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捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第2章 鏡が教える真実の歌
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9.夜中の徘徊(フリードリヒ)

9.夜中の徘徊



 身体にまとわりつく嫌な湿気に睡眠を邪魔される。

 不安定な天候のせいか、海から吹き付ける生暖かい風は、何とも言えない苛立ちを募らせるばかりだ。


 あまりに不愉快すぎるそれに、僕は寝るのを諦めて目を覚ます。すると、ぐっすり眠る梅乃の顔が視界に飛び込んできた。

 今日もハインに投げ込まれ同じベッドで寝ていたから当然と言えば当然だが、僕の視線は何故か自然と彼女の唇に吸い寄せられる。



 夕日の差し込む部屋の中で、ハンスにキスされていたこの唇――。



 途端に忙しない波の音が耳に付く。まるで僕の心を表しているかのようだ。

 ため息を吐いて何とか気持ちを落ち着ける。

 とにかく頭を冷やそう。

 僕はベッドを抜け出てバルコニーに向かった。



 すると、どうやら先客がいたようだ。


「あれ、どうしたのカエル君、眠れないの?」


 ビーチソファに座り紺碧の海を眺めていたアサドが、肘掛けごしにこちらに顔を向けてきた。相変わらずこの男は人を小馬鹿にしているような笑みを浮かべているが、今日は少しいつもと様子が違っていた。


「そういうアサドこそ、今日は珍しく深酒なんじゃないの?」


 ソファによじ登りつつそう言えば、「そうかな?」とアサドが白々しく返してきた。だが、あながち間違いでもないだろう。

 ヤツの片手には氷の入ったグラスが収まっているし、サイドテーブルにはウイスキーの瓶が既に3本空になっている。これがカリムだったらよくある光景だが、思えばこの男がこんなに酒を飲んでいる姿は見たことがない。


 しかし、アサドはそれにはあまり言及しなかった。


「梅乃ちゃんの様子はどう?」

「別に、いつもと一緒。うなされることもなくぐっすり眠ってた」

「ふーん? ということは今日も一緒に寝てたんだ?」


 見計らったかのように口元の笑みを濃くする軟派な顔を、僕はじろりと睨み付けた。そもそもそれを前提にしたような物言いだったくせに、相変わらずタチの悪い。

 僕はため息を吐いて話題を逸らした。


「アサドもハンスに付いていなくていいの? 家に戻ったんでしょ、あの人」


 そう、今日の夕飯前にアサドに担がれてこのロッジに戻ってきたハンスは、しばらくした後、大学近くの梅乃のマンションへとカリムとクリスが連れて帰った。未だに後を引くクラゲの毒とか人魚の呪いとか、ややこしすぎる人間関係を考えたら、それが最善策だった。


「ま、向こうはカリムがいれば十分じゃない? それにボクはこっちで人魚の動向を探らないといけないからね」

「何か分かったの? 人魚のこと」


 すると、それまでただ愉しげに笑っていただけの金色の瞳に、どこか挑戦的な色が宿る。


「この海のどの辺にいるのかは粗方掴めたけれどね、何かがボクの邪魔をしてくるんだよ。人魚とは全く無関係の力がね。腹立たしいほどにその先が分からない」

「ふーん? 前も思ったけど、案外アサドの魔法ってアテにならないよね」


 思わず口からこぼれた言葉に、しまったと口を閉じる。案の定、隣から「へえ?」と地を這うような声が聞こえてきた。逃げようと思った矢先にヤツの手に捕まる。


「余程カエル君はこの姿が好きなんだねえ? いっそのこと永久的にカエル姿にしてあげようか?」

「痛い痛いっ! ごめんっ悪かったって!!」


 アサドは嬉々として僕の身体を浮かし、四肢を目一杯引っ張ってくる。関節が外れるのではと思うほどのそれにうめき声を上げれば、アサドは案外あっさりと僕の身体を解放した。


「まったくハンスもカエル君も、ボクへの感謝の気持ちが足りないんじゃない?」


 あくまで愉快そうな口調で言うが、それは同時に吐き捨てているようでもある。

 わざわざ名指しで言うってことは、おそらくハンスと何かあったのだろう。だが、それにしても珍しい。アサドと言えば、へらへら笑うばかりでいまいち何を考えているのか分からないヤツだ。そいつが僅かばかりとは言え、こうも感情を露わにするとは。


 単に酒に酔っているだけなのか、それほどのことがハンスとの間にあったのか。

 もしくはこの男も今日の夕方のことに答えているのか――。



「おや、どうやら眠れないのがもう一人いたみたいだよ」



 するとアサドがふとロッジの入り口の方へ目を向けた。

 つられて僕もそちらを見る。


 そこにいたのはカールだった。


 カールはロッジを出ると、浜辺を散歩するのかと思いきや、何故か内陸の方へと歩いていった。

 どことなく思い詰めた様子だった。


「面白そうだし付いていってみよっか」


 そう言うが速いか、アサドは僕を肩に乗せて、カールの少し後ろを尾行する。アサドが面白がる理由はすぐに分かった。

 おそらくカールが向かっている先はオーケストラの合宿所だ。

 だが、この時間は既に消灯時間だろう。夜中まで酒盛りをしているでもなければ、みんな寝ているはずだ。そもそもカールはオケの人ともそこまで関わりがないはずだというのに、一体何でこんな時間に合宿所へ向かうのだろうか。


 15分ほどすると、少しひらけたところに合宿所が見えてくる。一本の電柱に照らされるだけのそこは、予想していたとおり、既に真っ暗だった。

 だが、その微かな灯りの中に、一人の人物が、頭を抱えてエントランスに座っているのが見えた。


 その人物に、カールが近づいた。


「あんた、泣いてんの?」


 ぽつりと尋ねたカールの声に、その人物は顔を上げる。

 小柄で黒髪のおかっぱ頭の彼女は、確かユキとか言う名前の梅乃達の友達だ。やたらとカエルの僕を毛嫌いしていたからよく覚えている。


 彼女は顔を上げた瞬間とても嫌そうに顔を歪めるが、すぐにそれを引っ込め、眉をひそめた。


「あんたこそ、どうしてそんなに泣きそうな顔をしてるの?」


 彼らは僕達から少し離れた位置にいるが、アサドが音を調節してくれているため話し声はきちんとここまで届いている。しかしこちらに背を向けているカールの顔まではさすがに分からない。だが、カールが思い詰めたように視線を彷徨わせるのは分かった。


「今日のこと……ずっとぐるぐる頭の中で考えていたんだ。考えても考えても行き着く先は同じで、だけどそれはもうどうしようもないことで――」

「待って待って。何のことを話してるの?」


 彼女が途中で遮れば、カールは息を吸って黙り込む。言葉を探しているのか、それとも何か別の想いがあるのか、逡巡している間のカールは口が震えていた。


「……梅乃と、ナツミさんのことだよ」


 少しの間を開けてから、カールはため息混じりに答えた。


「正確にはハンス兄もだけど……。俺がスイミングレースをしようなんて言わなかったら、こんなことにはならなかったんだよ。だけど、今更そんなこと言ったって元に戻るわけじゃないし……でも泣きそうな梅乃を見たら、居たたまれなくなって」


 「気が付いたらここに来ていた」とカールはその場にしゃがみ込みショコラ色の癖っ毛に手を埋める。相当一人で思い詰めていたのだろうか、やはり背中が震えている。

 ユキという子は息を呑んだままカールを見つめている。どう言葉を掛けるべきかと悩んでいるようでもあった。


 やがて、彼女はカールの頭に手を伸ばした。


「あんた、難しいこと考え過ぎよ」


 聞こえてきた彼女の口調は、さっきまでとは違って、どこか柔らかかった。

 カールが恐る恐る顔を上げる。


「あんたは悪くないんだから、あんたが責任感じることないじゃない」

「それは……でも、あのとき俺が余計なこと言わなかったらって……」

「そんな“たられば”話し出したらキリがない。それに、そんなのなくても絶対どこかでぶつかってたよ、あの二人。だから、これはあの子たちの問題で、あんたがそんな顔することなんかない」


 彼女はカールの右手を両手で包み込み、微笑みかけた。それは、まるで母親が我が子に向けるような、優しいものだった。

 カールは息を呑んでそれを見つめる。

 そして徐に、彼女の頬に手を伸ばした。


「そんなこと言ってあんたもめちゃくちゃ不安そうな顔してる」


 そう言って、彼女の垂れたまゆ毛を上向きに引っ張る。

 カールのその仕草に今度は彼女が息を呑んで目を見開く。

 ユキという子はまるでそれを誤魔化すかのように、カールから視線を外した。


「そっそりゃあ梅乃も夏海も一年の時からずっと一緒だったから、それにあんな風に二人が絶交しそうな勢いでケンカしたの初めてだし……」

「そっか……」


 カールはそれからまたしばらく黙り、そして意を決したように彼女の両手を握った。


「なぁ、俺、何とかするよ。何とかしてやりたいんだ、あの二人のこと。それにあんたもあのままじゃ辛いんだろ?」


 少しせっぱ詰まったカールの申し出に、彼女は逸らしていた視線をカールに戻した。それが本気かどうかを推し量るように、じっとカールを見つめる。


「……あんたって嫌なヤツだと思ってたけど――」


 彼女はふっと笑って、再びカールの頭に手を伸ばした。


「あんまり期待はしてないけど、ありがと」


 それまでよりもいっそう温かい笑顔を浮かべて、カールのショコラ色の髪をわしゃわしゃと撫でた。

 なんとなく、穏やかな雰囲気が漂う。


 すると、それまでずっとしんとしていた合宿所の玄関が突然開いた。


「森山、まだ起きてたのか?」


 出てきたのは、何度か見たことのあるオケの男だった。確か今日の昼のレースにも出ていたヤツだ。

 そいつを見た瞬間、ユキという子は慌てたようにカールに伸ばしていた手を引っ込め、その男と向き直る。カールも彼女同様、息を呑んでその男を見る。


「や、柳さん、これは……」

「カールも、こんなところで何してんだ?」


 その男は目を丸くして彼女とカールを交互に見る。

 二人が少し焦っているのにも気にせず、ただただ不思議そうにしている。


「……眠れなくて散歩してたら森山さんと途中で会ったんで、ここまで送ってきたところです。それじゃ、俺は戻るので、おやすみなさい」


 それまでの弱々しかった様子はどこへいったのか、カールはすらすらと嘘を並べ、無駄のない所作でくるりと踵を返す。

 こちらに近づいてきたので、その表情がよく見える。


 どことなく、感情の読めない顔をしていた。


 カールは茂みの中にいる僕たちには気付かないまま、来た道を足早に戻っていく。

 残された二人は、ただ不思議そうな顔で、それを眺めていた。



「はっはーん」


 隣から、愉しげな声が聞こえてきた。

 なんとなく嫌な予感がする。


「言っておくけど、僕はめんどくさいことはしたくない」

「心外だなぁ。ボクがそんなつまらないことを任せるような人間に見えるかい?」

「……お前、いつから人間になったのさ」

「ボクはただ心配なだけだよ? カールが下手こいて梅乃ちゃんと夏海ちゃんの仲を更に悪化させちゃうんじゃないかって。でもボクは人魚の調査があるからなあー」


 何が人魚の調査がある、だ。わざとらしい。

 そりゃあ僕だって梅乃たちのことは気になるし、この男も多少なりとも心中ではそう思っているのだろうが、こいつの企みはそれだけじゃないだろう。このキラキラ輝く愉快顔を見ればすぐに分かる。


 アサドは肩に乗っていた僕を、わざわざ手のひらに乗せて、この上なくいい笑顔で言う。


「というわけで、カールの監視と近況報告、よろしくね」


 予想通りすぎるめんどくさそうなアサドの命令に、僕は盛大にため息を吐く他なかった。






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