28.嫌われものオリオン
28.嫌われものオリオン
「オリ……オン……?」
アサドが告げた言葉に、私は驚愕を隠せない。
「ハッ。いくら頭の悪い梅乃でも、その名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
そんなの当然だ。
だって、それは冬の星座を代表する有名なギリシア神話の登場人物だ。
でもまさか、アサドたちと出会う前から知っている昴さんが、ごく自然に大学の先輩として過ごしていた昴さんが、そのオリオンだったなんて、一体誰が想像できる?
「本当に気が付かなかったよ。何せ、とっくの昔におとぎの国から追放されているからね。それが姿形を変えて目の前に現れるとは。その企みに気づけなかったことが不愉快極まりないね」
どこが不愉快なのか、アサドは相変わらずのニヤニヤ愉快顔を浮かべている。
だけど垂れ目がちな金色の瞳がキラリと妖しく光ったとき、やっぱり機嫌が悪いのは認識した。
「おとぎの国から追放……?」
アサドが言った言葉に首を傾げれば、昴さんがふんっとつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「こっちの世界には、おとぎの国にいられなくなったヤツがちらほら来ているんだ。不本意ながら俺もその一人だ」
「一体どうして……?」
もしかすると、その答えがランプを奪った理由なのかもしれない。
そう思って重ねて尋ねれば、昴さんは一瞬だけ忌々しそうに顔を歪める。
「どうして、か。それは俺が言いたい言葉だよ、まったくな」
言葉に棘を含んでそう吐き捨てる。
そして徐にこの薄暗い空間を歩きだし、その中央に止まって私をまっすぐに見下ろしてきた。
「少し、昔話をしてやるよ」
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<オリオンの逸話>
オリオンは海の神ポセイドンの息子で、逞しく凛々しい美青年でした。また力の強い狩人でもありました。父親はこの息子に海の底を、また海の上を歩く力を授けました。
キオス島に立ち寄ったオリオンは、その島の王女に一目惚れをし、結婚を申し入れました。ところが、王はオリオンを好ましく思わず、島を荒らしている獅子退治を条件に王女との結婚を考えると言いました。王はこれでオリオンが死ぬことを願っていましたが、オリオンは見事に獅子を討ち取りました。思惑の外れた王は、結婚の約束をはぐらかし続けました。さすがのオリオンもこれに怒り、王女の処女を力づくで自分のものにしました。王はオリオンのこの行いに怒り、オリオンを泥酔させ、その両眼をえぐりぬいて彼を海辺に捨てました。
盲目になったオリオンは、遥か東のレムノス島に渡り、更にそのまた東のオケアノスの果てまでたどり着きました。このとき曙の女神エオスがオリオンに一目惚れをし、その兄ヘリオスに彼の目を治してもらいました。そうしてオリオンはエオスとの恋に夢中になりました。
恋多きオリオンは、エオスとの恋に夢中になる一方で、アトラスの娘プレアデス七姉妹にも心を奪われ、彼女たちを追い掛けました。一方、曙の女神のエオスはオリオンに会いたいがために仕事を早々に引き上げてしまうため、夜明けの時間が短くなりました。これを不審に思った狩りの女神アルテミスは不審に思い、エオスの宮殿まで様子を見にやって来ました。そこでオリオンはアルテミスと運命的な出会いをするのでした。
狩りの女神のアルテミスと狩人であるオリオンが恋に落ちるのには時間がかかりませんでした。二人は一緒にクレータ島に渡り、穏やかに暮らし、お互いに結婚を考えるようにもなりました。
しかし、アルテミスの兄であり太陽神のアポロンは、オリオンのの乱暴な性格を嫌い、二人の結婚を反対し、ことあるごとにアルテミスを叱りましたが、アルテミスは聞き入れませんでした。そうしたとき、オリオンの元に毒サソリが現れました。
驚いたオリオンは海へと逃げましたが、ちょうどそのとき、アポロンが海の中を頭だけ出して歩くオリオンを見つけました。そこでアポロンは太陽の光でオリオンの頭を金色に輝く岩に見せかけ、狩りの女神であるアルテミスに、弓の達人であるお前ならばあの岩を弓矢で射られないわけがないと、挑発しました。あまりにも遠くオリオンを認識できなかったアルテミスは、兄の挑発に乗りその岩に向かって矢を放ちました。矢はオリオンに命中し、オリオンは死んでしまったのでした。
(ギリシア神話より)
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「――そうして俺の魂はおとぎの国にはいられなくなり、こうしてこの姿に生まれ変わったんだ。誰も俺の知る者もいない、この世界にな」
聞かされた話は、ギリシア神話のオリオンの話そのままだったけれど、それは私の知る昴さんと重なるところがかなりあった。
恋人の父や兄に嫌われるオリオン。
仕事が上手くいかずに上司や会社の人との関係が上手くいかなかった昴さん。
好色家で乱暴者のオリオン。
海外出張に行くたび浮気をしては、私の浮気を疑って無理矢理襲おうとした昴さん。
「それでも俺は、アルテミスへの恋を忘れられなかった。この世界に生まれ落ちてからずっと想い続けていたよ。すると、ちょうど俺が大学を卒業するときだったかな、聞こえてきたんだ。彼女の化身もまた、この世界に存在していると」
昴さんはスラックスのポケットから紺色の小さな箱を取り出した。
見るからに指輪が入っていそうなその箱を、昴さんは愛おしそうに瞳を細め、唇に寄せた。
「俺はすかさず会いに行ったよ、地中海へ。だが最初は門前払い。その姿を見ることもかなわなかった。だからもらったばかりの給料はたいてこれ買って、再び会いに行った」
昴さんはその箱を開けた。
やっぱり中に入っていたのはプラチナに輝く指輪だった。
そのダイアの部分に口づけすると、昴さんは苦しげに顔を歪め、それを握りしめた。
「しかし、彼女は俺の姿を見た途端、銃を向けてきた。まるで狩りの獲物を捕らえるような無機質な目で見てきたんだ。俺は信じられなくて、本当に胸が引き裂かれる思いだった」
多分それが、去年の今頃だったんだと思う。
そのときの昴さんは、ひどく落ち込んでいた。
だってかつては一生を誓うほどに愛していた相手だったのだ。
そんな人に二度も同じ扱いを受けてしまって、悲しみを隠しきれるはずもない。
「だが、それでも彼女への気持ちを諦めきれなかった。だから、その次のギリシア出張の時にまた会いに行ったよ、月の女神の異名を持つアルテミスにふさわしい宝物を用意してな」
「ふうん、それが梅乃ちゃんに渡したあのかぐや姫の宝物ってわけ」
「え……?」
昴さんは指輪を箱にしまうのをつまらなさそうに見ながら、アサドが口を挟んだ。
アサドの言葉に、瞬時に私の頭の中に昴さんからもらった三つの品が思い浮かぶ。
そう、あの“磨けば磨くほど光り輝く植木鉢”に“焼いても燃えない服”、そして“宝石がいっぱい付いた観葉植物”。
まさかあれがと思うけれど、昴さんは素直に頷いた。
「そうだよ、梅乃に渡したあの三つの品を、去年の七夕におとぎの国へ忍び込んで手に入れてきた。天女が求めるものなら、アルテミスも喜ぶかと思ってさ」
その口ぶりからするに、まさかあの品はおとぎの国から盗んできたということなのだろうか?
アルテミスの心を手に入れるために?
「でもそんなの何の役にも立たなかった。やはり彼女は俺を認識していなくて、代わりにあいつの兄が寄越した取り巻きに追われて、殺されそうにまでなった。それが、去年の10月のことだ」
色々と話が結びついた。
去年の10月といえば、昴さんが一ヶ月以上の海外出張に行って、不機嫌に帰ってきた時だ。
例えどれだけ昴さんがアルテミスのことを愛していたとしても、盗んだもので口説こうだなんて、そんなの気持ちを伝える以前の話だ。それで殺されそうになったとしても、昴さんに文句は言えないはず。
あのときは私に縋り付く昴さんを許してしまったけれど、こうして聞いてみると、同情の余地なんかない。
だけど、昴さんは堕ちるところまでもう既に堕ちてしまっていたようだ。
それまで悲しげに細められていた瞳に狂気の色が戻る。
「そのとき、俺は心に決めたんだ。あの憎き男――アポロンに復讐してやるとな」
昴さんはスーツの内ポケットにしまっていたランプを再び取りだした。
「それが……ランプを奪った理由……?」
神妙に尋ねれば、昴さんはニッと口角を持ち上げた。
つまりそれは、肯定の証だろう。
「もっとも、ランプの噂を聞いたのはもっと後だったけどな。梅乃が持っていることもそうだが、邪魔くさくてどうにかしたかったあの三つの品をまさか梅乃が要求してくるなんて思わなかった」
昴さんは再び私の前にしゃがみ込むと、口角を持ち上げたまま、私の唇を親指でなぞった。
「本当に梅乃だけだよ、俺の役に立ってくれたのは」
昔、私に何度も言ってくれた言葉を放つ。
だけど、いい笑顔で言われたそれには、まったく気持ちがこもっていない。
それどころか、どことなく私を嘲笑っているようにすら思える。
こんな男を本気で恋して、許して、ヨリを戻そうかと一瞬でも考えた自分が本当にバカだった。
しかも、まんまとそれに利用されるなんて。
沸々と、心に怒りが湧いてくる。
「――さて、長話も終わりだ。俺のお願いをちゃんと聞いてもらうぞ、ランプの魔神よ」
昴さんは立ち上がり、勝ち誇った顔でアサドの方を見る。
本当にこんな最低な男にランプを盗られたかと、悔しくて仕方がない。
だけど、そんな私の怒りを、アサドがへし折った。
「やーだね」
アサドは全くの危機感もなく、それどころか、べっと舌を出してそう言った。
まさかアサドが素直に昴さんの言うことを聞くとは思わなかったけれど、この反応には少し拍子抜けだ。
「だって昴クンのお願いってアポロンの暗殺でしょ? そんなことしちゃったら、ボクがゼウスに殺されちゃうよ。職も失っちゃうし、ボクの立場ってのも考えて欲しいよね」
そりゃそうだ。
おとぎの国を追われた昴さん――オリオンと違って、アサドはれっきとしたおとぎの国の中央役場の役人だ。
太陽神のアポロンがおとぎの国で一体どれだけの地位にいるのか分からないけれど、本来おとぎの国を取り締まる役職のアサドが、その中で混乱を招けるはずもない。
いくら万能な魔神といえども、聞けるお願いと聞けないお願いがあるのは当然。
お望みの回答が得られなくてざまーみろと、昴さんを睨み見る。
しかし昴さんは、眉間に皺を寄せただけで、口元の笑みを保ったままだった。
「お前の立場? そうだな、それを考えていないのは、お前の方じゃないのか?」
「え――――?」
パンッ!!
一体何が起きたのか、頭が考えるのを拒否しようとする。
ただ分かったのは、耳元近くを通った、風を切る音。
それから、まっすぐに私に向けられた銃口。
「これでもお前は、俺に逆らうのか?」
昴さんは口元に笑みを湛えたまま、声を低くして言った。
一辺の躊躇もなく至近距離から放たれたそれに、一気に恐怖に身体が震える。
「へぇ、ボクを脅すために梅乃ちゃんを連れてきたわけ? 本当にいい性格してるよね」
アサドが一段低いトーンで、昴さんを睨み付ける。
口元は笑みを浮かべているけれど、金色の瞳はもはや笑ってもいない。
完全に機嫌の悪いときの表情だけれど、対する昴さんは余裕そうに笑みを深めるだけだ。
「ふんっまさか、かの万能な魔神が、ほんの一時主人になっただけの梅乃にご執心だとは思わないが、目の前で殺されるのは気持ちが良くないだろう? 俺は本気だぜ」
「…………っ!!」
昴さんは一歩こちらへ近づくと、私の頭にその銃口を当てた。
その瞬間、アサドの口元から笑みが消える。
「こんなヤツでもボクのご主人サマだなんて、反吐が出るね」
「ふっ従う気になったか?」
「ぐふぅ……っ!!」
昴さんは私のお腹に勢いよく蹴りを入れる。
内臓が抉られるかのような衝撃に、私はそのまま横に倒れる。
だけど、昴さんの銃口はこちらに向いたままだ。
「ほら、どうする?」
答えを促す昴さんの言葉に、アサドは忌々しそうに瞳を細め、唇を噛んでいる。
こんな男のために私が犠牲になるなんて、絶対に嫌だ。
だけど、まさか太陽神を殺すだなんて、そんなことアサドにさせていいわけがない。
どうすればいいの?
誰か、助けて――――!!
オリオンの神話はあれこれ説があるようですね(汗




