始まり 2
その男はウォルターと名乗った。
とある公爵家の長男だが、過去の失敗の責任を取り、現在はこうして塔に幽閉されている身だと。
すでに幽閉されて七年は経つらしく、ベージルがその存在を知らなかったのはそういう理由らしい。七年前と言えば、ベージルはまだ十三にもならない頃。ほとんど家の敷地から出ないまま、木刀片手に叔父の後ろをついて回っていたような時分である。ちなみに家があったのはド田舎であった。
公爵家のスキャンダルがベージルの耳まで届いていなくても不思議ではなかった。
「そうか、知らないのかぁ。僕が幽閉されたときの話は、結構有名だと思ってたんだけどなあ…………」
「申し訳ありません、田舎者でして…………」
「しかも若い? 君、いま何歳?」
「今年で19になります」
「わかーい。六つも下なのか、そんな子が働くぐらい時間経ってるんだねぇ」
六つ下ということは、ウォルター様は二十五歳ということか? 見た目ではもう少し下かと思ったが、話しているとたしかにそう言われても不自然は感じなかった。この人は、話し出すと老成な雰囲気を漂わせる。
その後、ここに来るまでの経緯――――第二王子に苦言を言ったこと、その日のうちに左遷されたこと――――を話すと、ウォルター様は転げ回るほどに爆笑した。
呼吸もままならないほどで、苦しい、死ぬ、と最後には呻いていた。
そんなに?
「それでこんなところまで。可哀想にねぇ、もう辞める以外に無いんじゃないかな」
「え…………クビ、ということですか…………」
「まあ事実上ね。もうきっと元の隊には戻れないと思うし。明確な隊規違反もなしに近衛騎士をクビにするのは風聞が悪いってことで、自主退職を促すための辞令なんでしょ」
「…………??? なぜ俺が自主退職を…………??」
「なんでって…………」
ウォルターは呆れてベージルの表情を伺うが、どうもふざけている様子もない。どうやら本当に、辞職を勧められているという事実が、分からないようだった。
その通り、ベージルは、心底意味がわからなかった。
なぜ配置変更されたからと、自主退職を促されているということになるのだろうか???
だって、護衛対象がいるということは仕事もあるということだし…………硬いだろうが一応ベッドも置いてある部屋もあるし…………ウォルター様は歓迎はしていないようだが拒絶しているわけでもないし…………仕事を放棄する理由は見当たらなかった。むしろ、高貴な人のはずなのにこんな人気のない場所で一人で過ごしているなど、危ないではないか。確かに護衛が必要だ、などと納得していた程なのである。
「あのね。僕は忘れられた人間で、護衛なんて必要無いからね?」
「こんなところに一人で、さらに忘れられているのなら、人目が無いという意味でむしろ危険かと。護衛は必要だと思います」
「七年もずっとここにいるんだよ? 今更誰が襲うっていうのさ。仕事なんて無いんだよ、暇なのは君も嫌でしょ?」
「でしたら、雑用でも話し相手でも申し付けてくだされば…………」
「…………なんで君、そんなに頑固なんだ? 別に僕を主と仰いでいるわけでもないんだから、ここを辞めて他で働き口を探せばいいだろ?」
「自分は王宮騎士団の人間です。騎士団から辞令が出た時点で、自分の主はウォルター様です。騎士の誇りにかけて、主の護衛を投げ出すわけにはいきません」
「ええ…………? だから俺を主と仰ぐ必要はないんだって…………」
君、融通が利かないなぁ、とウォルターはぼやいた。
ひとつ大きくため息をついて、ウォルターは西側を向いた大きな窓を眺めた。夜が深くなった空には数多の星が瞬いていた。すでにもう夜も遅いと判断した彼は、とりあえず今日の話は終わらせてしまおうと、ベージルに適当に返事を返す。
「ああ、まあいいよ、好きにして。しばらくここにいたら気も変わるかもしれないしね。でも、辞めたいと思ったら変に意固地にならないですぐに言ってもらっていいからね」
「はい、ご配慮に感謝いたします」
「じゃ、おやすみ、僕は寝るから。君も適当なところで休んでね」
ウォルターは、こんな世間知らずの騎士なのだし、どうせすぐに音を上げるだろうと思ったのだ。
若い騎士にとって、不遇な主を支えるという話は、確かに夢見ても仕方ないかと思ったし。
でも現実はそんなにキレイじゃない。まず部屋は暗いし汚いし古い塔だから暮らしづらいし、ずーっと主と二人きりの生活というのは思っているよりしんどいし、なにより、腫れ物であるウォルターの専属護衛の騎士というのは王宮で働く者から同じく腫れ物扱いされるのだ。近衛騎士になるような人物だ、今までエリートとしてチヤホヤされていたのだろうし、そういう扱いは想像するよりずっと堪えるだろう。すぐに現実とのギャップに苦しむに違いない。
夢に燃える若者の挫折する姿を見なければいけないのは心苦しいなぁ…………なんて思いながら、ウォルターは眠りに落ちたのだった。
しかし、彼は知らなかった。
このベージルが、エリートとはほど遠い存在であったことなど。
ド田舎の小さな子爵領で育った野生児ベージルは、そんな繊細な精神など持ち合わせていない。
幼い頃は兄たちの喧嘩といたずらがやまない日常で、両親の怒号が飛び交う賑やかな家だったし、乱暴者の兄たちと痛みで覚えさせる躾を採用していた叔父に憧れていた。本人も野生に還った子猿と呼ばれ、ベッドで寝るより庭や裏山で寝る方が多かった時期すらある。
本来ならば近衛騎士になんてなれるはずもなく、どちらかと言えば現場で揉まれるのが性に合うようなタイプであった彼は――――近衛騎士の中でも初めから浮いていた。
つまり、周りから白い目で見られて傷つくようなタマではなく、急に離れていくような友人すらおらず…………むしろ、ベージルはここで過ごすうちに実家を思い出してイキイキとしだすのであるが。
すやすやと眠るウォルターは、まだその事実を、知らない。