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第7巻:如月令嬢は『配電盤の堕天使を鑑定しない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『骸骨と赤い魔石』 ~section1:夜の家庭科室と、死者の鼓動~

 十月も下旬を迎えた月見坂市は、秋の深まりとともに日暮れの時間を早め、放課後のチャイムが鳴り終わる頃には、空はすでに薄暗い群青色へと染まり始めている。

 初等部の古い水飲み場で『呪縛刻印』が発見された翌日。

 つまり、不思議四天王の解明に乗り出してから三日目の放課後。


 高等部旧校舎の一階、廊下の突き当たりにある図書室の重い引き戸がガラガラと乱暴に開き、僕は息を切らしてその部屋へと駆け込んだ。


「き、如月さん! 今日もよろしくお願いします! 三つ目の怪談の解明に、今すぐ行きましょう!」


 僕が声を張り上げると、図書室の奥の特等席——勝手に持ち込まれたアンティークのテーブルと季節外れのこたつが置かれたスペースで、優雅にティーカップを傾けていた少女が、ゆっくりとこちらを振り返った。


「騒々しい男じゃな。それに、随分と前のめりではないか。昨日の帰り際には、『もう他人の痛い設定遊びを見るのは胃が痛い。これ以上は精神が削られる』などと、無様な泣き言をほざいておったはずじゃが?」


 如月さんは、深い紫——アメジストの瞳で僕の慌てふためく姿を冷ややかに捉え、短く鼻を鳴らした。


「そ、それはそうですけど! でも、だからといって残りの怪談をこのまま放置してたら、僕は怖くて夜も眠れないんですよ!」


 僕は頭を掻きむしりながら、正直な心情を吐露した。

 三年二組の黒板も、水飲み場も、如月さんのおかげで『ただの物理のバグと中二病の合わせ技』であることが証明された。それは本当に感謝している。だが、だからといって、残りの二つが『絶対に幽霊じゃない』という確証はどこにもないのだ。

 特に今日向かう三つ目は、死者の骨格が勝手に動くという、ガチでヤバそうなオカルト現象である。もし万が一、億が一でも本物の怪異だったらと想像するだけで、僕の脆弱な心臓は嫌な音を立てて早鐘を打ってしまう。


「僕の精神の平穏を保つためには、どうしても如月さんの『完全なる物理的証明』という絶対の盾が必要なんです! だから、今日も僕の持ってきた噂を、その凄まじい観察眼で徹底的に粉砕してください! ……あ、でも、もしまたあの『黒の書』絡みの痛い証拠が出てきたら、僕には見せないでくださいね。幽霊より、同世代の黒歴史を直視する方がダメージでかいんで」


「ふん。己から怪異の解明を依頼しておきながら、見たくない真実は隠せとは、つくづく身勝手で愚鈍な男じゃ。……まあよい」


 如月さんはソーサーにティーカップを静かに置くと、純白の手袋と銀のルーペが入った古い革の鞄を手に取り、立ち上がった。


「わしとて、昨日からの一連の事象……十数年越しに引き継がれているこの壮大な『設定遊び』のネットワークを、途中で放置するつもりなど毛頭ない。不思議四天王の全貌を、骨の髄まで論理的に解体してやるわ。行くぞ、サクタロウ。日が暮れて気温が下がれば、わしの思考の調律に狂いが生じる」


「はいっ! 荷物持ちでも照明係でも、なんでもやりますから!」


 こうして僕たちは、埃っぽい図書室を後にして、本日の現場へと向かうことになった。


 僕たちが今日向かっているのは、旧校舎でも初等部のグラウンドでもなく、高等部の生徒たちが日常的に使用している『新校舎』である。

 月見坂市が誇るスマートシティの技術が惜しみなく注ぎ込まれたこの新校舎は、まさに近代建築とテクノロジーの結晶とも言える場所だった。

 僕たちが旧校舎からの連絡通路を渡り、生徒用エントランスの自動ドアを抜けると、空気の質が劇的に変わるのが分かった。天井に設置された極小の環境センサーが僕たちの体温と動きを感知し、無人の廊下のLED照明が、進行方向に向かって滑らかなグラデーションを描くように次々と音もなく点灯していく。空調は常に最適な温度と湿度を保ち、防音性の高い壁材によって外部のノイズは完全に遮断されている。

 床はチリ一つないほどに磨き上げられており、窓ガラスには指紋一つついていない。


 昨日までの舞台であった、カビと埃の匂いが充満する旧校舎や、泥と落ち葉にまみれた古い水飲み場とは、完全に別世界だ。

 このような、デジタルで完全に統制され、監視カメラの死角すら存在しない明るく清潔な空間に、オカルトめいた怪談が入り込む余地などあるのだろうか。歩けば歩くほど、その違和感は強まっていった。


「しかし、何度来ても無機質で面白みのない空間じゃな。このような隙のない場所で、いかにして怪異を演出するというのか。……着いたぞ、サクタロウ。ここが第三の現場じゃ」


 如月さんが足を止めたのは、新校舎の三階、一番奥にある特別教室——『家庭科室』の前だった。

 放課後のこの時間、調理実習や裁縫の部活動は行われておらず、廊下は水を打ったように静まり返っている。


「家庭科室……ですね。でも如月さん、ここの特別教室って、放課後は教師の権限がないと開かない電子ロックがかかってるはずですよ。どうやって入るんですか?」


「愚問じゃな。わしを誰だと思っておる」


 如月さんは、ブレザーのポケットから、一枚の黒いカードキーを取り出した。

 それは、一般の生徒手帳に組み込まれたICチップなどではない。如月コンツェルンの上層部、あるいは学園の理事長クラスしか持つことを許されない、全区画アクセス権限付きのマスターキーだった。


「ちょっと、如月さん! それ、如月コンツェルン会長のカードじゃないですか! 勝手に持ち出していいんですか!?」


「細かいことを気にするでない。事後報告で十分じゃ。セキュリティシステムにアクセスログは残るが、じいじの名を出せば誰も文句は言えん。それよりも、さっさと中に入って不純物の確認をするのじゃ」


 如月さんがカードキーをドア横のリーダーにかざすと、ピロッという無機質な電子音とともに、分厚い防音扉のロックが解除された。

 彼女は躊躇うことなくドアノブを押し下げ、家庭科室の中へと足を踏み入れた。僕も周囲を警戒しながら、慌ててその後を追う。


家庭科室の中は、廊下と同様にチリ一つなく、完璧に整理整頓されていた。

 中央には、IHコンロとシンクが一体になった、巨大なステンレス製の調理台が六台、等間隔に規則正しく並んでいる。壁際の手洗い場もセンサー式で、包丁や鍋などの調理器具は全てロック付きの戸棚の中に収納されており、表には一切出ていない。

 スマートシティの最新設備が整った、ひどく冷たく、生活感のない空間。

 西日が差し込むブラインドの隙間から、赤い光がステンレスの調理台の表面に反射して、鋭い金属の輝きを放っている。


 しかし。

 その完璧に清潔で近代的な空間の中で、ただ一つだけ、周囲の景色から完全に浮き上がっている『強烈な異物』が存在していた。


 部屋の最奥。

 窓際の、一番端にあるステンレス調理台のすぐ横。

 そこに、黒い金属製のスタンドに吊るされた、等身大の『人体骨格模型』が、ぽつんと立っていたのだ。


「……うわぁ」


 僕は家庭科室の入り口で立ち止まり、思わず顔をしかめた。

 ピカピカの最新IHコンロのすぐ横に、人間の骨の形をした模型が、腕をだらりと下げて直立している。あまりにもシュールで、脈絡がなく、そして不気味な光景だった。


 しかもその骸骨は、この新校舎の備品とは思えないほどに古い。

 頭蓋骨の頭頂部には太い金属のフックが突き刺さり、そこからスタンドの支柱へと吊り下げられている。あばら骨や骨盤のプラスチックパーツは、長年の経年劣化と紫外線の影響で黄ばみ、所々に細かいヒビが入っている。腕や脚の関節を繋ぐ金属のワイヤーも、赤茶色に錆びついていた。

 まるで、昭和の旧校舎の理科室から、そのままタイムスリップして無理やり持ち込まれたかのような、強烈な違和感。


「如月さん、あれです。あいつが不思議四天王の三つ目、『勝手に腕を揺らす骸骨』です」


「ほう。確かに、この清潔な空間には似つかわしくない、ひどく古びた不純物じゃな。して、サクタロウ。お主の仕入れた噂によれば、この骨の塊がどのような怪異を引き起こすというのじゃ?」


 如月さんは、革の鞄を近くの調理台の上に置きながら、僕に説明を促した。


「えっと……噂だと、あの骸骨のあばら骨の隙間に手を入れて、胸の真ん中——心臓があるあたりで、手のひらを『グーパー、グーパー』って開いたり閉じたりする動作を繰り返すらしいんです。そうすると、誰も骸骨の骨には一切触れていないのに、突然、両腕が前後に大きく揺れ出すそうなんですよ」


「ふむ。対象に物理的に接触していないにもかかわらず、腕が揺れ出すと。それは実に興味深いな」


「興味深いって……気味悪いですよ! それに、なんで骸骨が『家庭科室』にあるんですか? 普通、こういう模型って体のつくりを勉強するためのものなんだから、理科室か生物室に置くもんじゃないんですか? 調理台の横に骸骨なんて、衛生面とか以前に気持ち悪くて料理に集中できないですよ!」


 僕が素朴な疑問を口にすると、如月さんは少しだけ口角を上げ、アメジストの瞳を細めた。


「そこじゃ。サクタロウにしては、まともな着眼点じゃな。人間の骨格模型が、なぜ料理や裁縫を学ぶ家庭科室にぽつんと配置されているのか。……この『場所の不自然さ』こそが、この事象の根幹に関わる重要な物理的矛盾なんじゃよ」


「場所の、矛盾……?」


「そうじゃ。なぜ本来あるべき理科室ではなく、家庭科室でなければならなかったのか。その理由は、この現象のトリックを解き明かせば、自ずと判明するはずじゃ」


 如月さんは、鞄の中から純白の手袋を取り出した。そして、細い指にシワ一つ残さないように丁寧にはめていく。

 準備を終えると、彼女は窓際の骸骨に向かって、顎でクイッと合図をした。


「さあ、サクタロウ。依頼人の出番じゃ。お主が説明した噂の通りに、あの肋骨の中に手を入れて、グーパーの動作をしてみるのじゃ」


「ええっ!? ぼ、僕がやるんですか!?」


「当たり前じゃ。わしは観察者であり、鑑定士じゃ。自ら体を張って事象のトリガーを引くような泥臭い真似はせん。お主が現象を発生させ、わしがそれを冷徹に観察する。それが我々の役割分担じゃろうが」

「そんな殺生な……! もし本当に腕が勝手に揺れ出したら、僕、怖くて腰を抜かしちゃいますよ!」


「抜かすがよい。お主のその愚鈍な悲鳴も、現象を観測するための良いスパイスになるわ。さあ、早く行くのじゃ。完全に日が暮れてしまうぞ」


 如月さんの絶対的な命令に逆らうことはできない。自分で怪談の粉砕を頼んでおいて、逃げるわけにもいかないのだ。

 僕は泣きそうな顔で、ステンレスの調理台の間を抜け、部屋の奥に立つ骸骨へと恐る恐る近づいていった。


すぐ目の前まで近づいて見ると、その骸骨は想像以上に不気味だった。

 空洞になった眼窩。歯が剥き出しになった無機質な顎。黄ばんだプラスチックの質感は、ブラインド越しに差し込む夕暮れの赤い光を鈍く反射して、まるで本物の古い骨が脂を浮かせているようにも見えた。

 そして、胸の中心に広がる、籠のような肋骨の空間。


「……ここに、手を入れるんですよね」


 僕は大きく深呼吸をして、震える右手を真っ直ぐに伸ばした。

 肋骨の隙間は狭く、僕の腕がギリギリ通る程度の広さしかない。もし、手を入れた瞬間に、この骸骨の肋骨がガシャンッと閉じて、腕を食いちぎられたらどうしよう。そんなB級ホラー映画のような妄想が頭をよぎるが、背後からの如月さんの無言のプレッシャーに押され、僕は意を決して右手を肋骨の檻の中へと突っ込んだ。


 ヒヤリと、家庭科室の冷たい空調の風が腕を包む。

 プラスチックの骨に絶対に触れないように注意しながら、胸腔の真ん中——人間で言えばちょうど心臓がある位置に、右手を配置する。

 そして、僕は目をギュッとつぶり、手のひらを開いたり閉じたりする『グーパー』の動作を開始した。


 グー、パー。グー、パー。

 静まり返った家庭科室に、僕の制服の袖が擦れる衣擦れの音だけが、虚しく響き渡る。


「……如月さん。やっぱり、何も起きませんよ」


 数十回繰り返したところで、僕は目を開けて振り返った。

 骸骨の腕は、だらりと垂れ下がったままで、微動だにしていない。


「焦るでない。まだエネルギーが蓄積されておらんのじゃ。そのまま、一定のリズムを保って続けるのじゃ」


 如月さんは、三歩ほど離れた位置から、腕を組んで骸骨を凝視している。そのアメジストの瞳は、骸骨の腕だけでなく、僕の姿勢や、足元、そして周囲の環境全体をくまなくスキャンしているようだった。


 僕は深くため息をつき、再び骸骨に向き直ってグーパーを続けた。

 薄暗い家庭科室の奥で、黄ばんだ骨格模型の胸の中に手を入れて、ひたすらグーパーを繰り返す男子高校生。

 客観的に見れば、あまりにも滑稽で、シュール極まりない光景だ。恐怖よりも、自分がひどく馬鹿なことをしているという虚無感が募ってくる。こんな馬鹿げた行動で幽霊が呼び出せるなら、世の中の霊媒師は苦労しない。


 グー、パー。グー、パー。


 ——その時だった。


 カタッ。


 極めて微かな、硬いプラスチック同士が触れ合う音が、僕のすぐ目の前で鳴った。


「えっ……?」


 僕は手を動かしたまま、目の前の骸骨を凝視した。

 気のせいではない。

 だらりと垂れ下がっていた骸骨の右腕が、ほんのわずかに、数ミリだけ、前後に揺れたのだ。


 カタッ、カタッ。


 音が、少しずつ大きくなっていく。

 それに合わせて、骸骨の両腕が、振り子のように前後に揺れる振幅を確実に広げ始めた。

 僕は骸骨の骨には一切触れていない。ただ、肋骨の空間の真ん中で、空中でグーパーをしているだけだ。風も吹いていないし、僕の体が骸骨にぶつかっているわけでもない。


「ひっ……! き、如月さん! 揺れてます! 腕が、勝手に……!」


 カタカタカタカタッ!!


 僕がパニックになって叫んだ瞬間、骸骨の揺れは一気に激しさを増した。

 両腕が、まるで目に見えない死者の魂に操られているかのように、前後に大きく、不自然なほどの勢いでブンブンと振られ始めたのだ。

 錆びついた金属のワイヤーが軋む、ギシッ、ギシッという音が、死者の呻き声のように無機質な家庭科室に響き渡る。

 夕日の赤い光が、揺れる腕のシルエットを壁に歪に映し出し、まるで悪鬼が手招きしているような悍ましい影を作り出していた。


「うわああああっ!! 動いてる!! 僕、触ってないのに!! やっぱりこれ、呪われてますよ!! 死者の怨念が宿ってるんだ!!」


 僕は恐怖の限界に達し、悲鳴を上げながら肋骨の中から右手を引き抜こうとした。

 しかし、パニックになったせいで腕を引く角度が狂い、制服の袖が黄ばんだ肋骨の間にガッチリと引っかかってしまった。


「ああっ! 抜けない! 助けて、腕が食べられるぅぅぅ!!」


 骸骨に捕食されるという最悪の妄想に囚われ、半狂乱になって暴れる僕。

 しかし、その背後から聞こえてきたのは、僕の悲鳴とは対極にある、氷のように冷たく、そしてどこまでも退屈そうな少女の声だった。


「……やかましい男じゃな。落ち着いて手首を横に捻ってから引き抜くのじゃ」


 如月瑠璃の目には、目の前で起きている怪奇現象に対する恐怖など、一欠片も存在していなかった。

 ただ、この不思議な事象の裏にある『物理のカラクリ』を完璧に見透かし、その滑稽な仕組みをいかにして論破してやろうかと待ち構える、天才鑑定士の冷徹な観察眼だけが光っていたのである。



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