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急変した事態 2

 『リサ』が人質をとって部屋に立てこもっていると知り、ベージルたちはすぐに駆け出した。

 大司教とわざわざ呼びに来てくれた寝巻姿のシスターの先導するまま、ベージルとニコラは走る。


 まだ未明だというのに、すでに施設の中は騒がしく人が右往左往していた。

 そして、狭い廊下に人が溢れている一角にたどり着いたとき、悲鳴のような女の大声がベージルたちの耳に届く。


「それ以上こっちに来たら刺すわよ!」

「落ち着くんだ、俺たちは君に何かをするつもりはない!」

「嘘よ! 教えてもらったんだから! あたしをどこかへ連れて行くつもりなんでしょう!」


 大司教が人だかりをかき分けて、目的の部屋へと向かっていく。

 ベージルも当然それに続こうとしたけれど、女の叫び声を聞いて何やら考え込んだニコラはベージルの腕を引いて足を止めさせる。そして耳に顔を寄せ、小さい声で囁いた。


「…………アーヴィン様が来ているかもしれません」

「え…………」

「教えてもらったと、あの女は言いました。あれに協力してやるような人は、あの方を除いて他にいません」

「しかし、なぜ知っているのですか」

「近衛騎士に聞いたのかもしれません。…………いつもならば朝まで起きないので油断していました。周りの話を聞く限り、まだ見つかってはいない様子。絶対にあの方のことを知られるわけにはいきません。私はアーヴィン様を探しに行きます。あなたは、あちらを」


 と言って、人だかりの向こう側を視線で示す。ベージルは一つ頷き、人をかき分けて前へと進んでいった。

 やがてたどり着いたそこには、大司教と彼が中に入っていかないように押し留めている聖騎士、そして彼らの視線の先に――――――部屋の真ん中に立つメリッサと、彼女にナイフのようなものの先端を押し当てられているチェルシーがいた。


「…………チェルシー!!」

「ベージル、さん」


 そうだ、そういえばチェルシーは言っていた。リサと同室なのだと。そのせいで人質に取られているのか。

 ゾッと背筋に冷たいものが流れていく。

 メリッサの様子はどう見ても尋常じゃない。一つ言葉を間違えれば、チェルシーを傷つけてしまうだろうと思わせた。

 突然現れた部外者の存在に、周囲の視線がベージルに集まる。

 当然、メリッサもベージルに注目し、そしてはっと何かに気づいたように目を見開いた。


「あんた…………! チェルシーの運命の相手でしょ! あんたがなんかしたんでしょ! 今更あたしのことが見つかるなんておかしいもの! ふざけんなよ!」

「お、落ち着いてよ、リサ。あんな一瞬しか会ってないベージルさんが何をできるっていうの」

「あんたもグルなんでしょ?! あたしをハメやがって…………! この裏切り者!」

「そんなわけないでしょ? 落ち着いて、私がリサを裏切る理由なんて無いんだから…………」

「あんたは沿岸部の出身なんだから、あるでしょ?!」

「…………? それに何の関係が…………」


 メリッサの左腕が首元に巻き付き拘束されているチェルシーは、苦しそうにその腕を抑えながら声をかける。ベージルに矛先が向いてしまったので、彼を庇うために人質の身でありながら落ち着かせようとしてくれたのだろう。

 しかし、メリッサはそんな友人の落ち着けという声にもまともに聞き入れる様子はない。むしろヒートアップして、言わなくてもいいことを言おうとしていることに、ベージルは気づいた。しかし彼が止めるより前に、昂ったメリッサは怒鳴るように言い返す。


「白々しいんだよ、知ってんでしょ?! あたしが、あの事件の元凶の『メリッサ』だってこと!」


 ひゅっと、どこからか息を呑む音が聞こえる。

 皆は『メリッサ』の名前を知っていたのだろうか。ベージルはその存在は聞いたことはあっても、名前は知らなかった。

 でも、そんなことは関係ないのだ。

 沿岸部が被害者で――――あの事件の元凶の女――――もうその情報だけで、共通のイメージが浮かんでしまうのだ。

 人類史上最大の戦犯、最も愚かな大罪人の二人。第一王子と偽聖女。それの女の方。

 教会の手によって最前線に連れていかれ、そして死んだと言われていたはずの偽聖女が――――今、人々の目の前にいた。


「――――――うそ、でしょ…………?」


 凶器を自分に向けられていても冷静だったチェルシーが、顔を真っ青にして震えている。

 さっきまで友人だったこの女は、チェルシーにとっての仇。故郷を滅ぼした元凶の女と、今の今まで寝食を共にしていた――――チェルシーは信じられない気持ちで、後ろを振り向こうとする。

 しかしメリッサの腕はさらに強くなり、振り向くことは叶わなかった。ぐっと苦しそうな顔になったチェルシーに、ベージルが思わず声をあげる。


「やめろ!」

「うるさい! こっちに来るなぁ!!」


 ナイフを持つ手に力が入っていく。つう、とチェルシーの首元に赤い血が伝ったのが見えた。

 まずはとにかく落ち着かせなくては、とベージルは努めて冷静に声をかけた。


「落ち着いてくれ。俺は君を攻撃したいわけじゃない」

「嘘つかないでよ…………!! 私を捕まえに来たって聞いた!! また私たちを殺そうとしてるんでしょ!? この人殺し!! 私は絶対に死んでなんかやらない!! 死なないんだからぁ!!」

「確かに俺たちは、君のことを知ってここを訪れたが、穏便に済ませるつもりだったんだ。そのためにわざわざ早朝に来た」


 もちろん嘘である。

 早朝に来たのは、大司教と話をつける前に第二王子やメリッサ本人に捕縛の件を知られてしまうのを避けるためだ。それ以外に理由はない。

 けれど嘘も方便である。ベージルはあまり嘘が得意ではないけれど――――錯乱しているメリッサには真偽の判断はつかなかったらしい。


「………………」

「今、君は錯乱しているだけで、何か罪を犯したわけではない。まだ間に合う。そのナイフを放してくれ」


 ベージルは、優しく、なるべく彼女を刺激しないようにそう言った。そして、じりじりと部屋の中に入り二人の元へ近づいていく。

 彼女を大人しくさせるための言葉を信じてくれればそれが一番いいが、落ち着いて考えれば嘘だと分かることだ。いつでもチェルシーを助け出せるようにしておく必要があった。

 メリッサが許される日など来ない。

 事実上の処刑が行われたはずなのにどうして生きているのか、その尋問は行われるだろうが――――それが終われば処刑されるに決まっている。

 それに気づかれる前に、チェルシーを助け出さなくてはならない。


「頼む、その右手を放してくれないか――――」

「……………………」


 衣擦れの音すら聞こえそうなほどの緊張感。

 メリッサは何を考えているのか、呼吸を殺して固まっている。

 右手のナイフは、チェルシーの首を狙ったまま。

 ベージルは、じり、じり、と足先を少しずつ前でずらしていく。

 メリッサは何も言わない。

 扉の近くでは固唾を吞んで見守る人々。

 メリッサの右手が震えている。

 ベージルは努めて平静を装って、じっとメリッサを見つめる。

 ナイフが震えのせいで、少しだけ首から離れようとしていく。

 メリッサの左手が、ほんのわずか、緩んだような気がした。


 ひりつくような緊張感の中――――――はっ、と。

 息を吸う音が響く。

 メリッサの呼吸だ。

 メリッサの右手が、ぐっと力強くナイフを握りしめるのが見える。彼女の目には、すでに正気の色はなかった。


「チェルシー!」


 ベージルが駆け出すのと同時、チェルシーが自分を拘束する腕に噛みついた。メリッサはその痛みに驚き、振り下ろそうとしていた右手のことも忘れて左腕を抱えて飛びのく。

 すぐさまチェルシーは出入り口のある方へ一目散に駆け出した。そして、弾丸のようにメリッサを取り押さえるため飛び出したベージルとすれ違う。

 チェルシーが部屋の外から伸ばしてくれていた見知ったシスターたちの腕に縋りついた頃には、メリッサが握っていたペーパーナイフは遠くに放り投げられていたし、メリッサ本人はベージルに取り押さえられて床に縫い付けられていた。

 出入口辺りで行方を見守っていた聖騎士は取り押さえる手を増やすために駆け寄って、その後ろから縄などを持っている司祭がついていき、彼らの陰になってメリッサは見えなくなる。


 終わった。


 チェルシーはへなへなと腰を抜かして、その場に座り込んだ。シスターたちの心配する声を聴きながら、ようやく安堵の息を吐くことができたのだった。


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