33.認めるよ(フリードリヒ)
フリード視点です
33.認めるよ
「ここまでで構いませんわ」
舞台ホールから一番近い川のほとりまで来ると、シャルロッテがくるりと振り返って僕を見下ろした。
その後ろに架かっている橋は、他の橋に比べると異様なくらいキラキラ輝いている。七夕の夜になると、僕たちにしか見えない光り輝く橋がどの川にも架かり、こちらの世界とおとぎの国とを行き来出来るようになるらしい。
今は日が傾き掛けているだけでまだ空は明るいからあんまり実感が湧かないけれど、本来であればもう22時過ぎだ。橋がなくなるのは本来の時間軸の日の出までだから、あと5時間くらいは余裕があるわけだけれど、早めに渡っておくに越したことはない。
「最後にお聞きしますけれど、フリードリヒ様はわたくしと一緒には帰ってくださらないのですね?」
「はぁ、一体何回聞くんだよ。僕は帰らないよ」
オケの演奏会が終わってここに来るまでの間、シャルロッテは5分おきくらいにその質問をしてきたのだ。時間が戻る前に告げたときはすんなり納得していたというのに、なかなか引かないものだ。
「ほら、ちゃんと王様宛ての手紙も書いたんだから、それでいいでしょ?」
もともとシャルロッテが僕を連れて帰ろうとしていたのは、自分の父を納得させ、城に戻りたいがためだった。
かつて一日中カエル姿だった僕は、シャルロッテに約束を反故にされたり壁に投げられたりとひどい扱いを受けながら、人間の姿に戻り、シャルロッテとの婚約の話が浮上した。だが、それまでの扱いを考えたら婚約なんて御免で、すぐさま破棄にした。その結果、夜中はカエル姿に戻ってしまうことになったけれど、このお姫サマと暮らすことを考えたら、そっちの方がずっと楽だった。
だがその一方で、僕はシャルロッテの父である王様には、カエル時代からずっと気に入られていた。そんな僕が娘との婚約破棄をして自分の国へ帰ってしまったからか、王様は不甲斐ない娘に怒り、僕を連れて帰ることを条件にシャルロッテを城から追い出したのだ。
だから僕がおとぎの国へ帰らないということは、シャルロッテは未だに路頭に迷ってしまうことになる。
正直そんなことを僕が気にかける必要はないとは思うが、ああだこうだとまた色々言われては困るので、王様宛てに僕がおとぎの国へ帰らない理由などを手紙に記したのだ。
シャルロッテは先ほど僕が預けたその手紙に目を落とすと、はぁと盛大にため息を吐いた。
「もういいですわ。だってフリードリヒ様は相変わらずのカエル姿ですもの。とてもわたくしには釣り合いませんわ」
それまでどこか借りてきたネコのようにしんみり大人しくしていたシャルロッテは、いつものように高慢な様子で面白くなさそうにやれやれと肩を竦める。
この相変わらずに態度に、こちらもため息を吐きたくなってくる。
「それにあとひと月はそのお姿のままなんでしょう? わたくしとても耐えられませんわ」
「誰のせいでそうなっていると思ってんのさ……」
そう、今の僕はカエル姿だ。
そしてこれは一ヶ月間、昼も夜も関係なく続くのだ。
手枷が外れて魔法が完全に使えるようになったアサドに頼んだお願い。それはすんなりと聞き入れられ、あっという間に時間が巻き戻された。
ただし、ヤツはきっちりと抜かりなく僕に代償を払わせた。
それが、一ヶ月間カエルの姿でいることだった。
聞けばそんなものなくても叶えられたらしいが、一度僕が「どんな代償でも払う」だなんて言ってしまったためか、アサドは楽しそう顔をして僕に魔法を掛けてきた。そのときのアサドの顔と言ったら本当に憎たらしいほどに輝いていた。
だけどアサドに言わせれば、これは罰でもあるらしい。
梅乃に対して散々ひどいことをしてしまったことについての――――。
「それでもあの人なら、ぬめっと気持ちの悪いフリードリヒ様でも普通に接するのですからいいではありませんの」
「シャルロッテ……本当に反省してるの?」
僕があんな風にひどい言葉をぶつけていたのは、元はと言えばシャルロッテがオリオンなんかに変な薬をもらったせいなのだ。いつの間に仕込んでいたのか、気が付いたら思ってもいないことを吐いていて、本当に地獄かと思った。
だが、いくら薬のせいとは言え、僕が彼女に対してひどいことをしたのは紛れもなく事実だ。だからどんな罰でも受けても構わないと思っていた。
正直なところ、一ヶ月間カエルの姿でいることよりももっと重い罰が科せられると思っていたくらいだ。
「あの人のこと、見直しましたわ」
ふと、シャルロッテが力なく言った。
いきなり何の話を始めるのかと、僕は首を傾げながらシャルロッテを見上げる。
「まぁとても女性らしからぬ行いをしているのはどうかとは思いますし、時折無謀かとも思えるようなことを平気でなさるのはどうかと思いますけれど」
その話の内容から、彼女のことだとすぐに分かった。同時にこの物言いのどこに彼女を見直したところがあるのか、まったく伝わってこない。
しかし、シャルロッテは一旦言葉を句切ると、「ですが」と話を続けた。
「あんな火事の最中に散々失礼をしたわたくしにも手を差し伸べ、そして繋がったままの魔神を必死に救おうとする姿は、とてもわたくしに真似できるものではありませんでしたわ」
彼女の話をするとき、大抵シャルロッテは眉間にしわを寄せて嫌そうな顔を見せていた。だが今のシャルロッテにそんな不快そうな色はどこにもなく、むしろ清々しいくらいに落ち着いた顔をしていた。
おそらくあのときの彼女は、シャルロッテがどうとかっていうのはまったく考えていなかったんだと思う。何せアサドの手枷を外して火事から脱出するのに必死だったからだ。
だからこそ、僕も冷や冷やした。
あのまま彼女が火に巻かれるのではないかと恐怖を感じた。
「フリードリヒ様が彼女に恋い焦がれていらっしゃるのも、すべて納得しましたわ」
シャルロッテは何度目になるか分からないため息と共に、そう言った。
だが、その言葉に、僕の頭は固まってしまった。
「は? どういうこと?」
シャルロッテの言葉に目を丸くして首を傾げていると、シャルロッテは片眉を上げてこちらを見下ろしてきた。
「あら? だってそうでしょう? フリードリヒ様はいつだって彼女のことばかり見ていましたもの」
シャルロッテはそれだけ言うと、くすりと笑って踵を返し、橋を渡って行った。
橋の中央まで差し掛かると、シャルロッテの姿はなくなった。
僕はそれを眺めながら、呆然と立ちつくす。
今の言葉を頭の中で反芻しながら。
「やれやれ、我が主はどうしようもなくカエル脳のようですね」
するとどこからか聞こえてきた涼しげで憎たらしい声とともに、僕の身体はひょいと持ち上げられた。見れば片腕を怪我しているのにもかかわらず、清々しいくらいにいい笑顔を浮かべたハインだった。
ハインは一体いつどこで用意したのか、肩から提げていた虫かごに僕を入れ、そのまま家に向かった。
程なくして家に着くと、ハインは2階に上がる。階段から右側2番目の扉が僕とハインの部屋なのに、ハインはそこを素通りし、奥の部屋に向かった。
そこは紛れもなく彼女の部屋だ。
ようやくこのときになってハインの行動の意図が見えてきて、僕はじたばたする。
だけどハインはそんな僕に構わず、その扉をノックした。
「ハインさん? どうしたんですか?」
彼女は出掛けていた格好のまま中から出てきた。
「一ヶ月間、私は腕の療養をしなくてはいけませんから、彼のお世話をすることが出来ません。従って、以前のように梅乃お嬢様にお願いしたいと思います」
などと、ハインはとても輝かしい笑顔を向けて僕を虫かごから取り出し、強引に彼女の腕に僕を持たせると、手をひらひら振って自室に戻っていった。
この姿ではとても敵わないが、来月人間に戻ったら絶対復讐してやると心に決める。
すると彼女が僕をつまみ上げ、目線を合わせた。
目の前いっぱいに広がった彼女の顔に、僕はなんだか直視できなくて、ふいっと逸らしてしまった。
その瞬間、ふふっと笑い声が聞こえた。
「そっか、なんか久々だね」
僕の不貞不貞しい態度とは反対に、何故か彼女は嬉しそうに笑う。
それが更に心をざわつかせて、早くここから逃げたかった。
だけど彼女はそのまま部屋の中へ入り、僕の身体をクッションの上に置いた。
なんだか僕は急にひとりでに気まずくなる。
「……あんた、何でいるの? 打ち上げは?」
そう、彼女は今頃オケの打ち上げに行っているはずだ。そういうお祭り的なのには必ずと言っていいほど参加するタイプなのだ。
それなのにどうして今部屋にいるのかは、かなり不思議なことだった。
「うーん、なんか色々疲れたからちょこっと顔だけ出して帰ってきた」
「何それ、あんたにしては珍しいね」
確かに、今日は色んなことがありすぎた。
それはすべて昔の恋人によるもので、しかも命まで狙われそうにまでなっていたのだから、精神的疲労が尋常じゃないはずだ。
おまけに時間が戻ったことにより、僕たちの活動時間は逆に長くなったとも言える。
だから打ち上げに出られないくらいに疲れていたとしても、無理のない話だ。
だというのに、この人はどこまでも世話を焼こうとする。
「……あんた、何してんの?」
彼女は一息吐くと、彼女は部屋の真ん中にあるローテーブルを畳み、押し入れを開く。
その行動に何をしようとしているかなんて、正直分かっているけれど、僕は思わず尋ねてしまった。
「何って、布団。もう夏だからいらないかもだけど、朝方は辛いんじゃないの?」
「相変わらずあんたも変な女だよね。カエル相手にそんなことするなんてさ」
ここひと月、ずっとシャルロッテと一緒にいたせいか、いつの間にかそんな卑屈な気持ちになっていたのかもしれない。
だけど僕のそんな様子を知ってか知らずか、彼女はけろっとした表情で言ってきた。
「カエルだろうが何だろうが、フリードはフリードでしょ?」
あぁそうだったよ、忘れかけていた。
あんたってそんな人だったね。
カエル相手にもかかわらず、不快な顔は一つも見せない。
それどころか人間の時の僕と同じように接してくれるんだ。
そこには媚とか偽りの気持ちなんかまったくなくて、僕を僕として見てくれている。
「――梅乃、手伝うよ」
梅乃が敷き布団の上からくるもうとしているシーツの端を引っ張る。
僕のその行動に、梅乃は目を丸くしてこちらを見てくる。
「なんかなかなか懐かなかった飼い猫を懐かせたみたいな気分」
「はあ? 何言ってんのさ? さっさとシーツ付けるよ」
よく分からないことを言っている梅乃を放って、僕はそのままシーツ掛けを続ける。
するとふと、梅乃の手が止まった。
「あれ? フリードって私のこと、名前で呼んでたっけ?」
見上げれば、梅乃はきょとんとした表情を浮かべていた。
僕は思わずため息を吐いてしまった。
「はぁ、あんたって本当にどうでもいいこと言うよね。いいからさっさとシーツ!」
「え、でも」
「いいから!!」
強引にそのことから話を逸らそうとすれば、梅乃は納得がいかない様子を浮かべながらも作業を進める。
つくづく素直になれなくて嫌になる。
だけど次の瞬間、視界の端に映った。
嬉しそうに頬をほころばせる梅乃の笑顔が。
それを見た瞬間、急に心が温かくなった。
同時に胸が高鳴る。
本当はずっと前から気が付いていたのかもしれない。
だけど認めたくなかったんだ。
いつだって梅乃の周りには頼りになるヤツばっかりで、僕はただのカエル。
敵うはずがないからと、ずっと逃げてきた。
でももう、降参だ。
認めるよ。
梅乃を傷つける言葉で僕が苦しくなるのも。
梅乃の周りの男に苛立つのも。
梅乃の笑顔で心が温かくなるのも、全部。
どうしようもなく梅乃のことが好きなんだ。




