19.豹変
梅乃視点に戻ります
19.豹変
色々あった六月が終わり、今日から七月。
あとしばらくは梅雨が続くと天気予報では言っていたけれど、今日は久々の爽快な良い天気だ。これが週初めだから尚更気持ちが良くなる。
とは言え、同時に七月七日が近づいてきていることも確かだ。
昴さんの期限とかは本当にどうでもいいことだけれど、考えなければならないのはフリードがおとぎの国へ帰ってしまうのかどうかだ。しかもその日にオーケストラの定期演奏会があるとは、本当に間が悪い。
まぁでも、今の様子じゃシャルロッテはフリードの魔法を解くことは無理だろうし、フリードも帰る気なさそうだから、杞憂かもしれない。
そう思って部屋から出たとき、カールが勢いよく階段を駆け上がってきた。
「梅乃、梅乃! やべーよマジで一大事だ!!」
「カール。朝から元気なのはいいけど一体どうしたの? まったく何が言いたいのか分からない」
「とりあえず下来いって! 話はそれからだ!」
カールは私の腕を掴むと、来たときと同じく勢いよく階下へ走っていく。
何に慌てているのか知らないけれど、人の手を掴んだまま階段を走るのはやめろと途中で注意するが、ダイニングルームに入った途端、そんなことはどうでもよくなった。
「フリードリヒ様。お口を開けて、あーん」
「はい、あーん」
え? え? これは一体どういう状況?
フリードがシャルロッテにあーんしてもらっている!?
この光景が信じられなさ過ぎて、思わず私は両目をこする。
「あぁもうフリードリヒ様ったら、お口の周りがスープで汚れていますわよ。じっとしていて下さいな」
「ありがとう、ロッティ。きみは本当に優しいね」
ろ……ロッティ!?
しかもいつも仏頂面しかしないフリードが、とても爽やかな笑顔を浮かべてシャルロッテを褒めている――!?
「い……一体どうしちゃったの……?」
思わず疑問を口にせずにはいられない。
それは私を呼びに来たカールだけでなく、この場にいるテオとクリスとカリムも同じだったようだ。
「あ……あいつ、さっきここに入ってきたときから既にあの状態だったんだ」
「あはは……人が変わったかのようにフリード君が素直になったってことなのかな?」
「キャラ変わりすぎだろ。つーか、何が楽しくて朝っぱらから寝起きの悪いもの見なきゃならねえんだ。気色悪ぃ」
三人ともこの状況が信じられずにいるみたいで、ご飯を食べる手が止まっている。
それに対して、この状況でどうして平然としていられるのか、アサドもハンスもハインさんも、普通にご飯を食べている。
「カエル君が普段は恥ずかしくて絶対しないあーんをするなんて、この光景をカメラに収めておくべきだったなぁ」
「頭がイカれたとしか思えない。さしずめ、足の怪我が脳にまで行ってしまったってところじゃないかな?」
「まぁもともと、カエル脳でしたからね」
なんてひどい三人組なんだ!
アサドは相変わらず楽しんでいるし、ハンスはともかく、ハインさんなんか側近のくせに他人事過ぎるよ!
「カ、カエル兄! 本当にどうしちゃったんだよ!?」
一際大きな声を上げて、カールが尋ねる。
呼ばれたフリードは、不思議そうにカールを見るが。
「どうしたって何をみんなそんなに不思議そうにしているのさ? ただ僕は自分の気持ちに素直になっただけだって言うのに」
「自分の気持ち……?」
「そう、シャルロッテのことが好きだって言う気持ちだよ」
フリードはにこやかに言った。
その笑顔に私含める常識人五人はぞぞぞと背筋を伸ばし、アサドはとても面白そうに爆笑した。後の二人はもう知らない。
「そもそもにこやかなフリードとかフリードじゃない……」
私は思わずそう言ってしまう。
すると、それまでガラにもなくにこやかにしていたフリードが、途端に眉間にしわを寄せて私を睨み付ける。
「あんたは本当にいらないことをいちいち言うよね。部外者なんだから僕たちのことはほっといてくれる?」
言葉に棘を含ませフリードは忌々しそうに言う。確かにきちんと仲直りできていない私とフリードだけど、昨日もその前も、徐々にまともな会話が出来るくらいまでは回復していたはずだ。
なのに、まるで振り出しに戻ったかのようにその態度はつんけんしている。
フリードはふんっと鼻を鳴らすと、今度は嫌味っぽい笑みを浮かべた。
「まぁ、そんなあんたとの付き合いもどうせ今週で最後だし、せいぜい我慢してあげるよ」
言われて私は一瞬フリーズした。
「今週までってカエル兄、まさかあっちに帰るのかよ!?」
「何をそんなに驚くことがあるのさ? その通りだよ」
「その通りってカエル兄――」
「――ダメだよ!」
気がついたら私は声を張り上げていた。
ダイニングルームに揃う一同がこちらを見る。
フリードが怪訝な表情をして尋ねてくる。
「何がダメなの?」
「何がって……ほ、ほら! 今やフリードは学科の不可欠な存在なんだし、それにここの生活だってフリードがいないと寂しいじゃん!」
私も私で勢いよく言ったせいか、フリードがいなくなると何がダメなのかよく分からなくてしどろもどろになる。
そんな私を、完全にキャラが変わってしまったフリードはふんっと笑い飛ばす。
「あんたがそんなにも僕のこと好きだったなんて知らなかったよ。だけど悪いね。僕にはロッティという心に決めた相手がいるから」
フリードがそう言えば、その隣に座るシャルロッテがまるで優位に立ったとでも言いたげな視線をこちらに送ってきた。
それを見た途端、私は直感的に悟った。
「シャルロッテ、まさかと思うけどフリードに何かしたでしょ?」
「あら、失礼ですわ。一体わたくしがフリードリヒ様に何をしたと言いますの? まぁ確かに、夕べはフリードリヒ様におとぎの国へ帰ることの素晴らしさを一生懸命語り聞かせましたけれども」
シャルロッテは「まぁひどい」とでも言いたげに大げさに肩を竦める。果たしておとぎの国へ帰ることの素晴らしさを語り聞かされたところで、あのフリードがこんな別人になるとは思えない。
「……嘘でしょ? それこそ何か変なものでも飲ませたん――ぶあっ!?」
その瞬間、いきなり顔に水がかかった。
それもかなり至近距離でだ。
「か、カエル兄!?」
「おいフリード! お前、ふざけるのもいい加減に――」
「――うるさいな」
みんなからの窘めを、水をかけた張本人のフリードが、それを鬱陶しそうに一括した。
フリードは再びこちらに顔を向ける。
アーモンド型のエメラルド色の瞳が、忌々しげに細められている。
「僕は本心でロッティを想っているんだ。なのにそのロッティを疑うとか、あんたって本当に最低」
フリードはそれだけ言うと、つかつかとダイニングルームから立ち去っていった。その後をシャルロッテが追う。
未だにダイニングルームの扉付近で立ちすくんでいる私を嘲笑いながら。
「何だあれ。キャラが違うとか以前に、性格まで変わっていないか? 見ていて段々腹立たしく感じだぞ」
「朝から実に不快なものを見せられたね」
「カエル兄どうしたんだろう……?」
二人がいなくなった後で、テオとハンスとカールがそんなことを口々に言う。
だけど私はそれどころじゃなかった。
「梅乃お嬢様、いつまでもそのままではいけません」
「そ、そうだね。梅乃さん、今は気にせずとりあえず頭を拭こう?」
「梅乃ちゃん、ほらタオル飛ばしたよ」
「――梅乃? おい、梅乃?」
何人かが私を気遣って声をかけてくれたけれど、もうどれが誰だか分からなくなっていた。
フリードにつんけんされるのはいつものことだからまだいい。
フリードに嫌味を言われるのだってよくあることだから受け流せた。
だけど、フリードに水をかけられ罵倒されたのには、ショックを隠しきれなかった。
例えそれが、まるで別人のように変わってしまったフリードであっても。
思わず私はその場で泣きじゃくってしまった。
思えば前章の15話くらいからずっと6月でした笑
本当に長かった。




