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婚約破棄劇 2

――――花が現れたよ。


 ウォルターが呟いたその言葉に、ベージルは息を呑む。

 握手していただけでもスキャンダルに繋がりかねない話だった。それが、まさかさらにもっと上の話だったとは。


「女神様から、最後のチャンスをもらっていたんだ、僕は。――――僕だけには」


 運命の伴侶というのは、この結婚関係において、とても重い意味を持つ。そのときの後継者争いの図から考えても、聖女の婚約者がウォルターに変わっただろうことは間違いない。そうなれば、聖女との婚約のみが頼みの綱だった第一王子は、何もせずとも王宮から姿を消していただろう。

 聖女の運命の相手がウォルターだったというのは、文字通り『運命的』なことだった。

 もしそれが公になっていれば、きっと誰もが女神の祝福だと思っただろう。一片の憂いすらなく、次の冠をウォルターが戴くのだと――――そうなれるはずだった。


「…………そこまでお膳立てされても、覚悟が決まらなかった。そしてそのせいで聖女クラリッサは死んだ。これは、僕の罪だ」


 すでに日も落ちきった空になおも顔を向けながら、ウォルターは今までになく弱弱しい声色で言った。もうすでに七年も前の話だけれど、ここで毎日変わりない日常をやり過ごしてきた彼にとっては、昨日のことのように思い出せることだった。


「その後はね、魔族の急襲の一報を聞いてすぐに陛下が心労で倒れて、後処理やらなんやらにてんやわんやしていた隙をつかれて………………第二王子のアーヴィンを担ぎ上げる勢力が一気に発言力を増した。で、………………僕は適当な理由をつけられて、こうして幽閉された。その間僕はどうにも無気力でね…………何もしなかったんだ。そして、今に至るというわけだ。

 分かっただろう? まあ、ニコラの言い方は少し誤解があったかもしれないけど…………僕にも罪はある。何もしなかった罪だ。こうして塔の中で何をするでもなく過ごしているのは…………僕に似合いの罰というわけさ」


 ウォルターは窓際から立ち上がり、窓から左側に並べられている棚へと向かう。そこの一番上にある引き出しを開けて、中にあった冊子を取り出す。きちんと装丁されているわけでもないただ紙の束を紐で括っているだけのそれを、そっと大事そうに持ち上げて微笑んだ。


「ウォルター様、それは…………?」

「美術部の卒業制作だ。その年の卒業者全員の肖像画を一人ずつ描いた冊子、を作るための練習絵をまとめたやつだよ。美術部の部長からこっそりもらったんだ」


 ウォルターがペラリとめくった紙には、首から上のみの人が描かれていた。練習絵、とは言ってもかなり上手な絵ばかりで、白黒で描かれたデッサンばかりのようだがベージルからするとこれ以上何を練習するのだという出来に見えた。

 絵としてもそうだが、肖像画としてもよく似ているようで、冊子の中にあったウォルターの絵は一目でそれとわかるくらいよく似ていた。ぺらりぺらりとめくられた紙には幾人もの人が描かれていて、ベージルは知らない人物ばかりだがどれもそっくりなのだろう。

 その中の一枚に描かれた一人の女性の顔に、ベージルは見覚えがあった。しかしそれを口に出す前に、ウォルターは紙を捲ってしまい、あるページでその手を止める。


「これが、聖女クラリッサだよ」


 相変わらず白黒なので色彩は分からないが、優しげな微笑みでこちらを見つめている女性の一枚だった。まつげの一本まで美しく丁寧に描かれ、これを描いた人がどれほど気合を入れて描いていたか伝わってくるようだ。


「これが彼女の最後の肖像画になったようなんだ。卒業したら大勢の画家に描かせて全国に配る予定だったそうなのだけど、そうはならなかったから。皆、悔しがっていたな」

「そうだったのですか」

「うん。僕のせいで、この女性が、死んだ。…………ここに幽閉された後、クラリッサの信者だった旧友に差し入れされたんだ。…………罪を忘れないようにって、そう言うことだと思う」


 違う、といくら言ったところでウォルターは納得しないだろう。

 彼は七年間ずっと、この塔でそんな罪悪感を抱えて生きてきたのだろう。

 今はあまり言っても仕方ないと、ひとまず話をそらすために先ほど見覚えのあった女性の絵を探して、ウォルターに見せた。



「この女性…………以前、中央聖堂で会ったことがあります」



 そう言った後の反応は、劇的だった。

 ぴたとウォルターの動きが止まり、そして、ゆっくりと振り返った。

 彼の目は見開いて、瞳孔も開ききって、呼吸も止まって――――――あまりに尋常でない様子のウォルターに、ベージルは恐怖を覚えてしまう。怖気づいて一歩足を引いたベージルを、ウォルターは二歩分身を乗り出して追いつめ、肩を掴んで揺さぶった。


「それは――――本当に、この女性だった? 間違いなく?」

「ま、間違いないと思います。この絵よりも少し大人びていましたが…………」

「他人の空似や親族の可能性はない?」

「それは否定できませんが、年のころはウォルター様と同じくらいに見えました。名前は確か…………リサと」

「ふ、ふふ………………あっははははは! 『リサ』! まさかそんな名前で、よりにもよってこの王都に、この女がのうのうと暮らしていただなんて! いったい誰が想像した?! 中央聖堂にね、なるほど…………ははっ、そういうことか」

「ウォルター様…………?」


 薄暗い笑い声をあげるウォルターは壊れたように笑い続ける。

 今までずっと冷静で穏やかな表情しか見せなかったウォルターの変わりように、ベージルは顔色を悪くさせる。この『リサ』という者の情報が、ウォルターのなんらかの琴線に触れてしまったらしいということは、理解した。


「ベージル、よく聞くんだ。君が知っていると言ったこの女はね、第一王子と共に聖女クラリッサに冤罪を被せ死に追いやった大罪人、アルバートの愛人だった元男爵令嬢の偽聖女――――――『メリッサ』だ」


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