世界が滅びます 2
聖戦。
そう呼ばれる戦争がある。
これはこの世界が生まれたとき、神話の時代からずっと続いている戦争のことだ。
――――とある二柱の神が争いを始めた。不幸にもどちらも力ある神であり、全力で争えば神々の住まう世界が崩壊してしまうことは明白だった。それを恐れた最高神は、我らの住むこの世界作り、そこへ人類と魔族を産み落として、この2つの種族をそれぞれの神の代理として争わせると言った。人類は聖なる女神を信仰し、魔族は邪なる男神を信仰し、彼らは争い続ける宿命を背負うことになった。
こうしてこの世界を舞台に始まった神々の代理戦争を、我々は聖戦と呼んでいるのである。
人類と魔族は、気の遠くなるほど昔からずっと、争い続けている。そういう宿命だった。
そんな殺伐とした、互いに隙さえあれば滅ぼしあう関係だけれど、基本的にその歴史は平和な時期が多かった。それは人類と魔族、それぞれが住む大陸を覆う防護の結界があり、攻め入ることが難しいからに他ならない。けれど永遠に不干渉を貫けているのかというと、そうでもない――――防護の結界は定期的に失われるからだ。
人類の結界が失われるときは、聖女が死んだとき、だ。
女神様は聖女を通して、この大陸に防護の奇跡をかける。だから、聖女がなんらかの理由で亡くなり新しい聖女が現れるまで、無防備になってしまうのだ。ただしそれは魔族も同じ条件だ。長い間ずっと攻めて攻められてを繰り返していたのだし、必ず起こる聖女の代替わり程度で人類がそれだけ追い詰められて世界が滅びるというのは考えづらい。
けれど、現在は少し事情が違う。人類の聖女は諸事情により不在で、新しい聖女は未だ現れていない。なぜかは分からない。女神の怒りだとかそんな噂はあるけど――――とにかく、それにより現在の聖戦は人類側が完全に不利な状況にある、それだけが真実だ。
「滅びる? そんな、荒唐無稽な」
「本当です。この後数年は人類側の不利で戦争は続きますが、ある年に魔族側の守りの奇跡も消失。その後は人類も反撃に出て泥沼の殲滅戦になり…………自分が知っているのは八年後までですが、その段階ですでに人類も魔族も、かなりの人数を減らしていました」
ウォルターはぐっと眉根をよせて、やはり信じられないな、と言い首を振った。ベージルとしても、すんなりと信じてもらえるとは思っていなかったので、それに対して反論することもない。ただ、自分の知っている真実を淡々と話すのみだ。
「…………で、なんでそれを僕に言おうと思ったの。信じてもらえないとは考えなかった?」
「それはもちろん考えましたが、それでもどうしても耳に入れたいことがあります」
「まだ話すことがあるってこと?」
「はい。世界が滅びるのはもっと後ですが、その前に…………今から半年後に、ウォルター様が処刑されるのです」
ウォルターが一瞬息を呑んだように、ベージルには見えた。すぐにいつも通りの表情に戻ってしまったので、確かではないけれど。
「処刑、ね。ちょっとさすがに信じがたいかな。僕はもう七年もここに幽閉されているんだけど、今さらになって? しかも四か月後なんて急な話…………さすがに信じられないよ」
「一周目のときは近衛騎士でもなかったのでウォルター様付きになることもありませんでしたし…………正直、情勢に興味がある方でもなかったので、あくまで噂レベルの話しか知らないのですが。なんでも第二王子殿下が強行したとか」
「…………アーヴィンか。まあ、僕が死んで得する人間なんて限られているし、意外性はないけど…………でもやっぱり今更感は拭えないね」
「たしか、自身の王位を確実なものにするためだったと噂で聞きました」
「確実? 現状、すでに確実みたいなもののはずだけど」
一周目、ベージルがウォルターのことを知ったのは、処刑が行われると聞いた時だ。そのときまで、ウォルターの存在を知らなかった。もちろん、彼がずっとこの塔に幽閉されていて表舞台から姿を消していたからだ。ベージルが物を知らなかっただけじゃない。
ウォルター様というのは誰だと聞いたとき、先輩はその存在を教えてくれた。公爵令息だが、王家と血が近いために王位継承権を与えられているのだと。第一王子はすでに鬼籍に入っているため、王位継承権第一位は第二王子にあり、ウォルター様は第二位であるらしい。
ウォルター様は過去の失敗の責任を取り塔に幽閉されて長いが、第二王子が起こしたあの事件のせいで彼の資質に疑問を持つ声が多く上がり――――ウォルター様には王位継承権を持つ者として、再び表舞台に戻ってもらった方が良いのではないか、ということになったのだ。
それを良しとしないのは、もちろん当の第二王子だ。
彼は自分の失態をどうにかすることではなく、自分を唯一の王位継承者とすることで、立場を確実なものにしようとした。
だから、処刑は強行された。
「………………。そうはいっても、もう七年幽閉されている身だよ? そいつを呼び戻す話になるなんて、よっぽどだと思うんだけど…………」
「これも噂ですが、教会から嫌われたことが理由だと言われていたようです。そのせいで資質を疑われる事態になったと…………」
「教会から嫌われた?! そもそも教会は原則として、政治への不干渉を掲げているだろう。多少嫌われたところで、王位が揺らぐようなものではないと思うけど。いったい何をしたら資質を疑われるまでになるんだ…………」
「あとひと月で花祭りがあるのはご存知ですよね? そこで第二王子殿下が中央聖堂に侵入し、窃盗を働いたとか…………」
「窃盗?!」
ウォルターはぎょっとして目をむいた。それはそうだろう。確かににわかに信じがたい話だ。
しかし一周目の花祭り後、それは信憑性のある噂話として、ベージルの耳に届くほどに広まっていた。花祭りの途中から第二王子が姿を消していたことは皆の知るところで、更には捕縛された王子の姿を実際に見たという人もかなりの数いたようで、どうやら中央聖堂に忍び込んだことは確からしい、と王都に住む者の間では信じられていた。
「そもそも何を盗んだんだ? わざわざ王子が盗みに入らなければならないものがあるとも思えない」
「そこは分からないのです。未遂に終わっていたということもありますし、そもそも第二王子が証言を拒否した場合に強く調査出来たかと言うと…………」
「陛下の体調は…………まあ良くなっているわけがないか」
陛下は数年前から床に臥せるようになっており、今ではほとんど起き上がれない…………どころか、だんだんと意思疎通が難しくなってきているという。そんな陛下に一人しかいない息子が起こした不祥事の尻拭いをさせるというのは、あまりに酷だ。
そして、陛下がそんな状況である以上、第二王子は自然と国王同然の役割が求められているのだけど。
問題は、そんな第二王子がもみ消せないような不祥事を起こしたときに、どうするのかということ。一般団員だったベージルには、偉い人たちがどういう議論をしたのかは分からない。分かるのは、第二王子がウォルターの処刑を強行したということだけだ。
「…………あまりに荒唐無稽だね。とても信じられない。あのアーヴィンが自分で盗みに入るなんてありえない、仮にも王子だよ? そんなこと誰かに命じてやらせればいいだろう」
「何か事情があったのかもしれません。そこはこれから調査してみるしかないでしょう」
「調べるって…………ああもう、やめやめ。この話止めよう。これ以上聞く価値はないよ」
「ウォルター様、」
「ここまでちゃんと聞いたけどね、君の話はとても信じられるものじゃなかったよ。本当のことだと信じるための証拠も何もないみたいだし。自分でもそう思うだろう?」
ベージルはぐっと言葉を詰まらせる。自分の話が信じがたいものだと言う自覚はあったから。そして、信じてもらえるに足る証拠も何も持っていなかったし、それを用意するだけの時間が足りないことも分かっていた。ウォルターの処刑まであと半年だし、その原因である花祭りに至っては来月の開催だ。
処刑を回避するには、あまりに時間が足りなかった。
「…………それに、仮に。仮にね、その話が本当で…………僕があと少しで処刑されてしまうとして。それは別に避けなけれなばならない未来じゃないよ」
「それは、どういう…………」
「そのまんま、僕は別に救うほどの男じゃないって話さ。僕の生死は世界の滅亡に関係のない話なんだろう。だったら無理に救う必要はない」
ウォルターはそう言うとソファに横になった。目を閉じて、手を腹の上で重ねて、足を肘掛けの上で組んだ。
そんな体勢で「もういいだろう? 僕は昼寝をするから、出て言ってくれないか」と言った。
時間はもう夕方だ。昼寝だなんて嘘に決まっているけれどベージルにはそれを指摘することはできなかった。もう聞く気はないと言っているのだと、さすがの彼も察してしまったから。けれどこれで諦めるなんて彼にはできなくて、無礼を承知で最後にこう言い残してから去ることにした。
「自分は必ずウォルター様の処刑を止めてみせます。――――必ず」
ベージルの行動は明らかに護衛の仕事の範疇を超えていたけれど、ウォルターには今さら注意する気にもなれなかった。ただ無言で目を閉じたまま彼が去るのを待った。
一人になった赤く夕日に染まる部屋の中で、深くウォルターは息を吐く。
彼はベージルの言うことを信じていないわけではなかった。あの男がこんな嘘を吐くわけがない、と思う程度には信用もしている。もちろん無条件で信じているわけではないけれど、判断するには情報が足りないと結論を先延ばしにする程度には、彼の言うことを信用していた。
だから。
あんな風に強く信じられないと突っぱねたのは心からそう思っていたわけではなくて――――本当だったとしても何かする必要なんてないと思ったからだ。だから、あれ以上聞く価値なんて無かった。
世界を救うためにまずは自分の命を救わなければ、だなんて主人公じみた決意は、自分には必要ないのだ。
むしろ早いうちに死んでしまった方が世界のためには良いのかもしれないとさえ思う。
あと少しで自分のすべてを終わらせることができる――――――そう思えば、自然とウォルターの口元には笑みが浮かんでくるのだった。