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第7話 収容

翔は職員に誘導され、無機質な廊下を歩かされた。

壁は白く、蛍光灯は異様に明るい。だがその光は温かさを持たず、手術室の照明のように、対象をただ“加工物”として照らす光だった。


廊下の突き当たりには重い防音扉があり、職員が慣れた手つきでカードキーをかざす。

機械的な音がして扉が開く。


中は、薄暗い巨大なホールだった。

すでに何十人もの男女が集められていた。だが列は二つに分かれている。

〈MEN〉〈WOMEN〉と大きく表示された案内板が天井から吊るされ、それぞれの列は無言のまま誘導されていた。


職員が言う。


「性別ごとにお進みください。指示はその先で言います。」


その言い方は、あくまで“人員分類”であって、配慮ではなかった。


翔は〈MEN〉の列へ進んだ。

女性たちは反対側へ吸い込まれるように歩いていく。

別れ道で、ただ一瞬だけ人々の表情が交差した。

皆、怯え、諦め、理解を含んだまま、それでも列に並んで歩いていく。


翔が〈MEN〉と書かれた扉をくぐると、そこはコンクリートで固められた巨大な部屋だった。

天井は低く、照明は最小限。床は冷たいまま放置されている。


全員が壁際に立たされ、次の指示を待っていた。


扉が閉まり、重い錠の音が響いた瞬間、係員が前に出てきた。


「これより脱衣を行ってください。足元に置かれた箱に衣類はすべて入れてください。下着も同様です。

 私語は禁止。抵抗の意思表示も禁止です」


足元には、プラスチックの箱が置かれている。


翔はほんの一瞬だけ反抗心を覚えた。

「ここで脱ぐ必要はないだろう」と口に出す寸前。


だが、周囲を見渡すと、皆が無表情のまま服を脱ぎ始めていた。

戸惑いも、羞恥も、声もない。

“命令だから”という理由だけで、躊躇なく全裸になっていった。


異様な光景だったが、ここでは異様であることすら意味を持たない。


翔もゆっくりとシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、最後の一枚を外す。

冷気が肌を刺し、思わず胸元を腕で隠した瞬間──職員が無表情のまま肩を小突いた。


「隠さないでください。そのまま立っていてください」


翔は言い返すことができなかった。


やがて、番号を呼ばれ、翔は壁に記された「M-42」の前へ移動させられた。

雑にペンキで描かれた数字。

名前ではなく、“処理順”を示す記号。


隣の「M-43」の男が、ぽつりと呟いた。


「……俺たちって、もう家畜なんだな」


すすり泣きが遠くで上がり、すぐに止む。

絶望が飽和し、音を奪っていく。


翔は壁に触れた。

冷たくザラついたコンクリートが皮膚越しに内臓へ染み込むようだった。


(もう……戻れない)


言葉ではなく、感覚として理解した。


やはり、昨日途中で切れたミアの声──

“Sho…? Are you… still… the…”

途切れたあの音は、回線障害ではなく、制度による“切断”だった気がしてきた。


扉の近くで足音が響いた。

係員が書類を手に入ってくる。


「これより、身体検査および識別処置に入ります。番号順に動かないでください」


誰一人、反応しない。

壁に貼り付けられた影のように、ただ立ち尽くす。


翔もまた、息を潜めた。


胸の奥で鳴る微かな鼓動だけが、

“まだ人間である”という最後の証拠のように、かすかに響いているようだった。


服を脱ぎ終えた瞬間、部屋全体の空気が変わった。

冷気のせいだけではない。

裸にされた人間特有の、逃げ道のない脆弱さがむき出しになったからだった。


誰も声を出さない。

だが沈黙の奥では、多くの身体が小刻みに震えている。


腕で胸元を隠そうとして職員に小突かれた男は、

その後も癖のように肩をすくめ、

肌を刺す冷気に耐えきれず奥歯を噛みしめていた。


向こう側に立つ若い男は、

唇を噛み過ぎて血が滲んでいた。

視線は床に固定され、

見えない何かに縋るように足指がぎゅっと丸まっている。


中年の男は、身体は大柄なのに、

胸元を露わにしたまま落ち着きなく呼吸している。

浅く、速い呼吸。

吸うたびに肩がわずかに上下し、

その揺れが本人の恐怖を誰よりも雄弁に物語っていた。


さらに隅のほうでは、

痩せた少年のような体格の青年が、自分の腕を強く抱きしめていた。

「抱くな」という職員の指示に逆らわぬよう、腕は胸から離されている。

だが代わりに、手は拳になり、爪が掌に食い込むほど強く握られていた。


視線を合わせる者は一人もいない。

誰もが一様に壁を見つめ、ただ“ここでは目が合うことすら危険”と本能で悟っている様子だった。


肌と肌の間に漂うのは、

羞恥ではなく、もっと深い種類の不安だ──


「人間であることを奪われ、次に何を奪われるのか不安だった。」



翔もまた、同じ冷気の中で震えていた。

だが震えているのが寒さのせいなのか、

“処理されるのかわからず、ただ順番を待つ家畜の感覚”に身体が反応しているのか、

そのどちらなのかは自分でも分からなかった。


識別処置が終わると、部屋に再び金属音が鳴り響いた。

高い、甲冑を叩くような硬質な音──次の工程へ進む合図だった。


係員が二名、無言のまま入室した。

腕には黒い腕章が巻かれ、「監査」とだけ白字で記されている。

係員は、生体資源を扱う担当者のような無機質さがあった。


「番号ごとに列を作ってください。

 これより収容区画へ移送します。

 指示のない行動は禁止です。」


男たちは、壁際の番号順に並び直した。

裸のまま、足裏に直接コンクリートの冷たさを受けながら、各々のかつて日本人だった者たちが順番に前へ進んで歩いていく。


M-42──翔の番が近づくにつれ、部屋の空気はさらに硬く張り詰めていった。

前に並ぶ男たちは、震えを抑えるためか、拳を握りすぎて指の関節が白くなっていた。


M-41の男が扉をくぐった瞬間、

その奥から「機械が作動する低い駆動音」が響いてきた。


その瞬間、翔の喉がひとりでに震えた。


(次は……何をされるんだ?)


問いは心の中だけに沈んだ。

問いを言葉にすることすら、ここでは正気を失う行為に思えた。


係員に促され、翔は前へ進む。


扉の向こうは、さらに冷たい空間だった。




◆識別処理区画(Pre-Block)


そこは「部屋」というより、

工場の搬入口のような細長い通路だった。


天井には監視カメラが等間隔に並び、

壁には金属製のバーが設置されている。


バーにはすでに数十人の男たちが掴まされ、

横一列に固定されていた。

拘束ではない。

だが、離すことを許されない“姿勢維持”の工程。


係員が説明する。


「これより識別処理を行います。

 衛生と識別のための工程ですので痛みはありません。

 動かないでください。」


痛みはない──その言葉を聞いた瞬間に、逆に恐怖が増してきた。


翔はバーに手をかけさせられ、足を肩幅に開くように指示された。

照明が彼の頭上に集中的に落ち、

影が床にくっきりと伸びる。


次の瞬間、天井から細いアームが降りてきた。


先端には、黒い円形の装置。

「識別印字機」と呼ばれるらしい。


アームが順番に男たちの身体に触れていく。


肌に押し当てられるたび、

機械が軽く唸り、

焦げたような臭いがわずかに漂った。


皮膚を焼くほどの痛みはない。

だが、「印を刻まれた」という感覚だけが、生々しく残る。


翔の番が来た。


アームが肩甲骨の下あたりに触れた瞬間──

体温とは違う、機械的な熱が浅く食い込んだ。


「識別完了。M-42。」


係員の無機質な声が頭上で落ちた。


翔は息を飲んだが、声は出なかった。


焼き印ほどの激痛はない。

だが、刻まれた番号は

“人間”と“処理対象”の境界をはっきりと断ち切る線のように感じられた。



◆収容区画(Block-C)へ


識別処理が終わると、

男たちは再び列を組まされ、

薄暗い廊下へ導かれた。


廊下は長く、左右には複数の扉が並んでいた。

扉には〈Block-A〉〈Block-B〉〈Block-C〉と印字されている。

ブロックはまるで飼育小屋の区分のようだった。


翔が割り振られたのは〈Block-C〉。


扉が開かれ、冷たい空気が流れ出す。

その奥には、狭い鉄格子の部屋がいくつも並んでいた。


すでに収容された者たちは、

ほとんどが壁を向いて立ち尽くしている。

座ることも、横になることも許されていないようだった。


係員が淡々と告げる。


「ここがあなた方の収容区画です。

 識別処置の完了した者から順に、

 今後の用途が決定されます。」


“用途”という言葉に、翔は背筋が微かに震えた。


用途──

人間に対して使う言葉ではない。


背後の鉄扉が閉まり、

錠がゆっくりと回る音が、翔の耳の奥に刺さった。


(ここから……もう、戻れない。)


その感覚は、もはや比喩ではなかった。

現実そのものだった。


翔は、狭い区画で静かに息を吸った。

冷たい空気は、肺の奥に重く沈んでいった。


まるで、「人としての最終呼吸」かのように──。

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