表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられた王子たちと冷たい夏  作者: ふたぎ おっと
第1章 遥かな銀河の彼方から
12/61

10.痛む頭、痛む心(夏海)

夏海視点です

10.痛む頭、痛む心



 砂と海藻と沢山の魚。

 そして無限に広がる水の世界。


 あたしは今、海の中にいる。


 どれだけ潜っただろうか、水面があんなに高いところにある。

 もう少し深いところまで行ってみようか、あたしは更に海底に向かって潜る。


 すると、遠くの岩場から顔を覗かせている魚の群れに気がつく。

 あれは何だろう、様子を見ようと近くまで行くことにする。


 だけどそこで異変を感じた。

 その魚の群れは逃げることもなく、全員あたしをじっと見ている。

 他の魚もタコやイカも、海藻ですら、あたしの気配に動きを止めている。



――カエレ……。



 どこからかそんな声が聞こえる。

 きっと空耳だろう。だって海の中で声なんか出せるわけがない。

 だけど、そう納得しようとした矢先に、再び声が聞こえてくる。


――ウセロ……。

――アイツノテサキ……。

――ウミヲヨゴスナ……。


 そんな言葉が次々に反響する。

 嘘、まさかこの声は本物? 一体誰が?


 そこでようやくあたしは気がつく。

 こちらをじっと見ている魚やタコたちの眼が、赤く光っている。


 思わずあたしは後ろに引く。

 だけどその瞬間、足にコンブが絡みついてきた。

 ぬめりを帯びているはずのそれは、やけにガサガサしていて刺々しい。あたしの足を強く絞めるごとに、足から痛みが走る。


 痛い……早く、水上に行かないと……!


 焦れば焦るほどコンブに身体を取られる。

 もがけばもがくほど、呼吸が苦しくなって水を飲み込んでしまう。

 そうこうしているうちに、赤い眼の魚たちがあたしに突進してくる。



――アイツヲ、コロセ……!




「――っ!!」




 心臓が、バクバク音を立てている。

 肩が激しく上下し、呼吸が上手くできない。


 あたしは視線を巡らす。

 白い壁に木製の長机と長椅子。緑色の大きな黒板。


 ここは講義室……?



「あ、夏海起きたんだ! よかったぁ」



 ドアを開ける音とともに、少し高めの可愛らしい声が聞こえてきた。

 見れば、オケの同期であり親友である森山もりやま由希ゆきが、両手にペットボトルを2本抱えてやって来た。


「夏海さっき農学部の近くで倒れてたんだよ。鬼なんとかくんって梅乃のことが好きな男の子が介抱してるところにちょうど通りかかったんだ」

「そっか、あたし倒れて……」

「そうそう、それで農学部の大講義室なら横になれるかなって運んできたの。こういうとき大学って不便だよね、医務室は遠いし、仮眠も出来やしない」


 そう言いながら由希はあたしの前の机に入ると、あたしの額に手を当ててきた。

 そして「うーん」と眉間にしわを寄せて難しそうな顔をする。


「やっぱり熱はないみたいなんだけど、顔が真っ青なんだよね、夏海。今日はまっすぐ帰ったら?」

「まっすぐ帰るって、今……5時……か。練習行かないと」


 すると由希は眉をしかめたまま首を横に振った。


「だーめ。練習は明日もあるんだし、今日は無理しない」

「でも本番が」

「近いけどまだ2週間あるから。練習が気になるのは分かるけど、無理して本番出られない方が嫌でしょ? だから大人しく帰るの」


 まるで子供に言い聞かせるかのような口調だ。

 由希は暇を見つけては大学近くの保育園のお手伝いをしに行っているのだが、きっと今のあたしはその子供と同じなのだろう。

 もともと頭も痛かったし、由希の言うとおり体調管理はしっかりしないといけない。



 だから今日は大人しく帰ることにした。





 近ごろのあたしはどこかおかしい。



 というのも、最近夜はなかなか寝付けないし、変な夢を沢山見る。


 普段からダイビングが好きでしょっちゅう海に行くあたしは、海の夢を見ることは結構ある。

 だけど最近見る夢は怖いものばかり。

 それもさっき見ていたような、死にかけるような夢。

 ある時はサメに追いかけられて、ある時は海底の砂に足を取られて、更にある時はプランクトンが身体の中に入ってきた。

 どれもリアルすぎて、いつも起きたときに夢でよかったと安心するほどだ。



 それに激しい頭痛が急に襲ってくる。

 さっきなんか特にそうだった。

 突然やってきた鈍痛は、頭が割れるかと思うほどの痛みだった。その頭痛はあの人、今日初めて生で見たけれど梅の元彼の昴さんが来てから、余計にひどくなった。

 更にさっきは、頭痛と一緒に頭に何かがハウリングしていた。全部聞こえたわけじゃないけど、あれはきっと夢でよく聞くような声だった。

 梅の手前、強がってしまったけれど、正直立っているのも辛かった。



 ……梅、震えていたな。怯えているようだった。


 昴さんとの間に何があって別れたのか、あたしは何も知らないけれど、普段勝ち気な梅があんな風になるくらいなのだ。きっと相当なことがあったに違いない。

 ……なんて、純粋にあの子を心配する気持ちだけがあればよかったのに、今のあたしはどうにもそういう気分にもなれない。



 ねえ、具合の悪いあたしを置いてどうして嫌いなはずのハンスさんと一緒に消えていったの?

 ねぇ、あたしもあの場にいたのにどうして梅だけを連れて行ったんですか?



 どうやら体調が悪くなると気持ちも滅入るらしい。

 とにかく今日は早く帰って気分を入れ替えよう。

 そう思って帰りの電車に乗り込んだ。







「はぁー疲れた! 今日何度もやり直し食らっちゃったから、もうスタミナが切れそう」

「私だって疲れたよ! 腕がぷるぷるしてるもん!」


 練習が終わると、由希と梅が楽器を片付けながらそんなことを言い合う。


「夏海は病み上がりだけど、今日は大丈夫だった?」


 あたしの隣で由希がクラリネットのお手入れをしながら尋ねてくる。

 あたしも自分のヴィオラの表面を拭いながら答える。


「うん、むしろこれくらいハードな方が気が楽」


 普段月、水、金しかないオケの練習だが、演奏会ひと月前になると土日のどちらかも追加され、猛練習の日々が続く。

 夕べゆっくり休んだあたしは、翌日土曜日の練習に参加した。まぁ、休んだと言っても、また同じような夢を見てあんまり眠れなかったけれど。



「森山ー、明日なんだけどさ、映画以外に行きたいところとかある?」


 ひょこっとトロンボーンの4年生の先輩、柳さんがやって来る。呼ばれた由希はクラリネットを落としそうな勢いでびくっと体を揺らした。


「そっそうですね! とりあえずご飯は食べたい……ですかね?」

「そっか。何食いたい?」

「何でもいいんですけど……」


 そう言いながら二人は別の場所へ移動していく。


「何、由希明日柳さんとデートなの?」


 去っていった二人を見て、梅が尋ねてくる。

 少し離れた場所からでも由希の真っ赤な耳が見える。


「そうらしいよ。例のカール君からペアチケットをもらってたよ」


 つい先週の水曜日、由希とお昼ご飯に行ったときに、柳さんのお気に入りでもあり由希の天敵らしい工学部の1年生の留学生カール君と食堂で出くわし、そう言うことになった。どうやら柳さんは由希とカール君をくっつけようとしているとか。

 端から見れば由希が柳さんのことを好きなのは丸わかりなのに、まったくそれに気がつかない柳さんも相当の鈍感だ。


「あのカールが……たまにはいいことするんだなぁ」


 ぼそっと梅が呟く。そういえば、梅はカール君とも親しい仲らしいけれど、一体この子のネットワークがどうなっているのか、新学期に入ってから留学生とよく一緒にいるという噂をよく聞くけど、本当に不思議で仕方がない。



 すると自分のチェロを片付け終わった梅乃が、徐に携帯電話を開き中を確認する。

 そしてとても分かりやすく顔を曇らせた。


「梅? どうしたの?」

「ううん、何でもない」


 だけど梅はすぐにいつもの明るい表情に戻して首を横に振って携帯電話を閉じる。

 見るからに何でもない感じではないのに、あたしには話せないことなのだろうか。



「梅ちゃん」



 いつの間にかハンスさんが後ろに来ていた。

 いつも微笑んでいるハンスさんは、何故か眉間にしわを寄せて、まるで梅以外この空間にいないかのように、まっすぐに梅だけを見ている。


「梅ちゃん、これから昨日の男と会うんでしょ? やめておきなよ」


 何でそんなことをハンスさんが言うのか、言われた梅はぴくりと眉を動かすと、いつもの如くハンスさんを睨み上げる。


「そんなのあんたには関係ないでしょ? ほっといてよ」

「でも昨日はあんなに震えていたじゃないか。それなのに会いに行くなんてどうかしている」

「別に1対1で会うわけじゃないし、今日会ったらもう会わないから」

「ふぅん……」


 ちょうどそのとき、ハンスさんが梅の腕を取った。突然のことに梅は当然暴れるけれど、ハンスさんはそれに構わずその腕を自分の方へ寄せ、そこに唇を寄せた。


 ちゅ……という音が、嫌に耳に響く。


 その瞬間、梅があたしの方に視線を向ける。

 だけどあたしは見ていられなくて、すぐに視線を逸らした。


「ちょっとやめてよ! 気持ち悪い!」

「ふん……心外だな。俺のが気持ち悪いんだったら、アサドのは気持ちよかったの? それともカリム? あぁ、それとも首にされる方が良かった?」

「だ……っ誰のも気持ちよくないに決まってるでしょ!」


 何なんだろう、この会話。

 今出てきた名前が誰なのかはあたしは知らないけれど、きっと梅の鎖骨に残るキスマークについてのことだろう。

 あたしですら、それを付けたのが誰か知らないのに、どうしてハンスさんがそれを知っているような言い方をするの?


「あぁ、もううるさい! 私もう行くから! 夏海、ごめんあたしもう行くね!」


 勢いよく梅がハンスさんを突き飛ばし、あたしの前に回り込んで挨拶してきた。

 そのとき、梅の瞳に困惑の色が見て取れた。きっとさっきのことについて気まずく感じているのだろう。


「はいはい、気をつけてね。行ってらっしゃい」


 あたしはそれに気がつかないフリをして、梅に手を振った。

 梅は未だに何か言いたげにしていたけれど、程なくして練習室から出て行った。



「ねぇ夏海ちゃん」


 ハンスさんが徐にあたしを呼ぶ。

 てっきりあたしは空気のようになっていると思っていたのに、名前を呼ばれて一瞬でも心が跳ね上がるなんて、あたしも弱い。


 でも、それはハンスさんの顔を見てすぐに固まる。


「昨日の男……夏海ちゃん見てたよね? あれ、誰?」


 ハンスさんはやけに不機嫌そうな顔で尋ねてくる。

 いつもの彼だったらこんな顔を決して見せないのに、それだけ梅のことに夢中ってことなのだろうか。

 だって、彼の若草色の瞳はあたしに向けられているのに、あたしを映していない。


 心に、棘が刺さる。


「……梅の元彼ですよ」

「元彼……昔の恋人ってことだね? 何があったか知ってる?」

「いえ、特には」


 ハンスさんは矢継ぎ早に質問してくる。

 でもそのどれにもあたしは答えられない。

 だって梅にも話されていないし、例え話されていたとしてもそんなことあたしが話すことじゃない。


 なのに、どこか切羽詰まった様子で聞いてくる。


「昔の恋人……一体どうして」

「――どうしてハンスさんがそんなことを気にするんですか?」


 あたしが聞き返せば、ハンスさんははっとした様子であたしを見てきた。

 ようやく自分が感情を露わにしていることに気がついたようだ。少し気まずそうにクスッと笑っていつもの余裕そうな笑顔を浮かべる。



「そりゃあ、自分の飼い猫が別のところに行ったら不愉快でしょ?」



 ハンスさんはそう言ってあたしの顎を撫で上げ、魅惑的に口角を上げる。

 何度も騙されてきたその笑顔に、今回もさっきまでのもやもやが少しだけ晴れそうになる。


 でもその瞬間。



「――――っ!?」

「夏海ちゃん?」



 再び割れるような頭痛が襲いかかる。

 同時に何かがハウリングする。

 あたしは立っていられなくてその場にしゃがみ込む。


 ――コロセ……。コロセ……。

 ――ソイツヲコロセ……・


 そいつ……?

 あたしは目の前に立っているハンスさんを見上げる。

 そして、心が凍り付いた。



 ハンスさんが、今までに見たこともないくらいに冷たい瞳で、あたしを見下ろしていた。



「あ……あたし……っ」


 ハンスさんはすぐにいつもの爽やかな微笑みを浮かべると、あたしの頭を撫でてくれた。



「やっぱりまだ具合が悪いみたいだね。向こうに由希ちゃんがいたから、帰り送ってもらいなよ。呼んでくるね」



 それだけ言うと、ハンスさんはその場を離れて行く。



 昨日は梅の腕を引いていたあの手は、あまりにもあっさりとあたしの頭を離れていった――。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ