花祭りの中央聖堂 1
一周目。
ベージルたち王宮の騎士たちも戦場に駆り出されるようになるのに、それほど時間はかからなかった。攻め入る魔族たちとの防衛線、そこに配置されたベージルたちは、文字通り戦場の前線に出ていたのだった。
戦場は広く、南北にのびきっていた。疲弊しているのは戦場の兵たちだけでなく、後方で生活している民たちもそうだ。少しずつ後退していく前線に怯え、減っていく領土はもはや手足をもぎ取られていくのに等しいことをよく知っていた。やがて穀倉地帯すら奪われ日々の食料に困る未来もすぐそこだと、誰もが想像している。物資の輸送が滞りがちになり始めた、その初期の頃の話だ。
『おい、物資がようやく届いたそうだぞ』
『そうか、少し心配していたが良かったな』
『なんでも、今王都で話題の聖女様のお声がけのおかげだとさ』
『聖女? それって偽だろ? おいおい…………そんなこと言ってるのを教会の人間に見つかったら…………』
『いやそれがさ、元々は教会が言い始めたことらしい。仮の聖女様って呼ばれてるらしいな』
『仮?』
『まあ、そういうことにして人心の安寧を図ろうって算段なんだろう。聖女はいる、だから女神さまに見捨てられたわけではないって』
『俺もその噂、ちょっと聞いたぞ。その仮聖女様もよくやってるらしい。王族への不満から暴動を起こそうとした市民を抑えて、王宮側が無血開城するよう働きかけた立役者だとかで…………おかげで血の一滴も流さずにあのバカで有名な第二王子を追いやることができて、いろんな決定が滞りなく進むようになったってさ。こっちは魔族と戦ってるってのに、内地で殺し合われたんじゃたまったもんじゃない、聖女様様だな』
仲間たちが話すそんな噂話にベージルも耳を貸しながら、立派な人もいるものなんだなぁと思った。
『ほらベージル、見てみろよ。わざわざ仮の聖女様が物資を持ってきてくれたらしいぞ』
仲間に示されるままに視線を向けた先には、確かにこの場には不釣り合いな白い装束を着た女性と、その周りを取り囲む聖騎士の姿があった。
女性は、いたって平凡そうに見えた。いつか見た、前の聖女クラリッサ様のように現実離れした美貌があるわけでもない。よくある髪の色、長さ、体格に顔立ち。きっと、あの服を着ていない彼女と町ですれ違ったとしても記憶にも残らないだろう、そう思った。
『あの聖女様はチェルシー様って言うらしいぞ』
ベージルはあまり興味が無さそうに、へえと言って聞き流した。
彼女は立派な人のようだし、俺たち前線の騎士に好意的なのもありがたい話だけれど、きっともう二度と会うこともない。そう思ったから。
そして、時間は巡って、二周目。
「初めまして…………あ、いえ、二度目まして、ですね。私はチェルシーと言います」
夕方、日が傾き始めた頃。落ち着いた雰囲気のカフェの席に座ったところで、彼女はそう切り出した。
黒に近い濃茶のロングヘアと同じく濃茶の目は、平民でよくある色合いだった。顔立ちもよく見たら整っているのだが、特別に目を引くわけでもない。こうしてカフェオレを啜るだけの彼女は、いたって普通の町娘に見えた。
彼女こそが、一周目でその名を轟かせた仮の聖女、チェルシー。
そしてベージルの運命の伴侶だった。
ベージルは一人でも処刑を阻止してやると意気込み部屋を出たけれど、まず何をしたらいいのかが分からなかった。
なのでとりあえず一晩ぐっすり寝て、いつもの朝のルーティンをこなした後に、ウォルターから「昨日のお使い、今日こそ達成してくれるよね?」と声をかけられたとき、彼は閃いた。
そうだ! まずは教会のことを調べよう! と。ひょっとしたら第二王子が盗みたがるものに心当たりがあるかもしれないし。
田舎から出てきたばかりのベージルにはコネもツテもほとんど無いに等しいけれど、教会にならば、心当たりがあった。
それがこのチェルシーだ。
一周目のベージルは噂話程度でしかチェルシーのことを知らなかったけれど、その噂話を聞いたのもたった数年後のことだ。あと数年で教会関係者の目に止まり聖女と呼ばれるまでになるくらいなのだから、まだ平和な今の時代であっても教会へのツテくらいもっているのではないかと、ベージルは思うのだ!
つい昨日初対面を果たしたばかりの運命の人の、あるかも分からないツテを頼りにしようとしているのだ、この男は!
ウォルターの「あ、図書室に行って、ついでになるべく新しい王都の地図も借りてきてほしいな」という声に返事を返しながら、ベージルはすぐにチェルシーと連絡を取り、その日の夕方に会う約束を取り付けた。
「ああ、俺はベージルだ。一応、近衛騎士をしている」
「え?! こ、近衛騎士の方だったのですか?! そんな偉い方に、ひょっとして私失礼なことを…………」
「いや、俺はそんな偉いもんじゃないから大丈夫だ。子爵家の六男だからほとんど平民だし、そもそも左遷されているし、近衛騎士だと名乗ったら恐らく誰かに怒られる程度の者だ」
主に、第二王子の側近のニコラとかに。
チェルシーはそれを冗談だと思ったのか、肩の力を抜いて可笑しそうに笑った。もちろんベージルは別にふざけて言った訳では無いのだけど、確かに内容はふざけていると自分でも思ったので口をつぐむ。緊張は解けたようなので、とりあえずそれでよしとする。
「私は…………出身は田舎の方で、普通の平民です。十歳の頃から王都に住んでいて、今は医院でお手伝いのお仕事ををさせてもらってます」
「医院で働いているというのは、医者の見習いのようなことか?」
「いえ、まさか! 全然違いますよ、看護師というか…………雑用のようなものです。掃除したり、入院されている方たちの食事を作ったり…………」
王都で医院と呼ばれるものと言えば、教会が母体をしている総合病院のことを差す。そう、教会が関係している! やはりチェルシーはこの時点から教会の関係者だったのだと、ベージルは心の中でガッツポーズをした。
「なるほど、そうなのか。それは…………その…………」
「? なんでしょう?」
「教会の関係者…………ということ、だろうか」
「教会の、関係者?? ええと、医院の母体は一応は教会ですがあくまで母体ですので…………教会の関係者とは言えない…………かもですね?」
「そう、か」
「………………」
「……………………」
「………………??」
ベージルはいつだって直球勝負で生きてきたので、相手に悟られないように情報を引き出すとかそういうことは苦手だった。というか、したことが無かった。そして初めてやろうと試みたのだが、結果はこうである。たぶん向いてないと、ベージルは自分でもわかった。
「あ、ええと、でも! 私は教会の孤児院出身なので、個人的には関係者と言えなくもない…………かもしれません」
「…………孤児院?」
「はい、王都の孤児院で。十五になったら出ていかなければいけないので、今はもう一応出ているんですけどね。でもすごくお世話になっていて…………働く場所も教会の紹介ですし、住む場所も聖職者の皆さんと同じ聖堂内の宿舎を借りているんです」
「聖堂とは…………中央聖堂か? 聖堂内に聖職者以外が住んでいるのか?」
「はい、意外ですよね? でも中央聖堂は人々が女神様に親しみを持てるよう啓蒙することが第一の使命なので、案外開けた場で色んな人が寝泊りしてるんですよ。人の入れない儀式などは総本山で行うことになってますし、案外誰でも奥の方まで入れちゃうんです。身元がしっかりしていることが条件ではあるんですけど、私は孤児院の先生方が保証人をしてくれたので、そのご縁で」
「そうだったのか。聖堂内には聖職者しか入れないイメージだったからな」
「はい。あ、ただ、毎日の祈りの時間なんかは共にしないといけないですし、食事も朝は同じ席で同じものを摂るルールがあったり、信心深い人でないと少ししんどいかもしれませんが…………」
「ああ、なるほど、司教様たちの行う日々の修練をさわりだけ共にするようなものなのか」
「まさにそうです! 他にも、お祭りのときなどは手伝いをしたりしなくてはいけなくて…………でもその代わり家賃がとても安いんですよ。私は孤児院に居たときから似たようなことをしていて慣れているので最高の環境です!」
ベージルは聞き逃せない単語が出てきたとハッとする。お祭り、そう、まさにそのことが聞きたかった。
「祭り、というと花祭りとかか?」
「はい! 特に花祭りのときは大変なんですよ。聖堂内にいる人たち総出で戸締りの確認をしなければいけなくて」
「戸締り? 聖堂は閉じるのか?」
先ほどチェルシーも言っていたが、中央聖堂とは開けた場であり、市民もそう認識している。田舎育ちのベージルでさえ、王都の聖堂はいつでも開かれていると聞いていた。そのぐらい当然の常識なのだ。
「はい。花祭り中は街に女神さまが降臨されているので、礼拝堂を開けておく意味もなくって。それに実は、防犯の意味もありまして…………人手のほとんどが王宮の祭壇があるところへ行ってしまって、聖堂内が手薄になっちゃいますから」
「それは大事なことだな」
もう少しその話を聞きたい、と思ったけれどベージルにはうまいこと誘導することができない。なので、正直に言ってしまうことにする。その防犯の話が詳しく聞きたい、と。
「実は花祭り中の中央聖堂に忍び込み盗みを働く、という計画を聞いたんだ。それでできれば、詳しく話を聞かせてもらいたいんだ」
「盗み!? それって大丈夫なんですか?」
「まだ噂レベルで本当に起こるかは分からない。ただ俺は田舎育ちで花祭りのことに詳しくないので、事前に詳しい人から話を聞いておきたかったんだ」
「な、なるほど。もちろん私の話でよければいくらでもお話しますが…………あの、でも」
チェルシーは難しい顔をして空中に視線を泳がせた。少し考えるようなそぶりを見せてから、首を横に振った。
「それは難しいんじゃないかと思います」