29.小さな救世主
29.小さな救世主
僕はまた、同じことを繰り返すのだろうか。
壁から吊された瓶の中から、下の光景がとてもよく見える。
ちょうど僕の真下で横になって縛られているシャルロッテに、壁から伸びた手枷に繋がれているアサド。
そして、昔の恋人でありオリオンの生まれ変わりである男に後ろから抱きしめられ、頭に銃を突きつけられているあの女。
この状況は、まさしくデジャビュだった。
ひと月前のあの歓楽街の一件が、ひどく重なる。
鬼塚と僕とあの女が乗り込み、三人ともまったく歯が立たなかったあの事件。
唯一僕は動けたというのに、肝心なところでカエルの魔法が発動し、右足を骨折するだけで何も出来なかった。
あのときは最終的に突然現れたアサドとカリムによって救われた。
だが今回ばかりはそういうわけにもいかない。
何せ、いつでも僕たちの救世主だったアサドは、その入れ物であるランプをあのオリオンに奪われ、今や僕たちの望みなど聞けない立場になってしまった。
おそらく指輪もこの場にないだろうし、カリムの助けも期待できない。
それ以前に、僕はまた、ただ黙ってこの光景を見ているだけなのだろうか?
それで何も出来ない自分に苛立って、その苛立ちを再びあの女にぶつけるのだろうか?
僕はまた、梅乃を泣かせてしまうのだろうか?
そんなの、絶対に――――!!
「――ちなみに、アポロンを殺しただけでは済まないんでしょ、昴クンは」
目頭に力を入れ、アサドはまっすぐに昴さんを睨み付けて尋ねる。
「あぁそうだな。昔俺をコケにしたヤツを全員殺してしまおうか、あぁそれとも死ぬまで拷問を与えるのもいい」
「…………っ」
昴さんは後ろから私の頬に銃を擦りつけながら、左手で私の首筋を撫で、耳元に息を吹きかける。
恐怖と気持ち悪さに、全身に鳥肌が立って止まない。
「はぁ、まったく本当に無茶なお願いばっかりだよね。ボクまでお尋ね者にする気かい?」
「俺を主人に持ったのなら諦めるんだな。ま、願い事一つ言わずにその力を持て余すようなこんな女より、俺に仕えた方がよっぽど有意義だと思うがな」
「ぐ……っ!!」
首筋を這っていた手が、私の首を握りしめる。
気道を圧迫され、酸素が確保できない。
苦しみに藻掻く中で、昴さんの言葉に以前アサドと話したことを思い出した。
――私みたいに宝の持ち腐れ状態になる人じゃなくて、ちゃんとアサドたちの力使いこなせるような人がご主人になった方がいいんじゃないの?
力だけのことを言ったら、私は今でもそれは思う。
だって、一体どれだけの力をアサドが秘めているのかは知らないけれど、私には到底使いこなせない。
だけどそれは、きちんと正しく使えるような人じゃないといけない。
アサドの立場も気持ちも考えずにこんな私利私欲のための、しかも人殺しのために使おうとする人になんか、アサドの主人はふさわしくない。
「あ……さど……ダメ……きいちゃ……」
震える身体を叱咤して、何とか声を絞り出す。
だけど絞められた喉からじゃ、微かな音量しか出なかった。
それでもしっかりとアサドには届いていたようだ。
「梅乃ちゃん……」
それまで昴さんを睨み付けていた金色の瞳を丸くして、驚いた表情をしている。
「おいおい梅乃。この状況が分かってるのか? お前も死にたくはないだろ?」
「い……っ」
昴さんは言葉に笑いを乗せながら、勢いよく私の耳を噛んできた。
耳の痛みと喉の苦しさに身を強ばらせると、すぐに昴さんは私を地面に投げ捨てた。
一気に軌道に入ってきた空気に、イモムシみたいに転がりながら咳き込んでいると、私の頭を踏みつけられる。
「そうやって乱暴に扱うから愛想尽かされるんじゃないの? 早くどけなよ、その汚い足を」
「なら俺の願いを叶えるんだな」
踵でぐりぐり押さえつけられて、頭が痛い。
だけどそんなのに負けていられない。
「そんなの……アサドが叶えるわけないじゃん……っ」
「なに?」
私を押さえる足が離れる。
アサドも昴さんも息を呑んだ。
「だってアサドの主人にふさわしいのは、私だもん!!」
そうだよ、アサドは私が主人で良かったって言ってくれた。
私は偶然ランプを手に入れただけだし、その力も使いこなせない。
それどころかいつでもランプを放りっぱなし。
だけど。
おとぎメンバーたちがやって来て、私の部屋がどこぞの洋館になって、賑やかに暮らす。
別に特別な何かがあるわけではない。
でも、今の楽しい生活はアサドがいなくちゃ始まらないし、アサドだってそれを望んでいるんだ!!
――――パンッ!!
「――――っ!!」
「梅乃ちゃん!!」
右肩に衝撃が走る。
同時に今まで体験したこともない鋭い痛みがそこに集中する。
だけど両手が縛られている状態では肩を押さえることも出来ず、ドクドクと脈打って血が流れるのを、ただ悶えて耐えるしかない。
なのにこの非情な男は私の右肩をグリグリ踏みつける。
「ふん、忘れてたぜ梅乃。お前は自分の置かれた状況も分からずに突っ走る本当のバカだってな」
「あああ……っ!!」
「梅乃ちゃん! くそっやめろ!!」
ただでさえ死にそうなくらい痛いのに、そこを圧迫されて本当に身体がどうにかなりそうだ。
痛みでだんだん意識が遠ざかりそうになる。
そんなときだった、アサドがポツリと言ったのは。
「分かった。昴クンのお願い、叶えるよ」
私は絶望的な気持ちでアサドを見た。
アサドは眉根を寄せてとても苦しげな顔で私を見てから、金色の瞳に力を入れて昴さんを睨む。
「ふ……ふはは……はははははははっ!!」
何がおかしいのか、昴さんは私の右肩から足を外すと、高らかに笑い始めた。
「まさかかの万能な魔神がそんな顔するなんてなあ! どれだけ必死なんだよ! まぁ、俺に逆らうなんてありえないんだけどさ」
昴さんはひとしきり笑うと、私に向けていた銃口を少しずらして止める。
その先にあるのは――私の、心臓!?
「それほど情が移ったってことは、梅乃、お前も邪魔者だ」
「え……」
「やめろ!!」
「大人しく消えてもらうぞ」
口元に薄ら笑みを浮かべて、昴さんはゆっくりと引き金に当たる指に力を入れる。
手足を縛られ、肩も撃たれて、逃げられるはずがない。
嫌だ!
死にたくない!!
こんな男なんかに殺されたくない――――!!
「――――ぅぁぁぁぁぁあああああああああああっ!!!!」
その瞬間、突然どこからか、叫び声が聞こえてきた。
アサドも昴さんも私も、不審に思ってそちらを確認する。
見えたのは、天井からこっちに向かって飛んでくる、金色の光沢を放つカエル。
「な……っいつの間に!?」
瓶に閉じこめていたはずのカエルに、昴さんは慌ててそちらに銃口を向ける。
しかし昴さんが動くのよりも先に、フリードが昴さんの顔面に直撃した。
「フリード!!」
――ガッチャーン!!
遅れて瓶が割れる音が聞こえてきた。
見ればシャルロッテのすぐ近くで、フリードが入れられていたはずの瓶が粉々になっている。
その上で瓶を吊していたヒモがゆらゆら揺れていた。
「くそっこの駄ガエルが!!」
昴さんは顔にへばり付いたフリードを急いで剥がそうとするが、フリードはすぐに体勢を立て直し、昴さんの背中側からスーツのジャケットの中に入り込む。
流石の昴さんもカエルに服の中を動かれたら気持ち悪いようで、ゾクゾクと身体を揺らしながらフリードを捕まえようとする。
その姿は、正直滑稽でもある。
「こんのっちょこまかと!!」
どれだけ昴さんが腕を動かしても、フリードの動きがすばしっこくてなかなか捕らえられない。そうこうしているうちにフリードが昴さんの脇を通ってスーツの内ポケットに辿り着くのが下から見えた。
すかさずフリードはその中に入り込み、そしてすぐに出てきた──アサドの魔法のランプを両手で持って。
「梅乃っ受け取れ!!」
「えっ!? ちょっ私両手縛られて――っ」
「それ!!」
その体勢で一体どうやって力が入ったのか、フリードは私に向かってランプを投げつけてきた。
しかし、両手両足縛られ床をのたうつしか出来ない私には、それを受け止めるなんて出来なくて――。
「――――あだっ!!」
案の定、ランプは私の顔面に直撃。
それもあの小さい身体のどこにそんな力があったのか、鼻の骨が折れるかと言うくらいに勢いよく飛んできた。
「くそっ! 邪魔しやがって……っ!!」
身体から落ちそうになるランプを顎に挟めば、昴さんは服の中のフリードはそのままに、私に向かって再び銃口を向けてきた。
「させない!!」
すると、昴さんのスーツの内ポケットにいたフリードが、すかさず拳銃に飛び乗った。
その瞬間、引き金に置いていた昴さんの指に力が入る。
パンッ!!
それは私の左足を目掛けていたが、フリードが乗った重みに寄るものか、若干向きが変わって地面に撃ち付ける。
「邪魔をするんじゃねえっこのくそガエルがあっ!!」
「フリー――ぅぐっ!!」
昴さんは銃に乗ったフリードを勢いよく投げつけるが、フリードが宙を藻掻いたため、それは私のお腹に落ちてきた。
「後でいっぱい謝るから今は我慢して」
「が……がまんって……」
こんな状況でフリードは短くそう言うと、私の顎に挟んであったランプを両手で抱えた。
それと同時に昴さんが一歩こちらに近づく。
――カチャリ。
「おい、たかが一匹のカエルが何かしたところで、状況は変わらないんだ。むしろ、自分の行いを悔いるんだな」
昴さんは不機嫌さ丸出しで、私とフリードを見下ろし、どちらとも取れる方向に銃口を向けた。
確かに昴さんの言うとおりだ。
ランプが私の元にあったとしても、カエル姿のフリードが持っていたとしても、危機的状況は変わらない。
だというのに、フリードはふんっと鼻で笑った。
「状況は変わらないだって? あんたこそ自分の行いを悔いた方がいいんじゃない?」
「は? どういうことだ?」
昴さんの胡乱げな様子に、フリードがエメラルド色の瞳を強く細める。
「あんたが僕たちの大事なものを傷つけたってことさ」
その瞬間、昴さんの後ろがピカッと光った。
一体何事かと思ったとき、昴さんの身体が勢いよく吹き飛び、壁にぶつかった。
「本当に、不愉快なことをしてくれるよね、昴クンは」
愉しそうな口調で言われた言葉にそちらを向けば、アサドが手枷に繋がれたまま、手の平をこちらに向けていた。
アサドはそのまま手を握ったり開いたりする。
次の瞬間、私とシャルロッテの手足を縛っていた縄が解け、私の肩の痛みが一気になくなる。
「くそっ! ランプを返せえ!!」
「きゃあっ」
フリードからランプを受け取りアサドの元へ駆け寄ろうとすれば、起き上がった昴さんに腕を掴まれ地面に後ろから倒れる。
さっきのアサドの攻撃か、割と綺麗だった昴さんのスーツはあちこちが焦げていて、昴さん自身もボロボロだった。それでも男の力であることは変わりない。
なんとかランプを逸らしつつ押し返そうとするが、憤った昴さんの力には敵わない。
「このっ放せ!!」
両手でランプを握りしめる私に、昴さんが拳を振り上げる。
だけどその拳が止められるのが、視界の端に映った。
「なん――おまえ……何でその姿に……!!」
言い終える前に、昴さんの身体が投げ飛ばされた。
そして勢いよく私の身体が引き上げられる。
起き上がった先にいたのは、いつの間にか人間の姿に戻っていたフリードだった。
「あんたの企みは終わりだよ。何故ならここにランプが戻ったんだからね」
フリードはエメラルド色の瞳をまっすぐに昴さんに向けて言い放った。
その腕の中に、私をぎゅっと抱きしめて。
「たかがグリムのカエルのくせに……!!」
昴さんは悔しげに顔を歪めながら、近くに落ちていた拳銃に手を伸ばす。
「「「――――!!!!」」」
するとその瞬間、この薄暗い空間が大きく揺れ始めた。
その揺れは立っているのも出来ないくらいに尋常じゃなく、壁を打ち付ける突風のような音も鳴り響いてきた。
「――ふん、遅いよ」
アサドが口元に笑みを浮かべてそう言う一方で、この揺れに危機感を感じた昴さんは、私たちをそのままに、なりふり構わずこの空間から出ていった。
ところで銃声って文字にすると違和感が……あったので、変えてみました




