第9話 収容所での会話
食後。
残飯の入ったバットは空になり、油の染みが床にまだらに残っていた。
人々は疲れ果てたように壁にもたれかかり、うつむいたまま口を閉ざしている。
翔もその一人だった。
胃はわずかに満たされたが、心は何倍も空虚になった気がした。
「……なぁ」
ふいに、隣から低い声がした。
声の主は、四十代半ばくらいの男。骨ばった体つきで、首元のタグがやけに光を反射していた。
「お前も、会社員だったのか?」
翔は少し迷いながら頷いた。
「……はい。証券会社で勤めてました」
「俺は工場勤務だ。下請けのラインでな。……ま、そんな肩書き、もう意味ねぇけどな」
男は乾いた笑みを浮かべる。
「……そうですね」
翔も笑おうとしたが、喉にひっかかって声にならなかった。
しばし沈黙。
やがて男が囁くように言った。
「外で噂、聞いたことあるか? “移行”のあと、俺たちどうなるのか」
翔は目を伏せた。
「……ペットになるとか、労働用に使われるとか……。でも、どれもはっきりした話じゃなくて」
「そうか……俺は聞いた。工場の同僚から」
男は顔をしかめた。
「“業務引き継ぎ動物”って、つまり俺たちが……機械の代わりに使われるってさ」
翔は息を呑む。
「……まさか」
「ありえるだろ。国は人手不足を解消できるし、移民も増えて“人間”の仕事は回る。……残った俺たちは、ただの“労働力”にされる」
檻の外の蛍光灯がジジ……と不安定に鳴り、影が揺れた。
翔はその影の中で、男の目が妙に濁って見えることに気づいた。
「……お前、名前は?」翔は問う。
男は少し間を置いてから、タグを指で弾いた。
「ここに書いてある。……でも、どうせもう“名前”じゃねぇよ」
そう言って、男はうつむいた。
翔は自分のタグを触る。冷たく硬い輪の中に収まったアルファベットの文字。
(……俺の名前も、ここにしか残ってない)
光の下で、二人は同じように首元を押さえた。
俺達はこの先どうなるんだろう…