8.元婚約者シャルロッテ
8.元婚約者シャルロッテ
「わたくし、フリードリヒ様を追いかけておとぎの国から来ましたの」
登校途中に突然フリードに飛びかかったアプリコット色の髪にエメラルド色の瞳をした美少女・シャルロッテは、立ち上がって身なりを整えると、そう言い放った。
立ち上がってみれば150センチあるのかどうか疑わしいほどの身長で明らかに高校生くらいの年齢に見えるのに、腰を当ててこちらを見据える様は、やけに威風堂々としていた。
「えーと……つまり?」
私は未だ仲直り出来ていないのも忘れて、フリードに解説を求めた。
「僕を投げたお姫サマだよ」
フリードはなんとか一人で立ち上がりながら、ものすごく嫌そうな顔をして吐き捨てた。
えーとつまり、この子は「カエルの王様」に登場する王女さまってこと!?
「投げただなんてまるでわたくしが悪人のような言い方。おかげであなた様の魔法を解くことが出来たというのに」
「ふん、よく言うよ。ただ気持ち悪くて投げただけのくせに」
すり寄るシャルロッテをフリードが冷たく突き放す。
なるほど、どうやら本物らしい。
「カエルの王様」といえば、池に落とした金の鞠をカエルに拾ってもらいながら、カエルを気持ち悪がった王女がそのお願いを無視し続け、挙げ句の果てにカエルを壁に投げつけたら、なんとカエルが王子様になったという、グリム童話の冒頭にある有名なお話。
そして最後にはカエルだった王子が王女さまと結婚してめでたしめでたし、となるはずだったのだが。
「それに僕の魔法だって解けたわけじゃない。だから命の恩人面しないでもらえる?」
……それはフリードが婚約破棄を言い渡したからじゃないの?
思わず口から出かかった言葉を飲み込んだ。
「カエルの王様」の話はおとぎの国のフロッシュ領で実際に起きたことで、カエル王子のフリードとしてはとても屈辱的なお話らしい。何せ、カエル姿では気持ち悪がっていたのに、カエルの魔法が解けた途端ころっと態度を変えてきて、しかも婚約なんて話になるんだもんね。
結局そんな王女さまとの結婚をフリード自身が断り、その結果カエルの魔法も夜だけ発動してしまうという中途半端に残った状態になっている。
「確かに、フリードリヒ様がお怒りになるのは理解しているんですの」
すると突然シャルロッテがしんみりした口調で言った。
もともと鈴のような声であることも合わさって、なんだか引き込まれそうなしゃべり方だ。
「だってわたくし、ものすごくわがままでしたもの。フリードリヒ様が黙って国を出ていかれてしまったのは当然だと思いますわ」
「ふんっよく言うよ」
シャルロッテの言葉に、フリードが訝しげに目を細めた。
そんな様子にシャルロッテはどこから出したのか、とても高価そうに見える扇子をばっと開けて悲しそうな表情を作った。
「だからわたくし、とても反省しましたの。だけど、フリードリヒ様どころかお父様にも許してもらえませんでした。だってフリードリヒ様はお父様のお気に入り、そんな彼が出て行ってしまうような原因を作ったわたくしにとてもお怒りなさって、わたくしをお城から追い出してしまったんですの」
そしてシャルロッテは憂いのある瞳をフリードに投げかけた。
「わたくしがお城に戻れる条件はただ一つ、フリードリヒ様がわたくしと一緒におとぎの国へ戻ること。そうでなければわたくしはずっと彷徨い続けなくてはいけませんの」
そこまで言い切ると、またもやどこから取り出したのか、シャルロッテは白い高価な生地に見えるハンカチで目元を拭った。
説明し始めたときからここまで、シャルロッテは至って同情を誘うような仕草を見せてきていたけれど、なんだか言っている内容がめちゃくちゃな気がする。
そう感じたのはどうやらフリードも同じだったようだ。
「――それで? 自分がお城に戻りたいから僕を連れ戻しに来たってワケ? ふんっ相変わらず自分中心なお姫サマだね、君は。付き合ってらんないよ」
フリードはシャルロッテに軽蔑の眼差しを送ると、呆れた様子でそのまま松葉杖を付いて前を歩いていってしまう。
しかしシャルロッテが怯む様子はなかった。
「待ってくださいまし、フリードリヒ様。わたくし、先日拾いものをしたのですが、これはあなた様のではなくて?」
「はぁ? 僕は落とし物なんか――!?」
シャルロッテが懐から高々と掲げたものに、フリードが目を見開くのが見えた。正直私もびっくりした。
何故ならシャルロッテが今手に持っているものは、フリードがアサドに作ってもらったというカエルの魔法を一時的に解くことの出来る薬の瓶だ。
シャルロッテはこれを拾ったって言っていたけど、フリードが落としたってことだろうか?
「ふんっだから何? それ、僕にはもう必要ないから捨てたんだよ。だからもう関係ない」
フリードはどこか自嘲気味にそう吐き捨てた。
それを聞いて私はまたもや目を丸くしてしまった。
――必要ないから捨てた?
「何で? これがなければフリードみんなと遊べないじゃん。これがあるからこそフリードは今まで以上に大学生活を楽しんでたんじゃないの?」
思わず私は頭に浮かんだ疑問を声に出していた。
するとフリードは、シャルロッテに向けていた冷たい視線を私に移してきた。
「あんたには関係ない。ほっといてくれる?」
「えっでもだってフリード、たまにでもいいから神崎たちと飲み会したり夜ボーリングしたりしたいから、アサドにもらったんじゃないの?」
「うるさい……」
「それを捨てちゃうなんて、それすらも出来なく――」
「うるさい、黙れ!!」
突然上がったフリードの怒鳴り声に、私ははっと口を閉じる。
そうだった、私まだフリードと仲直りしていなかったんだ。なのにこんな口聞いて――。
フリードは私を忌々しげに睨み付けてくる。
「あんたのそれが、お節介なんだよ」
フリードはふっと鼻で笑いながら冷たくそう言い放つ。
そしてくるりとこちらに背を向けて再び前へ歩き出す。
私はかける言葉もなくして、その場に立ちつくす。
開いていく距離が、心の溝のような気がして、ひどく居たたまれなくなってしまった。
「ふぅん、なるほど。フリードリヒ様に怪我を負わせただけでなく、しつこく付きまとうだなんて、フリードリヒ様もお可愛そうだわ」
私とフリードの様子を見てシャルロッテが徐にそう言った。
その発言の内容に、私は「え?」と思ってシャルロッテを見る。フリードもその場に立ち止まってシャルロッテを振り返った。
「シャルロッテ……それ、一体誰から聞いた?」
フリードはシャルロッテを睨みながら尋ねる。
思いの外その瞳に凄みが含まれていて、シャルロッテがびくりとたじろいだのが後ろ姿からでも分かる。
そしてか細い声を出して答えようとする。
「そ……それは……」
「――それは私でございますよ、フリード殿下」
突然別の方角から聞き覚えのある声が飛んできた。
そこから連想される人を頭に思い浮かべながら声の飛んできた方向を見やれば、案の定近くの草むらからむくりとハインさんが飛び出てきた。
いや、なんだその登場は……
絶対この人ここまでのやりとりを見ていたでしょ……。
「先日、ロッティ様がこの薬を私のお店に届けにいらっしゃいましてね。そのときに色々とフリード殿下の近況をお話ししたのですよ」
「お前は相変わらず何を勝手に……」
とてもいい笑顔でぺらぺら話すハインさんに、フリードがもはや怒る気力もなくしてしまっている。
っていうか“ロッティ”って。この人、シャルロッテがこの世界に来ていたこと知っていたんじゃないの。
「でもロッティ様、フリード殿下は今、カエル時代には味わうことの出来なかったドキドキ☆青春を謳歌しているところなのです。なので、おとぎの国へ帰るわけにはまいりません」
ハインさんはシャルロッテに向き合うと、申し訳なさそうにそう言った。顔はいたって真面目なのに、ところどころギャグっぽく聞こえるのは気のせいじゃないと思う。
するとシャルロッテは再び腰に手を当て、ハインを見上げて顎をしゃくった。
「でもハインリヒ、先日お前は言ったじゃありませんの。フリードリヒ様の魔法をわたくしが解くことが出来たら一緒に連れて帰ってよろしいと」
「え……っ」
「――はあ?」
え、どういうこと?
まさかハインさん、勝手にそんなことを承諾したの!?
「ま……待ってよ。魔法が解けたとしても僕は帰るつもりはないし、そもそも君は魔法の解き方を知らないでしょ?」
フリードが眉間にしわを寄せてシャルロッテに問いかける。
するとシャルロッテはフリードの方へ顔を向け、首を横に振った。
「それもハインリヒから聞きましたわ。要はフリードリヒ様と愛し合えればいいんですのよね? それなら簡単ですわ」
その声色から、シャルロッテがとてもいい笑顔を浮かべているのがなんとなく想像できる。
しかしフリードは眉間のしわを濃くするだけだった。
「簡単って、カエルを忌み嫌う君が? そもそも僕が君を好きになるだなんてありえないし、君は夜になったら再び僕を投げるに決まっている、絶対ね!」
「そんなことありませんわ! だってわたくし、カエルに触れるようになるために、ハインリヒのお店で沢山練習しましたもの!」
「とても悲鳴を上げておられましたけどね」
ぎゃーぎゃー言い合うフリードとシャルロッテに、ぼそりといらないことを言うハインさん。
よくよく考えれば今、目の前には「カエルの王様」キャストが生で揃っているんだよね?
私は完全に蚊帳の外じゃないか……。
「とにかく! わたくし7月7日までの間に絶対にフリードリヒ様の魔法を解きますから!」
シャルロッテが一際大きな声を上げてそう言い放った。
その言葉に、フリードもハインさんもぴたりと止まる。
「どうして7月7日? 七夕じゃないの」
思わず私はシャルロッテに尋ねる。
きっとあとの二人も同じ疑問を抱いていたはずだ。
シャルロッテは再び扇子を取り出し口元を隠して言う。
「7月7日になりますと、おとぎの国とこちらの世界との境界線が薄まり、簡単に行き来できるようになりますの。ですから、おとぎの国へ帰るにはその日が絶好の機会ですのよ」
そうだったんだ。知らなかった。
っていうか、今まで2ヶ月半もおとぎメンバーと一緒に暮らしていたのに、彼らがどういうルートでこちらの世界にやってきたのか全くの謎だった。
きっと異世界トリップ用の魔法陣とかそういうものだと思っていたのだが、7月7日に境界線が薄くなるっていうのは、七夕と関連があるのだろうか。
シャルロッテは扇子をばちんと閉じると、その先を私に向けてきた。
「あなた様がこちらの世界での世話役だということですが、とにかくとても野蛮であることは分かりましたわ。そんな方がフリードリヒ様の魔法を解けるわけがないですもの」
こちらに向けられるシャルロットの瞳が、なんだかとても冷たい気がする。そのエメラルド色の瞳がフリードのものに重なって、まるでフリード自身に言われているかのような錯覚を起こしそうだ。
そしてシャルロッテはフリードの方へ向き直る。
「だからこれからはわたくしが、フリードリヒ様の一番お側でお世話を務めさせていただきますわ。そうすればフリードリヒ様もわたくしの愛をご理解いただけるでしょうし」
私の角度からシャルロッテがどういう表情をしているのかは分からないけど、きっとうっとりとした表情で言ったに違いない。
シャルロッテ越しに見えるフリードの顔がうんざりといったように歪んでいるのが見える。
……ん?
っていうか待って。
「あの……フリードの一番お側でって、それつまり……」
シャルロッテは再びこちらを振り向いてきた。
今度はとてもいい笑顔で。
「えぇ、これから7月7日までの間、よろしくお願いいたしますわ!」
やっぱり、散々私のことをなじっておきながら、うちに泊まるつもりでいたのかい!
別に部屋は余っているだろうし問題はないだろうけどさ!!




