27.奪われた魔神
梅乃視点に戻ります
27.奪われた魔神
ひんやりした空気に、ぶるりと肩を震わす。
だけど何故か両手は不自由で、堅い感触が右半身に当たる。
どうにも違和感を覚えて身じろぎすれば、胸のあたりが痛むし、足も自由に動かせない。
一体どういう状況なのかとぼんやり疑問に思っていると、覚醒し始めた私の耳に、誰かの話し声が聞こえてきた。
「どういうことですの!? わたくしとフリードリヒ様をおとぎの国へ帰してくださるのではなかったのですか!?」
キンキン耳に響くその声は明らかにシャルロッテのものだ。
私は顔をしかめながら目を覚ます。
目に飛び込んできた光景に、目を見開いた。
薄暗いコンクリートを打ち付けたかのような空間に、シャルロッテが両手両足を縛られている。その真上には金緑色のリンゴ大のカエルが、瓶に入れられた状態で、壁に打ってある釘みたいなものに吊されている。
そしてその前に立つのは、スーツ姿の一人の男。
私の位置からでは後ろ姿しか見えないけれど、その人が誰かなんてすぐに分かった。
昴さんだ。
「わたくし、言うとおりにしましたわ! なのにこの扱い、話が違いま――っ!?」
――――パンッ!!
「耳障りな声でピーピーギャーギャー。少しは静かに出来ないのか、グリムのお姫様はよ」
一体何が起きたのか、目の前で起きた光景に頭がついていかない。
だって信じられない。
昴さんがシャルロッテに向かって銃を撃ったなんて。
「大体一介の姫君の分際で、俺に口答えするなど許されると思っているのか」
昴さんはシャルロッテに拳銃を向けたまま、硬質な低い声とともに一歩また一歩とシャルロッテに近づく。顔の横すれすれのところを通った銃弾に、シャルロッテは蒼白な顔でこれでもかというくらいにエメラルド色の瞳を見開いている。
「ふん、それともあれか。乱暴にされる方がお好きなのか、シャルロッテ王女様?」
「かっかはっ……っ!!」
昴さんはシャルロッテの前にしゃがみ込むと、シャルロッテの頬に拳銃をこすりつけ、とても甘い声を放つ。完全に恐怖に囚われたシャルロッテは、まともに声も出せず、身体を震わせ動けないでいる。昴さんは更に恐怖を煽るように、拳銃を握っていない方の手で、シャルロッテの首筋を握る。
――助けなくちゃ。
――逃げないと。
相反する気持ちが、同時に湧き起こる。
だけど助けようにも逃げようにも、私も両手両足縛られていて動けない。
それ以前に、昴さんが恐ろしすぎて、身体が動かない。
すると、震えていたせいか、身動きを取ろうとしていたせいか、床を擦る微かな音が立ってしまったようだ。
昴さんがこちらに気が付く。
「あぁ梅乃、起きたのか。よく眠れた?」
さっきまでシャルロッテに向けていた恐ろしい雰囲気はどこへやら、昴さんは毒気のない爽やかな笑顔で、まるで天気の話をするかのような口調で近づいてくる。
だけど、スーツの内ポケットにしまおうとしている拳銃を、さっきシャルロッテに向けて撃ったのをこの目で見たのだ。
逃げなければ、身体の自由が利かないまでも必死に距離を取ろうと後ずさる。
しかしすぐに背中に壁が当たり、逃げ場がなくなる。
「梅乃の返事を早く聞きたくてさ、まぁ断るなんて選択肢はないと思うけど、ちゃんと捕まえておきたかったんだよ」
昴さんは私の前にしゃがみ込むと、私の身体を起こし、右手で私の顎を捉えた。
狂気に光る瞳と目が合う。
「演奏会だもんな。いつもより化粧してお洒落して、この格好も、かなり魅惑的だ」
口元をニッと笑わせると、昴さんはノースリーブブラウスから出ている肩を左手で官能的に撫でながら、ゆっくり顔を近づけてきた。
逃げたいのに、嫌なのに、恐くて声が出ない――!!
「いつまでそんな茶番を続けるつもりなの?」
割り込んできた少し高めの男の声に、昴さんの動きが止まる。
同時に少し愉しげに光らせていた瞳を、つまらなさそうに細め、肩を竦めて声のした方を振り返った。
「万能な魔神っていうのは、空気を読めないものなのか?」
聞こえてきた声にまさかとは思っていたが、その予想は当たっていた。
シャルロッテの向かい側の壁から伸びた手枷に、アサドが繋がれていた。
こんな状況でも、アサドはいつものように金色の瞳を細め、ニヤニヤ愉快そうに口角を持ち上げている。
「昴クンこそ空気を読んでボクも混ぜてくれたっていいんじゃない? 見ているだけなんてつまらない」
「へえ? 前の主人を一緒に味見か。なるほど、アラビアンナイトで馳せているたらしの称号は伊達じゃないってか」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ。色恋多きギリシアの狩人」
とても自然に会話が繰り広げられているけれど、一体これはどういう状況なの?
どうしてアサドがここにいて、私たちはみんな縛られているの?
っていうか昴さん、さっきアサドのことを「万能な魔神」とか言わなかった?
アサドも昴さんもお互いによく知っている風に会話しているけど、会話の内容が理解できない。
困惑に眉をひそめていると、昴さんが再びこちらを向く。
「分かりやすく説明してやるよ、梅乃」
昴さんはニヤリと笑みを浮かべると、スーツの内ポケットに手を入れる。
そこから取り出したものを、昴さんは高々と掲げる。
掲げられたそれに、私は驚愕に目を見開く。
「お前のランプは俺が頂いた」
そう、昴さんの手には、金色に輝くランプ。
側部に赤い帯状の装飾の付いたそれは、紛れもなくアサドが入っていた魔法のランプだ。
一体どうして昴さんが――――!?
「ドバイとか地中海とか行っている間にさ、耳に入ってきたんだよ。日本で魔法のランプを手に入れたヤツがいるってさ」
昴さんはランプを持っていない方の手で、私に手を伸ばす。
「するとそれを持っているのは梅乃だって言うじゃん? だったら近づかないわけがないよな。梅乃って割と従順で単純だし、すぐに落として奪ってしまおうと思ったよ」
伸ばされた手は、そのまま私の髪にたどり着く。
由希に綺麗に整えてもらったそれは、昴さんの大きな手で、無惨にも解かれる。
解けた毛束が、はらりと肩に落ちた。
「しかし梅乃は渋るし、その上周りには鬼塚やら魔神やらあの金髪野郎がいたりして、なかなか奪えない。どうやらお前ら揃って面白い状況になっていたし、期限までとことん遊ぶのも手かと思ったが、そうも言っていられなくなった」
昴さんは立ち上がると、シャルロッテの方へ歩いていく。
「それでこのグリムのお姫様に頼んだんだよ。魔法のランプを盗めってさ」
シャルロッテの方を見れば、こぼれ落ちそうなくらいに大きな瞳でこちらに向けていた顔を、ばつが悪そうに逸らした。
どうやらその通りらしい。
「だが今日になるまで結果なしだ。まったく、そこのカエルといいグリムの王族は役立たずばっかりなんだな」
「きゃあ……っ!!」
「や……っやめて!!」
昴さんは勢いよくシャルロッテを蹴り飛ばした。両手両足が縛られているシャルロッテは受け身が取れず、そのまま半身を地面にぶつける。
更に昴さんは私の制止の声も聞かずに、倒れた彼女をグリグリと踏みつける。
「あっアサド! 見てないで止めてよ!!」
私は咄嗟にアサドの方を見て命令した。
だけどアサドは私の方を見ると、眉根を寄せて苦しそうな顔をするだけだった。
「な……何やってるのアサド。そんな手枷、アサドならすぐに外せるでしょ……?」
確かに壁から伸びた手枷に、アサドの両手はがっちりと繋がれている。
だけどアサドの魔法を以てすれば、そんなものあってないようなもののはず。
なのにどうして動こうとしないの!?
「本当に梅乃はバカで単純だよな」
昴さんはシャルロッテを踏みつけたまま、こちらに顔を向ける。
見ればとても面白そうに顔を歪ませている。
「その手枷はそいつ用に作らせたんだ。いくら全知全能と言えども、尊き天帝の娘の作るものには、流石の魔神も敵わない。それに今のそいつに、お前の言葉なんか届くはずもない」
つらつら並べられた言葉の意味がよく分からないけれど、要するにその手枷をアサドは外せないということ?
いや、それよりも、私の言葉が届かないって……?
「梅乃ちゃん、ボクの今のご主人は、そこの昴クンなんだ」
弾かれたように私はアサドを見た。
「だから、今のボクに、梅乃ちゃんのお願いを聞くことは出来ない」
アサドはどことなく悲しそうに、ぽつりとそう言った。
意味が分からない。
だって、今までだって、ランプが手元にない状況のときだって、アサドはいつでも私のお願いを――――。
「梅乃、お前、ランプを手に入れてから何回これをこすった?」
「…………え?」
徐に尋ねてきた昴さんの言葉に、そちらを向く。
昴さんはランプを掲げたまま、続ける。
「まぁ単純にこれをこすった者がランプの力を手に入れられるわけだが、それにしても俺のものにするには簡単すぎた。いかに魔神とお前の関係が希薄かを表しているよな」
「私とアサドが希薄……そんなことは……」
言いかけて、もしかしてと思う。
言われてみれば、初めてアサドと出会ってから、私、一度もランプをこすっていない。
だって、アサドの魔法が必要になることなんてほとんどなかったし、ピンチなときはランプがなくとも何も言わなくても、気が付いたらアサドは側にいた。
だけど、主従の関係を表すものが、ランプのお願いだとしたら。
私は一度もアサドにお願いをしていない……!!
「かと言って、別にボクは昴クンのお願いを素直に聞くつもりはないけれどね」
アサドは小馬鹿した様子で言う。
見ればまたもや愉快そうに笑みを浮かべている。
「ふん、このお姫様もお前も、自分の立場を分かっていないようだ」
「ぅぐ……っ!!」
「やめて!!」
昴さんは片足を浮かせてシャルロッテに体重を掛ける。
小さい身体に男の身体は、とても耐えられるようなものではない。
私の制止の声に、今度は素直にシャルロッテから降りるが、それと同時にその小さい身体を蹴飛ばした。
「そもそも、ただの魔神風情が、俺に逆らえるはずもない」
あまりに尊大なその言葉に、そういえばと思い出す。
どうして私たちがここにいるのかとかよりも。
どうしてランプを昴さんが持っているとか、そんなことよりも。
「どうして……グリムとか魔神とか……魔法のランプとか、どうして昴さんがそんなことを知ってるの……?」
一番の大きな疑問を、ぽつりと口に出す。
だってこの人は、まったくもって普通にこちらの世界で生活している日本人だ。
なのに、どうしておとぎの国のことにそんなに詳しいの?
「梅乃ちゃん、昴クンはこっちの世界の住人じゃないよ」
「え……?」
一体どういうこと?
「ギリシア神話に登場する海の神ポセイドンの息子で、色恋多き狩人オリオン。それが昴クンの正体だ」




