15.昔と今
15.昔と今
「梅乃だけだよ、俺のこと、そんなに好きになってくれるの」
そんな言葉がリフレインした。
おそらく、部屋の隅に置かれた紙袋をじっと眺めていたからなのかもしれない。
今週月曜日に昴さんからあれを受け取ってから既に3日が経ち、木曜日の夜。
私は未だにその事実を受け止めきれすにいる。
“磨けば磨くほど光り輝く植木鉢”。
それは、私がぱっと連想したおとぎ話にしか出てこないような、非常に胡散臭いものだ。正直実在するのかどうかすら知らない。
だけど、実際に昴さんが用意したのは、その場にいた者すべてを魅了するほどそれ自身が美しく光り輝くようなものだった。とてもニセ物だなんて言えるようなものではなかった。
疑問がいくつかつきまとう。
もともとは今後昴さんと関わりたくないから出しためちゃくちゃな条件だったのだ。こんな条件じゃなくとも、ものを強請られて付き合おうだなんて、誰だって不快に思うだろうし、少なくとも気持ちは冷めるだろう。
だけど、昴さんは条件を一つこなした。
それも、到底簡単にこなせられないような条件を。
どうしてそこまで必死なのだろうか。
――俺にとって大事な人だと思っている。
それを言うには、昴さんの扱いはひどすぎた。
何回も浮気されたことだけじゃない。
そう、始まりはちょうど去年の今頃だった――。
「梅乃だけだよ、俺のこと、そんなに好きになってくれるの」
――付き合おう。
ちょうど去年の今頃、昴さんに告白してから一週間後のことだった。
当時、社会人になりたての昴さんは、上司との関係も上手くいかず、慣れない仕事にやきもきしていた。そんなとき、ずっと思っていた人にもこっぴどくフられ、昴さんはすっかり自分に自信をなくし、自暴自棄になっていた。
そんな弱っている昴さんを見て、私はたまらず自分の気持ちを伝えたのだ。
「梅乃がいてくれるから、俺は幸せ」
付き合い始めてしばらくすると、昴さんの仕事は上手くいくようになり、上司からも認められるようになった。そうして自身を取り戻した昴さんは、いつしか私にそう言うようになった。メールでも電話でも直接でも、昴さんは何回もそう言ってくれた。
好きな人にそう言われて嬉しくならないわけがない。
昴さんはいつでも優しくて、私はとても幸せだった。
そんな日々が続いて4ヶ月目のことだった。
ちょうどそれは、昴さんが海外出張から帰ってきた時のことだ。
仕事柄、1~2週間の短期の海外出張はよくあったけれど、そのときは地中海周りに一ヶ月半行っていた。
やる気満々で向かった昴さんは、普通なら途切れるはずの連絡も、WiFiポイントを見つけてはこまめに連絡をしてくれていた。
そして、帰国してまっすぐに私のところへやって来た。
何故か、とても荒ぶっていた。
「俺が出張行っている間、お前、浮気してただろ」
部屋に入るなり昴さんは断定的に言ってきた。当然私は否定したけれど、昴さんは臭いが残っていると言って、かなり疑ってきた。
確かに、その前日に恭介が物を借りに来たりはしたけれど、それくらいだ。むしろ、恭介相手でそれだけなら昴さんも何も言わなかったはずだ。
だけど、昴さんはそれを許さなかった。
「何でなんだよ! 梅乃まで俺を裏切るのかよ!」
その言葉の意味を考える間もなく、私はベッドに押し倒されていた。完全に昴さんの目は据わっていて、私を睨み付けていた。昴さんはその勢いのまま、私を抱こうとした。
好きな人にそんな風に抱かれるなんて、そんなの絶対に嫌に決まっている。私はなりふり構わず泣き叫んだ。
すると、昴さんは急に我に返って、しゅんとした顔で私を優しく包み込んだ。
「疑ってごめん、俺には、梅乃だけなんだ」
後から知った情報では、出張先で昴さんはかつての想い人と再会し、そこで手酷い扱いを受けてきたらしい。そんなことまで知らなかったそのときは、昴さんも仕事で疲れてストレスが溜まっていたんだと、結論づけてしまった。
何より、縋り付いてくる昴さんを無下には出来なかった。
しかし、その日を境に、昴さんの態度が徐々に変わっていった。
まず、こまめに取り合っていた連絡の頻度が減り、会社周りの女の人がちらつくようになった。海外出張に行ったら行ったで現地の女性と何か揉め事を起こすことも多くなった。 それを追究しようとすれば、「あんなのは言い寄ってくるだけで、俺には梅乃だけだ」とまっすぐに言ってくるから、むやみに責められずにいた。
それでいて、昴さんは私のことを疑うようになった。学校の話で恭介や他の男子の名前を出す度、不機嫌になる。それどころか、以前みたく、私を無理矢理押し倒そうともした。それが嫌で、私もいつしか大学以外で男子と接触する頻度を減らした。
そんな状況が続いて更に数ヶ月が経った。
ちょうどその頃は12月、初めてのクリスマスだった。
だけど、もとより出張の多い昴さんは、そのときも長い海外出張で再び地中海周りに向かっていた。当然私は日本でひとりのクリスマスだ。
だけど昴さんは、出張先で別の女の人とクリスマスを過ごしていたのだ。
それは、どこの誰だか分からない女の人が、私の携帯電話に電話を掛けて来たから分かった。
その人は私に何回も怒鳴りつけてきて、更にはメールを何通も送ってきた。正直どこの国の言葉なのかさっぱり分からなかったけれど、言葉の端々に聞こえる“スバル”という言葉に、全てを察した。
本人に問い詰めれば、案の定、その通りだった。
「しつこかったし、仕方なかったんだ。ちゃんと断るから」
「本当に梅乃だけなんだよ、俺が大事なのは」と言って、全てをうやむやに溶かした。
だけどそのすぐ2ヶ月後、その言葉を裏切るかのように「別の女を好きになってしまった」と言って、あっさり私を振っていった――。
思えば昴さんの私に対する扱いは、散々だった。
というか、単に私はキープ要員だったんじゃないかと疑ってしまう。
それは今でも同じだ。
なのに、どうしてヨリを戻すのにあんなに必死なのか。
――ピリリリリリリリ。
今までの思考を打ち消すかのように、いきなり携帯が鳴った。
私はよく確認せずに、受話ボタンを押した。
そして、すぐに後悔した。
『もしもし梅乃? 俺』
「……昴さん? え、どうして……」
『どうしてじゃないよ。とりあえず梅乃、ベランダの下見ろ』
「え……?」
いきなり電話とか何なんだとか、やけに一方的すぎるとか、そういう疑問はいくつか付きまとったけれど、とりあえず言われるがままに、私は部屋のベランダに出て下を見た。
街灯が当たるだけの暗闇の中、耳にスマホを当ててこちらを見上げるスーツ姿の昴さんがいた。
『中に入れてくれないか?』
「えっ何で」
『梅乃に渡したい物があるから』
言われて私は昴さんを凝視した。
よく見れば昴さんは右手に幅広の紙袋を持っている。
まさか。
「そのまま待っててください、私が今行くので」
家に上げるのはおとぎメンバーやら不思議空間やらで色々とまずいし、昴さんを上げるのもおかしい。
私は電話を繋いだまま、自室を出た。
マンション下に行けば、昴さんが涼しげに佇んでいた。
そして右手に持っていた紙袋を、まっすぐに私に差し出してきた。
「これ、二つめ。元のは少し殺風景だったから、梅乃が使いやすいようにアレンジしてきてもらったよ」
「受け取れ」と言わんばかりに、若干それを高く掲げた。
私は思わず後ずさる。
それを見て、昴さんが首をひねった。
「ほら、ちゃんと受け取れよ。せっかくこうして用意してきたのに」
昴さんは苦笑気味にその紙袋を開けると、中の物を取り出し、それにかかっていたビニールを外した。
出てきたそれは、金色の毛皮で出来た衣服だった。
一見コートのように見えなくないそれは、元はきっと羽織だったのだろう。襟元や袖がそんな感じだ。ついでに言うと、裾や袖の辺りが絹のようななめらかな生地であしらわれていて、更に高級感が際立たされている。
「こ……こんなの受け取れないです」
一目見ただけで分かる、これがどれだけ手に入れるのが大変なものなのか。
私が言ったものじゃなくともだ。
しかし、昴さんは涼しげな笑みを湛えたままだ。
「何だよ、お前が欲しいって言ったんだろ? あ、本物か疑ってんだろ。ちゃんと見てろよ」
「えっちょっとま――っ」
言うが早いか、昴さんはスーツのポケットからライターを取りだして、その衣服を炙った。
まさかのその行動に当然私は焦ったけれど、どんなに炙っても火を当てても、その服は燃えるどころか焦げることもなかった。
まさしくそれは、“焼いても燃えない服”だった。
「な、これで第2ステージクリアだろ?」
昴さんは誇らしげに笑って言うと、もう一度、それを差し出してきた。
私は呆然とそれを受け取りながら、自分の中の疑問が膨れ上がっていくのを感じる。
「……どうしてそこまで……」
それは知らずのうちに口から出てしまっていた。
だって、付き合っていたときの昴さんは本当にひどかった。散々な扱いだった。
なのに、自分が振った相手が出した叶えられそうにもない条件を揃えてまで――。
「――七月七日まで、1週間と少し」
徐に昴さんが話し出す。
見れば、昴さんはこちらを真剣な目で見ていた。
「俺が仕事でこっちにいられるのももう、来週いっぱいまでだ。それまでに俺が梅乃を本当に大事に思っていることを証明しなければならない。だから――」
その瞬間、何が起こったのか、すぐに気がつけなかった。
ただ、柔らかい感触を、唇の端で感じた。
「そのためならどんなことでもするよ」
昴さんは間近でそう言い残すと、爽やかな笑顔を湛えて去っていった。
え、なに、今の。
一体どういうこと?
かつてはあっさりと私を捨てた昴さん。
その女癖の悪さに振り回されるのも嫌で、もう関わりたくもなかったから、無茶苦茶な難題を出したのに、それをこなして今の行動と言葉。
――俺にとって大事な人だと思っている。
本当に、そういうことなのだろうか。
どうすればいいのか分からなくて、私はただただその場で呆然と立ちつくしてしまっていた。




