第6話 人間の終わり
そして、結局マッチング出来なかった。
移行センターの待合室。
翔の名前か呼ばれた。無機質な蛍光灯の下で、番号札を握りしめた手のひらに汗が滲んでいた。周囲の椅子には、同じように番号を待つ人間たちが座っている。いや、もう人間、と言えるのかどうか。ほとんどは項垂れ、ある者は虚ろな目で天井を見ている。
「矢島翔さん、こちらへ」
窓口の職員は、驚くほど淡々としていた。翔は呼吸を整えて立ち上がる。ガラスの仕切りの向こうには、タブレット端末が置かれていた。
職員が画面を操作すると、翔の戸籍情報が映し出される。
「本日をもって、あなたは人間籍から除外されます」
言葉は事務的だった。淡々とした通知。それ以上でも、それ以下でもない。
翔は喉が詰まったように声を出せなかった。わずかな抵抗として「待ってくれ」と言おうとしたが、職員は遮るように次の文言を読み上げた。
「婚姻成立の記録は確認できません。猶予期間も本日零時をもって失効しました。したがって、あなたは明日以降、『人間』としての権利を行使できません」
紙が差し出される。灰色の用紙。タイトルには《動物移行通知》と記されていた。
「サインをお願いします」
ボールペンを握る手が震える。だが拒否権はない。もしサインしなければ、係員二人に肩を掴まれ、強制的に署名の代筆をされるのだろうと直感した。
視界の端では、別の番号を呼ばれた男が、すでに首輪を付けられ、引率の担当者に連れていかれている。
自分の番だ。
これからは電車に乗ることも、買い物をすることも、住居を持つこともできない。名前を呼ばれることすらない。
翔はペン先を紙に落とした。
たった三文字――矢島翔。
書き終えた瞬間、心臓の奥で「何かが剥がれ落ちる」音を聞いたような気がした。
職員は書類を受け取ると、冷たく微笑んだ。
「お疲れさまでした。これで手続きは完了です。出口の左手にお並びください。移行用の首輪をお渡しします」
翔は振り返った。待合室の壁には「人間性を守るために――婚姻を」というポスターが貼られていた。
だが、もう彼にとってその文言は意味をなさなかった。