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捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第1章 遥かな銀河の彼方から
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21.甘いささやき

21.甘いささやき



「夏海、あの、一緒に練習しない?」


 その翌日木曜日の夕方、私はサークル会館の練習室で楽器を慣らしている最中の夏海に話しかける。

 夏海は私を一瞥すると、形だけの笑みを浮かべた。


「ごめん、あたしあっちで1年の子見るって約束してるから」

「そ……そっか」


 返事だけすると、再び夏海はヴィオラに顎を乗せる。

 それは無言であっちに行けと言っているのだ。


 私は自分のチェロを持って、とぼとぼとその場を離れる。



「梅乃、夏海とケンカしてるの?」


 夏海と同じ空間にいるのが居たたまれなくて他の練習室に行けば、ちょうどクラリネットから口を離した由希が話しかけてきた。


「分かる?」

「そりゃあ、分かるだろ」

「梅乃ちゃんと夏海ちゃん、昨日から妙によそよそしいしね」


 由希と一緒に合わせていた柳さんと曜子さんも顔を上げてこちらを見る。どうやら結構みんな察しているようだ。

 由希が探るような顔をする。


「梅乃、何があったの?」

「何って……」

「どうせ、梅ちゃんが夏海ちゃんに余計なことでも言ったんじゃないの?」


 どこから現れたのか、フルートを持ったままハンスが口を挟んできた。

 その言葉と嫌味っぽい笑みに、私はこの男を無性に殴りたくなってくる。


「元はと言えばあんたがいなければ……」

「はぁ? どうして俺が悪いの? そうやって自分の罪を人になすりつけないでくれるかな?」


 少し語調を強めて返してくるハンスに、私は何も言えない。


 確かに夏海が私に対して不快に思うのは何となく分かるよ。

 片恋相手のハンスが別の子に構っていたらそりゃあ気持ちよくない。例えそれが単なる嫌がらせだとしても。

 でも正直なところ、私だってハンスの行動がよく分からないのだ。嫌がらせしたいだけなら昴さんとのことを放っておいて欲しいのに、やたらと執拗に聞いてくる。


 本当に何がしたいのか分からない。


「あんたなんて大嫌い」

「奇遇だね、俺もずっと思ってるよ」


 ハンスはどこかつまらなさそうにそう言うと、窓辺の方へ行ってフルートを吹き出した。

 それを見送りながら、柳さんがはぁとため息を吐いた。


「とにかくお前ら、早いところ仲直りしておけよ。こんな本番間際でお前らがそんな状態だったら全体の志気にも関わるからな」


 本当にその通りだ。

 オーケストラは何人もの何十人もの人でようやく作り上げられるものだけど、それにはやっぱりメンバーそれぞれの繋がりが必要なのだ。ケンカしているのがそのうちのたかが二人でも、悪い雰囲気は周りに伝染する。



 だから早いところ、夏海とのわだかまりを解消したいのだが――。







「やっばい、急がないと……!」


 金曜日の夕方、電車の入り口に集る人を押しのけて私は改札口へと走る。


 本番二日前、今日から演奏会場のホールを借りての練習があるのだ。なのに学科の実験が私の班だけおして、合奏開始時間に間に合うかどうかかなりギリギリになってしまった。

 未だにわだかまりが解けていない夏海は自分の班の分が終わったら先に行っちゃうし、なんだかここんところの私はダメだ。

 いやいや、こう後ろ向きになるのももっとダメだ、しっかりしないと。


 演奏会場のホールは二つ隣の駅からバスに乗って7分の場所。しかし悠長にバスを待っている時間もない。ここからホールまで走れば15分で行けるだろうか、私は全力で走り出す。


 しかし、駅のロータリーを出たところで人にぶつかってしまった。


「痛……っ」

「す……っすみませんっ!! って、あれ……?」


 顔を上げれば、そこにいたのはなんとフリードだった。

 フリードは案の定、かなり不機嫌そうな顔で私を睨み付けている。


「本当にあんたって暴力的だよね。いきなりぶつかってくるとかかなり野蛮」

「ごめん、急いでたから……。フリードこそ何でここにいるの?」

「はぁ? 何でそんなことあんたに言わなきゃいけないの?」

「それは……」


 そう聞かれたら確かにフリードが答える必要性は薄いけど、これも会話の一つじゃないか。それにフリードだって1時間前までは実験室で実験していたはずなのに、今ここにいるのは普通に疑問に感じることだろう。


 そういう視線を送っていたら、フリードは私とぶつかった肩を大袈裟に払ってから、嫌味な笑みを私に向けてきた。


「ま、いいよ。どうせあんたとも明後日までなんだし。明後日帰るために色々買い出しに来たんだよ」

「明後日……」


 そう、フリードがシャルロッテと一緒に帰る7月7日はもう明後日だ。アサドもカリムもハインさんも、色々手を尽くしてフリードの豹変の解決策を探しているけれど、どうにも見つからないまま、今日まで日が過ぎてしまった。


「そうそう。こうして僕の足も治ったわけだし、もう帰るのが楽しみだね」


 フリードは満足げに右足をぶらぶらさせる。

 これまでそこに巻かれていたはずのギブスは取れていて、必要不可欠だったはずの松葉杖も今はもう付いていない。今週月曜日にフリードが豹変してしまってから、見る見るうちに足が治っていったのだ。

 その事実が、更にアサドたちを悩ませているのだけれど。


「これであんたと顔合わせなくて済むと思うと、本当に清々するね」

「そんなこと……」


 言わないでよ。

 私はフリードと会えなくなるのは寂しくてイヤだし、このまま雰囲気悪いまま別れるのはもっとイヤだよ。

 だけどそんなことを言おうとしても、今のフリードに伝わらないと思えば、言葉が声にならなかった。


「あぁ、そういえばあんた、塩谷しおやさんともケンカしてんだって? ま、あんたみたいに人の内側ずけずけ入ってくるような人相手だったら、塩谷さんも流石にイヤになるよね」

「ちが……っ夏海は……っ」


 何が違うのだろう。

 夏海が私に対して怒っているのは間違いないことじゃないか。実際にいつもなら実験終わるまで待ってくれていたはずの夏海は、先に行ってしまっている。

 全ての原因は、私で――。


「本当にお節介で迷惑な正義感振りかざすもんね、あんた。そんな女に振り回される周りも本当に大変だよね」


 お願い、やめて。

 分かってるから。


「あぁ、他のヤツらはまだあんたと一緒に暮らさなくちゃいけないのか。地獄だね。あんたみたいな女と一緒に暮らすなんて」


 お願い、辞めて。

 みんなが私のことをどう思っているのか、信じられなくなりそうだから。


「あ、カリムだ。あんなところで何してるんだろう」


 ふとフリードが視線を変えて言った。

 その視線の方を見れば、駅から一つ裏の路地に入った歓楽街のところにカリムの後ろ姿が見えた。


「あそこ、僕が骨折したところだ」


 言われてみれば、確かにカリムがうろついているところは、先月、私とフリードと恭介が乗り込んだ歓楽街だ。

 一体カリムはあんなところで何をしているのやら。


 と、思っていたらその後ろからカリムに抱きつく人影が見えた。

 それはあの当たりを拠点としていそうな風俗っぽい若い女の子で。

 腕に絡みつく女の子に、カリムは特に何かを言うでもなく、そのまま歓楽街の奥へと進んでいく。


「……昔聞いたことあるんだけど、カリムって特定の女作らないらしいね」


 それは私もつい先週聞いた。

 すぐ帰るからめんどくさいって言っていたはずだ。


「ふぅん、それでもあんなところぶらついてるってことは、カリムもそういうことに興味があるんだね」


 むしろ特定の相手を作らないからこそ、そういうところを利用しているのだろうか?

 何でか分からないけど、私の中でもやもやが広がり始める。


「ま、身近にいる女があんたみたいな野蛮人じゃ、カリムも手を出す気にならないよね」


 フリードはそこまで言うと、こちらに顔を向けてくる。



「そもそもあんたと関わったって、不幸しか起こらないもんね」



 言葉に刃が付いていたら、私はこの瞬間引き裂かれていたと思う。

 言葉に鈍器が付いていたら、私はこの瞬間粉々になっていたと思う。


 多分こんなこと知らない人に言われても、何ともなかったと思う。

 だけどやっぱり私にとってフリードの言葉は重くて、すべてフリードの言うとおりなのではないかという気にさえなってくる。



「――梅乃?」



 声のした方を向けば昴さんがいた。

 気が付けばいつの間にかフリードはいなくなっていて、私はその場に立ちつくしていた。


「どうした? そんな泣きそうな顔をして」

「泣きそう……?」


 言われてハッと気が付く。

 こんな弱ったところ、あんまり人に見せたくない。寄りにも寄って昴さんなんかに。


「何でもないです。私、急ぐので、それじゃ」


 私は素知らぬふりをしながら、ホールに向けて走り出そうとした。

 しかし、後ろから止められた。


「はっ離してくださいよっ」

「嫌だ。そんな顔で歩けるのか?」

「そんなの! 昴さんには関係ない!」

「あるよ」


 捕まれた腕を勢いよく抜こうとすれば、そのまま腕を引かれて身体の向きを変えさせられる。

 気が付いたら私は昴さんの腕の中にいて――。


「ちょ……す、ばるさん?」

「何があったのかは知らないけど、これだけは分かって欲しい」

「え……?」


 昴さんはそのまま腕に力を入れ、私をぎゅっと抱きしめる。



「俺はどんなときでも、梅乃の味方だよ」



 こんな言葉、いつもだったら絶対軽くあしらうのに。

 こんな言葉、いつもだったら絶対真に受けないのに。


 どうしてだろう。


 夏海に無視されてフリードに罵倒されて本当のことが分からなくなっていたからかもしれない。



 思わず私は昴さんの腕の中でおいおい泣いてしまった。





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