婚約破棄劇 1
「そのためには、アーヴィンのことに詳しい人物に直接聞いちゃうことが一番なんだけど…………」
第二王子の近くにいる人と言えば、もちろん唯一の側近のニコラである。
ニコラなのだが。
ベージルはちょうど今日、彼女と激しい口論になってしまったところだ。どういう風に協力してもらうにせよ、このことをウォルターに隠しておくわけにはいくまい…………と覚悟を決める。
実は例のカフェでニコラと遭遇し、口論になって、しかも言い負かしてしまったのだ――――――と、ベージルは正直に話した。
「君、何してるの…………?」
「申し開きのしようもございません」
「ニコラも気の強いとこがあるし、君は目の敵にされてたんだっけか。君と一緒にチェルシーさんもいたんなら、身を守るために多少の反論をすることは理解できるよ? できるけどさぁ…………」
「申し訳ありません…………」
ベージルは素直に反省した。たしかに、あそこまで言う必要はなかったのだ。それでも、つい感情のままにあそこまで言ってしまったのは、彼女がウォルターのことを侮辱していたから。まだ出会ってからほんの数日しか経っていないけれど、ウォルターが誰かから侮辱されていい人間だとは思いたくなかったのだ。それも、全くウォルターが悪くないことを理由にして――――
顔を上げてすでに見慣れてしまったウォルターの呆れ顔を見つめて、ベージルは意を決したように彼に話しかけた。
「ニコラ様から、ウォルター様が此処に幽閉されている理由について、お聞きしました」
「ああ、そうなんだ? そういえば知らないって言ってたもんね。…………ん? ひょっとして言い合いになった原因ってそれ?」
「はい。自分には、ウォルター様に非があるとは思えませんでした。なのになぜ、こんな仕打ちを甘んじて受け入れているのですか?」
「………………なぜ、か」
すっとウォルターの表情がなくなり、しばし俯いていたかと思うと立ち上がり、背後にあった大きな窓に近づいていく。
「ニコラがなんて言っていたかは知らないけど…………でもきっと、彼女の言った通りだよ。僕が罪人だから、ここに幽閉されている。それだけだ」
「きっかけになった事件をお聞きしましたが、とてもウォルター様に責任があるとは…………」
「あるんだ。ニコラの話でそう思えなくとも、僕自身があると確信している」
なぜ、とうわ言のようにベージルはつぶやく。ウォルターの言葉は簡潔でわかりやすかったはずなのだけれど、ベージルには一切理解できなかった。
「………………ニコラから聞いたかい? 僕が第一王子のアルバートのお目付け役を頼まれていたこと」
「はい」
「アルバートはそれはもう、頭も性格もとにかく悪くてね。君も噂くらいは聞いたことがあるかもしれないけど、噂から想像する十倍は酷かった。とにかく酷かった。横暴で、我儘で、陰険で。この世に存在する悪口はだいたいアルバートに当てはまるってくらい嫌なやつだったよ」
「とんでもない人ですね」
「そうだよ、本当にとんでもない奴だった。だからね、当時はアルバートの素質を疑問視する声がたくさん、それはもう満場一致かと思うぐらいあがっていたし、僕を王太子にと推す声の方が主流だったんだ」
今は亡き第一王子がとんでもない人だったことは噂レベルで聞いているし、ウォルターに後継者のお鉢が回って来たこと自体はおかしくない。ただ、血が近いにしてもウォルターは公爵家の嫡男という話だし、第二王子がいるはずなのに一段飛ばしでウォルターの名前が挙がっていたらしいのはなぜだろうか。
「アーヴィンもね、うん。アルバートほどじゃあないけど…………昔から評判は良くないんだ。兄の悪いとこが似ちゃったみたいでね。しかも横暴な兄がいたせいで鬱屈したところもあって。あと自分で言うのもなんだけど僕は普通に評判が良かったからね、学園での成績も良かったし。アーヴィンが可哀想ではあるんだけど、比べちゃうとね…………どうせなら、より良さそうな方をって思う人が多かったんだ」
「なるほど、それでウォルター様が第一候補だったのですね」
「アルバートは小さい頃からそんなおバカの片鱗を見せてたから、焦った王妃様が、その地位を確かなものにするために聖女を婚約者にしたんだ。まあ確かに、そうでもしないと第一王子のくせに立太子すら無理っぽかったし、こんな小さいうちに挫折を味合わせるのも申し訳ないと思ったんだろうね」
王妃様は第一王子と第二王子の実の母親だが、もう十五年くらい前に亡くなってしまっている方だ。となると、第一王子がまだ十歳になるより前に婚約を決めたということになる。確かにそんな年の子供に対して、誰も何も期待していないと言外に示してしまうのは忍びないと思うのも分かる気はした。
「でも、アルバートはさっきも言ったけれど頭が悪かったからね。そんな母親の想いも分かっていなかったんだ。アルバートは学園でも好き放題して、とある男爵令嬢を気に入ってまるで恋人同士かのように振舞い始めたんだ。そして、その男爵令嬢を婚約者に据えるために…………」
「…………聖女に冤罪を着せて私刑を行った、と聞いています」
「そう、冤罪を着せた。本人も、聖女が婚約者でないと王様になるのは難しいと分かっていたんだろうね。その男爵令嬢が本物の聖女で、聖女クラリッサは偽物だと主張した。誰も信じてなかったよ、もちろん。男爵令嬢が言い出した世迷い事らしいけど、アルバート自身も信じていたかどうか…………」
「なのに聖女を殺したのですか?」
「そういう奴なんだ。底なしの馬鹿野郎だったんだよ」
始まりは母親のわが子への慈悲だったはずなのに、その慈悲が聖女の死という結末へと繋がってしまった。王妃様は彼らの卒業の日を迎えるよりも先に亡くなってしまっているが、もし生きていたらそれをどう思ったことだろうか。ある意味で、事件を見届ける前に女神の庭に招かれたことは彼女にとって幸せなことだったのかもしれなかった。
「まあ、そういうわけだったからね。…………僕には、アルバートを下して王太子として周りに認めさせることを望まれていた。ずっと、陛下からもね」
「陛下からも、ですか?」
「そうだよ。在学中にアルバートを後継者争いから引きずり下ろせる証拠を掴んで、王太子の座を揺るぎないものにするようにってね」
「…………ニコラ様は、ウォルター様のことを元第一王子殿下のお目付け役だったと言っていましたが…………」
「はは、ニコラはそう聞かせられていたのかな。まあ確かに、目は付けていたけどね。でもそれは悪さをさせないようにじゃなくて、覆しようの無い悪事を見つけ出すためにだ。アルバートは叩かなくても埃が出てくるようなやつだったから」
ウォルターはすでに日が沈みきり、西の空が仄かに赤いだけの夜空に移り変わっていく空を見つめて、少しだけ懐かしそうな顔をした。
「…………でも僕は、何もしなかった」
「元第一王子殿下を放置していたということですか?」
「やりすぎると思ったら事前に対処ぐらいはしていたけどね。でも肝心の、陛下からの命令だった悪事の証拠を掴むってことをしなかったんだ。だって、それを見つけてアルバートを幽閉だの処刑だのにしてしまえば、………………僕が王様にならなきゃいけなくなる」
ウォルターは食事途中だというのに立ち上がり、広く取られている窓台部分に腰掛けた。相変わらず空に視線を向け、こちらと目を合わせないようにしながら言う。
「…………王になる覚悟がなかった、あの頃の僕には。アルバートを排除するってことは、自分が王になるって名乗りを上げることと同義で…………陛下は何も言わなかったよ。卒業の日になっても…………今思えば、僕の覚悟が決まるのを待っててくれてたのかな。でも、それが、裏目に出た………………」
卒業の日、考え無しの元第一王子アルバートが、聖女を殺した。
それは、誰もにとって予想外のことで…………しかし、ウォルターにとっては、避けられた事態のはずだった。もっと早く、覚悟を決めてさえいれば。
「しかし、それは…………やはり、ウォルター様のせいだけでは無いではないですか。そもそもの元凶が元第一王子なのは揺るがないですし、陛下すらタイミングを見誤っていた…………そういうことではないですか?」
「そうかもね。僕も、何もかもが自分のせいだと思ってるほど自意識過剰なわけじゃないよ。でも、僕には他の人より多く、チャンスを与えられていた。これは確かなんだ。
………………あのね、ベージル。僕はね、卒業式の前日に、初めて聖女クラリッサと握手をしたんだ」
握手――――――それはこの国で少しだけ特別な意味を持つ行為だ。なんせ、手と手を合わせてしまえば、運命の伴侶の証拠である花が現れるかもしれないのだ。だから本来、婚約者がいたり既婚者だったりすると、異性とは握手しない。特定の相手がいない者同士であれば握手をすることは普通にあるが、『貴方とならば運命であっても構わない』という意味を持つ、そういう特別なものだ。
それを、第一王子の婚約者である聖女と、次の王と目されていたウォルターがしたということは――――大きな意味がある。
「――――――花が現れたよ。一輪、ガーベラの花だった」




