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第7巻:如月令嬢は『配電盤の堕天使を鑑定しない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『骸骨と赤い魔石』 ~section4:血肉の祭壇と、血の繋がり~

 西日が完全に落ち、スマートシティ・月見坂市が誇る新校舎の家庭科室は、深い藍色の闇に包まれようとしていた。

 最新の防音壁によって外部の環境音は一切遮断され、無機質な空調設備の微かな稼働音だけが、冷たい化学床材の部屋に静かに流れている。

 僕——朔光太郎が手にした小型LEDライトの鋭く白い光だけが、ステンレス製の調理台の脇で、天才鑑定士の白く細い指先と、そこにピンセットで摘ままれたチープな『赤い魔石』を、まるで劇場のピンスポットライトのように丸く切り取って暗闇の中に浮かび上がらせていた。


 百円ショップのファンシー雑貨コーナーで売られているような、魔法少女のアニメに出てきそうな透明アクリルのキーホルダーパーツ。そして、それを骸骨のプラスチックの骨に強引に接着するために使われた、無骨で醜い灰色のエポキシパテの塊。

 このわずか数十グラムの安っぽいゴミの集合体が、骸骨全体の重心を絶妙に操作し、僕の『一秒間に一回』という標準的なグーパーの動作のテンポと完全に共振させるための、悪魔的なチューニングパーツだったのだ。

 幽霊の仕業などではない。人間の手によって極めて周到に計算され、意図的に仕組まれた『怪異の舞台装置』。それが、この不思議四天王の三つ目、『勝手に腕を揺らす骸骨』の正体であった。


「……しかし、如月さん。誰かが意図的に仕掛けたのは、あの物理現象の解説でよく分かりました。でも、だとしたら、なおさら一つの大きな疑問が残ります。なんでまた、この『家庭科室』なんですか?」


 僕は、LEDライトを持つ手をわずかに震わせながら、かねてからの最大の疑問を口にした。


「さっき如月さんも言ってたじゃないですか。『場所の不自然さ』がこのトリックの根幹に関わってるって。普通、人間の骨格模型を使ってこんなおどろおどろしい怪談を仕掛けるなら、本来の置き場所である『理科室』か『生物室』のままにしておいた方が、絶対に自然ですよね。あそこなら、人体模型とかアルコールランプとか、ビーカーとかが並んでて、黒魔術の儀式っぽい雰囲気も抜群に出ます。わざわざこんな、IHコンロがあって、戸棚にフライパンやピーラーがしまってあるような、料理や裁縫をするための家庭科室まで、重いスタンドごと骸骨を運んでくるなんて……リスクが高すぎるし、世界観がぶち壊しで意味不明ですよ」


 僕が同世代の男子としての「設定作りの常識」を交えて熱弁すると、如月瑠璃は、純白の手袋をはめた指先でピンセットを器用に操りながら、少しだけ口角を上げた。


「その通りじゃ。サクタロウにしては、実に論理的で、そして犯人の痛々しい心理に寄り添った的確な疑問じゃな。お主の言う通り、怪異を演出するための舞台として、この無機質で生活感の塊のような新校舎の家庭科室は、最低最悪のロケーションじゃ」


 如月さんの深い紫——アメジストの瞳が、LEDの光を受けて鋭く、そして妖しく煌めく。


「理科室という、怪談にとって百点満点のロケーションを捨ててまで、なぜ、この部屋を選ばなければならなかったのか。……その答えは、この赤い魔石の裏側に残された『物理的な痕跡』と、この部屋の『環境構造』を照らし合わせれば、あまりにも残酷なほどに明白に浮かび上がってくるのじゃ」


 彼女の真骨頂。

 対象物に触れることで過去の映像が見えるといった、三流のオカルト小説に出てくるような安易な魔法ではない。極限まで研ぎ澄まされた物理的観察眼によって得られた客観的な証拠(データ)を基盤とし、そこに『人間という生き物が、どのような感情の揺らぎや社会的な制約によってその行動を選択したのか』という深い心理的洞察を掛け合わせることで、モノに宿った強烈な想いやルーツを論理的に再構築するプロファイリング技術。

 すなわち、『情動の視座』。

 それが今、十数年前の愚か者の脳内を完全に丸裸にしようとしていた。


「サクタロウ、光の軸をブレさせるな。もう少し、このパテの表面に光を近づけるのじゃ。……よし、そこで固定し、よく観察してみるのじゃ。この灰色のエポキシパテの表面に、何か不規則な凹凸が残っておるのが見えるか?」


「凹凸……?」


 僕は目を凝らして、灰色の粘土の塊のようなパテの表面を見つめた。

 エポキシパテというのは、二つの粘土状の薬剤を指で練り合わせることで化学反応を起こし、プラスチックのように硬化させる素材だ。そのため、完全に硬化する前の柔らかい状態の時に指で強く触れると、その形がそのまま残ってしまうという性質がある。


「あ……。これ、指の跡ですか? パテを骸骨の背骨の裏側に押し付けた時の、犯人の指紋がそのまま固まって残ってる……」


「ご名答じゃ。硬化速度の早いエポキシパテを対象物にしっかりと定着させるためには、数分間、強い力で押し付けたまま保持する必要がある。犯人は、手袋などもせず素手でこの工作作業を行ったため、指先の隆線——いわゆる指紋が、まるで古代の琥珀に閉じ込められた化石のように、完璧な状態でパテの表面に保存されておるのじゃ」


 如月さんは、ブレザーのポケットから愛用の純銀製のルーペを取り出し、右目にあてがった。

 そして、パテに残された指紋のミクロの溝を、まるで難解な古文書を解読する学者のような極限の集中力で読み解き始める。


「ふむ……。実に興味深いな。サクタロウ、このパテの表面には、大きく分けて『二種類』の指紋が混在しておる」


「二種類? えっ、じゃあ犯人が二人いたってことですか? 複数犯?」


「そうではない。空間は同じでも、時間軸が全く違うのじゃ。よく見ろ、この土台となっている古いパテの層。ここは完全に硬化しきっており、表面が十数年分の空気中のチリや微細な油分を吸って黒ずんでおる。ここに残されているのは、かなり大ぶりな指紋……骨格の成長度合いから推測して、おそらく成長期真っ只中の中学生か、高校生の男子の指のサイズじゃ」


「……十数年前の男子生徒。つまり、あの初等部の水飲み場の茂みにあったボールに、赤い絵の具で『呪縛の刻印』って書いたのと同じ、過去の『初代』ですね」


 僕が昨日解明された事実と結びつけて確認すると、如月さんはルーペを構えたまま微かに頷いた。


「左様。しかし、その初代が残した古いパテの端の部分を覆うようにして、もう一つ、ごく少量の『新しいパテ』が盛り付けられておるじゃろう。こちらはまだ空気中のチリを吸い込んでおらず、色もわずかに明るい灰色を保っておる。そして、そこに残されている指紋は、初代のものよりも明らかに一回り小さい。おそらく、小学生高学年から中学生程度の、まだ成長しきっていない子供の指じゃな」


「新しいパテと、小さい指紋……! じゃあ、それは現在の『二代目』の指紋ってことですか!」


「その通りじゃ。十数年前の古いパテは、長年の乾燥と温度変化の繰り返しによる劣化で粘着力が弱まり、骸骨のプラスチックの骨から剥がれ落ちそうになっておったのじゃろう。そこで、現在の二代目が、わざわざ新しいエポキシパテを買ってきて、上から補強するように塗り固め、この『赤い魔石』が落下しないように律儀にメンテナンスを施したというわけじゃ。水飲み場のボールに、何度も新しい泥を塗り直して隠していたのと同じようにな」


 十数年前に初代が仕掛けた怪異の舞台装置を、現在の二代目がパテで補修しながら必死に守り抜いている。

 その涙ぐましいまでの努力と執念の痕跡が、こんな数十グラムのゴミのようなキーホルダーパーツの裏側に、克明に刻み込まれていたのだ。


「……でも如月さん。初代と二代目って、いったいどういう関係なんですか?」


 僕は、LEDライトの光をパテに当てたまま、どうしても拭いきれない疑問を口にした。


「ただの先輩と後輩にしては、十数年も間が空いてるなんておかしいですよね。赤の他人が、こんな痛いノートの設定をたまたまどこかで拾って、ここまで本気で引き継いで、わざわざパテを買ってきてまで怪異のメンテナンスをするなんてこと、ありえるんでしょうか。普通なら『うわ、誰だこれ書いたの、痛っ』って思って捨てるか、友達に見せて笑い話にして終わりですよ」


 僕の至極真っ当な疑問に対し、如月さんは純銀のルーペを右目から外し、暗闇の中で僕を真っ直ぐに見据えた。

 その瞳の奥に、決定的な真実を暴き出した鑑定士特有の、研ぎ澄まされた冷酷な光が宿る。


「ありえんな。赤の他人ではない。この二つの指紋の『隆線(りゅうせん)』のパターンが、その揺るぎない証拠を物理的に提示しておる」


「隆線のパターン……?」


「指紋というものは、万人不同——世界に同じ指紋を持つ人間は存在しないと言われておるが、実は『渦状紋(かじょうもん)』『蹄状紋(ていじょうもん)』『弓状紋(きゅうじょうもん)』といった全体的な紋様のパターンや、隆線の密度、分岐点のクセといったマクロな特徴は、遺伝的な影響を極めて強く受けるのじゃ。親から子へ、あるいは兄弟間で、驚くほど似通ったパターンの指紋が現れることは、法医学や遺伝学の世界では常識じゃよ」


 如月さんは、銀のピンセットでつまんだパテの塊を、僕の目の前へとグッと突き出した。


「わしの物理的観察眼をもってすれば、この十数年前の大きな指紋と、最近の小さな指紋のパターンを比較するなど造作もないこと。……サクタロウ。この二つの指紋は、サイズこそ違えど、その紋様の構成比率や中心の渦の巻き方、そして隆線の流れが、統計学的に見て『異常なレベルで酷似』しておる」


 如月さんの言葉の意味を完全に理解した瞬間、僕はハッと息を呑んだ。


「酷似している……それって、つまり!」


「そうじゃ。この十数年前の『創設者(初代)』と、現在の『継承者(二代目)』は、極めて近い遺伝子を共有する血縁者。……年齢差から推測して、十数歳離れた『実の兄弟』であると断定できるじゃろうな」


「きょ、兄弟……!?」


 静まり返った無機質な家庭科室の中に、僕の素っ頓狂な声が響き渡った。

 十数年前、水飲み場でウォーターハンマー現象を『水龍の咆哮』と勘違いし、赤い絵の具で『呪縛の刻印』を書いた痛い中学生。

 そして現在、お小遣いが足りずに半額のフランスパンを『邪竜の腕』に見立てて儀式を行い、古いボールに泥を塗り、骸骨のパテを律儀に補修している痛い中学生。


 彼らが、一冊の設定ノート『黒の書』を介して繋がった、見ず知らずの他人ではなく、実の兄弟だったなんて。


「……なんという悲劇じゃろうな」


 如月さんは、心底呆れ返ったような、しかしどこか憐憫を含んだような、複雑な温度の声で呟いた。


「おそらく、十数歳も歳の離れた兄の部屋の押し入れか、あるいは実家の物置の奥底から、弟はこの『黒の書』という名の痛々しい設定資料集を偶然見つけ出してしまったのじゃろう。本来であれば、兄の社会的な尊厳を守るためにも、絶対に開けてはならないパンドラの箱じゃ。しかし、純粋無垢な弟の目には、その厨二病全開の暗黒神話の世界観が、とてつもなく魅力的で、カッコいい『真実の魔導書』に見えてしまった。……弟は、兄の残した遺志(黒歴史)を立派に守り抜くという、純粋すぎるがゆえに直視に耐えない使命感に燃え上がってしまったのじゃ」


「うわあああぁぁ……」


 僕は耐えきれずに頭を抱え、ステンレスの調理台の側面に額をガンガンと叩きつけた。

 痛い。痛い。痛すぎる。

 幽霊よりも、呪いよりも、何よりもタチが悪いホラーだ。

 自分が昔書いた痛いノートを、十数年後に歳の離れた実の弟が本気にして、学校中で儀式ごっこ(怪異のメンテナンス)をして回っていると知ったら、今の兄は絶対にショックで気絶するだろう。いや、社会人としての尊厳を保つために、そんなノートを書いた記憶自体を脳から完全に抹消しているに違いない。


「兄弟の血の繋がりが、このような呪われた形で継承されるとはな。……しかしサクタロウ、これですべての前提条件が揃ったぞ」


 如月さんは、僕の共感性羞恥による悶絶など全く意に介さず、冷徹なプロファイリングを次の段階へと容赦なく進めた。


「犯人は、十数年前の初代()。彼が、この骸骨の心臓に『赤い魔石』を埋め込み、重心をチューニングして、共振現象による怪異を作り上げた。では、いよいよ本題じゃ。……なぜ彼は、本来の場所である『理科室』ではなく、この『家庭科室』を舞台に選ばなければならなかったのか」


 再び提示されたその謎に、僕は顔を上げて如月さんを見た。


「あ……。そうでした。骸骨なら、絶対に理科室の方が雰囲気出ますよね。人体模型とか、ホルマリン漬けの標本とかと一緒に置いた方が、黒魔術の儀式っぽくてカッコいいのに。なんでわざわざ、こんな料理する部屋に……」


「そうじゃ。中二病を重度に患った初代()とて、最初は当然そう考えたはずじゃ。『理科室の実験台』こそが、死者の鼓動を打つ骸骨を鎮座させるのに最もふさわしい、最高のロケーションであるとな。……しかし、彼は理科室を『諦めざるを得なかった』のじゃ」


 如月さんの言葉に、僕は首を傾げた。

 諦めざるを得なかった? なぜ?


「サクタロウ、思い出してみるのじゃ。先ほどわしが説明した、この骸骨が勝手に揺れ出す『共振現象』のメカニズムを。……お主の足裏から床を伝わった微細な振動は、何を『増幅器(アンプ)』として骸骨へと伝達されたのじゃったか?」


「えっと……僕の隣にあった、キャスター付きのステンレス調理台ですよね。あの車輪の隙間の『遊び』が、揺れを大きくしたって……」


 僕がそこまで答えた瞬間、脳内に一本の閃光が走った。

 理科室。

 僕たちが普段、科学や生物の実験で使っている、あの部屋の光景。


「ああっ……! 理科室の実験台は……!!」


「気づいたようじゃな」


 如月さんは、してやったりの優雅な笑みを浮かべた。


「そうじゃ。理科室の実験台というものは、劇薬をこぼしたり、火を扱ったり、顕微鏡で精密な観察を行ったりするためのものじゃ。ゆえに、少しの振動でも揺れないよう、極めて頑丈で分厚い木材や樹脂で作られ、その足は床のコンクリートにアンカーボルトで『完全に固定』されておる。キャスターなどという不安定なものは絶対についておらん」


「固定されてる……。じゃあ、理科室の実験台の横に立って、いくら一生懸命グーパーをやっても……」


「そう、一切揺れないのじゃ。床を伝わった微細な振動は、強固に固定された重い実験台の質量に完全に吸収され、減衰してしまう。キャスターの『遊び』という増幅器が存在しない理科室の環境では、いかに心臓に百均の魔石を仕込んでチューニングしようとも、骸骨の腕をあのように派手に振り回すほどの共振現象は、絶対に発生しなかったのじゃよ」


 如月さんの見事な物理的証明が、十数年前の初代()の挫折の瞬間を、まるで映像のようにありありと描き出していく。


「想像してみるのじゃ、サクタロウ。初代は、理科室の重厚な実験台の横に骸骨を立たせ、自らの設定した完璧な暗黒神話の舞台に酔いしれながら、一生懸命に空中でグーパーを繰り返したはずじゃ。しかし、骸骨はピクリとも動かない。彼は焦ったじゃろう。『なぜだ! 俺の魔力が足りないのか! それとも魔石の力が弱いのか!』とな」


 僕は、誰もいない放課後の薄暗い理科室で、骸骨に向かって必死にグーパーを繰り返しては首を傾げ、魔石の位置を何度も調整している男子中学生の姿を想像し、再び胸を押さえてうずくまりそうになった。

 痛い。情景がリアルすぎて、見ているこっちの精神がゴリゴリと削られていく。


「彼は、骸骨の重りの位置を変えたり、自分の立ち位置を変えたりと、理科室の中で何度も何度も試行錯誤を繰り返したはずじゃ。しかし、物理の法則は非情じゃ。強固に固定された実験台の前では、共振は絶対に起きない。……そこで彼は、苦渋の決断を下したのじゃ」


 如月さんは、手袋の指先で、僕の横にあるキャスター付きのステンレス調理台を軽く叩いた。

 コンッ、という冷たい金属音が、家庭科室に虚しく響く。


「彼は、自分の『グーパー』の振動を増幅させてくれる『キャスター付きの台』を探し求めて新校舎を徘徊し、ついにこの家庭科室の窓際に置かれた可動式の調理台を発見したのじゃ。ここに骸骨を運び込み、試したところ、見事に腕が激しく揺れ出した。……彼は狂喜したはずじゃ。ついに自分の魔力が骸骨に宿り、死者が蘇った、とな」


「でも……」


「そう、お主の言う通り『でも』じゃ」


 如月さんのアメジストの瞳が、深い哀れみと、底知れぬ嘲笑の入り混じった色に染まる。


「物理的な現象は成功した。しかし、彼が作り上げた『黒の書』の世界観にとって、ここは最悪のロケーションじゃ。IHコンロがあり、シンクがあり、棚にはフライパンやピーラー、おたまが並んでいる。そんな料理をするための牧歌的な部屋で、死者の骨が蘇るなどというダークでシリアスな儀式を行うなど、中二病の美学が絶対に許さない。しかし、ここでなければ骸骨は動かない」


 如月さんは、ゆっくりと僕の方へと顔を近づけ、決定的な『情動のルーツ』を宣告した。


「彼は、物理法則の壁に敗北した己の無力さを認めることができなかった。そこで彼は、この状況を自分自身に納得させるために、己の脳内の『設定』の方を、強引に書き換えるという禁じ手に出たのじゃ」


「設定を、書き換えた……?」


「左様。彼はこのピカピカのステンレス製の調理台と、横にある水道のシンク、そして棚に収納された包丁などの刃物を見て……己の美学を守るため、こう必死に言い聞かせたのじゃ」


 如月さんは、まるで悲劇の舞台女優のように、両手を広げて大仰な仕草を作って見せた。


「『ここはただの料理部屋ではない。生贄の肉を切り裂き、血を洗い流すための神聖なる場所……そう、ここは魔界へと繋がる【血肉の祭壇】なのだ!』……とな」


 家庭科室の調理台を、『血肉の祭壇』と言い換える。


 その言葉が如月さんの口から飛び出した瞬間、僕の脳の処理能力は限界を完全に突破し、ショートした。


「ち、血肉の……祭壇……っ」


 僕は、ステンレスの調理台にすがりつくようにして崩れ落ち、両手で顔を覆って悶絶した。

 あああああ。

 痛い。痛い。痛すぎる。

 共感性羞恥の致死量を、優に超えている。


 理科室の実験台では物理的に揺れないから、仕方なくキャスター付きの調理台がある家庭科室に骸骨を移動させた。

 しかし、『家庭科室で黒魔術』というダサすぎる現実を受け入れたくなくて、ステンレスの台を『血肉の祭壇』というおどろおどろしい厨二病ネームにすり替えることで、必死に自分のプライドと世界観を守ったのだ。


 なんという妥協。

 なんという言い訳。

 なんという、涙ぐましい自己正当化。


「はは……あははははっ! ダメだ、無理! お腹痛い……! 家庭科室を血肉の祭壇って! フライパンで血肉を炒める気かよ! 家庭科の先生が聞いたら怒るぞ!! しかもそれを、十数年後に弟が本気にしてパテ塗り直してるんだぜ!? 地獄かよ!!」


 僕は調理台の足元に転がり、声を殺して笑い転げた。

 オカルトに対する恐怖は、完全に吹き飛んでいた。残っているのは、十数年前の初代()が、ノートに『第三の儀式の間:家庭科室(血肉の祭壇)』と、一人で真剣な顔をして書き込んでいる姿を想像して込み上げてくる、爆発的な笑いと、同性としてのいたたまれなさだけだった。

 如月瑠璃の『情動の視座』は、物理のトリックを暴くだけでなく、人間の最も見られたくない心の奥底の恥部までをも、残酷なまでに論理的に解体してしまったのである。



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