エピローグ 2
※複数投稿しています。1つ前の話からお読みください。
チェルシーは、優しい両親とやんちゃな弟がいる沿岸部の普通の家庭で生まれ育った。
普通で、平凡な、幸せな子供時代だった。
でも魔族の襲撃があって、みんな死んだ。両親も、弟も、みんな死んだ。
聖女の守りがなくなっていることなんて知らされていなくて、誰もがいつも通りの日常を終えて眠りについていた。そんな夜だった。私たちの街は港があって、最も早く魔族の襲撃があった街のひとつだった。
だーれも、まーったく、想像もしていなかった事態で、私は火の手の回り始めた家の中でお母さんに叩き起こされた。そして、弟を抱くお母さんに連れ出され、森の中に入った。お父さんはすでにいなかった。小さな町に溢れた魔族たちはすでに山狩りを開始していて、私たちもすぐに見つかって、お母さんの「逃げなさい」という声を後ろに、私は一人で山を駆けあがった。遠くで、弟の泣き声と、母の悲鳴が聞こえていた。
夜の森になんて入ったことはなかったけど、昼の間に毎日のように遊びまわっていた場所だった。普段は穏やかな海と街並みを見下ろせる高台から、燃え上がる故郷を見た記憶は――――きっと死ぬまで忘れないだろう。
こつん、こつん。
薄暗く狭い、歩きにくい地下道をチェルシーは歩いていた。
たった一人で。
右手に掲げる古びたランプだけを頼りに。
ここは、王族しか知らないとされている、いざという時のための抜け道。秘密の地下道。
もちろん、本当はチェルシーだって知るはずもないものだったのだけど、あの愚かな同室の女の後をつけて、その存在を知った。それから慎重に何度も何度もこの地下道に入り、たくさんある出口がどこにあるのかも把握して、地図を頭に叩き込んだ。
嗚呼、それが役に立つ日が、こんなに早く来るだなんて!
「――――ふふっ」
薄暗い雰囲気に似合わない明るい笑い声を零す。
わくわくしている! 楽しくて楽しくて、しょうがなかった!
なんだかまるで、長年の願いが叶う前みたいな。夢見心地。
スキップでもしてしまいたい!
まあ、そんなことしたら転んでしまうし、やらないけど。
チェルシーは踊りだしてしまいそうな体を抑え込んで――――王宮北の出口へと、向かった。
魔族の襲撃から逃げ、森に入った、その後。
私は一人だけ生き残り、魔族から隠れながら街道沿いを移動していた。そのときの私たちは知らなかったが、魔族たちは海岸線沿いを掌握する作戦だったらしく、内陸に伸びる手はあまり多くなかったのが幸いだった。やがて、他の町や村からやってきた避難民に交じり、少しだけ内陸にある城壁で閉じられた都市に辿り着く。
避難民は、壁の外に溢れかえっていた。
私たちは、町の中に入ることさえできなかったのだ。
その都市は南北をそれぞれ川と山に隔たれた場所にあって、魔族から逃げるように移動するためには、その都市の中を突っ切る必要があった。
それでも通すことはできないと、城門を守る騎士は言った。
魔族が入ってくるかもしれないから。怖いから。危ないから。あの混乱の中の理由なんてそれだけだ。
心身ともに疲れ果てながら逃げてきた私たちに、内陸の人間は優しくなかった。
あのときの感情を、うまく説明することは、難しい。
すとん、と、心から何かが抜け落ちるような感覚。
そう説明するのが近いのかもしれない。
あえて近い表現を探すのなら――――――『絶望』。
怒りも、悲しみも、恨みも、いろんな感情すべてが胸に空いた穴からより暗い場所へ流れ落ちてしまったような。
そういう、絶望感が、私の胸を支配していた。
辿り着いた北の宮の出口では、二人の騎士がチェルシーを待っていてくれた。
この二人は、彼女の協力者だ。
そう! なんてことはない、二人の見張りは二人ともがチェルシーの共犯だった、それだけなのだ!
どうしてこの二人は協力してくれるのか? チェルシーとどういう関係なのか?
そんなことはどうでもいい!
この二人が沿岸部出身なことも、チェルシーの勤める医院の患者なことも、ぜんぶぜーんぶ、どうでもいいのだ!
ただ、チェルシーの手の中には、信仰と正義がある。それだけが真実なのだ!
全身を縛られ口枷もされた状態で転がされ、こちらを見上げる『リサ』の頭付近に、チェルシーは膝をつく。
そして、慈愛に満ちた微笑みで、そっと優しく彼女の頭を撫でる。
「リサ…………私はね、あなたが憎いわけじゃないんだよ」
いっそ不気味なほどに不釣り合いな、優しい声が部屋に響く。
リサはふうふうと荒い息を口枷の隙間から漏れ出しながら、恐慌に陥る寸前の怯えた目で、かつての友人を見上げていた。
「私よりずっと年上で、なのにまだ見習いのままで…………なんて愚かな人なんだろうって、思ってたよ。でも、あんまり外に出たがらないところとか、そもそも信仰に生きる覚悟なんてなさそうなところとか、そういうところを見てると…………きっと訳ありなんだなって思ったから。だから…………いつか、何かの役に立つかもって、仲良くしてたんだよ」
口をふさがれているので、もちろんリサに言葉を返すことはできない。
チェルシーももちろん分かっているから、言葉の代わりにうめき声を返すリサの頭を優しく撫でている。
「でも、まさか王子様と付き合いだすとは思ってなかった! 中央聖堂に参拝に来る第二王子に、やけに会いたがるなとは思ってたんだよね。ふふ、でも、そっかぁ。昔に兄を落とせたから、今度は弟をって腹積もりだったんだね。…………さすがに、想像できなかったなぁ。うん、全然、想像もしていなかった。知らないまんまで…………使い捨てるところだったよ」
ひっ、とリサの喉から引きつったような声が響いた。その後も何事かを叫んでいるようだったけれど、口の中に何かを詰められてしまっているためにそれはくぐもったうめき声に聞こえるだけだ。
「………………そう、ベージルさんがいなかったら――――私はリサが『あの』メリッサだって知らないまんまだったかもしれない」
チェルシーの中では、あの二人の交際を知った段階で、リサを殺すことは視野に入れていた。
恋人を殺された王子様がどうなるのか、そう考えるだけで、わくわくが抑えきれなかったから!
きっと、すっっっごく悲しむんだろうなぁ、って。私なんて家族も地元の知り合いすらみーんな死んじゃったのに、王都でぬくぬく過ごして魔族を見たことすらない、血を分けた兄がアレだったという恥さえ持たない愚かな王子は、恋人が死んだ程度のことで、きっと、この世の終わりみたいに悲しむのだろう。
その様を、見てみたかった。
だから、リサを殺そうと決めていたのだけど…………だけど。もし殺していたとしても…………きっと、チェルシーはメリッサの生存を知らないままだった。知らないままに自分の手で、真実を闇に葬るところだった…………危ない危ない!
世紀の大悪女、偽聖女メリッサをこの手で殺せるだなんて…………! こんなに最っ高のイベントを、みすみす逃すところだったなんて! 危なかった!
そう、ベージルにあの日会えていなかったら、そうなっていた。彼に会ったから。彼に会えたから。
チェルシーは真実を知ることができた。
「ベージルさんが、私に真実を運んで来てくれたんです…………! ああ…………これが運命なんですね…………!
私の行いを、女神様も祝福してくださっている!!」
感謝の祈りを捧げましょう…………。
部屋の隅に置かれたロウソクの炎に照らされながら、チェルシーは手を合わせ、厳かに祈りを捧げた。
『メリッサ』は、断続的な悲鳴をあげながら芋虫のように体をくねらせて、少しでもチェルシーから離れようとしている。
チェルシーはそんな無様で可愛らしい様子を慈愛の微笑み眺めて――――――懐からナイフを取り出した。
柄に聖なる印の描かれたそれを両手で握り、再び祈りを捧げてから、大きく振り上げて女の胸に突き刺した。
チェルシーがしたことは、そう多くない。
同室の女が王子と交際していることを黙っていたこと。彼女の身辺調査の一貫で秘密の地下道を知ったこと。誰にも内緒で、その地下道を調査して頭の中に地図を作り上げたこと。メリッサを殺したこと。
それだけだ。
本当は、今年も去年と同じように中央聖堂に忍び込んでくれるなら、花祭りの日にリサを殺し、その罪を第二王子に被せる冤罪計画を練っていたのだけど………………。
そうはならなかったのだから、仕方ない。もしそうなったときに教会の重鎮や王子らがどんな風に踊るのかを眺めてみたかった…………けど、まあ、起こらなかった未来の話はどうでもいい。偽聖女をこの手で殺せるのだから、これでよしとしなくては!
チェルシーはすでにピクリとも動かなくなった肉塊に、囁くように話しかけた。
「メリッサ、あなたはどうして生きていたの? 誰かに生かしてもらった?」
もし、そうならば。
チェルシーはその誰かに、感謝の言葉を告げなければならない。
私の手で殺すチャンスをくれてありがとう、と。
探さなければ。
探して、会わなければ。
世界を滅亡へ導く手伝いをしてくれた、どこかにいる同志に、チェルシーは直接お礼を言いたくて仕方がなかった。
「ふふ………………次はどうしようかなぁ」
チェルシーがしたことは、決して多くない。
これからすることも同じで、できることも、それほど多くない。
チェルシーは、特別な才能があるわけではない平凡な少女だからだ。
しかし、彼女の胸に空いた風穴から吹く絶望の吐息が、やがては蝶の羽ばたきとなり、世界を滅亡させるに至る嵐となるのだが――――
それはまだ、先の話だ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!




