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第7巻:如月令嬢は『配電盤の堕天使を鑑定しない』  作者: アリス・リゼル


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プロローグ:『不思議四天王』

 十月下旬。秋の深まりとともに、旧市街から吹き込む風は冷たさを増し、制服のブレザーを通り抜けて肌を刺すようになってきた。

 だが、僕——朔光太郎(さく こうたろう)が今、小刻みに震えているのは、決して気温のせいだけではない。


 放課後の静まり返った高等部旧校舎。その一角にある図書室の重い扉を、僕はすがるような思いで押し開けた。


「如月さん……! た、助けてください……!」


 図書室の中には、本来そこにあるはずのない異質な空間が広がっていた。

 部屋の中央、古書がうずたかく積まれた机の横に、どこから持ち込んだのか堂々と鎮座する木目調のこたつ。そのこたつ布団にすっぽりと身を隠し、背もたれ付きの座椅子でくつろいでいるのは、艶のある黒髪を長く伸ばした小柄な少女——如月瑠璃(きさらぎ るり)だ。

 僕の悲痛な叫びを聞いても、如月さんは手にしたアンティークのティーカップから視線を外さず、優雅に琥珀色の紅茶を啜った。ダージリン特有のマスカットのような香りが、図書室の埃っぽい空気と混ざり合う。


「騒々しいやつじゃな。お主、ひどく震えておるぞ。ただでさえ矮小な心臓が、ついに破裂でもするのかの?」


 如月さんの深い紫——アメジストのような瞳が、カップの縁越しに僕を射抜く。黙って座っていれば男子が放っておかないほどの可憐さなのだが、口を開けばこの通りだ。彼女の態度は、僕のことをただの便利な下僕か何かだと思っている節がある。


「心臓は破裂しませんけど、精神が限界なんです……! 如月さんも知ってますよね? 最近、学園でまことしやかに囁かれている『不思議四天王』の噂を!」


「四天王? なんじゃそれは。どこぞの安っぽい空想小説の敵役かの」


 如月さんは心底興味がなさそうに、ティーカップをソーサーに置いた。


「違いますよ! 如月学園に伝わる、四つの恐ろしい怪談です。一つ目は、高等部旧校舎の三年二組の黒板の縁から、抜いても抜いても髪の毛が生えてくる。二つ目は、初等部の運動場の水飲み場で、誰もいないのに蛇口から大量の水が出る。三つ目は、高等部新校舎の家庭科室にある骸骨の模型が、あばら骨に手を入れてグーパーすると勝手に腕を揺らす。そして四つ目は……中等部の夜中の廊下を、着物を着た女性が走り去って、行き止まりの壁に消えるんです……!」


 一息にまくし立てた後、僕は恐怖のあまり両手で自分の肩を抱いた。

 特に四つ目がヤバい。幽霊というだけでも恐ろしいのに、あろうことか『女性』の幽霊だなんて。同世代の女性と接すると思考停止に陥ってしまう僕にとっては、まさに二重の恐怖、最悪のバッドステータス確定である。推しの地下アイドル『魚魚っとラブ』のライブ映像を見て現実逃避しようにも、目を閉じれば夜な夜な脳裏に着物姿の女がチラついて、もう三日もまともに眠れていない。


「お願いです、如月さん。如月さんのその凄まじい物理的観察眼で、幽霊なんて非科学的なものは存在しないって、物理的に証明してください! そうじゃないと僕、怖くて学園生活を送れません!」


 こたつにすがりつくようにして懇願する僕を見下ろし、如月さんはふう、と呆れたようなため息をついた。


「愚鈍な噂じゃ。髪の毛だの、動く骸骨だの……お主、そんな下らない与太話のために、このわしの知性を浪費させるつもりかの? 大方、無知な愚か者どもが、些細な物理現象を勝手に超常現象に仕立て上げて怯えておるだけじゃろうて」


「だから、その『些細な物理現象』だってことを証明してほしいんですってば! 僕の助手としてのこれまでの働きに免じて、どうか!」


「断る。わしは今、この古文書の解読で忙しいのじゃ。お主のような臆病者の妄想に付き合っている暇は……」


 言いかけながら、如月さんは机の上に置かれた古文書をパラパラと捲り——ふと、動きを止めた。

 すでに最後のページまで目を通し終えていたことに気がついたらしい。こたつの上のティーポットも、すでに空になっているようだった。

 如月さんはアメジストの瞳をパチパチと瞬かせた後、ゆっくりとこたつ布団から抜け出した。


「……まあ、よい」


「え?」


「図書室の澱んだ空気を吸うのにも、少々飽きてきたところじゃ。どうせくだらん見間違いじゃろうが、お主の矮小な心臓が止まってしまっては、雑用を押し付ける者がいなくなって不便じゃからな」


 そう言うと、如月さんは傍らに置いてあった古い革の手帳と銀のルーペ、そしてお決まりの純白の手袋や懐中電灯が入った鞄を手に取った。


「暇つぶしじゃ。その下らない四天王とやらの正体を、わしが論理的に暴いてやろう」


「如月さん……! ありがとうございます! 一生ついていきます!」


「大げさな奴じゃ。さあ、行くのじゃサクタロウ。まずは一番近くにある、旧校舎の三年二組じゃったかの?」


「はい! 黒板から髪の毛が生える教室です!」


 幽霊の存在を否定してもらえるという安堵感から、僕は意気揚々と図書室の扉を開けた。

 この時の僕は、完全に油断していた。

 この他愛のない四つの怪談の先に、幽霊や呪いなんかよりもよっぽどおぞましく、そして決して開けてはならない『パンドラの箱』が待っていることなど、微塵も想像していなかったのだから。



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