第6話 人間の終わり
通話は不自然に、唐突に、何の前触れもなく途切れた。
「……ミア? 聞こえる? Mia?」
もうミアの返事はなかった。
英語のノイズが数秒間続き、それきり画面は沈黙した。
翔は何度もスマホを耳に押し当てたが、画面には
《Call ended》
の冷たい文字が表示されるだけだった。
ミアが回線を切ったのではない。
向こうから聞こえたかすかな声の乱れ、間歇的な接続の途切れ方――
それは、政府が移行対象者の通信を意図的に制限するときの癖のようだった。
(もう……きっと、もうダメなんだな…)
その瞬間、胸の奥で小さく音がした。
希望の折れる音だった。
翔は茫然とし、しばらくその場から動けなくなった。
スマホの画面に映る自分の顔は、すでに人間らしい表情をしていなかった。
◆
翌朝。
翔は通知を見て、ただその事実を静かに受け入れた。
【MIGRATION CONFIRMED
あなたの人間籍はまもなく無効となります】
もう、ミアからの未読のメッセージは届いていなかった。
届いたとしても、もう読むことも返すことも、きっと許されないのだろう。
翔はゆっくり服を着替え、財布だけをポケットに入れた。
もう必要になることはないだろうが、癖のように持って外へ出た。
翔の足取りは軽くも重くもなかった。
ただ淡々と「決められた場所に向かう身体」の自然な動きだった。
こうして翔は、移行センターへと向かった。
そして、とうとう翔は結局マッチング出来なかった。
移行センターの待合室。
翔の名前か呼ばれた。無機質な蛍光灯の下で、番号札を握りしめた手のひらに汗が滲んでいた。周囲の椅子には、同じように番号を待つ人間たちが座っている。いや、もう人間、と言えるのかどうか。ほとんどは項垂れ、ある者は虚ろな目で天井を見ている。
「矢島翔さん、こちらへ」
窓口の職員は、驚くほど淡々としていた。翔は呼吸を整えて立ち上がる。ガラスの仕切りの向こうには、タブレット端末が置かれていた。
職員が画面を操作すると、翔の戸籍情報が映し出される。
「あなたは、たった今人間籍から除外されました。」
言葉は事務的だった。淡々とした通知。それ以上でも、それ以下でもない。
翔は喉が詰まったように声を出せなかった。わずかな抵抗として「待ってくれ」と言おうとしたが、職員は遮るように次の文言を読み上げた。
「婚姻成立の記録は確認できません。猶予期間も本日零時をもって失効しました。したがって、あなたは明日以降、『人間』としての権利を行使できません」
紙が差し出される。灰色の用紙。タイトルには《動物移行通知》と記されていた。
「こちらにサインをお願いします」
ボールペンを握る手が震える。だが拒否権はない。もしサインしなければ、係員二人に肩を掴まれ、強制的に署名の代筆をされるのだろうと直感した。
視界の端では、別の番号を呼ばれた男が、すでに首輪を付けられ、引率の担当者に連れていかれている。
自分の番だ。
これからは電車に乗ることも、買い物をすることも、住居を持つこともできない。名前を呼ばれることすらない。
翔はペン先を紙に落とした。
たった三文字――矢島翔。
書き終えた瞬間、心臓の奥で「何かが剥がれ落ちる」音を聞いたような気がした。
職員は書類を受け取ると、冷たく微笑んだ。
「お疲れさまでした。これで手続きは完了です。出口の左手にお並びください。移行用の首輪をお渡しします」
翔は振り返った。待合室の壁には「人間性を守るために――婚姻を」というポスターが貼られていた。
だが、もう彼にとってその文言は意味をなさなかった。




