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捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第2章 鏡が教える真実の歌
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10.フレフレ☆レモン(フリードリヒ)

大変お待たせしました!

10.フレフレ☆レモン



 朝からずっと雨が降り続いている。

 せっかくの海沿いの合宿も、こうも悪天候では団員たちも気分が乗らないというものなのだろう。全体合奏も全くメリハリがなく、七夕の日の盛り上がりはどこへいったのかといったほどだ。


 もっとも、団員たちを気まずくさせている原因は、はっきりしているのだが。


「――夏海」


 大学オーケストラの合宿3日目の正午。午前中の全体練習が終わったところで、梅乃が塩谷しおやさんに話しかけに行く。

 僕はそれを練習室の隅っこでただ見守っていた。


「あの、ちょっと……話がしたいんだけど……」


 無言無表情で振り返った塩谷さんに、梅乃が口ごもる。彼女の境遇を考えれば当然かもしれないが、こういう時の梅乃はとても頼りない。それは以前僕が冷たく突き放していたときもそうだった。

 なんとなく、この後の展開も予想が付く。


「あたし、今日の午後から帰ることになったの。だからそんな時間ない、今度にして」


 塩谷さんは上辺だけの笑みを浮かべて手短にそう言うと、片付け最中だった楽器をそのままケースにしまい、練習室を出て行った。梅乃はすぐに彼女を追いかけようとしたが、大きなチェロを持ったまま追いかけるわけにはいかず、やがてすぐに諦める。

 大きなため息を吐く梅乃に、僕の心が締め付けられる。

 今日は既にこれが3回目だ。流石の梅乃もすっかり参ってしまっていて、正直見ていられない。


 そう思って人目に付かないよう梅乃の方へ近寄ろうとするが。


「佐倉さん、ちょっと見て欲しいんですけど――」

「――っはい! 今行くからちょっと待って!」


 練習室の隅で個人練習を始めようとしている団員に呼ばれると、それまで浮かべていた暗い顔を弾けるように笑顔の裏に隠し、梅乃は楽器を持ってその団員の元へと向かった。見るからに空元気で、無理をしているのが明らかだった。


 そんな梅乃の様子を見るのが忍びなくて、僕はとりあえず練習室から出ることにした。


 すると、見覚えのあるショコラ色が、合宿所の廊下を走るのが見えた。



「待って、ナツミさん!」



 寝室に戻ろうとする塩谷さんを、カールが呼び止める。

 この場にいるには明らかに不自然なカールに、塩谷さんは目を見開く。


「何、カール君。由希も……梅も練習室にいるけど」


 カール相手だからだろう。低いトーンであるものの、一応抑えた様子だ。しかし、塩谷さんが相当苛立っているのは何となく分かった。

 カールは両手をぎゅっと握る。


「……俺が、言うのも違うかもしれないけど、お願いだ。梅乃の話を聞いてやってくれ!」


 カールは勢いよく塩谷さんに向かって頭を下げた。

 これには塩谷さんはぎょっとするが、すぐに怪訝そうに皺を寄せた。


「いきなり何事かと思えば……。悪いけど、そのお願いは聞けない。そもそも今更何の話があるって言うの」

「そ……そりゃあ色々だよ! そもそも梅乃に悪気はなかったんだし!」

「はぁ、それで? 梅を許してやれって? 話になんない」

「あ、ちょっと待ってくれ!」


 塩谷さんはそのまま部屋に入ろうとするが、それよりも早くカールが彼女を引き留めた。

 案の定、塩谷さんはうんざりした顔をカールに向けた。


「だから聞かないって! 大体、何でカール君がここで登場するのかも意味不明だし。それもあの子の差し金なの?」


 本気で苛立ちを剥き出しにしている塩谷さんに、カールが息を呑むのが伺える。

 僕は遠巻きにそれを見ているだけだが、塩谷さんの様子が、一月前の僕とひどく重なった。


 梅乃に滅茶苦茶腹を立てていた一月前。

 いつでも無鉄砲でお節介焼きな梅乃にイライラしては、自分の非力さに苛立ちが募り、気が付いたらそれを梅乃にぶつけていた。それどころか、あの時の僕は、ハインやカールや、他の人たちにもかなり当たり散らしていた。

 それは、今の塩谷さんもきっと同じだ。

 当然ハンスのことにも梅乃自身の態度も彼女は気に入らないのだろうが、いくら塩谷さんが腹を立てたところで梅乃は謝ることしかできない。


 だからこそ彼女の中で燻る苛立ちをどうすることも出来ないのだろう。

 そこに第三者が介入するとなると、更に苛立つに違いない。


「これは……梅乃に頼まれたからとかじゃなくて、俺が勝手にやってるんだ。だって、ナツミさん、今日で帰っちゃうんだろ? 今日このまま別れて、次に梅乃と会うのいつ? 俺にはオーケストラの練習事情は分からないけど、下手すると夏休み終わるまで会わないかもしれない。ますます話せなくなる」


 カールがせっぱ詰まった様子で塩谷さんに詰め寄る。少々強引な気もするが、カールの言うこともその通りだ。この先何が起こるか分からないから、なるべく早く解決するに越したことはない。


 しかし、こういう場合、頭では理解していても、感情が言うことを聞かないものだ。

 塩谷さんは顔をしかめたまま、口を真一文字に引き結ぶ。


「それに、確かに梅乃はダメなところいっぱいあるし、むかつくところもあるだろうけど……でも、ナツミさんたちがそんな状態でいるのを悲しんでいる人もいるんだ。だから、どうか、お願いします!」


 カールは突然しゃがみ込んだかと思うと、頭を垂れてその場にひれ伏した。

 僕もかつてしたそれは、日本独特の謝罪ポーズ、土下座というやつだろう。

 流石に塩谷さんもぎょっとする。


「ちょ……っちょっと! やめてよ、カール君!」

「お願いだ、お願いします! 梅乃の話を聞いてあげてください!!」

「だから……っああもう! 分かった、分かった! 少しだけなら!」


 塩谷さんが心底呆れた様子でため息混じりにそう言えば、カールは半泣きの顔をばっと塩谷さんに向けた。


「ナツミさん、ありがとう! 今すぐ梅乃を呼んでくるから、とりあえず部屋で待ってて!」


 カールは回れ右をすると、練習室に向かって走りかける。



 しかし、その途中で僕に気が付いたカールは、塩谷さんが部屋に入ったのを確認すると、僕を掴み上げ、その必要性があるのかないのか物陰に隠れた。


「カエル兄、今の聞いてたんだろ? 梅乃とナツミさん、何としてでも仲直りさせるぞ!」

「はぁ……協力ならするけど、嫌な予感しかしない」

「弱気になっちゃダメだ、カエル兄。それに、とっておきのアイテムがあるんだからな!」

「とっておきのアイテム……?」


 カールが自信満々な顔で懐から出したのは、二つの缶飲料。

 二つとも『フレフレ☆レモン』という、何ともふざけたパッケージが描かれている。


「……これ、何?」

「知らないのか? これ、巷で流行りの“友情一本ジュース”ってやつらしいぞ。これがあるかないかで、仲直りの成功率が変わるらしい」

「カール。まさかそれを真に受けてるんじゃないよね?」


 そもそも、こいつは一体どこでそんなことを聞いてきたんだ。少なくとも僕は聞いたことがないし、かなり胡散臭い。

 果たしてそんなもので梅乃と塩谷さんが仲直りできるとは到底思えない。


「何言ってるんだ、カエル兄。そんなの冗談に決まってんだろー! ただ、何もないよりは何かあった方がいいかなって思ってさ。それよりカエル兄、俺が練習室に入るわけにはいかない。だから、とりあえず梅乃を呼んできてくれないか?」

「はぁ、分かったよ」


 缶飲料のことはともかく、せっかく梅乃と話をしてもらえるよう塩谷さんに取り付けたのだから、このチャンスを無駄にしてはいけない。

 僕はすかさず練習室に戻って梅乃を呼びに行った。



「何、フリード。あ、カールもいる」



 ちょうどよく個人練習をしていた梅乃は、すんなり呼び出しに応じてくれた。

 平然とした素振りを見せているが、やはりどこか元気がないようだ。


 そんな梅乃を、カールは無遠慮に物陰に引っ張り込む。


「ちょっちょっちょ……っ何、カール!」

「しっ梅乃! せっかくのチャンスなんだ」

「はぁ? だからどういうこと?」


 梅乃が不審そうな顔をするが、その反応は当然だと思う。

 そもそも廊下に誰もいないし、物陰に隠れなければいけない状況でもないのだが、とにかくカールは隠れたいらしい。


 カールは梅乃の両肩を掴んで小声で続ける。


「いいか、梅乃。ナツミさんが今寝室で待ってる。今しかないから、ちゃんと仲直りしてくるんだぞ!」

「え……っと、どういうこと……?」


 カールの説明が足らなさすぎて、梅乃が更に首を傾げる。

 僕はもう見ていられなくなった。


「カールが、塩谷さんにお願いしたんだ。あんたの話をちゃんと聞いてくれって。塩谷さん、とりあえずは承諾してくれたみたいだからさ」


 その後の言葉を、僕は短い首を僅かに振って示した。

 その仕草でようやく理解したのか、梅乃は大きく開いた目を、カールに向け息を呑んだ。


「ほら、早く行けって。あ、ついでにこれ持ってけよ、ちゃんと振っといたから」


 カールは梅乃の手にさっきの缶飲料を握らせると、梅乃の背中をぽんと押した。

 梅乃はカールの目を見ながら「ありがとう」と力強く頷き、塩谷さんのいる部屋へと向かった。

 心配なので、とりあえず僕も梅乃に引っ付いて様子を見に行くことにした。



 ――コンコン。



「な……夏海? 私――梅乃だけど、入っていいかな?」


 ドア越しに、梅乃は塩谷さんに話し掛ける。ノック音といい話し方といい、やはり梅乃は遠慮気味だ。

 程なくして中から「どうぞ」という声が聞こえる。

 梅乃はそろりと扉を開けた。


 中に入ると、大方帰り支度の済んだ塩谷さんが、寝室の床に座って携帯電話をいじくっていた。


「夏海、とりあえずこれ、どうぞ」


 カールに渡された缶飲料を、塩谷さんに差し出した。

 塩谷さんは片眉を上げてそれを眺める。


「もっもちろん、これで許してもらおうとは思ってないよ? ただ喉乾いたから一緒にどうかなって思って。それに夏海、今日誕生日でしょ? おめでとうって言っておきたくて」


 なんとなく言い訳めいて聞こえるが、どれも梅乃の本心で、彼女が今かなり必死であることがひしひしと伝わってくる。それはきっと塩谷さんも同じだろう。

 塩谷さんは「ありがとう」と短く言って、缶飲料を受け取った。


「……で? 話があるんじゃないの?」


 塩谷さんは缶のパッケージを眺めながら、興味なさそうに梅乃に話を振った。

 言い方もやはり、冷たい感じが抜けていない。


 梅乃は塩谷さんの向かいに正座した。

 顰めた顔は、どう切り出すか悩んでいるようだった。


「夏海に、まずは謝りたい」

「……何度も聞いたけど」

「そうじゃなくて……夏海の言うとおりだったと思って……」

「何が?」


 消え入りそうになる梅乃を、塩谷さんは顎で促しながら、缶のプルトップに手を掛けた。


「その……ハンスの、こ――!?」

「!?」


 その瞬間――。

 小気味良いプルトップの音と共に、塩谷さんの持っていた缶飲料が勢いよく噴射した。その凄まじい勢いに、噴射泡はまっすぐに塩谷さんの顔にかかる。

 しかし、噴射はすぐには収まらず、数秒間続いた後に、ようやく泡が収縮した。


 ぽたりぽたりと、泡が床に垂れる。

 塩谷さんの首から下は、もはや悲惨な状態だ。


 あまりのことに、僕も、梅乃も、絶句する他ない。



「…………へえ、これがあんたなりの、謝罪」



 地を這うような、かなり苛立ちの込められた声が、部屋中に響き渡る。

 それまで抑えられていた塩谷さんの怒りは、今にも噴き出しそうな様子だった。


「な、夏海! 違うの、これは――」

「何が違うの! あんたハナから謝る気ないじゃん、こんなの渡してさ! ふざけんのもいい加減にしてよ!」

「――――っ夏海!」


 塩谷さんは中身が残ったままの缶飲料を梅乃にぶつけると、怒りのままに部屋から飛び出ていった。

 梅乃はそれをすかさず追いかけていく。


 部屋に残される二つの缶飲料と、カエル姿の僕。

 そのとき僕はしっかりと見てしまった。



 『フレフレ☆レモン』と書かれた文字の横に小さく「※振らないでください」と書かれた赤字を。



「カエル兄……一体何が起こったんだ?」



 予想外な二人の反応に、カールが恐る恐る部屋の中を覗き込むが、僕はため息しか出せなかった。








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