22.歓楽街の奥で(恭介)
22.歓楽街の奥で
視線の先で、梅乃が、昴さんに抱きしめられている。
普段あんまり泣かない梅乃が、その泣き顔を昴さんに見せて、縋り付いている。
分かっている。
二人はかつて恋人同士だったのだから、そういう展開になってもおかしくない。
分かっている。
その二人を引き合わせたのは、俺だったのだから。
なのに、その光景を見て苛立ちを感じるなど、俺はかなり身勝手だ。
思わず右手に力が入る。
「ここは普通の大学生が来るようなところじゃないぞ」
後ろからかかった声に、俺はそちらを振り向く。
そこにいたのはあの青色アラブ。
前回会ったときはアラブ服のままだったが、今日は普通の服で、一見こちらに出稼ぎに来ている外国人のように思える。
ヤツはニッと意味ありげに笑みを浮かべている。
確かにここは歓楽街。
こいつの言うとおり、普通なら来るようなところじゃないだろう。
そう、普通ならば。
「俺が“普通の大学生”じゃないことは知ってると思っていたが?」
「まぁな。お前の用事はそれか?」
青色アラブは俺の手にある黒い封筒を視線で差す。それは親戚から送られてきた手紙で、確かにこいつの言うとおり、俺がここにいる理由はこの手紙の内容だ。だが、どうしてこいつがそんなことを知っているのか、俺は思わず睨み付ける。
「待て待て、今のは勘。別にお前のことなんでも知ってるわけじゃねえよ」
「当然だ」
「相変わらずつんけんしてんな」
それも当然だろう。何が楽しくてこんな得体の知れないアラブ人と会話しなくちゃいけないんだ。
俺はそう思っているのに、この青色アラブは構わず俺の隣に並ぶ。
「相変わらず隅に置けねえなぁ、あいつ」
青色アラブは、ニヤリと琥珀色の瞳を細めて笑う。
その視線の先では、昴さんの腕の中で、梅乃が泣いている。正直俺にとっては見たくもない光景だ。
だが青色アラブは、見るからに冷静だ。
「お前は……あれを見て何とも思わないのか?」
押し殺して出した声は、知らずのうちに震えていて、思ったより喉に負担がかかったようだ。そんな俺の様子を、青色アラブは笑みを浮かべたまま横目で見る。
「お前は面白く思わないんだろう?」
至って平然としたその素振りに、俺は思わず顔を逸らす。まるで俺の余裕のなさが浮き彫りになったような感じがして、かなり不愉快だ。
だが、青色アラブの反応もまた、俺には理解できない。
だってこいつは梅乃の隣人で、いつだって颯爽と俺から梅乃を連れ去っていく。薬に侵された梅乃を襲ったとも言っていた。
なのに、今の言葉を裏返せば、こいつは梅乃が他の男と一緒にいても平気ということになる。
果たしてこいつと梅乃の間には何もないのか?
「ふん……まぁこんなところで風俗嬢と遊んでるようなヤツにはどうでもいいか」
実は今日俺がこいつを見たのは今が初めてじゃない。
さっきここに来たときに、歓楽街の奥の方でこいつが派手な女に腕を掴ませて歩いているところを見たのだ。
それはつまり、そういうことだろう。
「大事な情報源だから仕方ないだろ? そんなことより鬼塚、お前、あれどう思う?」
図星なのかあんまり見られたくなかったのか、青色アラブはばつの悪そうな表情を浮かべると、誤魔化すように話を戻してきた。
「都合が悪いからって話を蒸し返すなよ」
「はあ? ちげーよ。あの男が出した物について聞いてんだよ」
青色アラブは呆れたように言いながら、顎で梅乃たちの方を差す。
渋々その方向を見れば、昴さんが梅乃に何かを渡していた。
それは梅乃の手に収まるくらいの二股に分かれた棒だった。
遠目に見ると木の枝の形をしたそれは、根元は銀色で二股の先は金色に輝き、棒の先にはいくつもの純白な真珠がくっついている。
青色アラブは、もう一度俺に尋ねる。
「お前、あれをどう思う?」
「どうって、変わった形の宝石だと思うが……」
「はぁ、見る目ねえなぁ」
俺の回答が期待はずれだったのか、青色アラブは盛大にため息を吐く。その様子に俺は少なからずむっとする。
俺は確かに「普通の大学生」なんかじゃないが、それでも大学生なんだ。そんなヤツが宝石の価値なんか分かるわけがないだろう。そんなもの、梅乃ですら分からないはずだというのに。
だが、あの木の枝の形をした宝石は、遠く離れている俺でも惹きつけられるほどの魅力を放っていた。
身体の奥で血が疼くのが分かる。
この感覚は以前にも感じたことがある。
あれは確か、昴さんが梅乃に鉢のような物を渡したときだったような――。
「俺にはあれが本物のように見えるんだよな」
少し間を置いてから、青色アラブが言う。
横目でそちらを見れば、眉をひそめて、あの木の枝の宝石を睨み付けている。
「本物?」
「あぁ。“蓬莱の玉の枝”な」
青色アラブの口から出てきた言葉に、俺は一瞬頭の中で疑問符を浮かべた。
“蓬莱の玉の枝”?
その単語は随分前に古文で聞いた気がする――何の話で出てきたかは思い出せないが。
すると視線の先にいた梅乃が、はっと我に返ったようで、昴さんから受け取った木の枝の宝石を持ったまま、どこかへ走り去った。
その後ろ姿を満足そうに眺めると、昴さんは踵を返し駅の方へ去っていった。
隣で青色アラブがため息を吐く。
「どうやら梅乃は、普通じゃ手に入りにくいものをあの男に要求しているようなんだが、どうにもあの男が持ってくるものが怪しいんだよな」
「怪しい……?」
昴さんが梅乃に贈り物をするのは、梅乃とヨリを戻すための条件だということは、以前俺も昴さんから聞いた。
「あぁ、怪しいな。先週も梅乃に毛皮のジャケットを持ってきてたんだが、あれもどうにも俺には“火鼠の皮衣”に見えて仕方ない。だがそれにしては絹の布が宛がわれていたしな……」
俺は再び疑問符を浮かべる。
だが、さっきの“蓬莱の玉の枝”にしても“火鼠の皮衣”にしても、少なくとも簡単に入るような代物ではないだろう。
そういえば、以前俺が見た鉢も、そうだ。梅乃がひと磨きしただけで真っ白な光を放ったあの鉢。正直俺には眩しすぎるくらいの輝きだった。
どうして梅乃があんなのを昴さんに要求したのかはともかく、どうして昴さんがあんなものを用意できたのかは、言われてみれば確かに怪しい。
「へーえ? キミたち二人が仲良く一緒にいるなんて、珍しいものでもあるんだね」
すると別の声が後ろからかかった。
笑みを含んだ少し高めのトーンに嫌な予感がして振り返れば、案の定、赤色のアラブが楽しげに笑みを浮かべていた。
一体これのどこが「仲良く」に見えるというのか、こいつの目が腐ってるんじゃないかと思う。
だがそれを口にすると嫌な予感しかしないので、俺はただ黙ってその軟派そうな顔を睨み付ける。
「アサド、そっちはどうだ?」
「はぁ、本当にやんなっちゃうよね。大したもの使ってるわけでもないはずなのに、突き止めようとするたび跳ね返される。これだからグリムの魔法って嫌い」
赤色アラブは吐き捨てるかのように鼻で笑うと、右手を顔の前に出した。もともとの肌が浅黒くて分かりづらいが、手の甲が火傷のような怪我を負っているのはすぐに分かった。
それを見て青色アラブが呆れたようにため息を吐く。
「お前……そんなことをここでおおぴろげに言うなよ」
「えーどうせ恭介君も分かってるんだろうし、構わないでしょ?」
俺を気安く名前で呼ぶな。
「グリムとは相性が悪いのは前々から分かってたけど、こうもはじかれると、腹が立ってくるね」
「まぁ、その中でもフリードの魔法自体、強力だからな」
ここまできてようやくフリードの話だと認識する。
そういえばあいつも月曜から急に様子がおかしくなった。
確かにそれまでは梅乃に対してつんけんしていたが、それは端から見れば、梅乃とのわだかまりをどう解消すればいいのか分からずにいるようでもあった。
だが、今のフリードは心底梅乃を憎んでいるような物言いをする。それどころか、鬱陶しがっていたはずのあの婚約者に対して、急にベタベタするようになった。
まるで別人だ。
早く元に戻って欲しいと梅乃が言っていたが、それは魔法によるものなのだろうか?
「ま、ここでうだうだ言ってても仕方ないし、引き続きカエル君のことは調べるよ」
「そうだな。俺も情報集めに戻ろう。鬼塚、あの男とフリードについて何か気が付いたことがあったら、梅乃経由で俺らに報告してくれ、いいな」
「はあ? 何で俺が」
そこまで言いかけると、青色アラブは再びニッと笑みを浮かべて、俺の肩を叩いた。
「頼んだぞ」
その様子を赤色アラブが愉快そうにクスクス笑う。
そして瞬く間に二人のアラブは目の前から消えた。
俺はその場に一人、立ちつくす。
一体何だって言うんだ。
頼まれたって言われても、別に俺が報告する義理はないだろ?
そもそも俺はあいつらのことを胡散臭く感じているし、そんなヤツらが梅乃の近くにいると考えると、苛立ちが増す一方だというのに。
嫌悪感は全面的に放っていたはずなのに、そんなヤツに「頼んだ」なんて言うヤツがあるか。
「梅乃が側に置くのも、納得できるな」
納得せざるを得ない。
爽やかすぎるあの態度に、敗北感すら感じるのだから。
こみ上げてくる苦みを誤魔化すように、深く息を吐く。
――ドンッ。
「きゃあ!」
「!?」
女の悲鳴と共に、急に背中に何かがぶつかった。
「すっすみません! 前を見ていなくて……っ」
少し高めの声に振り返れば、随分と低い位置にまっすぐな長い黒髪が見えた。
彼女は俺を見上げる。
着物にしてはよく見るそれとは異なる様相の、今時珍しいくらい古風な顔立ちの娘。
まるで、飛鳥時代からトリップしてきたかのような出で立ちだが――。
「ひ……っひぃ! すみません! 前を見ていなかっただけなので、命は取らないで……!」
俺の顔を見た瞬間に蒼白な表情になった。
怯えた様子で俺から一歩また一歩と後ろに遠ざかる。
これには俺も戸惑うばかりだ。
「は? いや、何を言って……」
「あ、いたぞ! あそこだ!」
すると娘の後ろから派手なスーツを着た男が数人こちらに向かって走ってきた。
娘は俺とスーツの男たちを交互に見て足をすくませる。
一体何なのか知らないが、彼女は見るからにここにいるような女ではない。そんな娘を追いかけるとは、見過ごせるわけもない。
「えっあの、ちょっと!?」
「いいからこっちだ」
俺は彼女の腕を引いて、そのまま駅に向かって走る。
本当はあいつらと対峙した方がいいのかもしれないが、ここでまた暴力沙汰を起こすと色々めんどくさいから仕方ない。
「おい、待て!」
後ろから派手なスーツを着た男たちが追いかけてくる。
夕方のこの時間は人もそれなりにいるので紛れるかと思ったが、時間の問題かもしれない。
俺は駅のロータリーに停まっているタクシーに娘と一緒に乗り込む。急いで行き先を言えば、タクシーはすぐに発車した。
もしかすると男たちも後ろからタクシーで追いかけてくるかと思ったが、俺たちの乗った車が発車したのを見ると、諦めたように引き返していった。
俺はふぅと息を吐く。
同時に何をやっているのかという気さえしていた。
「あんた、一体何で――」
「どうしてわたしを助けてくださったのですか?」
「は?」
隣を見れば、娘が震えた身体で息を切らしながら、真っ黒な瞳をこぼれ落ちそうなくらいに見開いている。
「だってあなたは……」
その後に紡がれた言葉に、俺は眉をひそめる。
どうしてこの娘がそんなことを知っているんだ?
「あんた一体誰だ?」
珍しい着物に古風な顔立ちの娘。
考えられるとしたら、理由は一つだけだ。
娘は襟元を正して言った。




