14.最初の贈り物
14.最初の贈り物
週が明けて月曜日。
気がついたら6月も第4週目、あと少ししたら7月に入って梅雨も終わるだろう。
このじめじめした気候が終わるまであと少しの辛抱だ。
なのに、なんだかここんところの私は悩み事が絶えない気がする。
「フリードリヒ様、お鞄はわたくしがお持ちしますわ。ほらお貸し下さって」
「シャルロッテ、僕一人で大丈夫だからほっといてくれない? っていうかお願いだからほっといて欲しい」
「何を言いますの、フリードリヒ様はお体が悪いんだから無理をしてはいけませんわ! ささ、ほらほら」
「……誰のせいだと思ってるのさ」
午後の実験が終わり、それぞれが帰り支度をしている頃、実験室の後ろの方でシャルロッテとフリードがそんな会話を繰り広げている。金曜日にハインさんに言われていたとおり、シャルロッテはフリードの世話を張り切ってしようとしているけれど、それでさんざん振り回されているフリードはもはや脱力気味だ。
当然周りの男子たちは面白そうにフリードをからかっている。
「相変わらず、すごいねあれ」
「献身的を通り越して、もはや鬱陶しいレベルだな」
同じ実験台で実験をしていた夏海と恭介が、フリードたちのやりとりを見てそう言う。もはや二人とも、呆れ口調だ。
まぁ、あの光景は圧倒されるのも無理はないだろう。
するとふとフリードがこちらを振り返ってきた。
未だにフリードと和解できていない状態なので、どう目を合わせていいのか分からない。案の定、フリードは眉間にしわを寄せて、不快そうな顔をしている。だけど同時に、そのエメラルド色の瞳は私に助けを求めているようにも思える。
なんて、自惚れかもしれないけれど。
「フリードリヒ様? ほら、行きますわよ」
「え……あぁ……」
シャルロッテに呼ばれてフリードは我に返ったかのようにはっとする。
そんなフリードの肩越しに、シャルロッテが勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見上げてきた。
そしてすぐに二人とも実験室から出ていく。
「あの様子じゃお前、当分仲直りでき無さそうだな」
「本当にね」
シャルロッテが四六時中ずっとフリードの隣にいるし、私のことをそれとなく遠ざけているため、なかなかフリードと仲直りするタイミングが掴めない。
本当にこのままじゃ仲直りできないままに7月7日を迎えちゃいそうだ。
「それにしても夏海、お前この前倒れてたけど大丈夫なのか?」
実験棟から出たところで、恭介が思い出したかのように夏海に尋ねる。
「うん、今は全然平気。おかしいよね、元気が取り柄のはずなのに、最近急に目眩が来るんだよね」
「あーあー取り柄までなくなったらお前どうしようもねーな」
軽い口調で二人はそう話すけれど、本当にここ最近の夏海は、あんまり具合がよろしくない。突然頭を押さえる様子を時折見かけるようになったし、金曜も一昨日も立てられないくらいに具合が悪くなったって言っていた。
今は血色はマシだけれど、本当に大丈夫なのか心配だ。
「夏海、疲れてるんじゃないの? 本番近いのは分かるけど、あんまり無理しないでよ」
いつもの調子でそう言えば、ふとこちらに向けた夏海の顔が、若干曇った気がした。
「うん、ありがと」
だけど夏海はすぐにいつものように笑ってそう答える。
実は夏海は今朝からこんな調子で、大抵はいつも通りの会話をしているものの、ふとした瞬間に夏海は私に何か言いたげに顔を曇らせる。それを聞こうとするにもその表情はあまりに一瞬過ぎて、わざわざ蒸し返すのはどうなのかと私も尋ねるのをためらってしまうほどだ。
疲れているのか私に何か不満があるのか、妙に夏海との間にわだかまりを感じるのは気のせいなのだろうか。
「ところで梅はこの前昴さんと飲みに行ったんでしょ? どうだったの?」
「え、どうって……」
突然夏海が昴さんのことを切り出してくる。
正直昴さんとのことを聞かれるとは思っていなかったので、完全に油断していた。
「飲みに……行ったのか?」
「う、うん。行ったけど……」
「そういう気まずくならないもんなの?」
何故か恭介の声が1トーン下がるけれど、それを紛らわすかのように夏海が軽い調子で尋ねてくる。こういう話をまっすぐにぶつけてくるのは、夏海にしては珍しい。
「まぁ、気まずくないわけではないけれど……」
というか気まずさマックスだった。
何が楽しくてあんまりいい別れ方をしなかった元彼と1対1で飲まなくちゃいけなかったんだろうか。
とはいえ、昴さんと会うのはあれきりのつもりだから、もういいのだ。
「例えばヨリを戻したいとか……そういう話はなかったのか?」
「――ぶっ」
「あ、あったんだね」
思いがけず恭介が核心を突いてきたので、ついつい反応してしまった。これが図星であることに、付き合いの深い二人にはバレバレだ。
確かに一昨日、昴さんからヨリを戻したいと言われた。だけど私は正直そんなつもりはない。だから上手いこと昴さんの気を逸らそうと、絶対実現不可能な条件を突きつけたのだ。
それでも昴さんは一昨日、「3日以内に一品用意する」なんて言っていたけれど、そもそも私自身見たこともないような物を要求したわけだから、たとえ本物であっても私は分からないし、ニセ物判定すればいいだけのことだ。
つまり、今後関わるつもりは一切ないと言うことなのだが、果たしてこれをどう説明したものか。
「――っ」
すると突然、夏海がまた頭を押さえて歩みを止めた。
「夏海? また頭痛くなってきたの?」
「う……ん、さっきまで本当にぴんぴんしてたんだけど……」
この前の金曜日と同じように夏海は顔を顰めて辛そうにしている。やっぱりこの現象は異常だ。
そう思って夏海の背中をさすろうとしたとき、
「――あ」
恭介が1トーン低く声を上げた。
「昴さん」
「え?」
言われて恭介の視線の方向を見れば、確かに昴さんがこちらに向かってくるところだった。
昴さんは私と目が合うと、急ぎ足で近寄ってきた。
「今ぐらいの時間なら会えるかなと思って寄ってみたけど、ちょうどいいタイミングでよかった」
「ちょうどいいって一体……」
「はいこれ」
昴さんはこの場にいる恭介にも具合悪そうにしている夏海にも目もくれず、まっすぐに私に紙袋を差し出した。
一体何なのかと一瞬考え込んでしまったけれど、少し大きめの紙袋に入っている割には真ん中部分が膨らんでいるそれに、私はすぐにそれが何かを気がついてしまった。
恭介が訝しげに袋の中を覗き込んでくる。
「梅乃、それは……?」
「梅乃が俺におねだりしてきた植木鉢だよ」
「「は?」」
昴さんの回答に、当然恭介も夏海もぽかんと口を開ける。
そんな様子に、昴さんはふっと笑いを漏らす。
「梅乃とヨリを戻したいんだけどさ、そのためにはいくつかモノを用意しないといけないんだとさ。その一つがそれ、磨けば磨くほど光り輝く植木鉢」
昴さんはあまりにすらすらとこの状況を説明するけれど、たった今そう言う話をしていたところだ。だが、想像以上にややこしい話になっているので、夏海も恭介もすぐに頭が回らなかったのだろう。
恭介は眉を寄せて顔を顰めながら、夏海は痛むであろう頭を押さえながら私の方を向く。
私は二人の視線から逃れるように、昴さんの方へ目を向けた。
え、っていうか信じられないんだけど。
まさか、本当に例のモノを用意できたっていうわけ!?
「ほら、開けてみてよ」
昴さんは自信満々げに私にそう促した。言われるがままにその場で紙袋から中の物を取り出す。
それは透明のプチプチに包まれているが、確かに植木鉢だ。白地の陶器製のそれは、昔のインドっぽい模様が青色で描かれている。私が持てるくらいの大きさだけれど、ぱっと見こんなところで軽々しく渡すような安物にはとても見えない。
私は若干動揺しつつ、もう一度昴さんに視線を戻した。
「で……でも、これが本物かどうか分からないですし」
「じゃあ試してみる?」
昴さんはどこから出したのか、薄い布を出してきた。そう言われたのなら、私も試さないわけにはいかない。
恭介と夏海が変な目を向ける中、私はプチプチから出したそれを磨いてみた。
「おい……これ!」
「す……すごい……」
恭介と夏海が目を見開いて驚きの声を上げる中、私は思わず絶句してしまった。
だってそれは文字通り、私が磨けば磨くほど光り輝くのだ。
それは決してこの植木鉢が光沢を放っているだけのことではない。まるで、その存在を主張するかのように、植木鉢が自ら光るのだ――それも、満月のように白い光で。
「わ……私、こんなの受け取れない……!」
まっすぐに昴さんにそれを押し返す。
想像以上の輝きを放つ植木鉢に、私はさっきまでの余裕をすっかりなくしてしまっていた。
しかし昴さんは何の気も無さそうに、首を傾げた。
「何言ってるんだよ、梅乃が欲しいって言ったんだろ? だから結構無理して手に入れたんだぞ」
「で……っでも!」
「ま、でもとりあえず一つ目はこれでクリアかな? 早く俺の気持ちが本物だってお前に理解してもらわないとな」
昴さんは私たちの反応が期待通りだったのか、満足げに私の肩を叩いて耳元でそう囁くと、あっさりと踵を返した。
「じゃ、俺は部活に顔出そうと思ってるんだけど、鬼塚行くぞ」
「え、あ、はい……」
植木鉢の輝きにその場で固まっていた恭介が、昴さんの呼びかけにハッと我に返る。でも未だにぼんやりとした様子だ。
こちらに手を振って歩いていく昴さんの後ろに続きながら、恭介が私とこの植木鉢に視線を配る。その眼差しは、なんだかやたらと強い。
「ど……どうしたの?」
「……いや、じゃあな」
だけど恭介は特に何も言わずに、その場を離れていった。
私も未だにこの植木鉢に魅了されてしまって、そんな恭介の様子にも頭が回らなかった。
「あれ? そういえば頭痛が治まってる」
ふと、夏海がそう言うのでそちらの方を見れば、さっきまで顔色悪く辛そうに頭を抱えていたのはどこへやら、夏海はケロッとした様子で首をひねっていた。血色も戻っている。
「もう大丈夫なの?」
「うーん、なんでだろう、その植木鉢見てから治った気がする」
「え?」
植木鉢を見て治った?
それは驚きのあまりにっていうこと?
それともこの植木鉢に何かの効能があるっていうこと?
そんな、ばかな。
「なんて、あたし何言ってるんだろうね。やっぱり疲れてるのかな」
「う……うん、そうだね。疲れてるんだよ」
二人でそう軽く笑い飛ばす。
だけど、これがもし本当なら、そんな働きがあっても不思議じゃないかもしれない。
まさかそんなことはあり得ないとは思うけれど、それならどうして昴さんがこの植木鉢を用意できたのかという疑問と、もしかして今後もこんな際どい品を用意するのかという不安が、私の中でぐるぐると駆け巡った。