26.事件の犯人、それは
ころころ視点が変わってすみません
第三者視点→恭介視点になります。
26.事件の犯人、それは
――ブーッブーッブーッブー。
客席の中央当たりで、携帯のバイブ音が鳴る。
あまり響いているわけではないが、演奏会がこれから始まるっていうのにマナー違反には変わりない。
「ちょっとテオさん、ちゃんと切っておけって言ったじゃないですか」
「すまない……失念していた」
空に窘められ、テオデリックはすかさずジャケットのポケットに入れたかんたんケータイを取り出す。
そのとき、メールが入っていることに気が付く。
送り主はハンスからで。
――梅乃がさらわれた。
その内容に、テオはまさかと目を見開く。
ちょうどそこで開演のベルが鳴り響く。
それと同時に団員が舞台袖から入場してきた。
「あれ? 梅乃いなくないか?」
「ホントね、トップだし後から入ってくるのかしら」
前の席に座る梅乃の兄と母のそんな会話に、テオは舞台を見る。
確かに彼らの言うとおり、チェロの最前列に座るはずの梅乃の姿がない。それどころか、ひな壇の一段目中央に座るはずのハンスもそこにはいない。
「テオさん、だから早く電源を――」
「悪いソラ。俺は少し出る。カール行くぞ」
「え!?」
いよいよ始まるというときに、一体この男は何を言うのかと空はテオを驚愕の眼差しで見る。
しかし、どこかせっぱ詰まったテオは、カールハインツとクリスティアンと目配せをすると、カールと一緒に客席から出ていった。
一方、舞台裏はかなり動揺が走っていた。
「お願い、ハンスさん! 戻ってください!!」
「この状況で戻れるものか! 誰か代役を立てたらいいだろう!?」
「でもあなたの代役なんて誰も出来ませんよ!!」
一曲目降板の管楽器の後輩が、必死でハンスを押し止める。
確かにオーケストラでフルートの人員は全体的に少ないくせに出番が多い。その中でもハンスは格違いに上手だったから、そんな大役を代われる人など大学オーケストラレベルではいるはずもない。
しかし、事態はそう悠長なことを言っていられる状況ではない。
何せ、目の前で梅乃が攫われたのだ。
それも、あの梅乃の昔の恋人に。
もう終わった関係のはずなのにあんなに未練たらしく梅乃に迫るなど、怪しいと思っていた。同時にあの余裕そうな笑みも、どこか生理的に受け付けないところがあった。
案の定、あの男は本性を現し、先ほど梅乃を気絶させ、カエル姿のフリードと共に颯爽とどこかへ消えていった。
すぐに後を追おうとしたが、そのとき既に車に乗って消えていくところだった。
とにかく事態は急を争う。
「待ってください! あなたまでいなくなったら演奏会がめちゃくちゃだ……!」
「チェロトップとヴィオラトップがいない時点で状況は同じだろ? そもそも元からそこまで上手くないんだから」
勢い任せに言ったハンスの言葉に、その後輩が言葉を失う。
だが、ハンスの言うことももっともだし、なまじ実力のあるハンスだからこそその言葉は痛くのし掛かる。
そう、梅乃が攫われただけでなく、夏海まで本番直前に倒れてしまったのだ。二つのパートのトップが突然抜け、しかも梅乃にはソロがあったというのに、舞台裏はかなり騒然としていたのだ。
だが迫る本番を無下にも出来ず、本来のトップが抜けた状態で団員たちは入場し、既に一曲目が始まろうとしている。
本当はハンスも舞台に出なければいけないが、これまで付けていた仮面も張り付ける余裕もないほどにそれどころではない。
「ハンス! 一体どういうことだ!?」
客席に通じる関係者入り口の方から、テオとカールが走ってきた。
ハンスは自分を押し止めようとする後輩をその場に捨て置き、二人に事情を話す。
「何だって!? じゃあカエル兄もいたのか!?」
「これは急いでカリムかアサドを呼ばないとな。指輪とランプはここにあるのか?」
「分からない、とにかくカールは警察に電話して。車のナンバーは『き××-××』だ」
「……ハンス兄、その短時間で覚えたのか」
カールはハンスが言った車のナンバーを忘れないうちに警察に連絡する。
その間にテオとハンスは梅乃の鞄を漁りに女子楽屋へ押し入る。
すると、入ってすぐのところに乱雑に投げ捨てられてある鞄が見つかった。
その脇に落ちているサファイアの指輪も。
ハンスは迷わずそれを手に取った。
「待て、そいつは無実だ。俺が証人となろう」
突然意味も分からず乱暴に扱われていたところを、青色アラブが制した。
その場にいた謎の集団が、息を呑んでヤツを見る。
「これはアラビアンナイト地方の魔神、カリム殿。中央役場の役人でもあるあなたが、どうしてこんな男を庇うのです。この男は悪党の血を引く者ですぞ」
高々と俺の逮捕を言い渡した甚兵衛っぽい格好をした男が、俺に十手を突きつける。その言葉の端々には憎悪が含まれている。
後ろ手に俺を捉える野郎共の力も強くなり、腕が痛みを訴える。
見れば着物姿のヤツらはどいつもこいつもキツネ面を付けていて、一体こいつらが何者なのか分からない。
確かにこいつらの言うとおり、俺は古の伝説に登場する悪党、鬼の血を受け継いでいる。
だがそれだけだ。
こんな扱いを受ける筋合いなど、どこにもない。
「そいつは生まれながらにしてこちらの世界の住人だ。おとぎの国のこととは無関係だ」
「なら何故そこに織姫様がいるのだ!?」
「それにこの部屋にはかぐや姫様の宝物が揃っているではないか!」
青色アラブが俺を弁解しようとするが、キツネ面のヤツらが口々にまくし立てて話にならない。
大体、「かぐや姫様の宝物」って一体何だ?
まったく身に覚えがないが、梅乃の部屋にあるってことだろうか?
おそらくこいつらはこの部屋が俺のものだと思ってそう決めつけているのだろう。
俺としてはかなり理不尽で腹立たしい事態だが、万が一ここにいたのが梅乃だったら、梅乃が同じ目に遭っていたのかもしれない。
もし、そんなことになっていたら、俺は……。
「おい、大人しくしろ!!」
「がはっ!!」
近くにいたキツネ面が勢いよく鞭を振るう。
刺すようなあまりの痛みにそのまま床に突っ伏しそうになるが、後ろにいるヤツが俺の襟を掴んでそれを許さない。
「見てください。言っているそばから牙を剥き出し角を出そうとする。とても反抗的だ」
「話も聞かずいきなりそういう扱いされたら誰だってそうなるだろう。とにかくそいつを放せ」
「カリム殿、あなたはこの凶悪犯を放せと仰るのですか!? 一体何故!?」
「なっ何故なら、わたしをさらったのはその方ではないからです!」
キツネ面たちの物々しい声を打ち破るか細い震えた声に、その場の一同が息を飲んでそちらを見る。ヤツらの視線の先で、織姫が声と同じく身体を震わせながらも、凛とまっすぐに立っている。
「それどころか、その方は犯人の元から逃げるわたしを助けてくださりました。わたしの命の恩人です」
淀みなく言った織姫の言葉に、キツネ面たちに動揺が走る。
正直俺も驚いた。
一昨日歓楽街で会ってから今日青色アラブのところに来るまで、彼女はずっと俺に怯えていた。そもそも命を救うほどのことだって、俺はしていない。
「お……織姫様、それは、本当ですか……?」
するとキツネ面の集団の後ろから、お面を付けていない男が一人、現れた。
キツネ面のヤツらに比べると、あまり戦闘には向いていなさそうな、これまた古風な顔立ちの男だった。
その瞬間、織姫の瞳が見開かれる。
「ひ……っ彦星さま!? どうしてここに……」
「あなたが攫われたと聞いて、居ても立ってもいられず、無理を通して検非違使の方々と一緒に参ったのです」
「ですが彦星さま、わたしは……」
彦星と呼ばれた男が、織姫に近づく。
恋人との再会だというのに、織姫は何故か一歩下がる。
しかし、それに構わず彦星が織姫を抱き寄せた。
「あぁ、あなたが無事で良かった」
彦星は強く織姫を抱きしめると、一端彼女を離し、俺の前に正座し膝の前に手をついた。
「織姫様をお助けいただき、誠にありがとうございます」
周りが聞く耳持たずに俺を責め立てる中、この男は一辺の迷いもなく俺に頭を下げた。
これには俺もその場にいる他の者も、驚きを隠せない。
「まったく、検非違使たちは血が上りやすい人達の集まりだ。オニを見た途端、すぐに犯人と決めつけるのだから」
すると、キツネ面たちと一緒にベランダから入ってきた古代ローマっぽい服を着た集団の一人が、肩を竦めながら一歩前に出た。
見ればそっちの集団はみんなラテン系の顔立ちをしていて、その中でも一歩前に出た男は、まるで彫像が動いたかと思うくらいに整った容姿をしている。
「そもそもこの件には容疑者が確定していると僕は言ったはずだが?」
やんわりと、だが冷たさを孕んだ言葉と共に、そいつの肩に乗っていたワシがギロリとキツネ面たちを睨み付ける。
その気迫は青色アラブでさえ息を飲むものだった。
「しかしアポロン殿、ここにかぐや姫様の宝物がある件についてはどう説明付けるのですか?」
「待て、そもそもここはこいつの部屋じゃない。俺の主の部屋だ」
「と、アラビアンナイトの魔神が言っているが?」
非常に落ち着いた様子で青色アラブの言葉をキツネ面たちに聞かせるが、その前に出てきたとんでもない名前に、俺は驚愕に目を見開く。
アポロンだと?
それはギリシア神話に登場する太陽神の名前じゃないか?
どうしてそんなヤツらがこちらの世界に来ている――!?
「ならば、カリム殿のご主人はどうしてかぐや姫様の宝物を手に入れたのだ?」
そのとき、キツネ面の一人が梅乃の部屋の隅にあった三つの紙袋から中身を取り出した。
出てきたのは、インド模様の植木鉢と木の枝の宝石に、金色の毛皮で出来た上着。
それを見て、以前青色アラブと話したことが繋がった。
青色アラブはあの木の枝の宝石を“蓬莱の玉の枝”と呼んでいたが、そういえばそれは『竹取物語』に出てくる単語だ。
しかし、それは昴さんが梅乃に渡していたものだ。
何故そんなものを昴さんが。
「その毛皮はもしかしてかぐや姫さまの“火鼠の皮衣”ですか?」
すると、織姫が恐る恐る尋ねてきた。
見ればかなり蒼白な顔をしている。
「ど……っどうしましょう……!? わたし、そうだとは知らず、言われるがままにかぐや姫さまの羽織を縫い直してしまい……っ!!」
「織姫様、どうか、落ち着いて」
突然取り乱す織姫を彦星が宥める。
その瞬間、青色アラブがはっとして“火鼠の皮衣”をじっと見る。
よく見れば、袖や裾に絹のようなものがあしらわれている。それどころか、元々は羽織だったものが、コートのように変わっている。
「織姫、聞くが“火鼠の皮衣”を縫い直すように命じたのは織姫を攫った男か?」
青色アラブはまっすぐに織姫を見据えて尋ねた。
織姫は彦星に支えられながらも、首を縦に振った。
それを確認すると、青色アラブはアポロンと呼ばれた男を見た。
「ちなみにお前たちポリスの言う容疑者とは誰だ?」
「それは我が従兄の狩人、その名も――」
だがアポロンが最後まで言う前に、青色アラブの身体がびくりと震え、顔をしかめた。
「くそっこのタイミングで呼び出しか。時間がない、悪いがこいつは俺が預かる! 行くぞ、鬼塚!!」
青色アラブは俺に向かって腕を伸ばした。
次の瞬間、その場にいたはずのキツネ面のヤツらもギリシア神話のヤツらも織姫たちもいなくなり、視界が真っ暗になった。




