって!!」
どう言葉を続けたらいいのか分からなくて、真剣な夏海の目と真っ直ぐに見つめ合う。
夏海はどこか怒っているようではあるけど、そこにはさっきまでの冷たさはなかった。
こんな状況なのに、不謹慎にもほっとしている自分がいる。
夏海、大丈夫だからね――。
そんな気持ちを込めて口元を綻ばせようとしたとき、外からサイレンの音が聞こえてきた。
パトカーの音だ。
「――警察に通報させてもらったよ」
ちょうどトイレに行っていたため強盗から隠れられていた曜子さんが、スマホ片手に登場した。
強盗の二人が明らかにうろたえ始める。
「ちょ……っ待ってくれ! こんなの予定じゃなかったぞ!」
「おっ俺たちはただ頼まれただけなんだっ!!」
二人は夏海を解放すると、勢いよくその場に土下座した。
同時にマスクを外した彼らは、さっきのドスのきいた声とは裏腹に、見るからに高校生っぽい若い男の子たちだった。
突然の態度の変化に、店内にいた客一同は怪訝な顔を浮かべている。
すると、見かねた店員が、頭を下げながら恐る恐る曜子さんに寄っていった。
「このたびは大変驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、私共も協力を頼まれまして……」
「はあ? 頼まれたって、一体誰に――」
曜子さんが尋ねかけた途中で、店員が店の外を指差した。
そこには、コンビニの塀に隠れてこちらを伺っているショコラ色の天然パーマ。
肩からため息の声が聞こえてきた。
まさか、これが秘策…………?
私は恐る恐る夏海の方を振り返る。
夏海はこれでもかと言うくらいに眉間に皺を寄せて、私を睨み付けていた。
「夏海……」
「あんたもグルだったの?」
「えっちっ違うよ! これはカールが勝手に……っ」
「――もういい!」
夏海の声が店中に響いた。
「もう一生あんたとは口聞かない!!」
夏海は吐き捨てるようにそう叫ぶと、足音を立てて店から飛び出ていった。
その後を曜子さんが追いかける。二人はすぐさま車に乗り込んだ。
運転席の曜子さんがこちらに視線を配るが、ほどなくして車が駐車場を離れた。
私は店の中からそれを呆然と眺めていた。
入れ替わるようにして、パトカーがやって来たので、店員と件の高校生が事情を話す。
だけど、もう何も耳に入ってこなかった。
ただ一人を除いては。
「梅乃……あの……」
気まずそうな声が、間近から聞こえてきた。
私はキッと声の主を睨み上げると、思いっきりその左頬を殴ってやった。
「ちょ……っあんた、それは流石に……」
「うるさい!」
ヤツが大げさに床に倒れるものだから、警察やら店員やらがこちらを案じて寄ってくる。
肩に乗っていたフリードもぴょんと跳んでヤツの方に向かうが、みんな私にはどうでもよかった。
私はフリードを押しのけてヤツの胸ぐらを掴み上げる。
「う……っ梅乃、ごめん、悪かった……」
「謝って済むと思ってんの!? これがあんたの秘策だって言うの!? いい加減にしてよ!!」
私はもう一発その憎らしい右頬にお見舞いしてやった。
流石に警察が私を抑えに入ったけれど、私は構わず暴れまくる。
「こっちは遊びじゃない、真剣なの!! 真剣に夏海と仲直りしたいのに、あんたが邪魔するから何もかも滅茶苦茶じゃない!! あんたの顔、二度と見たくない!!!!」
私は警察の腕を振り払うと、勢いよく店を飛び出した。
去り際にカールの泣きそうな顔が見えたけれど、知るもんか!
泣きたいのはこっちの方だってんだ!!




