2.魔法のアロマオイル
2.魔法のアロマオイル
あくびが止まらない。
それもこれも、ハリセンスパルタ地獄のせいだ。
すると右肩からため息が聞こえてくる。
「言っておくけど、僕は11時には切り上げたからね。あの後やってたのはあんたの責任」
「うぅ……そうだけどさ、そうだけどさーあ」
仰るとおり、夕べは23時過ぎにフリードの指導が終わり、さあ寝るかと言うところでやっぱり不安になったのでそのまま勉強を続けていたのだ。
それからベッドに入れたのは夜中の3時。
そりゃ眠いってやつだ。
ごしごし目をこすりながら学校までの道を歩いていると、途中でふとフリードが「あ」と声を上げた。
「あれ、鬼塚じゃない?」
言われて前を見てみれば、確かに10メートルほど先に恭介が歩いていた。
私はその背中を追いかけた。
「恭介、おはよう!」
挨拶とともに、恭介の腕を引っ張る。
すると――。
「――――っ」
「え……」
何故か勢いよく腕を振り払われた。
これまで考えられなかった恭介の反応に絶句していると、恭介も驚いたように目を見開いて、視線をさまよわせる。
「あー……梅乃、おはよ。ちゃんと勉強できたか?」
「え……っと、う、うん! 余裕余裕……」
まるで何事もなかったかのように話し始めたけれど、妙に気まずい空気が流れ出す。
それにさっきから恭介は視線をさまよわせたまま、私と目を合わそうとしない。
「そっか。なら良かった。あ、俺、ちょっと剣道場寄ってから行くから、じゃあな」
「え、ちょっと待っ……」
「あ、それからお前、肩のカエル、そのままだと女子たち騒ぐから気をつけろよ」
それだけ言うと、まるで逃げるかのように恭介はそそくさと去っていく。
その後ろ姿を見て、肩のフリードと一緒に呆然と眺める。
「何あれ。鬼塚ってあんなんだったっけ?」
「うーん……よく分かんないけど、先週からあんな感じなのよね。私何かしたかなぁ」
さすがに腕を払われたのは今日が初めてだけど、恭介が何となく私を避けているのは先週の月曜日、色々あった七夕の翌日からなのだ。本当は試験勉強もいつもなら恭介に見てもらっていたのに、あんな調子ですげなく断られてしまったのだ。
特に心当たりがないのだが、最近の私は無意識に人の勘に障るようなことをしてしまっているようだから、きっと何かしたのだろう。
思わずため息が漏れる。
すると右頬をぺちんと叩かれた。
「フリード、カエルになってからバイオレンスだよね」
「うるさい。あんたが辛気くさい顔してるからでしょ。ただでさえネガティブなヤツが身近にいるっていうのに、あんたまでネガティブになると手に負えない」
「……ねぇ、もしかしてそれ、励ましてくれてるの?」
まさかと思って右肩の方へ顔を向けようと思ったら、鼻面をぺちんと叩かれた。
おそらく手加減はしてくれているようだし、カエルの手に叩かれたくらいじゃそんなに痛くはないけれど、女の子の扱いとしてはいかがなものか。
そう思っていると、フリードが盛大にため息を吐く。
「ま、案外原因はあんたじゃないのかもしれないし、あんまり深く考えなくてもいいんじゃない?」
それだけ言うと、フリードはぷいっと顔を逸らした。
相変わらずのぶっきらぼうだけれど、どことなく優しさを感じるのは、私の気持ちが弱ってるからだろう。
「――梅? あんた何一人で喋ってんの?」
すると、後ろから声を掛けられた。
おそらく誰かは予想が付くけど、条件反射的に私は振り向く。
予想通り、そこにいたのは夏海で、夏海は私と私の右肩を見るなり変な顔をした。
「あんた、何で肩にカエル乗せてんの?」
「あっちょっちょっと色々ねー!」
「ふがっ」
ついさっき恭介に指摘されたばかりだというのに、そのままフリードを肩に乗せたままだった。すかさず私はフリードを鞄にしまい込む。
ちなみに何で私がフリードを連れているかというと、もはや側近の役目を放棄しているハインさんに押しつけられたからだ。学校だって言うのに、あの人は本当に強引だからどうしようもない。
そんなことを考えていると、ふと鞄の中からフリードが持ち上げた二つの袋を見て、「あ」と思い出した。
「ねぇそういえば夏海、今日は夏海に良いものがあるんだ」
「良いもの? また唐突な……」
夏海が目を丸くして首を傾げるのを見ながら、私は鞄の中から大小二つの袋を差し出した。
夏海は更に目を丸くする。
「これ……え? なんか今日あったっけ?」
「特別今日何かがあるわけじゃないけど、夏海、来週誕生日でしょ? だからちょっと早いけど、誕プレということで」
そう、来週の7月25日は夏海の誕生日だ。
だけど、その日はオケの合宿中なので、誕プレを持って行くのは、渡す方はともかくもらう方も荷物になるからあまりよろしくない。
夏海は首を傾げながら中を開ける。
大きい方の袋から出て来たのは、可愛らしい形の瓶に入った青色の透明な液体。
「あ、何これ。香水?」
「ううん、アロマオイルだよ。そのまま使うもいいけれど、もう一個の袋開けてみてよ」
「うん? こっち?」
小さい方の袋からは、ペンダントが出てきた。トップに付いている小瓶は、中に何かを入れられる仕組みになっている。
「このアロマを中に入れて使うの? でもどうしてアロマオイル……?」
夏海はペンダントとアロマオイルの瓶を見比べながら、尚も首を傾げる。
それは当然の疑問だろう。普段の私なら、アロマオイルなんて思いも付かなかったのだから。
だけど今回の誕プレには、一つ目的があったのだ。
「なんかそれ、ヒーリング効果があるんだって。ひと嗅ぎするだけで頭痛も治まるらしいよ」
「頭痛も治まるって……」
「うん、だってここんところ辛そうにしてたでしょ?」
そう、このアロマオイルには一つ細工がしてあるのだ。
それこそ、頭痛を和らげる効果だ。
夏海といえば、急に頭痛を訴えてひどいときには倒れたりもすることが、ここ最近多くなった。聞けば、サメに追いかけられるとかピラニアに食べられるとかいうような変な夢も見ることが多いらしい。
どうにもおかしいと思ってアサドに聞けば、やっぱりそれには“人魚の呪い”が関わっている可能性があるようだ。
もともとハンスに片思いしている夏海だけれど、ハンスに関わる人は人魚の呪いを受けやすいらしい。
というのも、ハンスがおとぎの国で恨みを残してきたからだ。
本来「人魚姫」に登場するハンス王子は、命の恩人と勘違いしたお姫様と結婚し、それが故に本当の命の恩人である人魚姫を死なせてしまった。元から人魚の存在を否定するハンスは、そんな事実は知らないままに結婚した奥さんと幸せを満喫していたらしいけれど、しばらくしてハンスの奥さんや家臣、下働きは海洋生物に襲いかかられる夢を見るようになったらしいのだ。
ハンス自身はそれを精神病にかかったと言っていたけれど、考えようによってはハンスが死なせてしまった人魚姫の姉たちの仕業ともとれる。
そんなわけで、どうにか出来ないかとアサドに相談してみたら、人魚の呪いを和らげるアイテムを作れるということだったので、家でも学校でも身につけられるアロマオイルにその効能を付加してもらったのだ。
要するにこのアロマオイルは、魔法のアロマオイルってわけだ。
「これで頭痛に悩まされることなく試験勉強もばっちりだね!」
「梅……」
親指立ててびしっと言えば、夏海が呆然と目を少し見開く。
そしてふっと口元に笑みを浮かべる。
「目の下真っ黒にしてなーに言ってんの」
「あうあう……っ」
夏海はぐりぐり私の目元を抑えてくる。
確かに今日の私は、夕べの試験勉強で目の下にクマが出ていたけれど、ばっちりコンシーラーで隠してきたはずなのだが。
しばらくそうすると、夏海の手が離れていく。
「でも、合宿もあるし旅行もあるし、助かったよ。ありがとう」
夏海は嬉しそうに両手のアロマオイルとペンダントを掲げて、にっこりそう言った。
その笑顔に、なんだか心の中がじーんと温かくなる。
最近、夏海とはぎくしゃくしまくりだったけれど、こうして夏海が嬉しそうに笑ってくれるのが私にとって何よりも嬉しい。
このまま何事もなく、わだかまりも消えて、合宿も旅行も楽しめればいいなと思う。




