なでなで
中央聖堂内での前代未聞の騒動が落ち着き、未だ暴れようとするメリッサを聖騎士たちと共にニコラの待つ馬車へ連行したとき、外はすでに明るくなり始めていた。
ニコラは近衛騎士たちと共に馬車の外で立ち、ベージルたちがやってくるのを神妙な様子でじっと待っていた。縄できつく拘束されたメリッサを抱え上げて歩くベージルは途中でニコラと目が合い、彼女がこっそりとひとつ頷くのを確認する。
おそらく第二王子のことはなんとかなった、ということなのだろう。少なくともベージルが心配するようなことは、きっともうない。ほっと息をつき、すべて終わったのだとようやく心から思うことができたベージルは、メリッサを近衛騎士に託した後、ニコラに向かってこの場を離れる許可をもらう。
「ニコラ様、この後は任せてもよろしいでしょうか」
「…………どういう意味ですか?」
「自分はもう少し、ここに用事が。すぐに後から追いかけます」
怪訝な表情をしたニコラは、おそらくベージルの用事というのがやり残したウォルターから指示があると想像したのだろう、今さらそれを隠し立てするのはどういうことかと責めようとした。しかしそれを口に出す前に彼女を止めたのは、ベージルの隣にいた聖騎士だった。
「ニコラ様、行かせてあげてはもらえませんか。メリッサが人質にとっていた子とこの方は、親しい知り合いのようでした。チェルシー…………人質にされていた少女を安心させてやってください」
ベージルと親しい少女、と言われてニコラにも思い当たるふしがあった。例のカフェで、この男の隣にいた少女がいた。あの子が中央聖堂に居て人質になっていた、というのはただの偶然と呼ぶには出来すぎているような気がしたが、ニコラは視線でそれは本当かとベージルに尋ねる。
「はい。自分の運命の伴侶です」
そう言われてしまっては、ニコラには疑う言葉を言うことができない。どんなにできすぎた出来事でも、女神の采配だとするならばあり得てしまうからだ。
そしてこうしてメリッサの身柄を引き渡された以上、ベージルにすることは何もない。この先はニコラの仕事だからだ。すべてを見届けたベージルをウォルターのところに連れて行き、それできっちり、見逃してもらうための条件はこなしたと証言してもらうつもりだったが…………まあ、それは急がなくてもいいだろう、と判断する。むしろ無理に連れて行って、彼の機嫌を損ねる方が面倒そうだった。
「いいでしょう。こちらを追いかけてこなくても構いません。その代わり、報告は任せます」
ニコラの『ウォルターにちゃんと言っとけよ』という言外の念押しを、ベージルもちゃんと受け取って頷き、踵を返して別れたのだった。
中央聖堂の中は未だ騒然としており、司祭らが慌ただしく駆け回っている。今日は長い一日になるんだろうなと他人事のように思いながら、チェルシーの居場所を尋ねた。幸い彼らはベージルがついっさき大立ち回りをした近衛騎士だと知っていたようで、不審に思う様子もなく教えてくれた。
彼らが指さした通りに速足で歩いて、食堂だという場所へ駆けこんだ。中には朝から落ち着かない気分になったらしいたくさんの女性たちが集まっていて、各々飲み物を飲んだり料理をしたりしていた。その中の一角、とくに人の集まった場所の真ん中に、上着を羽織った状態で周りの女性と話をしているチェルシーがいた。
「チェルシー!」
「ベージルさん?」
持っていたマグカップを机に置き、チェルシーは立ち上がった。
場違いな騎士の制服を着たベージルは周囲の視線を一心に受けていたが、それに目もくれずまっすぐ歩いていく。彼女の元へ辿り着いたかと思えば、その勢いのまま――――――ベージルはチェルシーを抱きしめた。
「え?!?!」
チェルシーは驚きに声を上げる。
「ベ、ベージルさん…………?」
「…………すまない。怪我はないか?」
「あ、はい。ちょっと首が切れただけで、他はなにも」
そう答えても離そうとしないベージルに、チェルシーは困惑しながら途方にくれる。まさか彼が、こんな行動に出るとは想像していなかった。自分より大きい男がしがみついてきているのだし、無理に引きはがすこともできない。周りが助けてくれないだろうか…………と見回すと、自分で思っていたりずっと注目されていたことを知った。
興味津々、と言わんばかりの注目だった。あっちからもこっちからも、成り行きを見守る楽し気な目が――――――
「ベージルさん! ちょっとこっちに!」
火事場の馬鹿力とばかりの力でベージルを引っ張り、チェルシーは視線から逃げるように食堂を後にした。とはいえ、チェルシーに人目のない場所の当ては今のところなかった。自分の部屋はいわゆる現場で、勝手に入るのはまずいだろうし。他はすべて公共の場だ、二人きりになれるところはない。妥協してなるべく人気のないところ、と行き着いた先は外の建物裏だった。まだ早い時間なので、聖堂の外に人気はなかった。
「傷、大丈夫か?」
ずっと押し黙っていたベージルは、そう言いながら手当のされたチェルシーの首元に触れた。ガーゼ越しだったので彼女に触れられた感触はなかったが、それが優しい指付きだったことは察する。
「大丈夫ですよ。もう血も止まってますし、そんな顔しないでください」
「…………そんな顔?」
「はい。すっごく悲しそうな顔してますよ」
チェルシーはくすりと笑う。
立派な職業のちゃんとした男性が、まるで子供みたいに泣きそうな顔をしている。そんな様子が可愛かったのだ。
「…………痛いだろう」
「そんなに痛くないですよ。ちょっとつんってされただけなので」
「だが、女性の肌に傷が…………」
「大丈夫ですってば。こんなのすぐに跡も残らず消えますから」
ベージルはそれでも納得できない。
彼の胸には、もっとうまくやっていれば、という後悔があった。もっとメリッサを刺激しないようにできていたら。そもそも彼女がメリッサだと分かった段階で、チェルシーの身の安全をもっと配慮できていたら。チェルシーと同室だという話は聞いていたのだしできたはずなのだ。もっと、ベージルが気の利く男だったのなら。
そんな風に鬱々と悩みながら傷を撫でる手を止めずにいたところ、その手にチェルシーの手が重ねられる。
仕方ないなぁ、とチェルシーは笑った。
「ベージルさん、ちょっとしゃがんでくれますか?」
不思議に思いながらも、ベージルは素直にその指示を聞く。ベージルが片膝を立ててしゃがみ込むと、頭一つ分ほど高かった身長が逆転し、チェルシーを見上げるようになる。
そして彼女はおもむろに、ベージルの頭を両腕で抱きかかえた。
「大丈夫、大丈夫。なーんにも、心配することなんてありませんからね」
無言。
びっくりして、ベージルはしばし無言になってしまった。そして、抱きかかえる位置が位置なので…………彼女の慎ましい膨らみが、自分の頭に当たっている。
「…………こ、これは」
「孤児院で、よく小さい子にやっていたのを思い出しまして」
「俺は…………小さい子ではないが。それにそもそも、女性が軽々しく男にこういうことをするのは…………」
「まあまあ。細かいことは良いじゃないですか、私たちは運命共同体なんですから」
女神が結んだ縁、運命の伴侶――――――その二人は、やがて結ばれる運命にあるという。まるで当然のように、そんな運命に帰結する。
運命共同体、それは確かにその言葉通りの存在だった。
「ベージルさん、助けてくれてありがとうございます」
「いや…………俺は、何も」
「いいえ、助けに来てくれました。私が冷静でいられたのは、ベージルさんが来てくれたからです」
「………………」
「ベージルさんのおかげで、私は無事でしたよ」
チェルシーの右手が、ベージルの頭を優しくなで始める。
年下の女の子に抱きしめられて頭を撫でられている、この状況。滑稽だと思いながらも――――――まだもう少しこのままでと、ベージルは願ってしまっていた。
「…………君が」
「はい」
「君が、無事で、良かった」
「はい。来てくれて嬉しかったです」
「…………それは、良かったが」
「ふふ、はい。良かったです」
12/30はエピローグを二話投稿して完結予定です。




