閑話.疑うことを知らない
閑話.疑うことを知らない
「あれ、テオ君どうしたの? そんなに深刻そうな顔をして」
「聞いてくれ、クリス。俺はどうしようもなく不甲斐ないようだ」
「不甲斐ない? 一体何があったの?」
7月になったばかりのとある日、クリスティアンがおどけたサンチョで働いていると、テオデリックがやってきた。聞けばこれから空と出掛けるようで、それまでここで待ち合わせしているらしいのだが、どうにもテオの様子がおかしい。というのも、先ほどからかんたんケータイとバイトの給料明細を交互に見ては、眉間にしわを寄せため息ばかり吐いている。
これはもしや空との間に何か深刻な問題でも起こったのではないかと、クリスは気になって聞いてみたのだが、不甲斐ないクリスにまさかの不甲斐ない相談事のようだ。
テオは頭を抱えて客席のテーブルに項垂れる。
「俺は……友人一人も救えないどうしようもなくダメなヤツだ!!」
「ちょ……っちょっと落ち着いてテオ君! 一体何があったんだ!?」
普段は結構自信ありげに行動するテオが、こんなにもネガティブになって自己嫌悪するなんて珍しい。まるでクリスと入れ替わったかのような様子で、流石のクリスもこれには困惑する。
「最近さ……せっぱ詰まった様子で電話掛けてくるんだよ、俺の友人が。何でもそいつの両親が交通事故に遭ったらしいんだ」
「それは大変だね……親御さんは大丈夫なのかい?」
「いや、重傷らしい。だが、もともと貧しい生活をしていたようで、治療費や入院費を払えず、苦しんでいるらしい」
「そんな……気の毒だね。何か助けてあげられたらいいのに」
クリスはまるで自分のことかのように眉尻を下げて辛そうな表情を浮かべる。
こんなとき、自分も何か助けになりたいのにこうも何も出来ない自分はなんて役立たずなのだろうか。テオ以上に自分が不甲斐なく思えてくる。
「それでだ、その友人に頼まれたんだ。100万円貸してくれとな……」
「ひゃ……っ100万!?」
テオの口から出てきた数字に、クリスは仰天する。
本来はおとぎの国で王子をしていたはずのクリスでも、3ヶ月もこちらの世界で普通の大学生兼主夫みたいなことをしていたら、その数字がどれだけ高額なものかは理解できる。とてもテオやクリスのバイト代では払える額ではない。
「本当に困った……俺は一体どうすればいいんだ……」
テオは苦しそうに頭に手を埋める。大切な友達を助けたいのに助けられない気持ちはクリスにも痛いほどよく分かる。
するとちょうどそのとき、クリスの頭に一つの案が浮かんだ。
「そうだ、アサドさんにお願いできないかな?」
「……アサド?」
「うん。聞いてみようよ、だってテオ君の友達を助けるためだものね!」
アサドと言えば、「アラジンと魔法のランプ」に登場するランプの魔神。かつては泥棒を働いていたアラジンを王子に仕立て上げたことは、おとぎの国でも有名なことだ。そのときに沢山の金貨や宝石も用意していたはずだから、100万円ものお金を用意することも、朝飯前だろう。
しかし、クリスの提案にテオは首を横に振った。
「ダメだ。あいつは今、フリードのことで忙しいし、こんなこと、頼めるわけがない」
「あ……そっか……」
そう、ちょうどこのとき、フリードが豹変したとかで、アサドはその原因追及に勤しんでいるところだった。そんなところにこんな私情挟んだテオのお願いなど、きっとアサドは聞かないだろう。テオはそう確信していた。
テオとクリスはどうしようもできない状況に、二人してため息を吐く。
「あ、あの……テオさん、いいですか……?」
ちょうどそこで話に割り込んだのは楠葉。
相変わらず今日もおどけたサンチョに来ていた楠葉は、テオとクリスのやりとりをずっと黙って聞いていたのだが、とうとう耐えきれなくなってしまったのだ。
「そのお友達って……電話で言ってきたんですよね……?」
「ん? あぁそうだが、それがどうした?」
「その人って、ちゃんと自分の名前言ってました……?」
何やらかなり神妙な様子の楠葉にテオもクリスも首を傾げる。
というか、どことなく楠葉の表情が呆れているように見えるのは気のせいか。
「自分の名前? そういや言ってなかったな。だが俺の友達であることは間違いない」
「えーっと、その人どんな感じで電話してきたんですか?」
「どんな感じって言われても、“俺俺”と言ってきたから、俺の経済学部の友達かと――どうした楠葉、どうしていきなり頭を抱えている?」
「楠葉ちゃん、頭痛いの? 大丈夫?」
突然頭を抱えて何とも言えない表情を浮かべた楠葉に、テオもクリスも心配するが、むしろ楠葉としては自分よりも5つも6つも年上のこの二人の方が心配になってくる。
楠葉は一つため息を吐くと、ゆっくり告げる。
「テオさん……それ、詐欺ですよきっと」
「詐欺……だと……?」
楠葉の言葉に、二人とも目を丸くする。
しかし次の瞬間、クリスは口元に手を当て、テオは拳を握ってテーブルを叩きつけた。
「なんてことだ! そんな卑劣な罠に掛かっていたのか……!!」
それまでの苦しげな様子はどこへいったのやら、テオは突然怒りを露わにする。この変貌ぷりに楠葉はびくりとするが、確かに自分が詐欺に騙され掛けていたとなれば腹立たしいものなのかもしれない。
とにかく知ってる人が詐欺に遭わなくて良かったと、楠葉は胸を撫で下ろす……はずだったのだが。
「真面目な俺の友達を騙して100万を手に入れようとする奴が世の中にいるとは、許せん!!」
おどけたサンチョのホールで高々とそう言い放つテオに、楠葉は困った顔で首を傾げた。
「えっと……テオさん?」
「クリス、ひどい話だと思わないか? こうして人を平気で騙すヤツがいるから、真面目で誠実な大学生が得体の知れないアルバイトをしてしまうことになるんだ」
「それはいけない。取り返しが付かなくなる前に止めないと」
何やら急に熱が籠もったテオとそれと一緒にあわあわするクリスを、楠葉は何とも言えない顔で眺める。というか、話の方向がなんかずれてる。
先ほど自分は確実にテオが詐欺に遭っていると伝えたはずなのに、何故か電話を掛けてきた相手が詐欺に遭っているという話になっている。そもそもその相手だって友達ですらないはずだというのに。
しかもクリスも一緒になって本気にしているから救いようがない。
勘違いしたままの二人は、そのまま話を進めていく。
「テオ君、その友達が怪しいアルバイトを始める前に、ちゃんと止めないと」
「ああそうだな! 今すぐ電話を――何だと、非通知になっているじゃないか!」
「電話番号を知らせたらいけないと、脅されているのかもしれないね。可哀想に……」
そんなわけないないと楠葉が内心で突っ込むのをよそに、テオはテーブルの上で拳を握り、ぎりっと歯ぎしりする。
そして勢いよくクリスを見上げる。
「くそ……っこうなったら直接言いに行くしかない」
「うん、そうだね、それが一番だよ」
「クリス、悪いがソラが来たら――」
「――もう来ているんですが」
突然割り込んできた声に、その場の一同がそちらを向く。見れば、いつの間にかテオ達が座るテーブル席の近くに空がやって来ていた。
空は呆れた様子でテオに視線を送っている。ようやく理解者が現れたと、楠葉は今度こそほっと一息吐いた。
「くそっ詐欺に遭っていたのは俺の方だったのか。なんと腹立たしい」
おどけたサンチョからの移動中、テオは悔しげにそう呟く。空はそれをやれやれと思いながら眺める。
「もう、前も言ったじゃないですか。友達や知り合いになりすましてお金を取ろうとする詐欺が多いんです。テオさんみたいなのが簡単にひっかかりやすいんですから」
「う……面目ない」
実はテオが詐欺に遭い掛けたのはこれが初めてではない。
以前にもメールや電話などで、オレオレ詐欺まがいなことに引っかかりかけたのだ。その都度、空が注意歓呼しているのだが、どうにもテオは疑うことをしない。人を信じられるのは美点だが、こうも立て続くと心配だ。
「ちょっとは疑うことを覚えるべき……」
ぼそりと空がそう言えば、テオは少しバツが悪そうに頬を掻いた。
「いや、俺も別に全てを信じてるわけではないし、こう見えても昔は四六時中警戒していたぞ」
「へーそうなんですかー」
「それが信じられないって様子だな……」
それは無理もない話だ。
何せ、数回も同じ手口に遭いかけているのだから。
だが、テオはさして気にした風でもなく続ける。
「だがまぁ、理由もなく疑おうとするのはやめることにしたんだ」
どこか清々しく言うテオに、空は思わずそちらを振り向く。
先ほどまでの腹立たしげな様子は、すっかり消えていた。
「確かに騙されていることもいくつかはあるとは思うが、それにはそいつなりの理由があるわけだろう? なら、真相を教えてもらえるまで信じて待ってやろうと思う」
その横顔を見ながら、空は3週間前のことを思い出す。
以前、従兄に援交を強制させられていた空は、その真相を隠すため、テオに嘘を吐いた。あれは誰がどう聞いても怪しさ満点だったはずだ。なのに、テオはそれをすんなりと信じてくれていた。今こうしてテオの隣にいられるのも、テオが空をずっと信じていてくれていたからこそだ。
テオの人がいいところには少々心配になってくるが、同時にそれに救われたのだと思うと、どうしようもなく愛おしく感じる。
空は無言でぎゅっとテオの手を握りしめた。
目を丸くして空の方を向くテオに、空は困ったような笑顔を向けた。
「……でも、詐欺はそれとはまた違いますからね」
「あぁそうだな。気をつけるよ」
次章は週明けに始める予定です!




