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捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第2章 鏡が教える真実の歌
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7.溢れる本音、捻れる真実

7.溢れる本音、捻れる真実



 ちょっと待って、これは一体どういうこと?


 突然のこと過ぎて、頭が追いつかないし、身体も動かない。

 その場にいたみんなも、息を飲んで固まっている。


 ただ分かるのは、私の腕を握る右手に、頭を押さえつける左手。

 私の真下に迫る、というかかなり間近に見えるガーゼの当てられたとても整った綺麗な顔。



 そして、私の唇に合わさった、ハンスの唇――――。



「なぁ、塩谷が目を覚ましたんだが――」


 ふいにそんな言葉が聞こえてきて、私は瞬間的にハンスから身体を離した。


 だけど時は既に遅かった。


 もともと開いていた扉の向こうから、柳さんは目を丸くして私とハンス、そして同じ部屋にいたカリムとアサドへと視線を巡らす。

 絶句しているところを見ると、今のを見られたのかもしれない。


 でも問題はそこじゃなかった。



「な……つみ……」



 そう、柳さんの後ろには、由希に支えられる形で夏海が立っていた。


 夏海は、これでもかと言うくらいに目を見開いて、私とハンスを交互に見る。

 驚愕に瞳が揺れている。



 頭の中が、真っ白になる。



 すると次の瞬間、夏海はこちらに背を向け、突然走り出した。

 私は考えるより先に、夏海を追いかける。


「ちょっと夏海っ! 梅乃!?」


 由希が私たちの後ろから追いかけてくるけれど、もはやなりふり構っていられなかった。


 今のを見られて、何を言えばいいのか分からない。

 なんて説明すればいいのか分からない。



 だけど、ここで夏海を追いかけなかったら、もう二度と前みたいに戻れなくなる気がする。



 夏海はロッジを出ると、合宿所の方へ向かって走る。


「待って夏海! 話を聞いて!!」


 もともと運動神経のいい夏海は走るのが速くてなかなか追いつけない。

 だんだん息も上がって、苦しくなってくる。

 でも頭の中は夏海を追いかけるので必死だ。


 だけど病み上がりだからか、夏海はいつもより走るのが鈍っていたようだ。

 ロッジを出て10分もしないうちに、ようやく夏海の腕を捕まえることが出来た。


 夏海は諦めたように、足を止めた。

 お互いにすっかり息を切らしていて、互いに呼吸を無理矢理整える。

 それでも夏海は私から顔を逸らしたままだ。


 未だにどう言葉をかけたらいいのか分からないけれど、何か言わねばと気持ちははやる一方だ。


「はぁはぁ……夏海、さっきのは」

「――いい。もういいから、分かってるから」

「いいって、夏海……」


 言いかけたところで夏海に遮られる。

 返ってきた声は、ひどく震えていた。


「もともと脈がないって分かってたし、ようやくこれで諦めが付くよ。ありがとう、目が冷めた」


 夏海は未だに顔をこちらに向けないまま、どこか明るい口調で、どこか吐き捨てるように言う。

 投げやり、そんな言葉が似合うような様子だ。


 夏海がハンスのことを好きだって言うことに関しては、正直私は元からあまり賛成していない。

 というのも、ハンスが冷徹最低野郎だからだ。あんなヤツに大事な友達を振り回させたくないから、出来れば夏海の恋心が冷めればいいと思っていた。


 でも、夏海がハンスを諦める理由がさっきのあれだとしたら、それは違う。

 夏海が諦める理由なんてどこにも――。


「違うよ、夏海。さっきのは何かの間違いだよ」


 乾いた声が、夏の湿った空気に木霊する。

 セミの声がうるさくて、声を張り上げないと消えてゆきそうだ。


「だって……ハンスだよ? ハンスが私にそんなことするわけないじゃん」


 ハンスがどういうつもりか分からないけれど、普段は嫌味ばかりぶつけてくるのだ。

 そんな相手にあんなことするなんて、キスする相手を間違えたのだと思いたい。


「きっと、起きてそこにいたのを、命の恩人と間違えたんだよ。私のことを多分認識してなかったんだよきっと……っ」


 言いながら、心がズキズキする。声が知らず震え出す。

 無理のある言葉だと分かっている。

 だって私は聞いてしまったのだから、ハンスが私の名を呼ぶのを。


「ちゃんと、さ。ちゃんと本当のこと伝えたら、ハンスを助けたのは夏海だって伝えたら――」

「――伝えたら、何だって言うの?」

「え?」


 夏海は勢いよく私の手を振り払った。

 その瞬間、私の頭は再び真っ白になる。


 夏海は未だに顔を背けたまま、嘲笑気味にため息を吐いた。


「あんた、本当にそう思ってるの? ただの気まぐれで、ハンスさんがあんなことしたと本気で思ってるの?」

「それは……」

「あたしに望みはないって分かってるけど、この際だから言わせてもらう」


 夏海はくるりと身体の向きを変える。



「あんたのそういうところ、本当にムカつくよ」



 確かな怒りと苛立ちを宿して、夏海はまっすぐに私に瞳を向けて言い放った。

 その瞳と、言葉が、かなりの鋭さを持って私の心に突き刺さる。


 夏海は苛立ちを含んだまま、続ける。


「これは別にハンスさんに限った話じゃないけど、いつも自分はそういうのには興味ありませんって雰囲気醸し出して、周りを翻弄して。実は分かってんじゃないの?」

「分かるって……」


 何を分かればいいのだろうか。

 話に頭が追いついていかない。


「ハンスさんの気持ちだって、本当は気付いてたんじゃないの?」

「ちが……そんなこと…………っ」


 そんなことないと思いたい。

 だって、さっきのだって、本当に何かの間違いだと――。


「じゃあ聞くけど、本当はあたしが助けたんだって仮に言ったとして、さっき梅にしたキスをなかったことにすると思う? あたしに同じことすると思う?」


 とうとう私は返すべき言葉を見失った。

 だって夏海の言うことを、心の奥底で思っていたからだ。

 そんな気持ちを抱えて、偽りを並べる言葉を咄嗟に並べられるわけがない。


 夏海は深くため息を吐いて、再びくるりと背を向けた。



「……悪いけど、梅。あたし、しばらくまともにあんたと向き合えないわ」



 それだけを言うと、夏海はとぼとぼと合宿所に向かって歩き出した。

 私はいつかのようにその場に縫いつけられたまま動けない。

 視界の中で、夏海との距離がだんだん遠ざかる。


 後ろからこちらに走ってくる音が聞こえてきた。


「梅乃っ夏海!?」


 やって来たのは由希だった。

 由希は呆然と立ちつくす私の肩をぐいっと引っ張り、顔をのぞき込んでくる。

 すると、辛そうな表情を浮かべた。

由希はすぐさま夏海の背中に視線をやり、再び私を見上げた。


「あたし、夏海と話してくるから! だから梅乃、気を落とさないで」


 由希はぽんと私の肩を叩くと、夏海の背中を追いかけていく。

 思いの外早く歩いていた夏海はもうずいぶん前にいて、由希が追いつく頃には二人ともちっさくなっていた。


 私はどうしたらいいのか分からず、その場から動けない。

 心が痛みを訴える。喉に何かがつかえて声が出ない。


 そんな中、ぼんやりと頭の中で思った。



 「人魚姫」と同じ状況になってしまった、と――――。



「――夏海ちゃんの言っていることはすべて正しいね」



 後ろから聞き慣れた涼しげな声がかかる。

 何の気配もなく発せられたその声は、紛れもなくハンスのものだ。


 全ての元凶に、一気に頭に血が上る。

 私は瞬間的に振り返り、ハンスに向かって思いっきり腕を振り上げた。


 だけどそれは、いとも簡単に止められた。


「一つ誤解のないように言っておく! あんたを助けたのは私じゃない、夏海なの! だからさっきのだって取り消し、あんただって勘違いだったんでしょ!?」


 私は声を張り上げて矢継ぎ早に言う。


 絶対に嫌だ、この男の同じ過ちに、夏海との関係が悪くなるなんて。

 こんな男を夏海に薦めるのはやっぱり嫌だけど、ハンスの誤解は解かないといけない。

 幸い今は「人魚姫」の話と違って、言葉も声も通じるのだ。


 だからこの男のつまらない誤解なんて、すぐに解けるはずだ。


「一つ、誤解のないように言っておくよ」


 ハンスはガーゼの下の若草色の瞳をつまらなさそうに細めると、私が放った言葉を反復する。

 そして、私の腕を掴む手に、力を入れた。


「そこにいたのが梅ちゃんじゃなかったら、俺はキスしていない。例え俺を助けたのが夏海ちゃんだったとしても、それは同じだ」


 ハンスは私の腕を掴んでいない方の手で、私の顎を捕らえる。

 真剣味を帯びた若草色の瞳が、まっすぐに私に向けられる。


 ハンスの言葉に、瞳に思わず困惑しそうになるのを抑えつつ、私は目に力を入れて目の前の人物を睨み付ける。


「それもこれも全部、私に対する嫌がらせなんでしょ? 私の弱味握りたかっただけなんでしょ!?」

「はぁ、じゃあ言い方を変える。あそこにいたのが梅ちゃんだったからキスしたんだ」

「やめてよ、何であんたの気まぐれに付き合わされなきゃなんないの? ほんっとうに陰し――――」


 その瞬間、私の言葉は吸い取られてしまった――ハンスの口付けによって。

 二度目のそれは、さっきしたのよりも深く、強く唇を吸われる。

 咄嗟のことで一瞬だけ身体が固まってしまったが、すぐに私はハンスの胸を叩く。

 だけどいつの間にか肩を強く抱かれていて、がっしりと後頭部を固定されている。


 私はなりふり構わず歯を立てた。


「――――ッ!!」


 瞬時にハンスの唇が離れる。

 それと同時に私を固定していた腕の力が緩み、私はすかさずハンスから距離を取った。


 ハンスは口を拭いながら、私に視線をよこす。

 少し切れたのか、唇から血が滲んでいる。


「さすがにこれで梅ちゃんも気が付いたんじゃない? 気まぐれでキスするほど、俺は色恋多くないつもりだ」


 少し苛立ちを含ませた言葉をぶつけてきた。

 私はその先を拒むように、一歩後ずさる。


 嫌だ、聞きたくない。

 その先を知りたくない。


「そんな俺を夢中にさせる存在が、起きたら目の前にいた。海で死にかけていた俺の前に現れたんだ」

「違うっ! だからそれは私じゃない! 死にかけたあんたを助けたのだって、私は一切関与してない!」

「そんなこと関係ない!」


 珍しく張り上げられたハンスの声に、身体がびくりと震える。

 まっすぐに向けられた若草色の瞳が、私の瞳を捕らえる。

 腕を掴まれているわけでも、身体を固定されているわけでもないのに、私の身体は動かない。


 ハンスは再び一歩、私に近づく。


「俺を助けたのが誰かなんて、そんなことは少しも大事じゃない」


 この男は何てことを言うの?

 過去に同じ過ちを犯しているっていうのに。

 そのせいで夏海が傷ついているっていうのに。


「俺にとって大事なことは、起きたら目の前に梅ちゃんがいたことだけだ。それ以外に真実など何もない」


 やめてよ。

 いつも嫌味を言ってくるくせに、いつも嫌がらせしてくるくせに。

 どうしてこんなときだけ。

 からかってるだけだって言ってよ。



「はっきり言おう、梅乃」



 それまでよりも更に真剣な声で、私の名前を呼び捨てにする。


 お願いだからその先を聞きたくない。

 お願いだから言わないで――――。



「俺は梅乃のことが好きだ」




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